第二章:狩人 ~対尾港撤退戦~

第一話

 のどかな街道筋を、馬車の縦列が進んでいく。

 一見して悠然と、泰然と進んでいるかのように見えて、その速度はかなり出ていた。まるで、嵐の前の、雲の群れのように。


 葛城陽理は、そのうちの一台、中ほどの馬車に揺られながら「くあ」とあくびをひとつ、落とした。


「あー、めんどくせ」


 おおよそ葛城家波頭藩を取り仕切り、五千の兵を率いる当主とは思えない発言に、そばに同乗していた老臣は顔をしかめた。


「若、いえ殿。発言にはお気をつけください。どこで間者が聞いているともわかりませぬゆえ」

「分かってる分かってる」


 と言ったそばから、また大きなあくびを一発かまし、

「めんどくせー」や「やる気ネェー」とか嘆くようにくり返す。

 やや大仰に嘆息する白髪の老人の脇で、それまでぼやき続けてきた陽理が、


「たまたま席次的に順番が回って来たのがが葛城だっただけさ。俺じゃなくたって、どうせ連合の誰かが継ぐことになるんだ」

 と、声を低めてつぶやいた。


 この連合藩国は、もとより平和を重んじて、という名目の妥協によって成立した国である。

 そのため、初代藩王である結城家の権勢はそれほど強くはなかった。そこに加えての、あの無謀な出征に大敗である。

 それを断行した結城家が負った責務は重く……おのれらも同調したということは棚に上げて……他の有力者たちからの圧迫により、数代の間にその機構は大きく変質していった。

 政戦の方針を決定づけるための手段は各藩による合議制となり、一応はそれは盟主である藩王が最高議長となるのだが、その藩王も結城家からのみ輩出するのではなく、この連合成立以来の重臣の家系より順々に、かつ公平に出されることになっている。

 むろん、後継者や血縁の関係など、さまざまな問題もあるにはあり、中には血の流れるような暗闘もあった。だが、幸いにして国を割るほどの騒動にはいたらず今日にいたっていた。


 その席次が今、この十八歳の藩主に回って来た。


「あぁ、面倒だ面倒だ」

 とその青年は何度となく言う。

 だが、彼の根底にあるものを、この道程にいたるまでに行ってきたことを、老臣は知っていた。


「しかし、そのための根回しはしておられた。これからせんとしておられることも、この愚老が知らぬとでもお思いか」

「だから、面倒なのさ。俺は別に人の上になんて立つつもりはないけど、順番が来たことだし、辞退しようにも他の候補はグズの無能だったり、女子だったりどうしようもない。にも関わらず、それをわきまえない佞臣どもがウロチョロと這いずり回ってる。まったくイヤだねぇ、人の上に立つってのは」


 薄く嗤いながら、息継ぎでもするかのように「面倒だ」をくり返す。

 表面上はたしなめながらも老臣は、この牙を隠した麒麟児が、王座に座る未来図を容易に想像することができた。




 彼ら一行は、首都たる秦桃しんとうへと向かった。その城下の絢爛さには眼を奪われることなく一路、迎えの待つ王宮へとさらにその足を速めた。


「……爺、抜かりはないな」

 声音をあらためて陽理は問うた。

「はい、皆準備は整っております」

 と老臣はよどみなくひび割れた調子の声で答えた。

「あぁ、藩王になっての初仕事がコレとはね、まったくもって面倒くさい」


 しかし相も変わらぬ主の調子に、老人は苦笑した。

 これは王になっても、性格に変わりはなさそうだった。


 内門である西虎門は、内側から錠がかけられていた。ここを通って中央広場に出、奥に進めば謁見である鳳凰の間、奥には王の書斎や私室が通じ、東に回れば書庫や指揮所や兵舎、さらにそこから裏口に回れば武器庫や火薬庫へもつながっていた。

 その門前で、まず未来の王とその側近が足を下ろした。

 大ぶりの羽織を肩から打ちかけ、のそのそと陽理は歩き始めた。


「開門せよ! 次期藩王、波頭藩主葛城陽理の到着であるッ」

 番をしていた者が顔を見合わせてから最上級の礼を返し「しばしお待ちを」と言い置いてから、まずは自分たちが門の内側へと入っていった。

 それから、門が開くまでに結構な時間を要した。


「いちいち手間でかったるいな……王座についたらこの門取っ払ってやろうか」

「殿、いえ陛下」


 主君の逸りを家臣は抑えようとしたが、それより前に門は開いた。

 瞬間、衝撃波が彼らの顔面に押し当てられた。


 すわ敵襲か。そう考えて身構える彼らだったが、その正体は銃撃砲撃のたぐいではなく、彼らの前にいるのは兵士ではなかった。

 そのことに、先んじて進んでいた馬車も戸惑っていたようだ。中に控えていた者たちも、そこから出る気をかえって失ったようだった。


 それは、音楽であった。

 金属で構成された器具を打ち鳴らし、あるいは吹き鳴らし、抜けるような青空に豪奢に演奏を轟かせる。


 一切の技量や道具を余さず用いた、豪奢で豪快で濃厚なしらべ。だが、ほんの少しの哀調のようなか細さがその中に伏兵のごとくに忍ばされているようなのは、気のせいだろうか。

