第二十一話

 次の夜。

 夏山星舟と令料寺長範は件の策謀を実行に移した。

 口ばかりの約定を再確認し、うわべばかりの信頼を交わし、表面上の友誼を互いに示したあと夏山は虜囚の獣竜を引き連れて闇の森へと消えた。その暗黒の奥に、異人たちが陣所とした村落がある。はや勝利を確信しているのか、酩酊気味の喧騒がこちらへも聞こえてくる。


 好都合だ、と長範はかすかに漂う葡萄酒の臭気を舌で舐めた。


 彼らは内外への注意を緩めることだろう。

 何より、戦勝前のこの弛緩は、彼らにこれからしでかす失態に対する、弁明の余地を与えなくするであろう。


 やや間があって、喚声が聞こえた。濁って野太い笑い声は、やがて悲鳴と怒号に転じた。


「今だ、やれっ!」


 その声が最高潮と思しき山を少し超えた辺りで、彼は部下に突撃を命じた。


 汐津藩兵は将来の政敵を陥れるべく、そして怪しき策謀家の口を封じるべく、声を押し殺して動き始めた。


 だが、異人の陣中に踊りこんだ彼らが見たものは、酒や商売女を抱えて逃げ惑う異人の痴態などではなかった。


 一兵一兵ことごとくがこちらのそれらの体躯を軽く超える、討竜馬兵の精鋭たち。

 乱戦による消耗を嫌ってか、皆徒ではあったが、それでも氷像のごとき荘厳さを持った整列であった。


 対照的に、主将長範ら含めた汐津藩軍は、その虚を突かれた形となった。

 何故、彼らは無傷なのか。

 竜たちは、夏山はどこへと消えたのか?

 そもそも何故、この北国の者共は、自分たちへ刃を向けているのか!?


 その疑問に解が出るよりも早く、先頭に立つ寡黙にして傲慢な巨人が、突撃を命じた。


 〜〜〜


 時はしばし遡る。


「汐津藩が、貴殿らを狙っていますよ」


 黄昏時と同時に村落に訪れた片目の男は、ヴェイチェル・ウダアシアの前で、流暢な氷露の母国語でそう密告した。


「この夏山星舟、陰謀への加担を強いられました」


 わずかの悲壮さも感じさせないような調子で、彼は続けた。

 うさんくさげにそれを睨み返したヴェイチェルは、老いた佐将に視線を投げた。


 小賢しげな猿となど口をききたくない。

 そう暗に受け取ったダローガは、軽いため息とともに問いかけた。


「お前さん、本気で言ってんのかい。あの真面目そうなサムライが、そんな大それたことをすると」

「……まぁ、どれほど嫉妬していたとしても、本来であればしないでしょう。ですが彼は、我々という隠し球を手に入れた。そこで、自分たちを汚れ役に仕立て上げて、貴殿らを失脚させるべく襲わせようとした。脅しと見返り、両方を用意する念の入りようで。……これが、その証拠です」


 と、夏山星舟はこの国のナイフを一本差し出した。

 その長さと鞘などの装飾には、憶えがある。


「長範氏はこれを手渡し、汐津における身分を約束すると……まぁ、本当かどうか知れたものではないですが」

「たしかに、あの男がぶら下げていたもんだな」


 ダローガが受け取ったそれを認めると同時に、にわかにヴェイチェルは起立した。

 部屋の片隅にかけてあったハルバードに手を伸ばそうとする彼を、老将は「待て」と制した。


「あの男を討ったハイそれで終い……ってんなら、この坊やはわざわざ単身忍んでここに来やしねぇさ。だろう?」


 もう一枚裏がある。そう踏んだダローガは、あえて冗談めかしい調子で隻眼の若者に吹っかけた。

 夏山は、笑って目礼した。


「現状彼らは陰謀を行動に移したわけではなく、それを一方的に攻撃したとあれば、単なる私闘としか捉えられますまい。ここはあえて、襲われたフリをして頂きたいのです」

「フリ、ねぇ」

「彼らは捕虜をあえて貴殿らの陣地に乱入させ、自分らだけが利を得ようと目論んでいます。そこで、その中間あたりで逃げ道を作り彼らを離脱させ、そして貴方がたは偽りの悲鳴をあげる。それに釣られてやってきた汐津を待ち構えて、正々堂々誅伐を加えれば良いかと。そのうえで、逃した捕虜は背より討滅。汐津の捕らえたブラジオは貴殿らが管理すれば十分な功と言えましょう。もし、万一自分の言うことに誤りあったとしても、待ちぼうけを食らうだけのこと。次の朝にあなた方の欠伸が増える程度だ」


 まるで上等の執事のように、だがハッキリとおぞましいことを具申する男だった。


「つい数夜前は竜と語らい、汐津に降ったかと思えば、今また我々に彼らを売るってのか」

「竜を見限ったのは、その軍容の脆弱さと、それを訴えてきた自分を疑ったあげくにかくのごとき死地に放り出されたがため。そして降伏した先は汐津藩ではなく、藩王国のはずでした。せっかくの再就職をフイにしたくはありません」


 隻眼の現地人は、そう言って肩をすくめた。


「が、その藩王国というのもいささか難があるように思えますな。合議制とは聞こえが良いが、いかんせん、方々の権勢が強すぎる。やはり、至上の強者とは異国の地に惜しげもなく一軍と鬼才、人材、器機を投入できる強国……」


