第三話
「起きろ」
出し抜けにそう言われて、リィミィは目覚めた。
瞼を上げれば、現世の夜が広がっていた。
そこには七年分歳をとって軍に身を置く彼女自身がいて、七年分成長した隻眼の少年は上官となっていて、自分に屈んで視線を合わせていた。そしてここは東方領主管轄旧武家屋敷、夏山星舟の邸宅だ。
夢の延長にしては、悪い冗談にもほどがある。
「さしものリィミィ先生も、出陣前の下準備はこたえるか?」
「あぁ、どこかの誰かが周辺地域の根回し、調査、傷病者の受け入れ先の確保に部隊編成にと、学者くずれに無茶ばかり強いるからな」
「オレはその三倍は請け負ってるがな」
家主、夏山星舟は皮肉げに、唯一無二の瞳を細めた。
かつては虫の羽音ひとつにびくびくとしていた少年が、ずいぶんと傲岸不遜になったものだ。リィミィは呆れを通し越して素直に感心した。
「とは言え、女性に夜更かしさせるのは申し訳ないとは思ってるさ。詫びと言ってはなんだが、夜食を作ってきた。味見してくれ」
そう言って差し出した椀には、雑炊が入っていた。ただしその色は赤く、白いものが覆いかぶさり、香りは酸い。
「これ、何が入っている?」と目つきで問う彼女に、星舟は答えた。
「赤茄子の実を刻んだもの、それに漉したもので米を煮た。で、酪を載せてみたら案外美味くてな」
食ってみろ、とこれまた声にせず手と目で促される。
原材料と調理法と見てくれからでは、想像しがたい。それに、赤茄子は好みではない。
だが、料理の腕や感性は、星舟の数少ない美点のひとつだ。その腕を信じて、匙で一口。
「どうだ?」
「……美味いよ」
本来赤茄子は食えたものじゃないと思っているリィミィだが、これはいける。
トゲのある酸味を、酪のまろやかさが分厚くそれを包み込んで互いを引き立てる。
見た目こそ適当に材料を入れて煮込んだだけのようにも思えるが、素人が同じように作ったとしてもこの味には至るまい。
米にも芯が残っていないし、何種類もの香辛料やすり潰した野菜で調味しているのだろう。やや大味に思える豪快さの奥に、深みを感じさせる。
「そうかそうか」
破顔一笑、子どもめいた無邪気な表情を星舟は浮かべた。
人と竜のありようを一変させる大それた絵図を描く一方、彼は時折、こうした瑣末なことで幼い笑みや反応を見せる。
惨めだった少年時代。そこで本来得るべきものを、取り返すかのように万事を楽しむ。
――いや。
彼が変質した、という考えを、リィミィは改めた。
臆病なまでの慎重さ。それを持っているにも関わらずどこか危うささえ感じさせるほどの好奇心と純粋さ。
兵学や政のみではない。料理、医薬、服飾、礼儀作法、その他もろもろの文化や雑学さえも吸収しなければ気が済まない、底なしの知識への貪欲さ。高みへの渇望。
それらは、出会ったあの頃から何も変わっていないのだ。
「それ平らげて、気合い入れて励んでくれよ? 何せ、もうすぐ戦だ。オレらの武功の機会が、早くもめぐって来たんだからな。……今度こそ、誰にも邪魔はさせないさ」
そしてそんなあどけない笑みのままで、同じように野心を語る。
リィミィはそんな青年となった少年に、言いしれない畏怖と、一抹の不安と庇護欲をおぼえているのだった。
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