第七十五話 鬼殺し

 へぇ、あんた、将棋指しなのかい?

 なんだ、なんだ。

 てっきりそんな綺麗な面してるもんだから、この当たりの芝居小屋に出入りする新米役者かと見間違えちまったじゃねぇか。


 え、天野宗歩の弟子だって? 


 ああ、その将棋指しの名前なら、こんな俺でも聞いたことがある。

 確か鴨川を流れる船上で将棋を指したっていう、大層風変わりな奴じゃあなかったかい?

 そんときゃあ、この京の町でもずいぶん評判になったもんだ。


 へぇー、あんたはその弟子なのか。そりゃあ大したもんじゃねぇか。

 まったく人ってのは見かけによらないもんだね。


 まぁ、いいや。

 それよりちょっと、俺の売り物でも見ていってくれよ。


 え、俺かい? 

 俺は、まぁ流れの絵師って奴だね。

 こうして全国各地を色々と見てまわっては、日がな一日つまらない絵を描いていやがる。

 それをちょこちょこと売り捌いて、なんとか小銭を稼いでいるってぇわけさ。

 てめぇで言うのもなんだが、まったくどうしようもない男だね。


 へ、俺の生まれ? ああ訛りが上方じゃないって?

 でもあんた、そんなの聞いて一体どうすんだ? 


 まぁいいか。

 俺の故郷は、東国の武州だよ。

 けどずいぶん昔に離れちまったけどな。

 いやさ、俺はな、水呑みの倅なんだ。

 口減らしにと幼いうちに江戸の職人の所へ奉公に出されちまったのさ。

 まぁそこまでは良かったものの、ろくすっぽ仕事ができねぇもんだからよ、あっさりとそこを追い出されちまった。


 あんときゃ、本当に辛かったなぁ。


 実家に帰るわけにもいかず、さんざん路頭に迷った挙句、その果てにはとうとう食い詰めちまったんだからよぉ。

 そのまま飢えてどうしようもないから、道端でお天道様見上げながら倒れ込んでたんだよ。


 そんときだった――


 道端にしゃがみ込んで、俺の姿を真剣に描いている変な男と出会っちまったんだ。

 なぁ、分かるかい? 死にかけている俺をだよ。


 そう。


 それが、俺の師匠だったのさ――


 後で知ったんだがよ、師匠は俺がそのままおっんで、死体から人魂が抜け出す瞬間をどうにか描き留めたかったらしい。


 まったく、正気の沙汰じゃねぇってもんよ。


 あん? それでも出会っちまったもんはしょうがねぇだろう?


 うんうん、そうだよな。わかるよなぁ。

 お互いに変な師匠を持つと苦労するぜ、まったく。


 ああ、なんでだろうな。


 あんたとはずいぶんと馬が合いそうな気がする。


 まぁすったもんだあって、今はこうして師匠の真似事よろしく、諸国を風来坊してるってぇ寸法なのさ。


 いや、でも俺はね。


 てめぇのこの仕事がさ、ずいぶんと気に入ってはいるんだよ。


 本当さ。


 いや、本当なんだって。


 なにせ俺の絵はよ、自慢の師匠譲りで他とは一味も二味も違うのさ。

 それに俺なりの拘りってもんだってあるんだぜ。


 え? 具体的にどの辺りがって?


 そうだなぁ。

 平たく言うと、俺はあんまり流行はやらねぇもんをやるんだよ。


 だからどんなもんだって?


 まぁ、そう急くない。


 地べたに並べてる絵を見りゃ、一目でわかるからさ。


 俺はな――


 化け物が――三度の飯よりも、大好きなんだよ。


 ふふふ。


 ふふふふ。


 うん、これかい?


 これは見た通りの天狗だ。

 鞍馬にも随分わんさかといるだろうに?


 ああ、そっちか? それはさとりだな。

 飛騨山中に住まう猿の化け物だ。

 この怪異はな、人の心の声を勝手に盗み取るんだよ。

 出会った者は、うん、まぁ十中八九と殺される。


 あ、そうだ。


 ここでこうしてあんたと出会ったのも何かの縁かもしれねぇ。

 こっちはなんだかいい塩梅で、新作が描けそうな気がしてきたぜ。


 なぁ。


 今ここで即興で描くからよぉ、ひとつそれを見守っててはくれねぇかい?

