番外編:騎馬と竜

 初春の風が、朽葉を踊らせ、草原をざらりと撫でていた。


 愛馬の手綱を引いた夏山星舟は、郊外の空気を思い切り吸った。肺腑を抜けるような爽やかな気が満たした。

 爆破騒動の後始末やらの、諸々の疲れや気鬱が重なった彼にとっては、それが何よりの妙薬だった。


 そんな彼に従う悍馬『ライデン』は、長い脚に山のように盛り上がった豊かな胸筋と、そしてふてぶてしい面構えを持っていた。


 二年前、戦場におもむく際に星舟が捕らえたものだ。

 元は人間が扱っていた軍馬かその裔か。

 十年前に竜たちに制圧された頃に逃げ出したものが、そのまま野生化したものだろう、と星舟は憶測していた。


 物資の移送に必要な軍馬を民間、野馬の中より徴発した時に混じっていた一頭だ。

 体躯はやたら大きなくせに、孤高を気取って、共に捕獲していた本来の群れからも外れ、不遜なたたずまいで孤影を保つその姿……そこが、星舟の琴線に触れた。


 役人や地元の古老や猟師でも手を焼く暴れ馬だったが、相通ずるところがあったらしく、星舟にだけは懐いた。

 やはり己は、欠落者とは相性が良いらしい。自重めいた調子で、星舟はそう結論づけた。


 とは言え乗馬する回数はあまり多くはない。

 戦場に駆り出すにも、竜たちを見下ろすような図になるので、彼らの不興を買うはめになりかねない。いちいちそれを気遣わなくてはならないし……もっと致命的な理由も存在している。


 だからたまの休暇に普段は郊外に放牧している彼を連れ出し、思う様に疾駆させる。

 この『ライデン』、奇矯なことに、放牧されているよりも星舟が乗りこなしているほうが、伸びやかに走るのだそうだ。


 だがこの時は、少しその愛馬の様子が違っていた。

 むずがる子どものように、鼻先を何度もぶつけてきて、言葉にできない何かを訴えようとしていた。


「なんだよ、ずっと遊んでやれなかったからスネてんのか?」


 ハハッと軽やかに笑う。

 政務に軍務に、それを隠れ蓑にした野心の隠匿にと、心休まるヒマのない彼にとって、本来の安堵が許される一瞬だった。


「あれー? セイちゃんじゃない!」

 ……そしてその安堵は、本当に一瞬で幕を下ろした。


 星舟は慣れ親しんだその声に背を向け、一度思い切り、苦い顔をした。

 そして彼女のほうへと振り向いた時には、柔和な笑みをたたえる忠臣の貌となっていた。


「これはこれは総領姫様。わざわざこのような場所に来るとも思わず、失礼をいたしました」


 ただ言葉は多少自覚のある慇懃無礼気味に。

 対する竜の娘、シャロン・トゥーチにその意図が気取られた様子はない。

 その脇にひかえるジオグゥは察知しているかもしれないが、上機嫌な主人の心に波を立てるのを良しとしないのかもしれない。そしらぬていで、弁当箱を片手に提げて侍っていた。


「でも、久々に見たなぁ。セイちゃんのそういう笑顔」

「畜生にしか心を開けない、寂しい男ですわね」


 無邪気に顔をほころばせる主人と、容赦なく辛辣な言葉を浴びせる従者を前にして、星舟の繕い笑みは強張った。


 ――そういうことか。

 そして、馬が示した異様な反応の正体に、ようやく気が付いたのだった。


 だが咎める気はない。『ライデン』なりに伝えようとはしてくれていたし、そもそもよくこらえた方だ。並の馬であれば、たちまち主人を振り切って逃げだしていただろう。


「あちゃー、やっぱりなついてくれないかぁ」


 人の機微には鈍重なくせに、馬の感情はわかるらしい。


「なついてくれれば、戦場でも一緒にいられるのにね。そういうの、軍馬とか騎馬隊とかって言うんでしょ?」

「お嬢様、あまりこの男に余計な知恵を入れないように」


 てめぇが余計な猜疑心抱く前に、そのことは考えたわこのボケが。星舟は内心だけでそう毒づいた。

「それは無理でしょう」

 と、それを笑いで覆い隠した。


 馬は、竜を恐れる。

 それが騎馬を投入できない最大の理由だ。


 たしかに人間同士で争っていた時代、騎馬隊はその機動力と威力でおおいに活躍したという。

 だが、本能的なものか、竜らが生物としての上位種である故か。彼らは竜の気配に人よりも敏感だ。

 ましてや、彼らが殺意を剥き出しにするような場では如何か。


 竜領への大侵攻時、藩国側秘蔵の勇猛果敢な鉄鋼騎馬軍が、本気になった竜を前に算を乱し、それがかえって被害を増やしたのは有名な話だ。


 それ以降、人竜間のこの永き闘争において、騎馬隊というものは用いられていない。せいぜい物資を輸送する程度の運用しかできずにいる。


 ――もっと使い方があるようにも思えるが……竜たちの自尊心も傷つけず、機動力を発揮させられるような。


 とは星舟もまた考えていることだが、明確な答えを出せずにいるし、実践する機がそれほど多くない。

 この乗馬も趣味という以上に、そうした思索を巡らせられる貴重な場でもある。


 今日は、見事にそれが潰されたが。


「……ときに改めてお尋ねしますが、姫様は何故このような場に」

「うん、ちょっと散策にね。それと思い出めぐりかな」

「思い出?」

「ほらこの場所、覚えてない?」

「……あぁ」

 追憶とともに、星舟は重い声をあげた。


 五、六年ほど前、アルジュナとシャロンの親子仲が険悪になった時期があった。

 何が原因かはわからなかったが日夜口論を繰り広げ、この箱入り娘が家出をすること数知れず。あの温厚なアルジュナが星舟に八つ当たりのように厳しく当たったのだから、それは当事者間ではよほど相容れない確執だったのだろう。


