第十二話

「……てぇ!」

 星舟の怒号とともに、爆音が轟き、銃口は火を噴く。

 硝煙の臭いが鼻腔と咽喉を焼いた。


 麓に陣取った砲兵隊が二印地インチ半の鉛弾を吐いて、地面へと落下して散る。


 その煙幕を突っ切って、悍馬の群れはいなないた。グロロロという鳴声は、草食動物のものというよりかは、猛犬の唸り声に近い。


 砲声に怯えを見せず、むしろより果敢に攻め来たる。

 速度と鉄の暴力が、星舟の陣を殴り抜いた。

 米俵と土塁を組み上げた即席の塁壁は、彼らの高い馬脚をも防いではいた。だが、射撃の合間を縫って肉薄する騎兵は、そこから迂闊に首を出した歩兵を、あるいは勇んで出ようとした抜刀隊を、その大鉞で屠っていく。鉋で表面を削ぐように。


 次弾を装填して構える頃には、馬と兵は走り去っている。その先頭で指揮している男と目が合った。

 異相の外人は、暗い目元に嘲弄の色をあからさまに浮かべつつ、涼やかに弾丸の間を抜けていった。それからこの一集団は鮮やかに馬首を巡らせ、横合いから再び攻め来たる。


 星舟は舌打ちする。騎兵は足を止めてはならない。その本質をあの大将はわきまえているし、一兵一兵にその訓示が行き届いている。


 ある兵学者は言った。

 竜と戦わず人同士が争うことになったとしても、いずれ騎馬は、火器の発展とともに駆逐されたであろう、と。

 おおむね星舟も同意しているが、それは大量に兵力と銃器を投入できる経済力が背後にあっての結論だ。通常、今のように装填までに容易に接近を許してしまう。

 星舟は射手と別に装填手を複数を用意するなど、六〇〇の中で出来るだけ円滑に弾が行き届くように工夫はしているが、それでもこの有様だ。

 

「リィミィ」

 再度の突撃もしのぎ切った後、星舟は傍らに副官を呼びつけた。


「お前のとこのアイシィとメルラゥを寄越してオレの左右に侍らせろ。合図を出したらオレの眼前に立っているのを撃てと伝えろ」


 と、肚に気を溜めて命ず。

 は? と聞き返す彼女に、指示を反復することはなかった。

 次の瞬間、彼は自らを保護する塁壁に手をかけた。

 切っ先で天を突くようにして軍刀を掲げるや、身を乗り出した。


「うおおおおおぁ!」

 驚く周囲をよそに、流れ弾が脇腹をかすめるのも構わず、塁の上に立って雄叫びをあげる。

 その好餌に、右側面へ回ろうとしていた馬たちが正面に転じた。当然のごとく、陣頭に立つのは、あの巨人である。


 その男は声もなく長柄を大きく振りかぶる。半月状の刃が星舟の脳天に届こうとした瞬間、星舟はみずからの身体が均衡を崩すのも厭わないほど、大きくのけぞった。


「やれ!」


 合図を飛ばす。鼻先を刃風がかすめた。

 浮き上がった前髪の一部を鉄の刃が裁つ。

 可能な限り背を反らした星舟の、文字通りの寸毫の間を、抜けていった。


 仰向けに転ぶ星舟の背後、土塁の内より銃口が伸びていた。

 暗い闇をたたえた異人の両目に、驚愕の色が浮かぶ。彼に向けて、ふたりの獣竜の引き金は絞られた。


 男の角張った顎を目がけて、二発の銃弾がせり上がる。

 一発は武器を弾き飛ばし、もう一発は男の腕を貫通する。当たった、否、防がれた。

 この見た目からして歴戦の猛者は、知っていたのだろう。腕の骨こそ、人体の中で特に頑丈な部位であり、生まれついて持ち合わせた盾だと。


 だが、その後続は主人の異変に足を止めた。ひと塊りに連なっていた。


「撃てェ!」


 リィミィと星舟との、阿吽の呼吸で陣立てを終えていた第二連隊は、横隊に展開したまま、その騎馬隊を銃火で挟み込んだ。

 

 腕を射抜かれた男は、平然とその傷口を見つめた。倒れ伏す部下たちを傲然と顧み、みずからは悠然と馬首を巡らせ駈け去った。


 彼は横顔で、仕留めそこねた獲物を睨んでいた。何か母国語を口にしていた。口の動きで意訳するなら、「覚えていろ島の猿」と言ったところか。


「……あっぶねぇなクソ! もう二度とやらねぇぞこんな蛮行コト!」


 塁上から転げ落ちた星舟は、こんな策を立てた自分自身に憤り、己が矢面に立たざるをえない卑小さに怒りを覚えた。

 だが、それにも増して怒っていたのは、リィミィだった。


「それはこっちの台詞だ! 自殺がしたくば他所でやれ!!」


 返す言葉もなく、土を払って起き上がり、指揮官の目で以て改めて戦場を望む。

 勇猛な騎兵の中でも、特に勇敢であろう先鋒の五十騎馬ばかりは撃ち殺せた。

 この戦場全体から見れば微々たる数字だが、それでも敵は容易には再攻勢には出ないだろう。ある程度の時間は稼ぐことができるだろう。


 ただし、星舟にとっては十全の成果とは言いがたい。

 アイシィもメルラゥも、リィミィ麾下の獣竜の中でも特に秀でた銃手だが、それでも経堂の妙技の域には遠い。彼ならば、たとえああいう不安定な状況下であっても、あの程度の距離であれば一発の銃弾で眉間を貫いていたことだろう。

