第二十話

「降参です」


 令料寺長範は、手の中に収められた宝刀をじっと見つめていた。

 所謂竜の『牙』という代物だ。拵えも上等の品と分かるが、抜いてみると、それなりの業物と知れる。


 だが、果たしてそれが実際に竜を変化させていたかどうかまでは、判別がつかない。何しろ今まで、遠目か夜目でしか見たことがない。


 そして正体が知れないという点では、それを献じた片目の男も同様だった。

 彼の背後には今まで引き連れてきた獣竜鳥竜の類が縄で繋がれていた。人間の兵がそれを取り囲み、彼らに銃剣を突きつけていた。

 あまつさえ唯一無二の真竜種さえも隙を突いてその『牙』を奪い取って捕縛したという。

 その投降者の言い分を聴き終えて、


「到底信じられぬ」

 長範は素直な存念でもって答えた。


「信じる信じないはともかく、あの気位の高い竜たちが、縛られている。これはまたとない偽りの降伏でないという証左であり、手土産では?」


 その男、夏山星舟はみずから構築した即席の陣中で、肩をそびやかせながら答えた。


「真竜種の『牙』を奪ったことは百歩譲って認めるとして、他の竜は如何にしても力を封じた?」

「長らく竜に支配されてきた夏山の家には、彼らに抗する術を記した古書がございます。それによれば、特殊な土地の霊草を特殊な配分で編み込んだ縄には、彼らの力を奪うという効果があるのです」

「な、なんだってー!?」


 反応したのは、背後で縛られている紫髪の女剣士だった。その剽悍な戦いぶりは、記憶に新しい。


「そうだったのか! いやー、そう言われると段々と力が抜けてきているような……あっぶね!?」


 星舟は、彼女に躊躇なく拳銃を向けて撃った。

 

「実弾撃ってくんな!」


 足元に穿たれた穴を見ながら、彼女は乱暴に怒鳴った。


「……とまぁこんな感じで完全に御し切れるものではありませんので、こうした段取りは手短に済ませたいものですが」


 一瞬眉唾物と疑いかけた長範はその光景を見て認識をやや改めた。

 芝居だとしても、誇り高い竜を平然と撃てる内間がいようはずもない。


 夏山なる青年は、彼女の抗議もどこ吹く風といった調子で受け流していた。


「だがもうひとつ、問い質したいことがある」

 長範は疑念を隠さず尋ねた。


「貴隊は我ら追撃部隊を今まで完封してきた。それが、出口の見え始めた今時分になって、何故心変わりされた?」


 それを受けて、隻眼の将校は声を出して笑った。

 不審と不快で顔を歪める長範に、「いや失敬」と、彼はなだめるように手を左右に振ってみせた。


「ただ、ご謙遜が上手いと思いまして。御身を危険にさらして囮として、前に異人と討竜馬を塞ぐ。これほどの大計に嵌められれば、観念せざるを得ますまい」



 〜〜〜


 汐津藩兵と投降者と、そして彼らに裏切られた竜たちの一団は、三叉路を超えた。川を越え、そして黄昏には前方に待ち構えていた異人たちの陣へと合流を果たした。


「……これはいったい、如何なる仕儀か」

 怒情を押し殺した声で、長範は呼びつけた目の前の異人に尋ねた。


「それはこっちのセリフだ、島猿」

 単身、丸腰に近い状態で汐津藩の営所に招かれながら、そして幾人もの屈強な武人に囲まれた緊迫した空気の中心に座しながら、その巨漢は傲然とした態度を崩さない。揺るぎさえしない。

 ただ在るだけで、尻に敷いた床几がギシギシと筋肉の重みできしむ。


 そうした気骨は昨今の武士にも見られないものだが、とかくこのヴェイチェルなる男は、それを上回って余りある陰気をまとっていた。


「何故我々が追い詰めてやったのに、その男を殺さん。捕虜など取った」


 異人は一切の情もない目で、長範の背に立つ夏山を見据えた。

 微塵も敬意を感じさせない物言いに

「問うているのはこちらだ」

 と、冷たく返した。


「貴殿らが前に待ち受けていると承知していれば、あえて無茶な追撃などせず、被害も抑えられた。知っていれば、分良の金泉殿は死なずに済んだ。カミンレイ殿は、我らを見殺しにされるおつもりだったのか」

