第十九話
「貴様はこんなところで何をしている」
いやなやつにまずいところを見られた、と思った。
具体的にどこが、というわけでもなく、まして叛意や野心の兆しを見せようはずもないのだが、実に子供じみた所作を覗かれて、夏山星舟は少々気恥ずかしい思いだった。
「なに、埒もない戯れですよ」
包み隠さず受け答え、しかし感情は笑みで偽った。
前触れなく現れた客将ブラジオ・ガールイェは、フンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
答えが気に入らなかったのか、それとも自分の存在そのものが気に入らないのか。どのみち失礼な話だ。自分たちはいくらでも無礼を働いても良いのに、人間どものそれは許さないというのはいったいどういう了見か。
思考が脇にそれたことを自覚した星舟は、あらためてブラジオを見た。
いつになく覇気が薄いことには、すぐ気が付いた。と言っても、七尾相手に敗退したときのような完全な忘我ではなかった。正気ではあるが、気配が鈍磨しているとでも言おうか。
歯切れが悪そうに口元をゆがめ、伏せがちな眼が何やらいわくありげだ。
たとえるならば、意を決して問うたことに対し、見当はずれな答えが返ってきて気まずいというか。あるいは折檻されて親に殴られた小僧のような。
――え、なに。これ、オレが聞いてやらなきゃダメな流れ?
逆に当惑してしまった星舟は「あの?」と声をあげた。
「貴様はなぜ、ここにいる?」
だがその気遣いを一方的に遮って、真竜は真正面から問うた。
「なるほど貴様にしては逃げずに良く健闘していると言ってよかろう。他の者にはそう見えなかったようだが、先の包囲戦においてもみずから身を矢面に立たせたのであろう。だが、その本意はどこにある?」
「……なるほど?」
星舟は肩をすくめてみせた。
「つまり、貴殿もこの星舟の忠誠心をお疑いとのことですか。しかし自分はまぎれもなく偉大な竜のために」
「くだらんおためごかしは良い」
ブラジオはまたも星舟を一喝するように遮った。
「貴様の態度には竜に対する尊敬の念は終始感じられぬ。……言え。命をなげうってまで守りたいものとは、得たいものと本当は何なのだ。貴様は人のために動いているのか。それとも真実、竜のために働いているのか」
その問いに対し、適当にはぐらかすことは可能だった。
だが何やら挑まれているような気がして、そこに遁辞をかましたら自分の大事な部分までぼやけてしまうような気がして、星舟は押し黙った。
やがて、顔を持ち上げ、まっすぐに答えた。
「貴殿が自分に何を期待されておられるかは皆目わかりませんが……ただ、自分の信条に、人も竜も関係がありません」
険しく眉を吊り上げるブラジオは、しかしふたたび星舟の声を切ることはなかった。不愉快げには違いないが、腕組し、じっと語り終えるのを待つ構えだった。
「人にせよ竜にせよ、その個々には使命や運命というものがあります。そしてそれは天よりゆだねられたものではなく、おのれの才気とここまでの積み重ねによる結果でしかない。それが自分の持論です」
「そのおのれより課された命とやらが、この無謀なしんがりだとでも言うのか」
「然り」
星舟は隻眼を細めて、迷わず言い放った。
「……まぁたしかに、サガラ様よりかくも身に余る大任をお預けいただいたときには、いささか驚きもいたしましたが、とはいえあの方が指摘されたとおりに監督役であった自分の不始末にも問題があり、その任をまっとうできるのは自分しかおらぬ、と」
一呼吸置いて、さながら銃を撃ち返すような心境で、彼はつづけた。
「であればその務めを受け入れましょう。そのうえで、竜軍の一将として敵勢を食い止め、第二連隊長として部下の生命を守りましょう。余力才覚がありながら座して諦めて、何もせぬもの。それをこそ自分は憎みます。そうならぬためにこそ、この夏山星舟は戦うのです」
