第十五話

「はぁっ!? シンガリ!?」


 東方領第二連隊の今後の方針が、星舟の口から発せられた。その辞令にまっさきに反応を、それも否定的に示したのは、クララボンだった。


「冗談じゃねぇスよ! 自分らだって、やることやったってのに、なんでそんな懲罰人事……いや竜事? とにかくそんな役目食らわにゃならんのですか!?」


 主立った将校もまた、彼の意見と同和を唱えた。そんな非難にさらされても、彼らが主将、夏山星舟は命を発表したきり貝のようにじっと黙し、隻眼を凝らして、地図に記された退却路と撤兵の計画書を見つめていた。

 自身も理不尽は承知で言っているのだろう。その意図を汲んで、リィミィは助け舟を出した。


「理由は今しがた説明したとおりだ。様々な理由から、我々にしか務まらないとサガラ閣下が判断した」

「そんなもん上の都合でしょうよ」

「では、トゥーチ家の意向に背くか? あとでどういう追及がくるとも想像せず」


 あくまで食い下がろうとするクララに、副官は突き放すようにして言った。


「あるいは藩国側に奔る、というのも手だがその場合は我々が国家という体になって初の人類へ寝返った竜種ということになるが」

「うぐ」

「逃げるなら、あんただけにしなさいよ。私は巻き込まないでね」


 キララマグは弟の背を冷視した。

 まっとうな竜であれば、そんな恥知らずなこと、出来ようはずもない。拒絶などもとより可能な立場でないことを、あえてリィミィは彼らに突きつけた。


 こういう窮地の時、かえって肝の太さを見せるのは女のほうだろう。第二連隊における二輪の華の片割れとして、そのキララの気丈さを頼もしく思った。


 言葉を詰まらせたクララボンは自らの席を蹴って立ち、舌打ちしながらきびすを返した。

 が、一瞬立ち止まって自分が倒した椅子を持ち直してから、衆目の中で気まずげに、退出した。

 その姉も含め、他の者も続く。残されたのは、主将と副将だ。


「……さっきの論法だと、まるで人間は逃げて良いみたいに聞こえるな」


 ようやく、星舟が口を開いた。


「実際そうだろう。身寄りも未練もない人間たちは、十中八九ける。特に、そういう手合いの多いウチはな」

「増員は出る」

「なけなしのな。さらなる脱走を理由に補充を求めれば、サガラ殿はあんたの将器を問うてくるだろう」

「やめろ、想像するだけで苛つく」


 面倒ごとを押し付けてくれた当人をジロリと睨み据え、リィミィは言った。あらためて、口にせざるをえなかった。


「世の中が覆った。人の手によって今までの道理は破壊され、時代は変遷する。あんたの未来図は広げる前に破綻した」


 残酷な真実を告げる。

 今の彼は、七年前の自分と同じだろうとリィミィは思った。

 どれほどに力を尽くし、いかに智慧を絞ろうにも、いかんともし難い理不尽の障壁が眼前に立ちはだかっている。

 それに直面したとき、この独眼の人は立ち向かうべく奮起するのか。あるいは折れるのか。

 乗り越えてほしいという期待と、自分とおなじ挫折を味わってほしいという願望。相反する感情がないまぜになった暗い熱を言外に、だが明確に込めて、彼女は星舟を視た。


 彼は地図を見つめたままだ。いや、それさえちゃんと視界に入れているかさえ怪しい。

 机を抱えるようにして指をかけ、何かに耐えるかのごとく、その縁がギシギシと軋む。


 肩が小刻みに震えている。

 感情を込めて漏れ出す息遣いは言語と呼べるものではなく、ただ喘ぐという行為に終始していた。


 ――折れたか。

 安堵と失望が内心で、渦を成す。


 みずからが志なかばで果てるにせよ、せめて退却に指示は的確さを求めたいところだが。あるいは使い物に

ならなくなった彼に代わってリィミィ自身で指揮を執ることさえも考慮せねばなるまい。


 声をかけるべく唇を開きかけた。

 その、刹那。


「ふふふ、ふへへへははは……ふははは、ハハ! ハーハハハハハハッ! 畜生! ふざけるな!! アーハハハハ!!」


 彼は笑った。頰を引きつらせ目に血を走らせ、いからせ、それでも全神経を傾けて、笑うという行為を全力で表現していた。

 背を反らした彼の像が、灯に照らされて巨影となる。


 彼は、折れたわけではなかった。その類のものであれば、ただひとつの瞳には、かくも燃えるような輝きはあるまい。


「おいおいそんな目で見るなよ。というか、これが笑わずにいられるかッ? あれだけ偉ぶっていた真竜種が、為すすべなく背を向け逃げ散る? その背を守るのが、自分らより格下と侮っていた人や獣竜や鳥竜だ!? とびきりの悪夢だ! 奴らにとってはなッ!今! 竜はッ! 至上の存在から転げ落ちた! 絶対王者の座を手放した! これが、笑わずにいられるか! ハハハハハハハ!」


 明確な勝算や展望があるわけではない。

 だが、それでも笑っている。


 彼は怒りながら笑い、狂いながらも必死に打算していた。彼の中でリィミィ以上に、理性と感情とが内在し、かつ共生していた。

 激情をもっておのれを滾らす燃料とし、笑いを持ってその舵を取る。狂気でみずからの背を突き、組み立てた理屈が後からついてきて、骨子を支えていた。


「未来図が破綻しただぁ? 阿呆。むしろ、やりやすくなった。これさえ乗り越えられれば、オレの立場はさらに上昇する! すべてを傅かせてやるまでの近道ができたというわけだ」


 風が、荒ぶる。

 自身の喉輪を絞められたかのような、息苦しさと奇妙な法悦が、彼女を包んで肌を粟立たせる。


 これなのだろう、と思った。

 家名、性別、年齢、門閥、種族。

 さまざまな事情に阻まれ夢破れた自分に、いや超越者たるすべての竜に不足していたもの。そんな自分が、あの時の星舟に見出したもの。人を、人たらしめるもの。


 それは、いかな理不尽や逆境においても諦めないしぶとさ。それさえも味方につけて、幸運を引き寄せる貪欲という名の心の剛腕。


 それを持っているがゆえに、人と竜の立場は逆転する。それまでの半生を擲って、彼女は年端もいかぬ少年の教師となり、部下となった。


「これから面白くなる。こんな所で死んでたまるか、死んでやるものか。……力を貸せリィミィ。新時代の先駆けはカミンレイのような余所者でもなければサガラでもない。オレたちだと、世の中に教えてやる」


 歯を剥く星舟に、リィミィは迷うことなく、つよく誓った。

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