第十三話

 敵騎馬隊の追っ手をたやすく突き崩したサガラ・トゥーチ率いる重騎兵たちは、そのままの勢いで戦場に乱入した。


 後続として殺到していた藩兵たちは、まさかの騎兵の突撃に動揺して、逃げ散った。

 勇猛果敢に攻め来ていた巨漢の騎兵も、仲間やおのれの死すらも厭わず粛々と侵攻していた七尾藩兵も、意外なほど勝勢に固執せずに、あっさりと退いた。


 日も沈み、雪も止んだ。両の陣営も退き、対尾港に一時の膠着状態が生まれた。

 そこは包囲していた時と同じだが、状況はむしろ逆転していた。死にかけていた対港は兵員と物資の搬入によって、難攻不落の要塞と化していた。


 だが、星舟が智勇の限りを尽くしても覆せなかった局面を、サガラはただ一度の突撃で変えた。

 歓呼の声で迎え入れられた総大将の威容を、星舟は複雑な思いで見つめていた。


「あれは、トルバという」


 その夜、あらたに本営と定めた台場で軍議を開いた竜たちの前で、サガラは発表した。

 杉板の壁をへだてて、特異ないななきが聞こえてきた。


「厳密にいえば、あれはよく似た生物であって、馬そのものじゃないけどね。本来背に何かを乗せるような大人しい連中じゃないが、それでもきちんと調教すればあの通りだ。そして……奴らはわれわれを恐れない」

「いったい、あのような生き物をどこから……?」

「海外、『黒鷲の国』と呼ばれる西方の一国に、巨大な火吹き山が存在する。そのふもとに生息していたのが、トルバだ。俺が海外に渡航した時分にその習性を見出し、ひそかにつがいを持ち帰り、仔を生ませ、土地になじませ養育し、砲声を子守歌がわりに調練した。奢った人どもの度肝を抜き、その心根を折るために」


 これは、トゥーチ家の事情に精通していた星舟でさえ知らない情報だった。

 おそらくは、帝都で、しかも極秘裏に行われていたことだ。だが、今の今までトルバの存在さえ知らなかった己に、むしょうに腹が立った。


「けどまさか、敵にも同じように見出し育て、同じように実戦に大量投入してくるようなヤツが現れるとは、予想してなかったけどねぇ。伝え聞いた話によれば、連中は『討竜馬』とか当て字してるそうな」

「うぬ!?」

「生意気な」


 島文字を指で宙に描くサガラに同調するかのごとく、息まく声が随所で漏れる。だが、彼らの反応に満足することなく、若き黒竜は大儀そうに溜息をつき、自身の椅子の背に重心をかける。

 総大将の不作法をとがめるような険しい目つきが、サガラへと向けられていた。次席についたブラジオであった。


「わざわざその討竜馬とやらを敵味方に自慢するために、遅参されたのか」


 その巨体から発せられた怒りの波動が、陣営内を静かに侵していく。

 ブラジオの怒りはもっともなことだ。もっと早くにサガラがこの状況の対策に動いていれば、被害は抑えられたはずだった。危機がせまっていると判断できるだけの報告と進言も、星舟を介して送っていたはずだった。彼の副官も大勢の配下も、死なずに済んだかもしれない。


「そうではないさ」


 サガラはかすかに目を細めて、姿勢をただした。

 さしものトゥーチ家嫡子でも、歴代の重臣たるガールイェ家当主は軽視できるような存在ではなかった。一定の敬意と距離感を持ちながら、サガラは微笑を向けた。


「ではお聞かせ願いたい。何故に、かくも遅くなられた?」

「いや……申し訳なかった。お詫びもしようもない」

「訳を、お聞かせいただきたいと申している」


 ブラジオの視線を受け流すように涼やかに、サガラは応じた。


「ひとつには、情報収集のため。今日にいたるまでに当然、藩王国新政権の顔ぶれは探っていた。だが、異常なまでに締め付けが厳しく、多くは謎に包まれたままだった。だが、奴らが出兵したそのゆるみに付け入り、ようやく暴くことができた」

「それで、何者なのだ。あの者らは?」


 今まで敵などとも思わず歯牙にもかけていなかったであろうブラジオが、真竜種たちが、はじめて自分が対峙している相手のことを、知りたがった。


 赤国流花。

 前時和藩主の令嬢。本来藩王の後窯であった葛城家波頭藩を追い落とし、歴代初の女王として即位する。

 だが彼女自身は、長らく海外に学生として渡航していた。そこで如何な生活を送っていたか。その詳細までは把握できない。ただ、留学先である『氷露の国』での評判は良く、多くの人材を見出し好を通じ、また、国元にいた先代藩王にも、その才器を愛されていたようだ。