ブラジオは、宝石質の目を閉じた。
固く引きむすんだ大ぶりの口から「なるほどな」と声が漏れる。
それ自体が巌のような彼の強面と寡黙ぶりは、表情が多少変動しても、感情の変化は分かるにしても、その真意までは計りかねる。
「……納得は、していただけたでしょうか」
さながらガールイェ家の執事もしくは家宰のごとき恭しさで、星舟は男の機嫌を伺った。
ブラジオはただ彼について、
「吠えたな」
と冷たく評価した。
「だが、理解はした」
とも続けた。自分よりもひと回りふた回りと小柄で骨細な青年に視線を定めたまま、前後は逆ながら互いを隣に並び立った。
「貴様のことは、変わらず好きになれんがな」
「…………それは残念至極」
その拍子に自身の爪先にあった小石を蹴り飛ばした。カロコロと、心もとない音を立てながら、それは彼らのいる丘陵から転がり落ちて闇へと消えた。
「せいぜいおのれを、失望させぬ程度に励め」
直裁的な物言いながら皮肉とも激励ともちれる置き台詞で締めくくって、その肩背を広く見せつけるようにして去っていった。
「なんだったんだ、ありゃ」
「あのぅ、旦那」
「うひゃい!?」
ブラジオを見送った星舟の背後に、遠慮がちな足音が落ちてきた。
彼の後ろに、音もなく忍び寄れるような道はない。そこに接近できるとすれば、それは鳥竜種をおいてほかにない。
物見に遣っていたグルルガンが、例のごとくヤクザじみた凶相を情けなく悩ましげにねじ曲げていた。
「……なんで、どいつもこいつもオレの背中を見るのが大好きなんだよ?」
「は?」
「いや、なんでもない。それでグルルガン殿、用向きは?」
グルルガンは胃痛でも抱えているような面持ちで、闇に包まれた前方の状況をつまびらかに報告してきた。
星舟もまた、同じような面をしてみたくなった。
何故、誰も彼も自分を背から不意打ち、困らせるようなことしか言わないのか。
〜〜〜
「前に回り込まれた」
申し訳程度の陣幕の内で、星舟は地べたに尻をつけながらため息をついた。
そこには同じようにへたり込んだ分隊長たちが居並び、この世の終わりのような面をつき合わせていた。
「……なんで?」
クララボンが間抜けた問いを投げる。
呆れるほど単純な問いだったが、それ故にその場に居合わせた全員の総意でもあった。
「決まっているだろう」
元より明るい性分ではなかったが、リィミィもまた常より輪にかけて暗い。
「敵一部の機動力が、こちらを上回っている」
「トルバか」
先に別れたばかりのブラジオが呼ばれもしないのに、当たり前のように幕僚のうちに加わっていた。腕組み、直立しながらその軍議に口を挟んできた。
「おそらくは、あの騎馬隊は味方の追撃を囮に七尾藩領の山道を経由して迂回してきたのでしょう。あれは火山地方原産の生物と聞いています。むしろそうした道の方が、得手とするのかと」
「わー、あの速さでまだ本領じゃなかったんかー」
クララが足を投げ出し、笑い天を仰いでいた。そうするよりほかにないのだろう。
「だが、数は知れている。突破するぶんなら、容易であろう」
「ダメっすね」
ブラジオの言に、実際に見てきたグルルガンが否と答えた。
「連中、川を挟んで柵やら竹矢来設けてんスよ。いかにブラジオ様が突っ込んでも、その間に我々が手間取って撃たれます」
「それはどの地点でのことだ」
「例の三叉路の手前でさァ」
「やはりか」
星舟は額に手をやって呻いた。
そうして足止めを食らっている間に、追撃部隊に背を囲まれ、塞がれ、そして刺される。
「……足止め?」
ふと、自身の脳中に降って落ちた言葉に、星舟は対策を考えるよりもまず疑問を抱いた。
「妙だな」
その独語を拾ったらしいリィミィが、肉の薄い唇を指で覆って首を傾げた。
「どう言うことだ」
ブラジオがリィミィに向けて尋ねた。
童顔を持ち上げた彼女が応答しようとするのを、星舟が制した。
