第十六話
その撤退の発表は、常と変わらぬサガラの口ぶりで、あっさりと行われた。
混乱はそれほど起こらず、その準備は不慣れながらも粛々と始められ、その間に各隊からの殿軍の兵員も抽出された。
都合八〇〇名。火器弾薬も十分に供給され、持ち運べなかっ食料等は先に退いた主軍が退却路に置くという。
それは当初予定されていた数よりも多く、脱走兵や、彼らが持ち去った物資を差し引いても十分すぎる待遇であった。
と同時に、
「せめてもの手向けだ。お前はここで死ね」
と言われている気がして、感謝の念よりも何くそという気持ちが強い。
扱いが難しいということ、そも対人戦になるのだから必要性は薄い。その二点を理由に討竜馬が提供されなかったあたりに、サガラの底意地の悪さを見た思いだ。
補充部隊を率いるのは、サガラの補佐官でもある鳥竜種グルルガン。
サガラが帝都に上って躍進する前にはよくその隊を支えたが、その後彼が近衛兵の指揮権を得て、あまつさえ本来帝都の守護に就くはずのその精鋭たちと近代装備を、一隊のみとはいえ好き放題に移動させられるほどの権威を持ってからは、その役目は薄れたと言って良い。
つまり、サガラにとってはもはやお払い箱。むしろ扱いに困るといったところだろうから、こういう役回りになるのはさほど不自然でもない。
毛色も種族も練度もまるで違う混成部隊を、さほど身分も家名も持たない彼が統率する。その心労は想像にかたくない。へたをすれば、自分よりもよほど理不尽な立場にあるのではないか。
それを想えば、
「ヨロシクオネガイシマース」
……まして、六連で徹夜したかのような虚ろな目であらぬ方向を見上げながら、半笑いを浮かべる彼の姿を実際に見れば、サガラへの不満不安をぶつけるわけにもいかなくなる。
あるいはそういう心理効果を狙っての抜擢か。
となれば、さすがの次期東方領主、人事ならぬ竜事の妙と言えるだろう。
だが、思いもよらぬ朗報があった。
凶報を受けたシャロンの軍からも、一隊が割かれた。
東方領第一連隊、一〇〇〇。
質量ともに戦局を左右させるに足る、歴然たる戦力だった。
――まぁ、問題はその指揮官だが。
星舟は、現れた同僚を、こちらからは接近を気づかぬ体を装いながら盗み見た。
「ええぇー、良いじゃん。今晩飲もうよ。君のためにわざわざ銘酒も用意したのに」
「困ります! これから夏山隊長と会うんでしょう!? ほら、噂をすればいらっしゃいますよ」
副官である少女、ポンプゥの腰や尻に触れていたかの第一連隊長は、そこで待ち受けていた星舟の存在に気がついたようだった。
薄く紫がかった前髪を正し、折りたたんだ後ろ髪を正す。着崩した軍服のボタンをひとつ留直し、狐裘でしつらえた飾りを腰に巻き直す。
そして切れ長の瞳を含みを持たせて、ニヤリと歪めた。
「これはこれは。人間の分際で第二連隊長にまで上り詰めた、夏山殿じきじきのお出迎えとは痛み入る」
「……貴殿も、主命といえ遠路はるばるこの死地に赴くとは恐れ入る。忠心ゆえか、あるいはよほどの酔狂か。それとも両方かな?」
お互いの腹を探るような、罵声と皮肉の応酬。
「……」
「……」
悪意たっぷりに互いを嗤い合い、睨み合う。
両者の関係性を知らぬ周りの将兵は、何事かと目配せし、耳語し合う。
グルルガンやリィミィ、ポンプゥは呆れたようにため息を吐いた。
第一連隊長は顔に手を当て、覆って俯く。肩を震わせた。間もなく発せられる怒情を予測して、周囲は身構え、そして押しとどめるべく、寄ろうとした。
「……アーハハハハ! 星ェー舟ゥー!」
その足を、第一連隊長グエンギィの豪放な笑いが止めた。
そのまま飛びつくようにして彼の頭を脇に抱えてはしゃぐ。
「お前がいながら何だよこのザマ! なんて最悪だ、なんて地獄だ! わたしも最初から無理言って来てりゃよかったなー」
「うるせーよ、耳元でがなるな……」
終始上機嫌な同僚とは対照的に、星舟は苦い顔になる。だが、その悪態には、数年来の付き合いに裏打ちされた親しみがあった。
とは言え、頰に押し当てられる柔らかさは、女日照りの身にとっては毒だ。
ふと目をその正体にやれば、盛り上がった衣服の隙間から、素肌の焼けた色合いがのぞく。
細身の美少年もしくは美女が好きだと放言する癖に、当の彼女がそれなのだから、救えない。
武技に優れ、兵の進退の見極めも早いし、部隊の動き自体も速い。近代兵器に対する理解もある。その美貌も相まって、若い兵たちからの信奉も厚い。撤退戦においてこれほど頼りになる将もいないわけだが、
「で、その危機の状況は聞いてるな?」
「あぁ、空から星屑が落ちて来て爆発したんだっけ? 敵が大砲に自分らを詰め込んで撃ってきたんだっけ? あるいは海から大津波を召喚して!」
「根底からして違ぇよ! それだったらお前が来る意味がねぇだろ!?」
「はっはははは! 相変わらず冗談の通じない奴だ。愛い奴め、姫さまに代わって抱きしめてやろうか『セイちゃん』」
……ただその言動は恐ろしく適当で、雑だった。
〜〜〜
漁家の屋根にのぼった星舟は、足下を見回した。
殿軍、総勢二三〇〇。