 その彼は高所より敵の後続の牽制に当てている。容易に移動させることができなかった。


 ――せめてもう一隊、いやもう五〇〇程度で良い。それだけ兵がいてくれたらもう少しやりようはあるものを……いや指揮下に入らずともいい。左右の戦線を縮小して敵をこの場所に誘い込めば、逆に追撃してきた敵を挟み込めるっていうのに。


 そう歯噛みしながら、星舟は敵の手から離れ、地に突き立った鉞を見つめた。


 もちろん、彼とて好きこのんで孤立しているわけではない。移動している間も、防戦している合間にも、増援は乞うていた。だがいずれも黙殺されている。


「……ダーイーオース隊への要請の返事は?」

「……はっ。あの、その」

「ありのまま言ってくれて構わん」


 戻ってきた鳥竜の伝令は、ためらいがちに隊長を見返した。ややあって、声を震わせて伝言を唱えた。


「……『貴隊を助く牙なし。一戦もまじえず後ろに逃げ帰った夏山こそ、怯懦の極み。その汚名を晴らしたくば、再び前線に戻りて剣戈を交えるべし』……と」

「ふざけんなっ!」


 間髪を入れず星舟は怒鳴った。


「こっちゃ今の今まで命的にしてまで踏ん張ってたんだぞっ! そういうあいつらはどうなんだ!? ただ殺される順番を待って列に並んでるだけじゃねぇかッ!」


 怒る青年の肩を、副官が押さえた。おびえる伝令に持ち場に戻るよう目くばせする。


「落ち着け。他の耳目がある」

「あぁ!?」

「第一、事前に周囲との連携をはからなかったお前にも責任はある」

「……言ったところで信じるか。むしろ、妨害されてただろ」

「そこをどうにか言いくるめるのも、大将の裁量だと思うがな」

「うるせぇ!」


 忠言、というよりも反論のしようのないリィミィの正論が、星舟の神経をすり減らす。


 星舟の目算に反して、正面の騎馬は態勢を立て直しつつある。再度の突入も時間の問題か。

「申し上げます! 七尾藩軍、複数の部隊を突破! こちらへと向かっております!」

「港から出撃した部隊の一部が中央を突破ッ、ここへ直進しています!」

「……方円陣を維持……! 手は空いているのは、撤退の準備もしておけ……っ」

 三方からもたらされる凶報に、星舟はそう決断せざるをえなかった。


 決戦の場に、十万を超える兵が集っている。大陸中のありとあらゆる種族、部族が集っている。

 そんな中で、人でありながら竜に属す片目の将はただのひとり……ぽつねんと孤立していた。


 そう自覚したとき、星舟は総身を震わせた。

 背後から軽やかな足音が聞こえた。さては退路にも敵が回り込んだか。びくりと振り返った星舟の視線の先には、遣いに出したはずの少年兵が同じように身をすくませていた。


「シェントゥ! お前、帰ってこなくて良いって言ったろ!」


 いや、と星舟の脳裏にいやな予感がよぎった。

 会見平野からこの対尾港まで、往復するには速すぎる。


「……行けなかったのか? そこまで敵が来ていたのか?」

 張り詰めた声で問う上官に、彼はおどおどと首を振った。

「いえ、あの会ったんですけど……その、これを届けるようにって」


 相変わらず獣の少年の説明は要領をえなかったが、差し出された書状には、迷いはない。

 それをもぎ取る、裏面に捺された焼き印に顔をしかめ、乱暴に紐解く。決して達筆とは言えない竜文字で記された内容に、星舟は目を通す。

 そして、


「…………あぁ?」


 緊迫とはまったく別物の、苛立ちと不機嫌さのないまぜになったような面持と心境で、背後を振り返ったのだった。


 〜〜〜


「塁壁の敵、後方へ敗走!」

 その報に触れた時、カミンレイ麾下討竜馬隊分隊長ウクジット・セヴァカは誰よりも先に出た。散々にやられ未だ十分とは言えないヴェイチェル隊長を、出し抜けたと思った。

 この少壮の軍人は、一回りも年下の上官とは様々な意味で対照的と言えた。


 一方は寡黙で陰気。一方は饒舌で弁が立つ。

 一方はカミンレイに見出されなければのたれ死んでいたであろう、士族を冠するだけの貧民。一方は舞踏会を開くことを許された門閥の出。

 一方はその性根ゆえに上官の覚えはめでたくないが、部下からは信頼が厚い。一方は上役に顔こそきくが、反面部下からはおべっか使いと陰口。


 だが、両名とも方向性は違うものの十二分に有能と呼べた。そこは周囲も、お互い自身も認めるところである。感情の好悪は別として。


 生来より筆舌に尽くせぬ権謀術数を真近で見てきたウクジットは、相手の弱り目、その転換期を見抜く、独特の嗅覚を持っていた。その感性を戦場に転用すれば、それすなわち戦術眼の出来上がりである。追撃戦に長けた良将である。