「先走ったのは、キサマだ」


 言葉の不自由などではない。文化や思想の違いでもない。あからさまな侮蔑の色を、眼差しに込めた。


「我らの功を横取りするハラだった男が、偉そうに口答えするな。それに被害が出たのは、キサマがバカで、弱かっただけだ。それをオレたちのせいに、するな。自分の兵の責任ぐらい、自分で持て」


 まったく異人の言うところは、正論だった。だがそれ故に、腹が立つ。その目元に浮かぶ暗い優越感が、さらに鬱屈を倍加させていく。


「それぐらいにしておけ」


 巨体の向こう側から、声がかかった。

 気がつけば、白髪の老人がヴェイチェルの背後に身を屈して地べたに座っていた。

 決して矮躯ではない。むしろ、背丈に関しては並の男を上回る。

 にも関わらず、今の今までそこに居合わせた者の誰にも存在を感知させなかった。

 恐らくは性格に難がある朋友が、今この時のように諍いを起こした時、円滑に収めるために。

 あるいは危害が及ぶようなことがあれば、その敵の眉間に、鉛玉を撃ち込むために。


 これ見よがしに抱えた長銃を前にすれば、長範とて言動を抑えざるをえなかった。


「それを踏まえての、お嬢の戦略だ。余計なこと言って波風立たせるなや」


 そう言って老人はみずからを覆い隠していたその背を叩いた。だが、面罵された長範を弁護することもしなかった。

 いやそも、「余計なこと」とは、どちらに向けられた言葉か。


 その三者三様の在り方を、夏山は右目を眇めて見守っていた。


 〜〜〜


「……どうやら、追撃部隊には何も知らされていなかったようで」


 陣幕から出た異人二人の背を見守りながら、夏山が低い声で言った。


「貴殿には、関わりのないことだ」

「関わりのないとは心外。かつてこそ竜の下で隠忍していた自分ですが、今は同じ旗を抱く同志ではありませんか」


 つい数日前、その同志を散々に破ったことなど遠く過去に置いてきたかのような言い草で、なんの後ろめたさも感じさせないそぶりで彼は語る。

 そこを追及するより早く、隻眼の青年は距離を詰め、身振り手振りでさらにまくし立てた。


「いや人か竜かなどと分別する前に、自分はこの国の士なのですよ、令料寺殿。このまま座して異人どもをのさばらせて良いものですか」


 長範は無視を決め込み、黙して歩いた。


「たしかに彼らを見出した藩王陛下は、女性であることを差し引いても稀代の明晰さと度量を持つと言って良いでしょう。しかし、いささか異人を優遇しすぎる。もし彼らが今回の武勲を盾にさらに増長すれば、どうなります?」

「どうなると、言うのかね?」


 そこで長範は、足を止めて向き直った。

 何か口出ししそうになっている護衛たちを手で制し、長範は薄く嗤った。


「それは人と竜との戦いではなくなる。『黒鷲』や『氷露』といった諸外国の干渉が本格的に始まってしまう。この国の歴史の重みを知らぬ部外者が、我々の闘争の日々を破壊し、先人たちの流血を冒涜して、旨みだけをかっさらう。……それで良いのですか?」


 今までの浅薄な立ち振る舞いとは打って変わり、その声音に加わった重圧には真摯さがあった。隻眼に燃える心火が、みずからが吐く言葉が心底より出たものであると必死に訴えかけている。