 落ち着いた頃、興味本位でその原因を聞いたことがあるが、シャロンはぐっと唇を噛んで、目を真っ赤にして視線をさまよわせた後、

「女の子にはいろいろあるのですよ」

 とお茶を濁しただけだった。

 ちょうどこの頃、彼女の縁談が持ち上がっていたから、その関連だと目星はつくが。


 そんな連日の喧嘩のたび、逃げるように駆け込んだのが、そして追いついた自分がなだめすかしたのが、この草原だった。


 ーーそこまでなら、よくある家族ゲンカなんだけどな。




 だが、彼女は弾けた。




 貴族の装いを脱ぎ捨てた彼女は黒の軍服を着合わせ、その背や袖裾に古代の龍の姿を独特の金刺繍として編み込み、日夜大刀や木刀の類をかついで街を練り歩いた。


 そして『救星血盟会』だとか『覇天侠友連合』だとかいう徒党を組んで市井に繰り出し、似たような放蕩無頼の集団と衝突することもしばしばあった。


 ジオグゥを見出し、召抱えることになったのもちょうどその頃である。


「……懐かしゅうございます。お嬢様と契りを交わしたのも、ちょうどこの原での、昼夜を通しての決闘でしたね。あの時、自分はお嬢様の腕っぷしと器のデカさに惚れ込んで……ではなく、文武の才気と寛容な御心に惹かれて、ついていこうと決めたのです」

 当時の記憶がよみがえるのか、ジオグゥのふてぶてしい面構えに、わずかにだが朱が差した。


「もぉー、やめてよ〜。今になるとちょっぴり恥ずかしい思い出なんだからぁ」

 対するシャロンも同じく赤面し、はにかんで見せた。


 が、今の話の内容に乙女が恥じらう要素など、何一つ、万に一つ、欠片さえも見当たらない。


 ――武侠の講談話じゃねぇんだぞ。

 声に出して呆れたくなる一方で、ジオグゥの戦闘力に舌を巻く。


 無論、当時のシャロンとて加減がしただろうが、それでも荒んでいた頃のシャロンと渡り合うとは。とても混血の獣竜とは思えない。


「昔から、珍しもの好きでしたね。姫様は」

 当時の記憶が親しみとともに帰ってきた、という体で、星舟は語を和らげた。

 その隻眼は、侍女へと向けられていた。

「えぇまったく、中には毒虫の類まで」

 ジオグゥは、隻眼の将を睨み返した。


 ハハハ、と星舟は豪快に笑う。

 フフフ、とジオグゥは眉ひとつ動かさず、真顔のまま笑声だけをあげた。

 だが内心では、互いの影を殴り合っていたことだろう。


「もう! そこまでヤンチャじゃないってば!」

 知らぬは飼い主ばかりである。


「それに、私だって無差別に拾ってるわけじゃありません」


 たしかに。星舟はその一点に関してだけは、声にせず同意した。

 彼女はなにも憐憫の情や物珍しさから拾ってきたものを愛玩しているわけではない。


 たとえそれが路傍で見つけた犬猫であっても、妙に学習能力が高かったり、あるいは人になついたりして、三日もあれば芸を覚えることさえある。すなわち、才の萌芽を見つけ、育てることが異様に上手いのである。

 しかも本人が特別何を教育したわけではなく、自然と周囲に彼らがそうなる土壌が出来上がってくるのである。

 単純な戦闘力において真竜種と渡り合うジオグゥにせよ、不具の人間でありながら異例の出世を遂げた星舟にせよ、そうやって生まれた異才の人物には違いない。


 ――そこが気に食わねぇ。

 嫉妬やおぞましさから、星舟は素直に毒づいた。

 彼女の仁徳がそうさせるのか、あるいはそういうものを引き付ける独特の空気を醸しているのか。


 ――あるいは。

 と、『ライデン』をそれとなく見る。

 人に乗られることを好み、かつ竜をそれほど恐れない悍馬。

 シャロンが見出すまでもなく、そこかしこで、そうした変異の種が生まれつつあるのか。

 今この瞬間にも……そして、おそらくは人の中にも。


 ――まぁ、さすがに真竜種を真っ向から殺せるような人間は出てこないだろうがな。

 自分とて、まだその領域には至っていない。まだまだ力が足りない。

 それ以上に、そんなことはあってはならない。そんな生物は、有り得てはならないのだ。自分の描くこの天下の図において。


 星舟は苦笑しながら妄想を振り払う。

 血の臭いがするような昔話に花を咲かす女子ふたりに、ある程度の距離を持ちながら改めて加わったのだった。

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