 その眼と鼻から判断するに、孤軍奮闘していた部隊は行動の限界を迎えていた。が、統率のとれた彼らが何かしらの一手は打つと見ていたから、彼は後方に回っていたのだ。


 踏み止まるようには具申しなかった。くり返しになるが、互いに力量を認めていこそすれ、互いの好悪は別であった。


 そしてあの隊は、なけなしの一手でもヴェイチェルを討てなかった。余力があろうとあの状況下で底を見せては半死に等しい。さらに三方から各藩の兵が迫っていた。まともな感性が大将に備わっていれば、大抵は退く。


 それ兆候を例の嗅覚で察知したウクジットは、誰よりも先んじて追えたわけだ。


 彼が間道に突入した時、視認できる距離にあの大将のものらしき黒髪が見えた。彼は峠の向こう側に一瞬消えたが、

 正直、ヴェイチェル並に表情にとぼしいこの国の人間など、どれも同じように見えるが背格好は同じだし、後尾で退却の指揮を執っていたのは遠目からでも見えていた。


「追うぞ!」

 勇んで鐙を鳴らし、速度を上げる。

「お待ちください! ご令嬢よりは過度な追撃は無用と……っ!」

 追いすがる兵士の制止にも、彼が止まることはない。


「構わん! 深入りするまでもなく、ここからならば四〇〇程度で追いつける!」


 上手くいけば峠を越えたばかりの敵兵に向けて逆落としが仕掛けられる。ともすれば、ヴェイチェルが一杯食わされた男を討つことができる。となれば隊における自分の立ち位置は彼のそれを上回ることになるかも知れず、未だに自分について回る「手足の働きではなく舌を使って階段を昇った」との謂れのない不名誉も払拭することができる。となればあの陰気な巨人の上に立つことだとて。


 ずいぶんと、自分ばかりに都合の良い未来展望だという自覚はある。

 だがそれ以上に悲願でもある。自分の将器があの男よりはるかに優っているとは言わないが、劣っているとも思わない。まして長幼の序を考慮に入れれば、本来であれば自分が隊長を務むべきではないのか。


 渦巻く野心を吹き飛ばしたのは、他ならぬ、彼自身の感覚だった。

 風が変わった、潮目が転じた。

 その流れの源は、峠の上だった。


 黒髪の青年は、ふたたび姿をさらしていた。

 だが一目して、さっきまでの彼とは決定的に異なっている。

 

 黒髪も、骨格も同じ程度。

 だが詰襟の軍服に真紅の首巻きをしている。その手には、何本もの背骨を絡み合わせたような、不気味な剣が握られていた。その持ち腕は熾のごとき赤熱を帯びた、装甲が張り付いていた。

 何より、それ以上に、帯びた気配がまるで違う。例えるのなら、図らずして灰色熊に対面してしまったような心地。生物としてとうてい太刀打ちできないと肌身に刻まれるような無力感。


 彼ではない。ヒトではない。

 アレは、竜だ。


 だが、戦場で見た竜とも何かが違う。見た距離の長短は確かにあるが、それだけ片付けられるものではない。

 戦場の西側で戦っていた竜……所謂真竜種は、もっと直接的な敵意……というよりも闘志をぶつけてきていた。だが、目の前の男はその部分が竜種と食い違っている。こちらを見下す眼差しにはねじくれた、ドス黒い悪意のようなもので満ちている。あえて呼称するならそれは……


 ウクジットの詮索は遮られた。

 信じがたい現実が、この少壮の野心家を引き戻した。

 黒い竜の身長が、ぐんと増した。いや、元々高くなっていたのだが、峠の影に隠れていたのだ。

 ……自分たちと同じ動物に、またがっていることによって。


「……トルバ……」


 母国の響きでそれの名を呼ぶ。

 ただ一頭ではない。黒竜の背後に、ズラリと騎士たちが整列している。

 人の形を成した者もいるが、たいていの騎乗者たちは異形の姿だ。

 彼の国の人では、とうに淘汰されたかのような甲冑にも似た装い。いやその原典ともされる姿。


 彼らを率いる黒竜は、遠目からでもわかるほど、いびつに嘲笑を浮かべる。


 言語と種族の隔たりはあれど、彼が振り下ろした骨剣と、唇の動きが意味するところは理解した。



「殺せ」



 ……それが、ウクジットの最後に聞いた言葉となった。

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