第四話
ブラジオ・ガールィエは、東方領、トゥーチ家の与力衆においても第二、三を争う領地と権勢の持ち主だった。
性は質実剛健。その忠誠心の厚さと武功においては、陣営随一である。
基本長身ぞろいの真竜種においてもその身の丈は頭ひとつ抜きん出ており、盛り上がる筋肉は他を圧倒する。
率いる軍勢は、領地の広さに反して千名程度と少ない。
これは生産力のない、痩せた土地であるからというわけではない。彼の収める
彼があえて寡兵で軍務にあたるのは、人間を兵として使うことを過度に嫌うゆえである。装備する銃にも、一世代前の火縄銃が混入している。
無論、輜重隊や工作部隊、先遣隊に組み込むことはあるが、戦闘員としては考慮していない陣立てである。
だが、竜たちで大半を構成した部隊は、攻勢に長け、守りは硬い。
アルジュナ・トゥーチが自ら軍を指揮していた頃は、兵力展開のできない限られた要所や、戦局を決定づける一打として投入されることが多く、嫡子サガラもそれに倣う形で運用していた。
彼が兵の少なさに反して常に一番功を立てるのは、それ故である。
「またぞろッ! 藩国の愚か者どもが我らが領土に侵攻するとの風聞がある!」
その領内の練兵場にて、体躯に見合う大音声をあげた。
それに応じるかの如く、竜たちの木剣を握った腕の振りも、苛烈さを増していく。
「おのが主君、おのが同胞の喪も明けぬうちに節度ない出征、これに応ずるすべはもはや根斬りおいてあるまいッ! 各々、尚武の魂と矜持と気位でもって、奴ばらどもに強者の何たるかを思い知らせッ!」
いくつもの木剣が割れる。的にしていた藁人形や二枚巻きの藁が中折れする。それにも構わず、荒ぶる竜兵たちは老いも若きも折れ剣で死した的を打ちつづけた。
破壊的な音が連鎖していくなか、雷鳴のごとき怒声を轟かせる。
その姿は、竜の体現者と言ってよかった。
~~~
「今戻った!」
みずからの居館にもどったブラジオは、邸宅すべてに行き渡るような大声を放った。その言葉も実に端的だ。
本人は別段機嫌が悪いわけではない。それが彼なりの常の声量であり、強いて言うなれば従者や家族がこちらの要件を聞き逃さないようにという、彼なりの配慮の結果だった。
その声につられて、おそるおそる顔をのぞかせたのは、従僕、それも年老いた人間だった。
「あ……」と声を漏らすその男を、ジロリと強面が見返した。
しばらく老人が口がきけずにいた様子だった。だが、ややあって
「旦那さま!」
と、子どものように顔を華やがせた。
「なんだ、騒々しい」
と軽く叱咤するブラジオだが、舞い上がる老僕よりもその語気は強い。
「今朝、娘が目を覚ましました。これも、旦那様が薬を手配してくだすったおかげでございます。このご恩、どのようにお返しすれば」
「当然のことをしたまでだ。借りを返したくば分相応の働きをせよ」
次いで、多くの人が顔を出した。
旦那さま、殿、主人さま、様々な敬称でブラジオを呼び慕い、受けた恩情に対する感謝の念をめいめいに口にする。
「俸給の前借りの件、ありがとうございます! おかげでいい医者に見せられました」
「弟の婚姻の仲だち、お世話になりました」
「これ、うちのかかあがこしらえた餅です。よろしじぇれば、どうぞ!」
それらを当たり前のごとくに受け入れ、貢物をみずから手に取り小脇に抱えながら、巨漢の真竜は人の垣根を分け入った。
そしてその奥、白金の色と柔らかな光をたたえていたのは、ひとりの女だった。
「……いま、戻った」
ブラジオは館に入る前に放った一言を、今度は控えめに口にした。
「おかえりなさい、あなた」
そして彼よりもずっと小柄な女性は、抜けるような笑みをたたえたのだった。
~~~
「おかえりなさい、父上」
ブラジオが嫡子、カルラディオ・ガールィエは、食卓の場で父を出迎えた。父に似ず骨格の細い彼は、一見すれば婦女子のようで、それゆえに煉瓦色に白銀が一房という奇異な髪色は、余計に衆目を惹いた。
「帰っていたのか」
「えぇ、春季休みですので明日まで」
「上手くやっているのか」
「はい。先日の試問では首位を維持いたしました。近々、御前討論会にも参加いたします」
「そうか、今はそこがお前の戦場だ。存分に励むと良い」
父の言葉に、少年は目を輝かせてうなずいた。
ふだんはもっと大人びているはずなのだが、久々に親と会った反動だろう。その口ぶりは少し実年齢より幼く聞こえる。
それぞれの膳が運ばれてくる。
菜飯に汁物に、里芋の煮物、程よく身のついた山鳩を甘辛く炊いたもの。
夏山星舟などは外洋の料理に傾倒して賢しらげに奇抜な手料理などを振る舞いなどするが、結局のところ落ち着くのは、こうした馴染み深い飯だろう。
「そちらの戦場は如何ですか。なんでも、ヒトらが再侵攻を目論んでいると聞きましたが」
「特に支障はない。むしろ、安易に武器の利便に頼るようになり、軟弱になったぐらいよ」
「しかし」
カルラディオは口元に笑みを浮かべたまま、目のあたりに険を見せた。
「お味方のうちにあって、夏山などという人間が領主さまに取り入り、我々と並び立つがごとく振舞っているとか」
「あやつか」
ブラジオはある宴席での、異国の料理を得意げに披露する隻眼男を思い出し、いやな気分になった。
「彼の者のごとき不埒なる男を正すことこそ、真竜の亀鑑たる父上のなすべきことでは」
「カルラディオ」
飯をよく食んで喉に通してから、その真なる竜は静かに口を開いた。
「あまり、あの男の陰口をたたいてやるな」
それは、カルラディオふくめて相伴にあずかっていた妻や控えていた従僕たちにとっても、意外な言葉だっただろう。
この家の内においても外においても、この男の『隻眼』ぎらいはあまりに有名であったからだ。
周囲の驚嘆をよそに、もくもくと口に肉や米を運びながら、ブラジオは続けた。
「なるほどあの男は過ぎた待遇を得て天狗となり、さらなる栄達さえも望む野心があると見た。だが、そうして分不相応な欲望に手を伸ばさんとすることもまた、我らが庇護すべき人間の一面であろうよ。憎むよりも先に、その卑小さを憐れむべきよ」
「ですが、父上」
それはあくまで理屈で理想だ。そう言いたげな我が子を手で制した。
「不満があれば当人に面と向かって言うが良い。そのうえでなお気に食わなければ、殴ってやれば良い。いずれ顔を合わせることもあろう」
「……はい、父上!」
自身にそう言い聞かせられかはともかくとして、少年は尊敬と憧憬のまなざしでもって、父に心地よい相槌を返したのだった。
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