 なぁに、今日はとんと客もつかねぇし、ほとんど諦めていたところだ。


 何ぃ、先を急ぐだとぉ?


 まぁまぁ、じゃあ手短に描くからさ。

 いや、銭なんかいらねぇよ。

 気に入ったなら感想の一つでも言ってくれりゃあ、それでいいんだよ。


 なぁ、頼むよ。


 お、いいのかい? いや、こりゃありがてぇ!


 じゃあ、ちょいと準備するからそこで座って待ってなよ。


 ゴソゴソ、ゴソゴソ。


 えー、コホン。


 あんたさ。


 「朱天童子」という鬼を――聞いたことがあるかい?


 なに、知らねぇだと。結構有名な化け物なんだが。

 その昔、この京の都の外れにある山中にその鬼は住んでいたそうだ。

 

 この朱天童子って奴だがな。


 見た目はその名のとおり、全身真っ赤っかの邪悪な鬼そのもの。

 頭から角が二本にょきにょきと生え、引き裂かれたその大きい口元からは鋭い牙がぐいっと剥き出していたそうさ。

 その手には棘付きの金棒を握りしめて、易々とぶんぶん振り回したんだとよ。

 なんでも討伐に来た武人どもを木っ端微塵にしちまうくらい、滅茶苦茶に強かったらしいぜ。


 なんとも大層恐ろしい姿じゃねぇか。


 ぶるぶる。


 想像するだけで少ない頭も毛がよだつし、身も縮み上がるような気分だぜ。


 さて、この朱天童子。

 果たしてこいつがどこからどうしてやってきたのか、実は皆目検討がつかねぇ。

 一説では北国の生まれなんて伝承もあるそうだが、今一つはっきりとしないのさ。

 いや俺はな、実は諸国を遍歴しながら絵の題材のために、こうして各地のいろんな怪異や奇譚を収集して回っているんだよ。

 鬼は朱天童子だけじゃねぇ、他にも色々といるんだぜ。


 だけど俺にはな――


 鬼が結局何なのか――良く分からないんだよ。


 どうもこの「鬼」って奴の正体が未だに良く見えてこないんだ。


 ああ?


 角が生えていて、金棒持ってるこれのことかい?


 ああそうだよ。確かにこれも鬼には違いねぇ。


 だがな、これは鬼の虚ろの一つに過ぎねぇのさ。


 そうだな。鬼の正体って奴は――恐らく。


 うんいや、やっぱり分からねぇ。


 なぁ――


 あんたは、鬼っていったい何なんだと思う?


 うん、そう。分からないよねぇ。


 だからなのかな。


 いや、だからこその朱天童子なのさ。


 つまりな、俺はこの朱天童子の正体をまずは一つ突き止めてみることにした。

 それをこの紙の上に見事に描いてみたいのさ。


 そうすることで、鬼ってもんの本当の意味が初めて分かるような気がするんだよ。


 ああすまねぇ。話が思いっきり余所へ逸れちまった。


 ええと、朱天の奴はな、気づいた時には京から離れた山に立派な根城を構えていて、そこから色々と人々に悪さをしたらしいぜ。


 だがよ、朱天童子は剛力だけのしょうもない鬼なんかじゃねぇぞ。

 それはそれはずいぶんと頭の切れる、大層利口な奴だったのさ。

 相手が多勢に無勢と一度分かれば、その姿を煙みたくどろんと消しやがる。

 そのまま行方をくらましちまった奴はな。

 若い女の姿に変化して、大将の寝床に夜もすがら、ひっそりとばかりに訪れる。

 美しい女にすっかり機嫌を良くした大将は、そのまま上手い具合に騙されて、しっぽりよろしく同衾するのさ。


 そして、その隙に――


 ズバっ!