 その後、最新の装備や物資、技術を持ち込み帰国。それを如何なく投入しているのが、今のこの状況というわけだ。


 ――どこかで聞いたような境遇だな。

 直立しながらそれを聞いていた星舟は、まず目の前に座る男を見下ろし、次いで遠く葵口をへだてて陣をかまえる彼の妹を想った。だが、それ以上は考えなかった。


 カミンレイ・ソーリンクル。

 赤国流花が見出した人材のひとり。『氷露の国』で、流花の音楽教師として侍していたらしい。

 だが、祖国の大家『雷翁』として、そして艦船設計の偉才として知られる元帥、ニケイクズロフ・ソーリンクルの一人娘であった。だが、この大陸以上に女性が権利を得ることが難しいかの国で、彼女は軍人としてではなく、一教師として生活していた。

 そんな彼女の、才質をいかにして流花は知り得、どうやって彼女自身や藩王を説得したのか。そこまで知るすべはないが、彼女は異国の地に、流花に先んじて元帥の旧臣たちとともに招聘された。

 表向きは母国と変わらず『音楽教師として異国の文化を取り入れるため』とのことだったが、その裏で藩王の頭脳となり、彼の信任のもとにきたるべき流花政権の土壌と新生軍を作り上げていった。


 ――ってことはこいつ、初陣なのか!?

 あるいは記録には残らずとも、教師になる前、ひそかに父親に従軍でもしていたのか。それでも、その経験は微少なものであろうし、率いた兵も万、いや千を下回ろう。

 時折、こういう化け物が神の戯れのように現れる。

 なんの実績も経験もないくせに、ただ培った知識と生まれつきの感性だけで、経験豊富な常人の二段三段上を行く天才が。

 だが、本物はごくまれだ。その背を見た未熟な若輩者が、我もそうあろうと分不相応な無謀愚行をおかす。ある意味では厄災ともいえるのかもしれない。


 日ノ子開悦。藩王国操船奉行。すなわち海軍の元締めだ。

 元は廻船商の次男坊である。若いころは放蕩三昧の日々を送っていたが、その後父親に勘当される。その際の手切れ金を元手に士分の株を購入し、断絶されていた日ノ子姓を受け継ぐ。

 武士となった彼は海運の知識を用いられ五年で海防奉行の与力にまで昇進。諸外国の合同使節団が初めて接触した際には、様々な言語を使い分けて彼らを驚嘆せしめ、のちに条約を交わす際、主導権を握る契機ともなった。


 ――国外はまだしも、あの先代の藩王ジジイ、とんでもない隠し玉を用意してやがった。

 星舟はグルルガンとともにサガラの背に侍りながら、低く唸った。

 やはり、先頃にアルジュナが酒宴で口にしたとおり、たいへんな傑物であったと評さざるをえない。統治したころにはあまり不鮮明な金の動きがあったからと藩王国内の評判が良くなかったが、すべてこれらの膳立てを整え次代に託すためであったのならば……死してこそ、あらためて再評価できることもあるということか。


 だが、もうひとり。

 決して忘れてはならない男が、あえて避けるように後回しにされている。


「……それで、七尾藩は? あの大頭巾は、何者か?」


 星舟が立場上聞きたくとも聞けないことを、ブラジオが代わりに問うた。

 サガラは微妙な面持ちのまま、視線を横へとずらしていく。甘さと苦み、笑みと怒り。水と油のごとく混ざり合う要素のないものが、やや丸みを帯びてはいるが端正ともいえる彼の顔のうちで混在している。


「それについては、そこなテリーザン殿のほうがお詳しいんじゃないかな」


 その眼が、末座にいた若い真竜種を射止めた。

 一同の視線もまたそれに続いたものだから、代替わりしたばかりの青髪の若者は、その重圧に押されてたじろいだ。


「先年、お父上が七尾藩主との対戦中に陣没されたとのことだったね」

「え、えぇ」

「届け出では『病に倒れたがゆえに撤退し、その背を七尾藩に撃たれて被害をこうむった』となっていた。けど、ご先代はそうなる直前すこぶるご壮健で、かの陣中においても焼酎を一夜で一瓶干されたとか?」