 なるほどな、と長範は乾いた声とともに鼻を鳴らした。

 たしかに、今の状態でもあの異人たちは目に余るほどに礼を失していた。そこに今回の功績が加われば、どれほどの横暴に出られることだろうか。

 まして彼らを指揮するカミンレイは早くも国家の中枢に食らいついている。音楽家などとは笑止。事実上の宰相ではないか。


 今まで諸藩で回していたこの国家にねじ込まれた、異物だ。


 もし赤国の任期が満了したとして、彼女ら異人は大人しく雇い主に従って引退し、祖国へ帰還するだろうか? あるいはその大原則さえも破壊してまで、居座り続けるのではないか。

 それは杞憂と一笑できない現実味を帯びている。


「今後、我々は団結して彼らに抗するべきです。そのためには、七尾や汐津といった、彼らに次ぐ奮闘を見せた雄藩の連合が不可欠。そしてその盟主になるには、七尾は血統はともかく、やや国力としては不足。港湾を有したあなた方が、適任かと?」


 回りくどい言い方とともに、隻眼が妖しく微笑む。


「なるほど君は戦だけでなく、口舌も回るようだな。……あの竜どもにも、そうして取り入ったのか?」

「ご冗談を」


 長範の皮肉を軽く受け流し、夏山星舟は軽く両手を掲げて見せた。

 やや姿勢を整えてから彼は、「その竜ですが」と切り出し、媚びるように身を寄せた。


「捕らえた彼らにはまだ、使い道はあります。よろしければ連中を用い、お国の役に立たせたく存じますが?」

「どういうことかな?」

「先の話、要は彼らの力を弱めれば良いのです。彼らが我々より優位に立っているのは、どういった点でしょうか?」

「カミンレイ氏の権威、そして軍事力だ」


 厳密にいえば討竜馬の存在や装備、兵の練度だろうが、そこまで言わずとも相手には伝わるだろう。その夏山は、さながら藩校に招かれた学士のごとく、破顔一笑、頷いてみせたのだった。


「だが、彼らの資源兵力とて無限ではない。不足が生じれば海を渡って補充せざるをえないのです。付け加えるならば、ああいう使い方をしてくる以上、持ち込まれたその数自体、あまり多くはないとみました。そこが彼らの弱点でもあります」

「ずいぶん前置きが多いことだな」

「失敬、では単刀直入に。……捕虜とした竜の一部を、彼らの陣へと解き放ちます」

「なっ!?」


 予想を超える夏山の献策に、長範は取り繕う余裕さえも見せられずに驚いた。

 そして、表情を戻せぬままに、さながら隙を突くようにしてさらに夏山は詰め寄った。


「実のところ、捕らえた獣竜種のなかには自分の投降に理解を示してくれる者もいましてね」


 彼の筋書きとは、こういうものだった。

 曰く、その彼らに情義を口実に内密に話を通したという。


「監視を目を甘くしておくゆえ、そこから逃げるように」


 と。

 ただしその方面というのは、例の異人たちの陣がある。確実に、衝突を起こす。


「さしもの討竜馬隊も最新武器も、内側から竜に攻められればひとたまりもありますまい。貴方がたは、それをただ見過ごしているだけで良い。あるいは、一通り暴れまわらせたあと、彼らを背から討って恩を売ってやってもいい。どさくさにまぎれて、彼らの物資も押収できるかもしれません」