 だが逆にそれが良い、と陽理は思った。こうした芸事にはあまり敏感なほうではない彼の感情さえ、その音のほとばしりは揺すり動かした。


 演奏が止んだ。

 広く長く大きくとった、玉座に通じる階段の手前。そこで指揮をとっていた者が、振り向いた。


 年のころは二十そこそこ……いや、落ち着いた立ち振る舞いから見れば、もっと年月を重ねている可能性は否定できない。


 この大陸では竜たちをのぞけばあまり見ない、太陽光と蜜でつむいだかのような光沢のある金髪が波打つ。極上の宝玉のような純度の高い蒼い瞳。血色はいいが、抜けるような白い肌。


 何より瞠目すべきは、自分のそれと倍ほどはある腕を振りかざす屈強な楽団を従えていたのが、この見目麗しい女性だったという事実だ。


「出迎えにふさわしい見事な余興だった。異国の者か」

 その小柄で骨細な立ち姿に、彼にしては珍しく素直な賛辞を陽理は与えた。

「お気に召していただけたのであれば何よりです。わたしは、カミンレイ・ソーリンクル。音楽の顧問としてこの地に招かれました」

 と、土地の標準語で話し、ふんわりと開いたスカートとかいう履物の裾をつまんで広げる。それが、海を隔てた異国のうち、北方の一国の礼儀作法であるらしい。その指の動きは手慣れて洗練されていた。それが挨拶であるという前知識がない者であっても、心奪われるに違いない。


「そうか。まっ、これからよろしく頼む」


 次代の王であるはずの男に、カミンレイは無言の微笑で返した。

 おもむろに、右手でとった指揮杖を、蒼天へと突き出した。


 その杖の下端が、カツと石段を鳴らした。

 刹那、爆音が四方から響いた。

 光と煙が楽団の頭上、門に設置された高楼より吐き出され、そこから発せられた弾丸が、射線を幾重にも交差させながら、彼らの一団を撃ち抜いた。


 先頭の車で馬が暴れて横転し、血まみれの兵たちがその中から躍り出た。

 後部でも同様なことであり、また陽理の身近では……つい寸刻まで会話を交わしていた老人が射殺されていた。

 取り残されたのは、呆然と立ち尽くす彼のみであった。


「失礼。曲目に対する解釈の齟齬が認められましたので、音楽教師として是正させていただきました。『これから』とおっしゃいましたが、貴方に『これから』はなく、先ほどの演奏は、そんな貴方へと手向けたものにございます」


 完全に虚を突かれた形となった陽理は、カミンレイの慇懃無礼な宣告に、反応できずにいた。

 この端麗な指揮者が本当は何者なのか、何故自分がこうした目に遭うのか。それさえも問うこともできずに。


「やはり兵を潜ませていたか! おおかた開門と同時に要所を制圧し、内外に潜在する反抗的な派閥を排除する。狙いとしてはそんなところか?」


 そんな彼女の段上から、透き通った声が降って来た。

 神々の扱う槍がごとくに鋭く、長くまで届く、豪放ながらに心の奥底から惹きつけられる音声だった。


「次代の王というには小胆なことだな! いったいどこに、己が家に入るのに路傍の小石まで除く家主がいる!? 己の二足で大地を踏みしめ堂々と歩けば、つまずくことなどありもしないし、気にもかからん! それが君主というものだ!」


 声の主もまた、若き女性だった。

 やや赤みがかった、黒とも茶とも表しがたい長い髪。本邦人ばなれしたすっきりとした高い目鼻立ち。

 背丈は並みの男以上にすらりと高く、髪色と酷似した軍服調の異装をまとった姿で、石段を下りてカミンレイに並び立った。


 だが、おのれの装束や声音、カミンレイの容姿にさえも負けないぐらいに印象深いのは、その双眸だ。

 ただ見返すだけでこちらの肌が焼けるような、黒々とした輝きを宿している。それは、あらゆる人間の功罪、善悪を見定める、超常の存在を想起させた。


「なんだ……なんなんだ、お前らは……これからの王に対して、こんな無礼が許されるとでも……ッ」


 彼女の声に圧されるように、陽理は言葉を詰まらせた。

 そして彼女の声と自分のそれとを比して、みずからの矮小さを恥じ入るように、次第に声は小さくなって枯れていく。


 カミンレイはさきほどの微笑とは一転、冷ややかに彼を見下ろすと、自身の背後にあった譜面台から、一枚の紙片を抜き取り、虚空へと放り投げた。

 一度ふわりとおおきく舞い上がったそれは、まるで意志を持っているかのように、陽理の足下へと滑り込んできた。


 それは、本来その場にあってはありえない証書だった。

 自身の判と、署名と、血判と、それに連なる人間の名。それらを見下ろした瞬間、陽理の顔色からさっと血が抜けた。


「葛城陽理。各所に対する贈収賄および数年におよぶ癒着、先年における赤国あかぐに吉妹きつせ両家の国境争いにおける無断の加担および扇動。および前の尾根州石場における独断による撤退と隣国の救援依頼のたびたびの無視。それらはすでに明るみとなっています」