今まで星舟が率いてきた中で、最大の兵数だ。
とは言え今回のことがなくてもいずれはその三倍五倍、いや十倍を率いる自負があった野心家にとっては、その光景は歓喜とは遠い。
「あぁそうそう。お姫様から言伝」
その小屋の壁にもたれながら、グエンギィは楽しそうに言った。
「『玉砕とか責任とか、らしくないことは考えずに、必ず生きて帰ってきてね。私の星舟』だとさ」
「……『私の』?」
「いや、後半は憶測にもとづく脚色」
「…………」
星舟は軽く舌打ちした。
兵たちを改めて閲する。
悲壮、怒り、諦念、あるいは大将への不信か。浮かべる表情の色は思い思いだが、笑みを浮かべるような物好きは誰ひとりとしていない。
見る者の表情さえ暗澹たる気持ちにさせる。そんな面持ちだった。
懐中より取り出した紙片を広げ、その面に視線を落としながら、平坦な調子で演説する。
「私が、夏山星舟である。サガラ閣下よりこの殿軍を指揮し、真竜種の背を守る栄誉を賜った。そしてこれは諸君らにとっても大変な誉である」
反応らしきものはない。星舟もまた、そこまでの熱意や気焔は、期待していなかった。
少なくとも、この段階では。
代わり、背に控えるグルルガンの気配をうかがう。
これから星舟が言わんとしていることは、サガラに報告されればその猜疑心を刺激する内容かもしれない。
「命を的に、我が身を盾に、決死の覚悟で挑むように」
それでも、今彼らの心をまとめなければ、その『かもしれない』さえ訪れないのだ。
意を決し、紙面を握りしめて、彼は声をあげる。
「などと、聞こえの良いことを並べる気はない」
隻眼のヒトは、原稿をその手の中でふたつに割いた。リィミィに突き返すように後ろへと放り投げ、あらためて将兵全員の顔を見渡した。
ざわめき、当惑する彼らに、星舟はあらためて、そして感情を入れ込んで言葉を投じる。
「これはどう言い繕っても使命ならぬ死命であり、私をふくめてこの場の全員が、竜軍の退路を支えるための犠牲の柱だ。お前たちも、それを理解しているからこそ表情をこわばらせているのだろう。もし命惜しさに、先の脱走者に倣うとしても、とがめはしない」
星舟はそれ以上は続けない。相対する敵陣を、無言で指した。
何人かの目が、足が、気持ちが、そちらへ向きかけた瞬間に、「だが」と彼らに向けて言い置いた。
「オレはともかく、サガラ・トゥーチというお方は許しはしない。必ず、草の根を分けてでも出奔者造反者は、たとえ一歩兵であったとしても捜し出し、殺す。たとえ敵中にあったとしても変わらない。そしてオレも、次にその者と出くわした時には容赦なく処断する」
低く、静かな恫喝が彼らを引き留めた。
「何より、お前たちの心が、その裏切りを許しはしないだろう。……断言してやる。たとえその心の臓が動いていたとしても、拭い去れない暗い影が、その生涯に残る。そして、その痛みに耐えられる者は少ない。二度と天道を仰ぐことはかなわないだろう」
ゆえに、と歩を進める。軒を強く踏みしめながら、星舟は抑えた声量で、だが確かに遠くまで通る強い語気でつづけた。
「生きろ」
と。
「どうせ避けられぬ使命だとしても、誰かに課せられた役割だとしても、最後の一瞬まで、己の魂を賭けて、胸を張れ。生存をあきらめるな」
と。
「数を恃みにおのれが勝った気でいる敵を嗤え。真竜種でも太刀打ちできなかった相手どる己らを誇りに思え」
生きろ、とくり返すたびに、その弁に熱が入る。
その熱は自身の魂さえもたぎらせ、さらには皆に伝播していく。
「俺には、お前たちのすべての死に責任を持つことができない。だが、渾身の生に報いる覚悟と算段はある! 生きて凱旋したのであれば、厚く報いることを約束しよう! もし敵に討たれたとしても、その遺族の生活を保障しよう。身内もを持たぬ者は、藩王も羨むほどの立派な墓標を立ててやろう! ゆえにッ、今この一時ッ! この夏山星舟とともに戦ってくれ!」
静寂は、一瞬だった。
だが次の瞬間、二千超の喝采が大地を揺らした。
我欲も、夢も、矜持も。清濁を超えた熱情となってほとばしる。
それを正面から浴び、身をひるがえして背で受け、星舟一息で屋根から飛び降りた。
「いや、大した英傑ぶりだ」
グエンギィが、手を拍ちながら、本気とも揶揄ともとれるような底抜けな調子で、友を出迎える。
「英傑に見せかけるのが、上手いだけですよ」
リィミィが呆れたように、辛辣きわまりない評をくだす。
星舟が破り捨た原稿が、その白い手の中に収められている。
そこには、書き損じた適当な文字列があるだけで、演説の内容など何ひとつとして記されてはいなかった。
「そのふたつに、違いなんてあるのかねぇ?」
グエンギィは意地悪そうに、第二連隊の女獣竜の顔をのぞきこんで問うた。
彼女も、そして彼女の上官自身も、それには答えない。
「負け戦こそ、英傑か愚物かの器量が問われる。……行くぞ。ここからが、オレらの戦だ」
みずからの才覚でもって、悪しき流れを反転させた。
そんなたしかな
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