第十八話

 山麓に続く隘路に、竜の殿軍が展開していた。敗北し、這々の体で逆走して来た汐津藩兵の報告よりも、数が少ない。

 とすれば、先の戦で勝利も飾るも、敵にもそれ相応の被害が生じたか。


 ……と、思いたいところであろうが、次鋒をつとめる分良藩の軍務奉行金泉かないずみ教氏のりうじは、そうとは考えない。見くびらない。むしろ、


 ――見くびられたものだ。

 と感じたのは彼らのほうであった。


 たしかに、すぐれた火器の導入によって戦術の幅はむしろ狭まったといってよい。

 だが、違い軍勢とは言え後続相手に幼稚な策が二度通じると思われるのは、失礼千万である。

 これ見よがしに前面に出張った甲冑武者は、まぁ外見こそ真竜のたぐいに見える。

 逆立った毛のような皮殻。鋭い爪を模した手甲脚甲。だが敵に真竜種がいないことは、先の戦いで露見している。今更同じ手を食らうものか。

 影武者といっても、中々の体格である。察するに、殿軍中においても相当の有力者と見た。その敵中央の出鼻をくじいて、敵の支柱を折り、算段を破ってやれば、左右の伏兵などおのずと崩れる。

 そう考えた教氏は自身の誇る射手たちに命じた。


「あの愚か者を撃てる者はいないか。あの装甲が円錐弾にも有効か試してやれ」


 さながら古武士の弓の競い合いのような誘い文句に、腕に覚えのある者たちはニヤリと笑った。

 そのひとりが、ふいに顔を持ち上げた。

 笑顔が消え、目を見開き口を半開き。銃把を握るその手が緩み、見えざる力に吊り上げられるかのごとく逆の腕が持ち上がり、虚空の点を示した。


「金泉様」

「なんだ?」

「『影武者』が、飛んで来ます」


 突拍子もない報告に、教氏は「あ?」と敵陣を見た。影武者の姿がない。次いで、指された空を視た。


 最初は小粒のような大きさだった影が、徐々にその規格を膨れ上がらせていく。やがて独特の輪郭を得たそれは、曲線を描いて、地面に落下した。


 〜〜〜


 火気を孕んだ砂塵が、その肉体の衝突とともに巻き上がる。

 同時に振り下ろされた大刀ならぬ『大牙』が、分厚いその幕を消し飛ばし、赤熊 シャグマの大将を両断した。


  一太刀で複数人がまとめて屠られ、逆に敵の銃撃は彼の甲殻にひとつの瑕もつけられない。

 それは鳥竜のごとき滑空ではなく、火山岩の墜落のようだった。

 その敏捷さは獣竜のごとく翻弄する種のものではなく、すべてを薙ぎ払う破壊の暴風だ。

 

 逃げ惑う彼らは十分に思い出したであろうか。

 そも、己らは彼らより下位に属する種族なのだと。

 一時、戦略や用兵や装備で優勢に立ったとしても、それは個々人が彼らを上回ったのではないのだと。


「おーおー、張り切っていらっしゃる」

 もともと彼のいた地点より、敵兵の惑う様を俯瞰しながら、夏山星舟は両手を挙げ、片足を持ち上げおどけてみせる。

 だがその実、内面は嫉妬とその力に対する渇望で荒れていた。

 やはりいまだあの境地には、みずからの矮躯はほど遠い。そのことを噛み締めながら、彼は戦況がただ一個の勁さが好転させて行くさまを見守っていた。


 さほど時間をかけず、敵は逃散した。

 もとより、混成部隊のうち自分たちの派閥だけが被害を被ることだけをよしとする者はいまい。


 返り血ひとつついていない刃をおさめ、彼が帰ってきた。その時には、満面の作り笑顔で出迎えられる程度には、星舟の精神は均衡を取り戻していた。

 橙果色の髪、たくましい肉の基幹。ただ人によく似た姿で在るだけで、他を圧する強烈な気配。


「お疲れさまでした」

 その男、予期せぬ援軍ブラジオ・ガールィエにそう頭を下げた星舟だったが、剛健なこの男は媚態に対し、冷笑をかるく浮かべた程度だった。


「しかし、何故このような場所に? 損害の激しい貴殿の隊はいち早く撤退するよう通達があったはず。にも関わらず、どうして単身お戻りに?」

 そのあからさまな悪意的対応にめげることなく、星舟は淡々と慇懃、だが知りたいと言う念を込めて男の真意を問うた。


「迷った」


 揺らぎのない足取りで星舟を素通りし、背を伸ばして毅然とし歩くさまは、どう考えても遭難した竜のそれではなかった。


 ――ひょっとして今の、冗談か?