 ほほぉ、とまるで今知ったかのように、カミンレイの隣の女は口を丸くして感嘆とも呆れともとれる調子でうなずいた。

「これはまだ、叩けば余罪がこぼれ落ちてきそうな勢いだな」


 それを無視して、カミンレイは指揮杖を藩王候補者だった青年へと突きつけた。


「よって貴方の藩王継承権を剥奪。すでに波頭藩でも藩主を放逐する決定が下され、弟御が継ぐことになりました」

「なっ、なんだと!?」

「そして本日をもって、この赤国流花るはな様が、次期藩王と決定いたしました」


 そこでようやく、哀れな罪人は女の姓名と素性を知った。

 と同時に、赤国には先年詰め腹を切らせた嫡子のほかに、海外に渡航していたはずの姫がひとりいたことを思い出した。

 たしかに、時和ときわ藩領赤国家は、葛城の次に藩王と目されていた家柄だ。だが、それがなんだというのだ。


「バカな……女の藩王など、聞いたことがない!」

「そこが貴様の限界だ!」

 陽理の吐き捨てた言葉を、その女……赤国流花は喝破した。


「やれ男だ女だなどと拘泥してこの情勢を顧みず、おのれの周囲のみを見て面倒だなんだと嘆くフリをする。そんな男の怠惰な統治など悠長に五、六十年と待っていたら国が亡ぶ! 今すぐに、即刻! この国を革める! そのために私は先代に呼び戻された。そのために、このカミンレイが登用され、ありとあらゆる網を張った!」


 ガックリと膝をついた敗者を見下ろしながら、陰のない口調で流花は言い渡した。


「命までは奪らん。そもそも、要らぬ。日々放言している望みの通り、俗世の面倒から離れ、怠惰と無為の余生を送ると良い」




 謀反人たちが生死にかかわらず片づけられたのを見届けてから、赤国流花は軍服を翻した。

 その後を慕う音楽教師に、冗談めかしく語り掛ける。


「しかし、罪はともかくとして、よくあの男のやらんとしていたことを見抜いたな。むしろ、本人が日々面倒だ迷惑だと口にしていたのだから、これ以上は余計な野心がないと考えるのが筋ではないのか?」

「本当に怠惰な者は、その心境を口にすることさえ億劫なものです。『面倒くさい』をあえて連呼するような者はその実、おのれの存在を認めさせたくてたまらないのですよ。おそらく、怠惰の衣を脱いでこの場で『実はまだ本気を出していない』『やる気になればこの程度のことはできる』と演出したかったのではないかと」

「なんだそれは。何事も『面倒だ』で片づけるような輩を、他人が信任して心命をゆだねるわけがなかろう。まったく不可解なヤツだったな」


 バカバカしい。そう吐き捨てたげな流花の物言いに、カミンレイはそっとため息をついた。

 赤国流花には本人も自覚していな底なしの度量がある。『当時は』一介の音楽家でしかなかったカミンレイやその他の逸材を見抜くたしかな見識がある。

 が、その一方で、こうした小物の、神経質で複雑かつ微細な心情の動きには目が届きにくい。


 ――まぁそれはこちらでフォローすればよい。そのために、私がいる。


 うつむきがちのカミンレイに、さらなる質問が飛んできた。

七尾ななお日ノ子ひのこはどうしている?」

「準備万端整っているようです。いつでも、戦を仕掛けられます」

「戦? それは違う」


 小姓から手渡された外套に、肩を覆わせる。

 その眼下には、近衛の兵五百名ほどが陣を組み、列を成す。

 彼らが手にしているのは、いずれも海外から取り寄せた、ガス圧拡張式の施条銃だった。


アレらは人ではない。だが、決して不老不死にして万能の神などではない。……これは狩りだよ、カミン。そのことを知らしめるために、私は行くのだ」


 流花は親しげに愛称で彼女を呼ぶ。だが、それは凄惨な響きを帯びた、確信に近い宣言だった。

 音楽顧問はそれを真摯に受け取り、こっくりと首肯した。


 新王が高くのぼる日輪に挑むように拳を晴天へと突き上げる。

 そして彼女が生まれ変わらせた新生藩王国軍たちは、その軍靴の下で熱狂の産声をあげたのだった。

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