第二十七話

 悪夢のような戦が終わった。

 敗軍は傷病者と同胞の骸を抱えて国へと帰り、一将の功も成らず、万骨は枯れた。


 昼下がりの雨が、刃のように冷たく光を放ちながら、鋼の陵墓に降り注いでいた。

 鋼といってもいかな材質で構成されているのか。その奥底はいったいどれほどの広さで、どれだけの竜の亡骸や彼らの用いていた『牙』や『鱗』が納められているのか。

 それはリィミィたちのような竜でも知るものはいない。それを管理する真竜種たちの間でも、秘中の秘であり、あるいはそれぞれがまったく別の種類なのかもしれない。ただ、東方領のこの陵墓に関して言えば、丘をくりぬいてはめこまれたその場所は、墓地というよりかはまるで


 ――保管庫……

 のようだった。


 故竜の巨躯よりも一回り以上小さな棺が、嫡子カルラディオを先頭に、数人の家族の手によってその中へと収められていった。

 その函に、肉体は容れられていない。ただあるのは、必死の反撃で取り戻した彼の抜き身の『牙』であった。乱戦の中、かろうじて回収できたのが、それだった。

 そしてやはり、その担ぎ手の数が多すぎるために、やや持て余し気味になっていた。

 死者、ブラジオ・ガールィエを遺徳を示さんと葬式は礼式にのっとって厳かに執り行われてはいたものの、かえって空疎な印象を弔問客に与えてしまっていた。


「となると、鞘と遺体は……敵の手に」


 白衣から一転、黒い喪服のリィミィが危惧を耳元でささやいた。

 だが、夏山星舟は唇を引き結んだままに答えなかった。代わり、負傷した彼を支える厚朴ほおのきの杖が、ぎしぎしと音を立てるのみだった。


 彼らの数歩の距離の先には、東方領主アルジュナ・トゥーチが立っている。

 彼こそ杖や床几を使っても良い歳だろうに、それでも二本の脚で、背を伸ばして直立していた。

 だが、その姿はいつにもまして年老いて、そして悄然としていた。

 すまぬ、という小声がその背から漏れ聞こえてきそうだった。


 シャロンはふだんの爛漫さを喪い、うなだれていた。

 サガラが事務的にブラジオの過去の業績を読み上げ、その忠心と勤労を賞美した。

 ジオグゥの姿はなかった。


 どれほど貴び、惜しむべき時間ではあったとしても、葬儀は式が済めば終わるものである。

 だが解散というはこびになっても、立派に喪主を務め上げた次期当主に客がめいめいに偉大な先代を悼む言葉を告げに集まっていた。

 その顔ぶれは比較的若い。無理もないことで、彼らの父兄の多くもまた、対尾にて没した。


 真竜種が死ぬということは、戦力が大幅に低下するとか威厳が削がれたということのみではない。何より、その家々を差配していた最高権力者が突然消えることが最大の問題なのだ。