彼女の疑問を代弁した。
「トルバ隊は、味方の進路まで塞いでいます。これは竜軍全体ではなく、まるで我ら自体を足止めしようとしているかのような……」
「そもそもの目的が、この部隊の殲滅なのであろう。この部隊には本来であれば真竜はおらぬ故、勝てると踏んだ」
「武勲稼ぎや憂さ晴らしのための掃討戦にしては、手が混みすぎていましょう」
つまりこれも、追撃戦も、自分たちを潰すためのものではなく、あくまで本隊と合流させないための一手段にほかならない。
それの意味することは……
その脳裏に、火花が閃いた。そこに、絡みつく蛇の軍旗が照らされた。
「七尾藩……」
「え?」
「前にいる軍勢に、七尾藩兵とその藩主はいるか?」
グルルガンはそれに対して返答をし……ようとして、声を詰まらせた。
いかに察しの悪いものでも、この連戦で心身が疲弊しきったとしても、おおよその察しは今のこの鳥竜の態度でついたはずだ。
「そういうことか」
一同に緊張がはしるなか、吐き捨てるように独語した。
想像以上にまずい事態に陥っていた。
もし藩主である鬼人霜月が星舟たちが想像しえる行動をとっていた場合、この殿軍部隊のみならず、竜軍全体……いやここにいるほとんどはまだそこに及びつかないかもしれないが……敵の参謀がより踏み込んだ悪辣さを持っているとすれば、さらなる効果を狙っているのかもしれない。
「このままじゃいかねぇ」
星舟のつぶやきが、衆目を集めた。
「早急に前方の敵を突破し、追撃の憂いを取り払って本体に合流する」
だが、それは落胆と失笑へと転じた。
それができたら苦労はしない。集まる視線はそう訴えていた。
そしてそれは他らなぬ星舟とて、つい口にしただけで同じ気持ちだった。
――考えろ、考えろ。
星天を見上げ、おのれに念じた。
味方だけじゃない。敵も何かが、食い違っている。
そもそも敵はなぜ、こうも的確に、手足のごとく即席の軍を動かせる?
外様も外様、海の向こうからやってきた二十、三十の小娘に、あの連合国家のいかなる国軍も寸分たがわず従うのだろうか?
――『動かす』?
まただ。自分の脳髄を流れゆく言葉が一節、どうにも引っかかる。
それこそが、違和感の根本のような気がした。
――そもそも汐津藩たちはここまで酷使され続けていた。そのうえで、なお自分たちが損な役回りを引き受けたというのか?
彼の頭上で、一筋の星が流れた。
いや、そう見えただけなのかもしれない。自身の想像と結びついた、幻。
だがそこから生み出された答えは、決して幻ではなく実像をともなっていた。
――違う。
その女狐は、ただ読んでいるだけなのだ。敵味方の動きを、全体の情勢をおそろしいほどに的確に。
彼女が動かしているのは、ごく一部の、討竜馬隊などの直属の部隊だけだ。
指揮外にある部隊に対しては、微細な指示などしてはいまい。たくみに誘導して自分で選んで行動しているようかに、彼ら自身に思い込ませている。
結果、あたかも毛色の違う全軍が一体となって連動しているように見せかけているにすぎない。
――とするならば、後方の部隊は、自分たちが何のために動かされているのかも、討竜馬部隊の存在も、まったく知らされていない……?
星舟は、口元に手をやった。
指で頬や唇をはじくたびに、脳は闊達に論理を組み立てはじめる。
知らぬうちに、口の端には悪魔の魂が宿っていた。
「……やめた……」
彼の含み笑いを、そしてこの意味不明な言葉に、一同は薄気味悪げな視線で真意を問いただしていた。
「逃げるのは、やめだ」
星舟はくり返し言った。
泰然と構えているブラジオに、嘲笑を浮かべ手刀を首筋に当ててみせ、そして高らかに、はばかることなく宣言した。
「オレは、敵に降ります。貴方の『牙』を手土産にね」
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