第二十三話

 それは、峠を越えて現れた。

 葵口を抜けて会見原に集結する竜軍。その動揺が落ち着かぬうちに、出現した。


 大将シャロン・トゥーチは、目線を上げていち早くそれに気がついた。

 今まで、陣頭に立って激励の笑みを浮かべていたお姫様が突如真顔になったのだから他の者も異変に気付かざるをえなかった。


「殿軍は、第二連隊はどうしていたのだ!?」


 傍らから声が聞こえた。おそらく対尾攻囲に参加していた誰かだろう、その声に、過剰ともいうべき緊張がこもっていた。


「彼らが抑えているのは葵口です。おそらくはその西の森林、その間隙を縫って裏道より侵入したのでしょう。……この近辺は、七尾かれらの縄張りでしょうから」


 だが、それでも大軍を移動させられるほどの軍道が存在するとも思えない。

 旗や陣太鼓の少なさが、それを物語っている。

 あるいは知られざる予備兵力を隠したうえでの偽装かも知れないが、それならばあの蛇の紋を真っ先に掲げてことさらこちらの警戒を煽るようなことはすまい。

 それが狙い、という線も考えられるが……。


 伏兵は、有りや無きや。

 シャロンの考察は結論がつく前に杞憂で終わった。いや、むしろ牽制であったのなら、どれほど正常マトモであったか。


「七尾勢、前進してきます! 止まりません!」


 二〇〇〇余の集団が作動しはじめた。

 黒々と茂る椎の木々の合間に潜り込んだ彼らは、その葉を鳴り散らすように峠から下りてくる。


 挑んでくる?

 斬り込んでくる?

 この平野で?

 はるかに少ない兵数で?


 人が、竜に!?


「おのれ、つけあがった挙句にふざけたことを……!?」

「いや、あきらかに伏兵増援あっての動きぞ! それらの存在に気をつけるべきではないのか!」

「いや、いずれにせよあの大頭巾が奴らの主力ぞ。先に叩いて第二波に備えるべし」


 ただの前進。突撃ではない。一矢も飛んできてはいない。だが、それが引き出した反応は、様々だった。

 だがそのいずれの根底にあるものは、


 ――怯え。


 であるようにシャロンは思える。対尾で大敗を経験した者も、そうでなくあくまで伝聞を受けた者も、本能が揺さぶられているのだ。

 喚声も発さず接近してくるあの敵は、決して触れてはならぬ者だと。


 現に、彼女自身とて……


「……静まりなさい!」

 震える手首を止血のごとく固く握りしめ、白皙を持ち上げ姫将軍は叱咤の声をあげた。


「敵に後続があれば、この開けた平野、すでにその影が見えても良いはずです! とうてい信じがたいことですが……彼らは助攻なしの単身攻撃を仕掛けてくるつもりのようです。よって我らは彼らへの迎撃に専心します! ……常土とこつ山主やまぬしエーデンバルグ!」

