第十七話

 竜軍の撤退を察知した藩国軍のうち、その異変に気がついたのは、前方に陣取っていた汐津藩兵だった。

 率いる令料寺長範は、物見より報告を受けて勇躍して出陣を命じた。


 そも、彼はここまで貧乏くじを引かされつづけていた。

 決死隊として討って出たものの、そもそもは竜たちから七尾藩への注意をそらすための囮であり、またその後、対尾における歴史的な反撃戦にも七尾藩が矢面に立っていたがゆえに参戦することができなかった。


 だが、雌伏の時を経て、こうして千載一遇を得ることができた。

 しかも、真竜のたぐいはその殿軍の中には見かけられないという。となれば、何を躊躇することがあるだろうか。


「逆包囲には加われなかったが、追撃戦こそ先駆けとならんッ、追えぃ!」


 号令を下すや、みずから率先して進み出て、夜陰もいとわず追った。

 長範と彼の部下は、疲労などまるで感じさせない俊足ぶりで、ついに夜も明けないうちに峠の口で敵の姿を認めた。

 一〇〇〇名ほどで口を固めていた敵陣は即座に丘陵へと退き、高所の利を得る。だが、その後退はかえって汐津藩兵の士気を高めるばかりだった。


 だが、そこで味方の足は止まった。


 煌々と輝く月を背に、棹立ちになった馬にまたがった男の影が、彼らの頭上にあった。黒い髪に、恵まれてはないにせよ整った体躯。鞘ごと掲げたその手に、装甲のような装飾が張り付き、月光を照り返していた。

 その背に、竜の帝を象徴する首長の蛇の旗がいくつも立った。


「我が名はサガラ・トゥーチ! 増長した人の子らよ、また我ら近衛兵とトルバの威を浴びに参ったか!」


 声高にそう呼ばわれば、今まで躍進していた兵士たちの足が止まった。

 その東方領主嫡子の率いる帝都の精兵が、自分たちと同じく討竜馬を組み込んでいたというのは、彼らもまた報として接していた。


 地上最強をうたわれる『氷露の国』の分隊長が、彼らに討たれたとも。


 だが、怯えはない。真竜種が軒並み退去したというのは信頼できる目利きの者たちからの報告であった。それに、敵味方を隔てているのは険しい勾配だ。いかな悍馬と言えども、容易に下れるものではなかった。


「怖じるな! また、奴らのほしいままにさせるのかッ!?」


 令料寺長範は、兵をするどく一喝した。

「中央のあの敵は相手にせず、牽制するだけで良い! 中央突破するだけの兵力はない! 両翼を展開して包囲を拡げつつ、谷参でソーリンクル殿がやってみせたかの如く、頂上の敵は孤立させれば崩れよう!」


 背を伸ばす彼らを押すように、さらに道理をもって下知を出す。

 当惑していた兵たちは、新たなる辞令を受けて再動した。


 決死の射撃手たちこそ近代装備を身につけていたが、未だ汐津藩全体が完全に装いを統一できていたわけではない。その多くは、未だに小具足に太刀を佩き銃だけがかろうじて前世代の胴銃という、時代が錯綜した異質きわまりない出で立ちだ。


 だが、甲冑の重量などものともしない健脚で、彼らの部隊は両の翼を伸ばしていく。

 丘に陣取るサガラ隊を無視して素通りし、彼らの背後に回り込もうとした。


 銃声が轟いた。


 逸った味方が暴発させたものではなかった。その音は、その向こう側から発せられたものだった。高地の陰で、断続的に光が放たれていた。

 部隊を進めた、東西の両側で。


 出鼻をくじかれた両翼の部隊に、抜刀隊が斬り込んできた。

 多くは獣竜種で構成されたそれは、たちまに彼我の間合いを埋めた。

 とりわけ武働きが顕著だったのだが、紫髪の女獣竜だ。

 彼女は山岳の悪路をものともせず、剽悍に動き回る。野狐のようなしなやかさで月下を舞い、細身の直刀が、汐津の勇兵たちを斬り伏せていった。

 遠く離れた場から見れば、まるでたわむれているかのように錯視してしまうほどの軽妙さだった。


 むろん、真竜種ほどの威圧感はない。

 ひょっとしたら勝てるかもしれない。刃や弾がその身に届くかもしれない。そんな気もするだろうが、それは全て錯覚で、だからこそ威に屈して逃げ惑うより、かえって犠牲が増えたことだろう。