 情義を交わした、という割には酷薄な策を、夏山はためらいなく披歴した。


「貴殿はその時どうしている?」

「策の責任者としては、彼らが果たして期待通りの動きをしてくれるか、背後から見守るほかありますまい。最後尾についていきます」

「だが、我々が友軍の危機に何もできずば、それこそ叱責を食らおう」

「真竜種を生け捕りにしただけでも、それを帳消しにして余りある功でしょうに。将来のための投資と思われることです」

「そうか。だがこうも考えられよう。……これはやはり川を無傷で渡るための偽りの投降で、貴殿はその捕虜とともに逃げ去る算段だ、とな」


 声を張って、長範は彼を質した。

 夜半に焚かれた篝火が、隻眼の将校の面立ちに暗影を作る。

 表情には薄い笑みを浮かべたまま、しかし彼の陰影に揺らぎは生じなかった。


「まずその前提を疑われると、立つ瀬がありませんが。……自分はもっと、大局を見据えていますよ」

 夏山は筋の通った鼻を鳴らした。


「よろしい。では忠義の証として、捕らえたブラジオ・ガールィエは貴殿に質として預け置くといたしましょう」

「なに?」

「『鱗』の展開できない竜など、やや膂力のある人程度のもの。十重二十重に鎖で戒めてしまえば恐ろしくもありますまい。それに万が一自分が信義を裏切るようなことがあったとしてです。東方領きっての実力者を見捨てたとあればどうしておめおめ竜のもとに逃げ帰れましょうか?」


 まるでその質問を待っていた、あるいは誘導してきたと疑いたくなるような流暢さで、彼は提案した。だが、理屈は通っている。

 一度疑った手前言葉に詰まった彼に、夏山はささやくように付け加えた。


「ただこちらが忠誠を示した以上、こちらも何か証を提示して欲しくなりますな」

「……というと?」

「証文を頂きたい。今回の策が成った暁には、それなりの金子と、あとは汐津藩におけるある程度の地位を約束する、と」

「貴殿の言う大局とは、それかね」


 長範は俗な要求を嗤った。

 だが、そこで甘さを見せるほど、彼は迂闊ではなかった。


「だが、あいにくこの約定がカミンレイや藩王の目に触れるかたちにはして欲しくないのでな」

「では、文書ではなく物で」


 食い下がる夏山の右目が、それとなく長範の腰回りへと注がれた。

 その先にあるもので、汐津藩家老は彼が何を求めているのか理解した。

 ベルトにぶち込んだ大小二刀のうち、脇差を抜き取ると、彼に突き出す。

 汐津の名のある刀工のこしらえた、ふたつとない守刀であった。


「貴殿にはたいそうな『刀』を頂いたのでな。今回の件の褒美という名目で、貴殿にこれを授けよう。事が落ち着いたら、それを持って我が邸宅を訪れるとよろしかろう」

「ありがとうございます」


 かすかに震える手で受け取った若造は、黒い頭を深々を垂れて礼を言った。

 長範は、その死角より冷ややかに見下ろしたのだった。


 ~~~


「よろしかったのですか? あんな俗物の言うことを信じて」

 夏山星舟の姿が闇に溶けてしまった後で、長範の護衛は彼のいた地点を白い眼で睨みつけていた。


「別に信じてなどいないさ。あの男が危険などということは重々理解している」

「ということは、それを承知であえて受けたと?」


 野性味のなかにも優雅さを感じさせる足取りで長範は歩き始めた。

 灯明にさらされ長く伸びた影を、護衛は追った。


「もとより事が成ったあかつきには、奴は同じくその場で屠るつもりさ。我らはここまで十分、貧乏くじを引かされてきた。そろそろ穢れ役だけ他者に背負わせ、実利を取る側に回っても良かろうよ」

「しかし、表向きだけとは言え奴の策に乗ることはあまりに」

恒常こうじょう子雲しぐも


 汐津藩家老は、低い声で護衛の姓名を呼んだ。


「人のことはともかく、君はどうだね」

「拙者ですか?」

「腕は立つが、出自が不明瞭すぎる。仕える前、君はどこで何をしていたのかね?」

「ですから、何度も申し上げているとおり浪人としてなかなか仕官できずにいたところを、たまたま殿の知遇を得て」

「その腕で、この戦乱のなかどこにも雇ってもらえなかったか?」

「えぇ、どこの台所も苦しいようで」


 子雲は肩をすくめた。

 長範は苦み走った嘲笑を浮かべると、そのまま彼を突き放すかのように歩行を速めた。

 他の護衛も、義務のように主に倣って冷たい一瞥を彼に呉れると、そのまま去っていった。


「…………あの坊やからはその信用ならんヤツと、おんなじ臭いがするのですよ。ご家老」


 誰にも聞こえないようにそっと嘆息すると、自身の歩調を保ったまま、彼は上司を追わずに脇へと逸れたのだった。

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