 寝首を掻いちまう。


 へへっ。


 へへへっ。


 それにな、朱天童子には大勢の仲間もいたんだぜ。

 配下の鬼たちもそれはそれで大層強かったそうだ。

 特に腹心の茨木童子は、頭目の朱天童子ですら一目置くほどの実力者だったらしい。他にも四天王と呼ばれた熊童子、虎熊童子、星熊童子、金熊童子なんて豪傑まで揃っていたもんだから、ちょっとやそっとじゃ手は出せねぇ。


 ひょっとしたら、朱天童子たちの棲み家ってのは、鬼の村みたいになっていたのかもしれねぇなぁ。


 だがな、朱天童子は、調子に乗り過ぎちまった。

 超えてはならない一線を踏み越えちまったんだよ。

 配下の連中たちと一緒になって、麓の村へと押し入っちまったんだ。

 逃げ惑う人々を無残に殺しては、その食料と酒を容赦なく奪い取った

 挙句の果てには、とうとう若い娘まで掻っ攫っちまう始末さ。


 ここだけの話だがよ。


 なんと悪鬼どもはな、娘の肉を生きたまま喰らい、その生臭い血を美味そうに啜り飲んだらしいぜ。


 おお、なんて恐ろしいんだ。


 ああ、ああ――


 どうやらいい頃合いに描けてきたよ。


 へへぇ、こりゃああんたのおかげかもしれねぇなぁ。


 まったくたまらねぇよ。


 そうそう、そんなある日のことだった。


 朱天討つべし――


 とうとう痺れを切らした都の天子様が、朱天童子討伐を本格的に命じることになったのさ。


 この勅命を受けたのが、かの有名な武人、源頼光みなもとのらいこう様。


 なぁ。さすがのあんただって、この御方の名ぐらいは知っているだろう?


 そうそう、この頼光って人はよ、とにかく化け物退治で高名な方だった。

 

 ほら、この浮世絵を見ろよ。


 そう、土蜘蛛だよ。


 こいつを退治する物語なんてぇのは、ここら辺でも相当に有名なはずだ。

 なにせ、師匠のこの浮世絵、結構あちこちで出回っているからなぁ。


 さてそんな頼光の配下にはな、これまた「四天王」と呼ばれる猛者どもがいたんだよ。


 あんた、全員の名を言えるかい?


 ふふふ、そうそう。


 渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武だな。

 皆それぞれが一騎当千の強者なのさ。


 鬼だけを殺すという名刀「鬼切丸」。

 それを片手に持った源頼光と配下の四天王たち。


 そんな頼光一行たちが、山伏の姿になって朱天童子の住まう山の麓までとうとうやってきた――


 ううん!?


 げげ、あいつら……。


 ああ、まずい、町奉行所の連中だ。


 いやなに、ここらでお上の許しなく商いしている連中をな、ああしてひっ捕らえに来るんだよ。


 あ? 許可状かい?


 勿論、そんなもん持ってねぇよ。


 残念至極だが、ここらでひとまずお別れだな。

 あん、この鬼の絵はどうするのかって?

 そうだなぁ、中途半端だけどよかったらあんたにやるよ。

 これも何かの縁。またどこかで再会するかもしれねぇな。

 それまであんたにこれ、預けとくわ。


 うん? なんだ、まだ用があるのか?


 なに? 結局朱天童子はどうなったかだって?


 なんだい、嫌にその話に食い下がるじゃねぇか。


 なんだと? 遠い山の祠に封印された?


 いやいや、それは全然ちがうぜ。


 朱天はな――


 頼光の名刀「鬼切丸」でばっさりとその首がぶっ飛んじまったのさぁ。


 ふふ、いい気味さね。


 ……だがよ、俺はこうも思うんだ。


 たしかに鬼って奴ぁよ。

 退治されたり、懲らしめられたりと大層嫌われ役が多いのってのが相場だよな。


 けれどな、ひょっとしたらなんだがな。

 

 朱天童子も他の鬼たちも――


 行き場がなかっただけの憐れな奴らだったんじゃねぇか、って思うんだよな。


 そうだよ。あの時の俺みたいにな……。


 うん? 緋鬼姫ひおにひめ


 なんだそりゃ。


 そんな鬼の名は――これまで全く聞いたことがねぇな。


 ああ! やべぇ奉行所の奴らがこっち来やがったよ。 


 じゃあな、俺の絵、見てくれてありがとよぉ!


 またどこかでな!


              (渡瀬荘次郎調べ 京四条河原於 名もなき絵師)

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