「……よく、ご存じで」


 同年代の、それもの黒竜の穏やかな視線と声に、テリーザンは怯えを見せていた。そわそわと、爪のやや欠けた指先が絡み合っている。

 名を呼ばれた当初こそ当惑の色のほうが勝っていたが、言わんとしていることに心当たりがあるらしく、徐々に血の気が引いていくのが見て取れた。


「……まさか……」

 発言は控えるべきであろう星舟だったが、それでも思わず声が漏れた。


「貴殿も従軍していたはずだ。その時にも、あの大頭巾はいたのかな?」

「それはっ」

「七尾藩主、霜月しもつき信冬のぶふゆは貴殿の父を斬ったのか、と聞いている」


 ブラジオの物言いを真似たかのようなその詰問に、テリーザン家の当主が五体を凍り付かせた。と同時に、陣内からは驚嘆の声が漏れ聞こえる。あの兵器ともいうべき鬼人は、自らの部下も生命を顧みず突っ込んでくる何者かは、あの山の小国の統治者であったのか、と。


 テリーザンはかすかに唇を震わせて、言語化できない呼気がかすかに、断続的にこぼれ続けて地に落ちる。

 そんな彼へ冷笑を浮かべながら、サガラは硬質な声を浴びせた。


「まぁ、よしんばそういう事実があったとして、他家への体面上言えるわけがないし、その時点では信じられなかっただろうさ。……しかし、言うべきだった。貴殿への詮議はこの状況を打破してから、あらためて行う」


 若当主は浮かせかけた腰を下ろした。というよりも、支えをうしなって落ちた、という表現の方が正しいだろう。


「……ということだ。いつ、どうやって生身の人間ごときが真竜種の『鱗』を傷つける術を身に着けたかまでは定かではない。けれどもそれを抜きにしても、奴らは藩王国内の中でも異質、いや異常だ」


 珍しく、星舟の中でサガラと意見が一致した。経堂も、かつて同じ見解を示した。

 七尾藩は、人として、いや生物として、


「こういう異能者たちを赤国流花……いや、彼女を立てるカミンレイがどう運用してくるのか、その全力を引っ張り出したかった。これが第二の理由だ」

「つまり、我らは初めから捨て石であったと?」


 総大将を質問攻めにしていたブラジオが、そこで静かな怒りを再燃させた。

 机に置いた握り拳に欠陥が浮かび上がり、不自然なまでの痙攣が起こっていた。


「捨て石とは聞こえが悪いことを。せめてそこは、試金石というべきではないのかな?」

「同じことだ」

「そんなことは、微塵も思ってはいないさ」

 サガラは平然と口にした。

 平然と、虚言を、口にした。


「そもそも、前軍の進退はブラジオ殿に一任していたはず。貴方がたは、己自身の選択によって、あの港を包囲し、そして今この憂き目にある。そこに俺がどうこうしようという意志は介在せず、まさかブラジオ殿ともあろう方が捨て石などにみずから甘んじようとするはずあるまい。……違うか?」

 黒髪の下の、宝石質の瞳を眇めて、悪意的に問う。

 星舟がそうはっきりと物申せば、首が飛ぶかもしれない。だが、サガラにはそうさせないだけの竜としての威と、トゥーチ家の代表者という権威と、何より彼らの窮地を救ったという実績があった。そうした何層もの不可視の城壁が、竜たちの害意を阻んでいた。


 隣のグルルガンを盗み見る。ややヤクザな雰囲気を持つ凶相の鳥竜は、表情の筋肉を引きつらせている。笑いながら。

 この手のやりとりで、竜がサガラを言い負かすことはできまい。何故なら彼は、竜であると同時に悪辣な人……


 サガラが、ふとこちらを振り向いていた。

 星舟は心の中で言いかけたことを打ち切り、微笑を返し、背の筋を伸ばして直立した。

 総大将は肩をすくめながら、諸将へと向き直る。


「もちろん、この状況に陥るまでもっと本腰を入れて対応をしなかったうちの星舟にも落ち度はある」

「は?」

「そして、俺もまた、見通しが甘かった。そこは認めよう。……この敗北は、全員の責と思ってもらいたい」


 サガラはそう締めくくった。

 あえて言葉にしたことで、敗北の二字が、彼らの頭の上に重くのしかかったことだろう。


「……なんの!」

 おのれらの内にある実感を払拭せんと、ある竜が立った。


「一杯食らわされようとも、敵にいかな策や異才があろうとも、トルバはこちらにもある! 御曹司どのも参られた! この上シャロン姫も到着されれば、兵の質量ともに我らが上よ! これよりは我らが力づくで小賢しき者どもを粉砕せん!」


 のう、と彼は同調を求めた。彼と同じ精神的指向を持つ者が、勇ましく喝采を唱えた。


 勢いを盛り返し沸き立つ軍中にあって、サガラはただ、目を細めてその光景を見守っていた。曰くありげに、その指は星舟を招いていた。




「撤退する」

 首脳部の者らが意気揚々と引き上げた後、暗黙の合図に従って居残った星舟に、サガラは迷わずそう断を下した。

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