 青年に唯一ついた眼が、曰くありげにこちらを見つめていた。わざとらしく首を振ってみせる。

 露骨すぎる態度に苦笑を漏らしながら、ダローガは問うた。


「で、あんたはその作戦中どこにいる?」

「さすがに捕虜を残したまま消えれば、疑われます。監視を名目に一番にそちらの陣に駆け込みますので、どうか保護を」


 媚びるようにだらしなく笑い、夏山は頭を下げて、細かい段取りのうえで離脱した。

 夜の訪れとともに消えた青年を見送るようにダローガは虚空に目をやっていた。


「で、どうするね騎兵隊長殿。こんなしょうもない身内争いで消費したくないから、トルバは後方に待機させておくのがいいとして、あの片目の処遇はどうする」

「殺す」


 ヴェイチェルは即答した。


「猿どもは皆殺しだ。目玉が一個だろうと二個だろうと関係ない。帝国の威の下にことごとくを斬り刻み、血泥と煮込んでボルシチにしてやる」


 隻眼の内通者よりもはるかに陰惨な言を吐いた。


「……敵であれ味方であれ、まずその能力を推し量れ、というのがお嬢の命だが?」

「それはあんたがやれば良いだろうよ執事殿。あいにくと俺には教養がない。あの年増女の好みのジャムと紅茶も割合も知らなければ、敵の悲鳴以外で好む音曲も知らん」


 鼻を鳴らしてそう続けた。

 呆れがちにそれを見ていたダローガだったが、あえて何も言わなかった。

 この男の暴言癖は今に始まったことではなく、対象に敵味方を問わず、さらに言えば感情の好悪さえ関係はない。自身を引き立てたカミンレイに忠誠心と友愛の情はあっても、怨嗟など毛ほども抱いてはいないだろう。

 あえて今の言を要約すると、


「女としての人生を捨ててまで智勇を尽くして戦うカミンレイ様に対し、戦うしか取り柄のない己はただ武でもってその信頼に応えるしかないのだ」


 と言ったあたりか。

 無論、その真意の裏を汲み取れる者は多くはない。と言うよりまず居まい。居てたまるか。


 本人に暴言の自覚がないのだから、いくら口でたしなめようとも是正しようがない。時を遡って、彼の語彙のセンスを醸造させた劣悪な家庭環境に物申すしかなかろう。


 まぁ、だがこの場合は……


 ダローガは、ちらりとその豪腕を見遣った。敵に、夏山星舟の射手に撃ち込まれた弾丸は幸いにしてすぐ摘出されたが、傷つけられた矜持までは癒えてはいまい。彼への私怨はまだ生きている。当人の自覚の有無はともかくとして。


「俺の定規は、この三ローコーチのハルバードだ」


 あえて負傷した手で、だが苦もなく長物を担いで見せる。ダローガはもはや何も言わなかった。


 すでに、独断専行でウクジット・セヴァカがこの大地に斃れている。これ以上、不和を醸すわけにはいかなかった。

 老将は漠然とした危機感より、現実に見えている問題を優先した。


 〜〜〜


 という経緯だ。

 つまり、どういうことかと言えば。


 整列して待ち構えていたとは言え、出迎えた客の様相は、ヴェイチェルたちの予想とは少し外れていた。そして、もちろん汐津の愚者どもさえも、そこにはまぎれもない動揺があった。


 何しろ、両陣営ともにドサクサにまぎれて屠ろうとした男が、いない。

 両陣営が利用するはずだった捕虜が、消えている。


 予期していたはずの相手と激突したにも関わらず、互いが虚を突かれた形で始まったこの奇妙な『遭遇戦』は、当初こそ、まがりなりにも陣を成していた『氷露』勢が優勢となっていた。

 だが、その攻めの手が次第に緩む。それに合わせて、汐津側も反撃をせずに退きはじめた。


 刀剣をつかんだ手よりも、引き金にかけた指よりも、しだいに闇夜にさまよわせた視線のほうが動くようになる。


 ――あの男は、どこだ?

 ――あの男は、味方ではなかったのか?

 ――あの男を、殺すのではなかったのか?


 困惑する両陣営の側面から、

「誰ぞをお探しかな?」

 声が聞こえた。


 決して大きくはない。それこそ喚声や、あるいは当惑のどよめきにさえ劣る声量。だがそれでも、音の中にある強烈な個が、その場にいた人間の心を惹いた。否、彼らの神経を、逆撫でにした。


 夏山、星舟。


 深い暗闇の中に嘲弄とともに浮かび上がったその影を、兵士たちは見た。

 汐津藩および令料寺長範は男の背後に展開した兵……捕虜だった者たちの数よりもずっと多い竜たちが両陣を取り巻くのに戦慄した。


 だが『氷露』の国の軍人たちは、彼らを怖れはしない。しなかったが……夏山星舟と、彼とともに降った人間たちの乗り物に、ヴェイチェル以下、その肉体を凍り付かせた。


 彼らが難を恐れて後方に退避させた軍馬……トルバに、彼らはまたがっていたのだから。


「悪いなご両人。オレのひとり勝ちだ」


 時間も稼ぎ、難所も無傷で渡り、そして追撃部隊に痛撃と互いへの不信を与えて、あげく逃げる足まで得た撤退部隊の長は、そううそぶいた。

 そして開いた口が塞がらない汐津藩家老の姿を認めると、意地悪げに唇をゆがめてみせた。


「言っただろう? 『もっと大局を見ている』って」

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