「……またしても、貧乏くじ、か」


 長範は苦笑した。だが、腹では憤りのほうが強かった。冷静に考えれば、総大将たるものが直接殿を買っているわけがあるまい。こんな幼稚な影武者に引っかかった自身を嫌悪した。

 もしこの場にいたらぼやくのではなく、感情のままに吼えていたことだろう。


 彼の独語に怪訝そうな視線を向けている副将にして妹婿、泡河隆久に「退け」と低く命じた。


 虚栄心がくすぶる。悔恨が胸を焼く。

 だがそれを切り離して戦闘を断念できるあたり、彼は十分に良将たりえた。


〜〜〜


 追手の第一陣は撃退した。

 沸き立つ殿軍部隊において、その勝利への喜びを見せない変わり者が……まぁそれなりにいたが、とりわけ不機嫌だったのは、『サガラ・トゥーチ』だった。


「どうした? 苦虫を五、六匹噛み潰したような顔して」

「どうしたも苦虫もあるかぁ!」


 言わんとしていることを承知で、右翼側を指揮していたリィミィが問えば、彼は赫怒し、バサバサと前髪をかき乱した。

 あえて覆い隠していた左目の眼帯があらわになった。


「なんでオレがッ、この世で一番嫌いな男の真似事なんてせにゃならんのだ!」

「目の数と色以外の背格好が似てるから」

「誰が考えたこんな策!?」

「私だ。採用したのは、あんただ」

「あぁあぁ畜生!」


 サガラ・トゥーチの影武者……夏山星舟は、頭を抱えた。

 みずからを抑止力に見せかけて敵を左右に分散させ、そこを伏せた兵で叩く。

 策としては単純だが、かなりきわどい賭けではあった。何しろ彼の背後にあったのは出来合いの張りぼてか旗ぐらいなもので、ほとんどの戦力は伏兵に振り分けてしまっていたのだから。

 その胆力と実行力をかんがみれば、多少の愚痴は許されるだろう。


 だがそんな彼を、ためらうことなく指で差して笑う女がいた。

 星舟は彼女、グエンギィを咎めるように睨んだ。ことさら大仰に、彼女は両手を掲げて首を傾げた。


「わめくなよ。グルガンちゃんに聞こえるぞ」

「グルルガンな。奴なら、もう斥候に出した」

「で、自分らはどうするね。……ていうかあいつら、完全に殲滅できたよな」

「できてもやる意味がねぇんだよ。すぐにここを引き払う。この北の三叉路で捕捉されるのは避けたい」

「そのためにも、追手は完全に振り切るのがいいんじゃない? 策の仕組みだってばれる」

「逆だ。逃げた連中は確実に後続の進路を詰まらせる。派閥も出自も違う連中だ。確実に揉める。時間ができる。こっちはただでさえ兵力不足だ。同じ生きとし生ける者同士、助けてもらわなくちゃなぁ」


 くくく、と低い声を喉から絞り出すようにして嗤う。

「わー、悪い顔」という野次が、すかさず横合いから飛んできた。


 そうこうしているうちに、グルルガンと彼の麾下の鳥竜種が戻ってきた。

 強面に見合わない、申し訳なさそうな面持ち。まぁそれは常と変わらないものの、今回はその苦味の度合いが違っていた。


 怪訝そうな彼からの報告に、そしてグルルガンの萎縮させた痩躯に、機嫌を良くしたはずの星舟は顔の左半分を、まるで墨汁でも舐めたかのように苦みばしらせたのだった。

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