「これからこういうのが続く。……喪服を乾かしてる暇もありゃしねぇ」


 星舟はそう愚痴をこぼした。

 ただそう言いつつも、あれこれと世話を焼こうとするシェントゥが差し出す傘を手で拒み、逆に彼自身が雨に当たらないように傾けた。


 喪主と星舟の目が合った。カルラディオは表情なく、自分に身を寄せる竜たちに断りを入れ、星舟の周囲をかき分けるようにしてつかつかと接近してきた。

 父ブラジオに似ず色白の美少年だが、なるほど学府におけるサガラ以来の秀才との呼び声に見合った知性と気品を感じさせた。


 しずしずと頭を下げた星舟に対し、彼は歩みを止めなかった。

 困惑する取り巻きをよそに、その歩速はいさおう高まっていく。


「この度は」


 硬い声で弔辞を述べようとした星舟は、しかし最後まで言うことができなかった。


 勢いをつけて踏み込んだカルラディオが、右の拳で星舟の顔を殴りつけたのだから。


「何故……父を救わなかった」


 星舟の上体が揺らいだが、膝は屈さなかった。それが気に入らなかったのか、少年の白皙に、朱と怒が徐々に浮かび上がった。


「お前がッ!!」


 少年はさして自分と身長の変わらない男の襟首に食い掛かり、押し倒した。

 周囲が声で自重を促したが、あえて強引に引き止めようとする者はいなかった。

 少年の烈しさが他者の介入を良しとしなかったし、その怒りが道理でなくとも同情できるものだったからだ。


「気の済むまで、させてやれ」

 と、傘の下のサガラが後輩の心痛を重んじるような調子で、周囲を制止した。だがその一瞬、薄い笑いが唇を歪ませたのを、リィミィは見逃さなかった。


 いかに骨細の若年と言えども、真竜の腕力である。馬乗りになられたまま殴られる星舟の顔に、見る見るうちに痣が出来、血が切れた口から流れていた。


 無論、列席していた第二連隊がそれを看過して良いわけがない。何人かは無理矢理にでも両者を引き剥がそうとしたが


「手を出すな!」


 と、他ならぬ殴られている本人が、血にむせながら命じたのだから、止まり、判断しかねていた。


 もちろん夏山、ガールィエ両家の諍いを激化させなための配慮ではあったが、それだけではなく、やり場のない少年の激情と無念に、誰よりも同情的なのがこの星舟だったからだろう。


 しかし、そのことにカルラディオが気づく気配はない。また、慮る義理もない。


「父上はお前たちを守るために戦ったのに! お前が何もしなかったからッ! お前がおのれのなすべきことを果たさなかったから父は死んだ!」


 星舟の口から、かすかな呼気が漏れた。

 隠れた前髪の奥で、詰め物の埋めた眼窩が歪んだ。


「お止めなさい!」


 鋭く制止の声が上がり、その方向に向きながら衆が割れた。

 開けた道からみずから傘を差したシャロンが険しい表情でカルラディオを睨んでいた。


「お父上も、そこの夏山殿も、それぞれが自身の信念に従って、為すべき使命に力を尽くしたのです! その死の責をもう一方に押し付けることは、あなた自身がッ、お父上の矜持を汚す行為に他なりません!」


 カルラディオの振り上げた手が宙に留まった。

 刺激しないよう、慎重な足取りで彼らの下に近づいた領姫は、握り固めたままの少年の拳を掌で包み、自身の眉間に当てた。


「皆が大いに傷ついたのです。その咎めを受けるとすれば、それは指揮官であった私に他なりません。やるなら私を撲ちなさい」


 母のように、姉のように、若き当代にそう諭す。見る見るうちに彼の痩躯から敵意が萎んでいくのが傍目からも見て取れた。完全にそれが霧散したわけではないが、力なく肩を落としたカルラディオは星舟とシャロンから身を離した。


「……くそ……!」

 しゃくり上げるように毒を吐く。あるいは、本当に突然降って沸いた重責と悲運に押しつぶされて、雨に紛れて泣いていたのかもしれない。


 泥を払いながら、シャロンが星舟へと向けて手と、逆の手で握る傘を差し伸ばした。


「彼も混乱しているのです。夏山殿、あまりお気にされぬように」

 という慰めは、彼の耳に通っているのかどうか。

 そも彼女の姿は、星舟に認識されているのか。


 星舟は自分の手足を使って杖を拾い、立ち上がった。

 戦傷も癒えず、今またあらたに傷を刻まれた隻眼の青年は、歩き始めた。

 あまりに痛ましいその姿に、今まで公の者として振る舞っていたシャロンは、


「……セイちゃん!」


 と、たまりかねて情動のままに彼を呼んだ。

 星舟は足を止めた。雨に打たれるまま、黒髪の先からしたたらせ、頬を濡らしながら、暗い表情を向ける。だが、まるでしがみつくように輝きが眼の奥底でくすぶっていた。

 どういう感情に起因するものか推し量れない表情で深々と辞儀をしながら、星舟は、分厚い雨の帳の中に溶けていく。


「無駄ですよ」


 なおも彼を呼び慕い、追いかけようとするシャロンをリィミィは嘆息まじりに制した。


「あの男は、必要であれば自分で傘を差しましょう。目的があれば、濡れるのも構わず他者に惜しみなく自身のそれを渡すでしょう。使命のためならば、敵味方から奪い取るでしょう。ですが、差し出された傘には決して入らない。……そういう男ですよ。今の夏山星舟は」


 呆然と立ち尽くすシャロンの周囲では、彼女の身を案じた身内や侍女が、争うように傘を差しだしていた。


 光龍四十五年。

 竜たちの長く続く苦難と試練は、今この瞬間より始まった。



 第二章:狩人 ~対尾港撤退戦~ ……閉幕

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