「はっ!」


 動揺で波打つ陣営のうち、名を呼ばれた一小領主が進み出た。


「貴方の組下には良い銃士がそろっていると聞き及んでいます。まずは彼らの斉射で林を抜けた敵の出鼻をくじき、その狙いを探ります!」

「し、しかし当方ではまず真竜種が敵を鋭鋒を折り、しかるのちに射撃で落ち穂を拾うがごとく掃討していくのが定法であり、仰せの指示では逆……」

「その定法が通じぬ相手ゆえにあえて逆を行くのですッ、今は竜だ人だという体面にこだわっている場合ではないっ、他の隊も装填と陣立てを急ぎなさい!」


 その触れを契機に、ようやく竜軍は動き始めた。いや、彼女の電撃的な威光を浴びて、無理やりに身体が動かされたといっても良いだろう。

 とにもかくにも、もとより臨戦の体勢にはあったがゆえに、迎撃の体勢は早々と整った。

 例外として真竜種エーデンバルグ率いる六〇〇程度の銃撃部隊が突出するかたちとなり、ざわめく木々の手前で固唾を飲んで待ち受ける。


「無理攻めはしなくて良い。一射して崩れぬと思えば素直に後退するように」


 とは言い含めてあるが、果たして駆け引きを知らぬ竜が素直にその忠告に従ってくれるかどうか。


 向かってくる靴音が鮮明になった。

 それと同時に、エーデンバルグが野太い声を飛ばす。射音が飛ぶ。煙が前方を覆い隠す。

 だが、薄れた煙幕のその先に、死体はない。

 代わりに打ち立てられたのは、俵の塁壁、そして立ち上る、白い浅地に義の一字の染め抜いた旗。


 ――違う! 七尾藩だけじゃないっ!?