 ずんずんと先に行く豪傑の背を見届けてから、グエンギィに目で意見を求める。

 彼女はひょいと両肩を持ち上げただけだった。


 ~~~


 殿部隊は、その日没にようやく休むことができた。

 すわ今度は影武者か。いや真竜に違いない。

 そういった疑心暗鬼が、追っ手の脚を鈍らせたに相違ない。


 だがそれでも、この部隊は今までまとまった休みなどとれていなかったに違いない。人も竜も、皆疲弊し、傷を負わない者は、身分種族を問わずほとんどいなかった。


 緒戦は完勝と聞いていたが、それでも被害は少なからず出るのだろう。いつ襲来してくるか知れぬ敵や先の見えない不安がために脱走者もいるだろう。


 獣竜は鋭敏だけでなく鋭い五感を持つ種族であったと記憶しているが、そんな彼らでも正体を失って雑魚寝。その隣で人もまた、手足を広げて潰れていた。そこに、区別や分別というものはない。ブラジオの部隊では考えられない光景だった。


 ――これが第二連隊か。

 ある種の解放感をおぼえるまでの混在ぶりに、ブラジオは意外の念を抱いた。

 東方領においてはその柱石として、自領においては完璧なる総大将として在ったおのれが、今この陣中においては身の置き場もない。生まれて初めて彼は、心に隙間を意識した。


 その中で、おぼえのある顔があった。

 その三十そこそこの兵士は、多くの同胞がぐったりとしている中で明確な自我を保っていて、黙々と自身の銃を分解していた。

 まるで意図も用途もわからないような部品を、均等な間隔で露店の品のように並べていた。


 その男の前に、真なる竜は立った。


「先は、世話になった」


 竜に礼を言われることなど、めったにあるものでもなかろうに。

 だが、五芒星の腕章をつけた男は眉ひとつ動かさず、首が揺れたのか目礼なのかわからない程度の首肯をしてみせただけで、ふたたび銃器の点検へと意識をもどしたようだった。

 ただ、

「あんたも、大変でしたね」

 などと世間話のような繰り言を、相手に聞かせるつもりもなさげに呟いただけだった。


「あの修羅を目の当たりにしていながら、いまだこのような死地にいるとはな」

「死地でしょうかね」

「人間ながら、その胆力は見事なものだ」

「金払いがいいもんでね」


 ブラジオはいくらか興が削がれた。もとよりそういう表情の変化を隠せる性分でもない。不愉快さを嗅ぎ取った狙撃手は、そこでようやく竜を見上げた。


「妥当な理由でしょうよ。……まぁ、前はほかにもいろいろと、もっと立派な名分もあったんですが、生きてるうちに取りこぼしちまいまして」


 男は前のめりになって、やや遠い位置にあった手ぬぐいを持った。開いた襟元より提げられたものを、ブラジオからも見えた。擦り切れたその守袋の布地は、すさんだ中年男性が持つには、やや華美に過ぎた。


「それでも貴様ほどの射手であれば、より富貴の者にも、権勢を持つ者も雇ってもらえよう。よりにもよって、何故あの男なのだ」

「偉くて金持ちだからって、羽振りがいいわけでもなくてね。その点、あの旦那は腹をくくりゃ思い切りが良い。かといって、こっちを偉ぶらせてもくれない額なんで。まぁ要するに、妥当な理由に、妥当な銭ってところです」


 銃腔を丹念にぬぐいながら、淡々と続ける。

 それが一通り終わると、今度は設計図もなしに、それらを一から組み立てなおした。


「まぁそんなちっぽけな庶民からすれば、あんたらのほうがよっぽど奇怪ですよ」

「なに?」

「大将こそあの化物どもを見たでしょうに、なんだってこんな場所に来ちまったんです?」

「知れたこと。貴様らのごとき脆弱な生き物に、我が背を預けることをよしとせぬゆえ。むしろ、その弱き者どもを守るため」

「で、根底にあるのが『人間どもは未熟で愚かゆえに、超越者たる竜が保護する』ってアレですか」


 百年単位で繰り広げられてきたこの戦役における大義を、男はざっくばらんに噛み砕いて理解していた。まともに答えられる者はそう多くはいないというのに。存外な学識を、彼は得意げにもならずに垣間見せた。


 ブラジオは「然り」と重々しくうなずいた。

 男はそこで、初めて少年のように笑った。


「そら、それだ。そもそもそこがもう矛盾しちまってる。今藩王国あちらさんにはこの上ない戦の天才がいて、竜よりも強い狂人がいて、あんたらが飛んだり走ったりするより速い船を駆る水軍がある。それをまとめ上げた最高の王様が座ってる。そんな連中に、自分らは負かされ、追い出された。いったいどこに、庇護すべき弱者がいるんです」


 男の問いには、札遊びでいい役を叩きつけたような優越と弾力が生まれていた。

 なるほど飼い犬は主人に似るというが、やはりこの傲岸不敵な人間には、あの慇懃無礼な隻眼の主が相応ということか。


 ――食い殺してやろうか。


 そこに夏山星舟の影を見出したブラジオは、しずかに殺気をたぎらせた。

 この雄が呼吸をするだけで、空気の熱は奪い去られ、逆に大地は煮えるようだった。憔悴しきっていた人も竜も、それに当てられてあわてて跳び起きた。


 だが、それでも当人は動じようともしなかった。

 さすがに作業の手を止めていた。ブラジオも見返していた。だが、その細い瞳孔は、何の感情も発してはいな。捉えてしかるべきブラジオの何物をも、写し取ってはいない。


 ――あぁ、そうか。

 生命や本能といった、根源的に近い存在であるからこそ、真竜種は悟る。

 この男は、とうに死んでいるのだ。自分が彼を知るよりもずっと前に。


 七尾藩の主従と同じことだった。生きていないものを、どうして殺せようか。


 殺意を収縮させた竜に、死人は重ねて問うた。


「それで大将は、何故ここに?」


 その問いにはもう、先のような大層な壮語を容易に唱えられる気がしなかった。

 強いて言うならば、失いかけたその理由を求めてのことだったのかもしれなかった。


 そして男は、遠く先頭にて星空を見上げる隻眼の青年を、あらためて見つめなおした。

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