 シャロンは物理的に一歩退きそうになるのを踏みとどまった。

 その彼女のはるか前方、即席塁壁の向こう側より、黒い装束の抜刀隊が突出し、蝗害にも似た無軌道な動きと速度であふれ出した。


 ~~~


 人のかたちを成した災害に、エーデンバルグが呑まれた。

 彼が危惧したとおり引き際を見誤ったのか、それとも自分が結果として無理な戦術を強制してしまったのか。それは遠目からは判断できなかった。


 だが、最奥の本陣からでもわかったことはある。否、突進してくるのだから敵情は嫌でも伝わってくる。

 敵は、二種。

 ひとつは予想通りの七尾藩。そしてその鬼人たちの援護をしているのが、装いもまばらな軽装の士だ。

 聞いたところによれば、いずれの藩にも所属せぬ義勇軍が、戦端においては敗色濃厚だった対尾港防衛に参加し、鮮やかな手際で防戦していたという。

 そしていざ竜の包囲が崩れ去ると、突出した抜刀隊が苛烈な反攻を仕掛けてきた。

 それを先陣切って采配したのは、彼女よりも年下とおぼしき、少年だったという。今と同じように。


 それにしても、年若とは思えない見事な指揮ぶり、兵たちの練度だ。

 何より陣地構築能力が、今まで見た人間の部隊の中で、群を抜いて秀でている。

 言うなれば、機動する要塞といった具合か。


 七尾藩が最強の鉾となって一気に突き入ってくるのなら、彼らは個の武勲を捨て、防備に専念し、彼らの侵攻を鋼鉄の盾となって援護していた。両翼を伸ばす竜軍が、その包囲を完成するよりも速く、精鋭たちは一直線に切り崩し、まっすぐに本陣へと突入しようとしていた。


 数でも、個の兵の勁さでもこちらが勝るのに、ましてそれを十全に活かせる地の利も得ているのに、押し切れない。むしろ各個に打ち破られて行っている。


 ――まさか狙いは、総大将わたしか?

 シャロンはハッと息を呑んだ。

 本来であればありえないことだった。想像することさえ許さないことだった。だが、彼らにはおそらく、それを実現可能にするだけの集団としての剽悍さがあった。


「万一に備え、どうか御身はお退がりあれ!」

 供回りにもそのことに気づいた者がいた。そう鋭く進言が飛んできたが、シャロンはそれを跳ね除けた。


「まだです! まだ、第二連隊が戻ってきていない……ここで我々と合流しなければ、彼らは敵中で孤立します!」

「恐れながら、すでに彼らも何らかの手段によって無力化、あるいは壊滅させられていると考えられ……」

「もしそうなら、彼らが食い止めている敵勢がとうにここに来て良いはずです。彼らはまだ生きている。生きて、こちらに向かってくる。ここで踏みとどまれば、いずれと彼らと挟撃できる!」


 確固たる理でそう説いたシャロンだったが、彼女自身、多分に私情が入り混じった決断であるという自覚はあった。


 それでも、覆せない。

 どうしても、想ってしまう。


 ――ぜったいに帰ってきて、セイちゃん。私のもとへ……っ!


 だが彼女の祈りに反し、状況は悪化の一途をたどっていった。距離が詰められていく。


「今こそ竜を討て!」


 声が聞こえた。

 澄み渡った、少年のものだった。

 この血みどろの戦場に、爽風が送り込まれるのを感じさせる、晴れ晴れとした響きとともに、少年は直剣をたずさえて、年頃も装束も違うみずからの同志と、そして黒い将兵たちとともに堂々と進む。


 なぜか彼には弾が当たらない。

 そして彼は自分自身にそうした矢弾避けの加護があると信じて疑わない様子だった。弾丸が足元の土をめくれ上がらせようとも、その動きにいささかのためらいも怯えもなかった。


「苦難の時代は終わる。竜に虐げられてきた世界は終わりを迎えるんだ! 今こそこの大陸に、人による国を取り戻し、同胞たちを解放しようじゃないか!」


 黒髪の少年は、はばかることなく宣う。

 そして彼を守護する味方は、 そんな彼に神威を見出したように熱狂の声をあげた。黒い鬼人たちは、声こそあげずともその進撃を速めた。


「……」

 シャロンは薄く唇を噛む。

 自分だって良いおとなだ。今更人間解放のための戦いなどという大昔の大義名分を持ち出す気はない。それがあまりに矛盾に満ちた独善であることを理解しているし、両首脳陣の中でそれが形骸化しつつあることも承知している。


 ただそれでも、一瞬、彼女の心に小動こゆるぎは生じた。

 自分たちに同心した人々に、そして『彼』に注いできた情愛は、独りよがりの偽物であったのかもしれない、と。


 想像すべきではなかった。たとえそれが真実であったとしても、今この場で。


 その逡巡が、一時の集中の途切れを生んだのだから。


 持ち上げた視線の先に、互いの顔を認識できるほどの間合いに、その長身の悪鬼が屹立していた。

 不自然なほどに開いた間、自分たちを阻む者はなく、疲れを知らないその面貌が、軽く呼吸を整えた。そして踏み込んだ。


 乾いた地面に強烈な足跡を残し、金棒と刀を携えて、七尾藩の大頭巾は単身でその間隙を進む。

 今まで物理的に彼女を後退させようとしていた真竜種の供回りが進み出て、『鱗』まとって彼を阻もうとした。

 進み出た二体のうち、先に仕掛けた方の頭を、彼の金棒が難なく粉砕した。

 大振りで生じた隙を突くべく、横合いからもう一体が仕掛けた。


 だが、大頭巾の脇から飛び出た刀が、肩ごしにその竜の喉笛を貫いた。

 そのまま釣り針にかかった石鯛のごとく、やや肥え気味の竜はその男に腕力によってたぐり寄せられ、そして盾とされた。


 半分骸になりつつある味方を、敵もろともに葬れる邪竜など、彼女の配下にいない。それがかえって仇となった。

 両側で立ちすくんでうろたえる彼らは、男が通り過ぎるその刹那に叩きつぶされ、そして首を刎ねられる。


「……っ!」

 彼女は自身の、細身の『牙』の口を切った。

 だが遅きに失した。大頭巾の大将は、彼女の至近まで距離を詰めていた。

 彼に生命を奪われた側近が、乱雑に脇へと放り投げられた。


 片腕で大上段に持ち上げられた金棒が、日差しを遮った。その影が、膨れ上がってシャロンの総身を覆ってしまった。逆光で黒く塗りつぶされた男の貌。そこについた眼だけが、生気も正気も感じさせずに竜の娘を見下ろした。

 だが、そこには何の感情も介在していない。憎悪めいたものもない。ただ、彼にとって今しようとしていることは殺戮ではなく『処理』なのだ。


 金棒が振り下ろされる。

 つんざくような異音が響き、シャロンの聴覚を奪った。だが、生命までは奪われはしなかった。


 男は、自身の横面を、彼女に叩きつけられるはずだった金棒で守っていた。

 その六面のうち、外側に向けたほうがしゅうしゅうと火薬の異臭とともに煙を立ち上らせていた。


 その硝煙の向こう側にあるものを、たしかに彼女は視た。

 あぁ、と。安堵とも感動ともしれぬ声が、自身の口からこぼれ落ちた。


 黒い侵入者たちの斜め後ろから現れた、第三の集団。

 その中心に、五芒の星旗がおおきく翻っていた。

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