第六十七話 備中倉敷へ

 ――壱――

 天保七年(1836年)八月十九日。

 天野宗歩と市川太郎松の阿波出立の日である。

 二人は備中倉敷へと向かうべく船に乗るために、宿場の脇町から撫養むや港を目指すことにした。

 そんな彼女たちの旅立ちを見送ろうと、町の入口の門前はすでに多くの人々でごった返していた。


「天野先生! 僕、大きくなったら必ず先生のところに会いに行きます。だからその時は、弟子にしてください!」

 

 人だかりの中からぱっと飛び出してきた一人の少年。

 脇町にある旅籠の息子、小野五平であった。

 彼はその小さな目を潤ませながら、いじらしくも宗歩の着物の袖を掴みとる。


「うん、いつでも待っているからね。お父上の言いつけをよく聞いて、辛くても稽古を続けるんだよ」


 宗歩にしても、この才能溢れる少年の将来は、実に楽しみであった。

 小野五平はこの邂逅を頼りに、晩年京に住んでいた天野宗歩の元を訪ねている。

 明治の世になり彼は、天野宗歩がなし得なかった史上初の将棋家以外の「名人」に就くことになる。

 第十二世名人、小野五平の誕生である。

 小野名人は、いざという対局の時には必ず真紅の衣袴を身に着けて、勝負に挑んだと言い伝えられている。

 

 見送りにやってきた人々の中には、四宮金吾と他の徳島藩士の姿も見えた。

 徳島藩にとって天野宗歩は、お抱えの将棋指しに打ち勝った憎っくき江戸の将棋師であった。

 だが、宗歩は出立の日ぎりぎりまで指導対局に精を出す。

 そんな彼女のひたむきな姿勢に打たれて、徳島藩士たちも好意を抱くようになっていた。

 昨晩などは、宗歩と太郎松のためにわざわざ送別会まで開いてくれたほどだった。

 その際に彼が披露した秘伝の「阿波踊り」は、宗歩にとっても一生忘れられない思い出になったという。


「皆さん。これまで色々とお世話になりました。金吾さん、いつかまた会いましょう」

「うむ、少々寂しくなるな。だが、またどこかで一戦交えようではないか」


 金吾の惜別の言葉に、宗歩はどこか名残惜しそうな表情で頷きながらそう言った。


 その時である。

 宗歩が立っていた場所から少しばかり離れた人だかりの中で、一人の男が見物人に声をかけていた。


「あい、すまぬ。将棋家の天野宗歩殿はいずこか? すでに旅立たれたのか?」

「なんだい、あんたは? 天野先生ならあすこにいるよ。なんでも今から、備中倉敷に向かって旅立たれるそうだよ。惜しい話だねぇ」

「そうか良かった。なら、なんとか間に合ったか」


 男の腰には二本の刀が携えられていた。

 どうやら彼は武士であるらしかった。


「すまぬ。皆どいてくれ。もし、天野宗歩殿ですかな?」


 その男が宗歩に近づいていき、突然のように声をかけた。

 宗歩の正面に立っていた金吾と脇に控えていた太郎松が、その見慣れぬ男に警戒を見せた。


「は、はい、そうです。何かご用でしょうか?」

「ああ、かたじけない。拙者は三宅と申す」

「三宅さま?」

「いきなり不躾でかたじけない。大坂にいる大塩平八郎の遠縁に当たる者だ」


 突然、見知らぬ男の口から思わぬ人物の名前が飛び出して、宗歩は目を丸くした。

 大塩平八郎。

 大坂天満で私塾を開き、そこで陽明学という学問を教える一人の学者の名であった。

 宗歩が大坂に滞在していた頃、数多くの薫陶を受けた大恩人でもある。


「えと、あの、洗心洞の大塩先生のことですか……?」

「ああ、そうだ。平八郎の祖父はこの阿波脇町の生まれでな。幼い頃に故あって大坂大塩家の養子になったのだ。拙者はその親戚筋に当たる」

「ああ、そうだったのですか……。大塩先生の祖父がこの脇町の生まれだったなんて……。なんともすごい偶然なんですね。でもそれで?」

 

 三宅と名乗った男は、沈痛な面持ちで低い声を発した。


「天野宗歩殿。あなたのお力で、あの大塩平八郎を止めてやってはくれないだろうか?」


 ――弐――

 撫養港から船が出る時間が迫っており、出立まで残り少ない時間ではあった。

 が、宗歩は急遽近くの飯屋の奥座敷を借りることにする。

 三宅と名乗る男のただならぬ様子に、宗歩は言いようのない危機を感じ取ったからだ。

 徳島藩士からの依頼ということだったので、四宮金吾にもその席に一応同席してもらうことにした。


「大坂西町奉行の矢部様が先月江戸へと旅立たれた。そもそもの発端はそこにある」


 飯屋の座席に座るや否や、三宅は宗歩に向かって話を切り出した。

 彼の話は、要するにこうだった。

 数年前からの飢饉のせいで、大坂でも深刻な米不足が発生していた。

 特にこの半年間の米不足は予想以上にひどいもので、周辺の農村では飢餓者が発生しているそうだ。

 この悲惨な現状に元与力であり、私塾洗心洞の塾頭でもある大塩平八郎は嘆いた。

 さっそく大坂西町奉行の矢部定謙やべさだのりに飢饉対策の建議を行ったらしい。

 大塩の見立てによれば、米不足の原因は天候不順による飢饉にあるわけではない。

 米商人が米の価格を吊り上げようと、堂島の蔵に大量の米俵を隠していることがその理由という推理だった。

 そこには、商人だけでなく武家も多く関与している。

 大塩は町奉行に、彼奴らを一掃し米蔵の米を庶民に開放するよう建議したのだ。

 西町奉行の矢部も一理ありと見て、手を打とうとしたその矢先。


 矢部が不意に江戸への帰還を命じられたのだった。


 勘定奉行への栄達の昇進である。

 だが、交代すべき新任の町奉行が決まらないままの突然の辞令。

 何か不穏な影を感じた大塩平八郎にとって、残す手段はあと一つ。


 大坂東町奉行、跡部良弼あとべよしすけ


 新任の町奉行が江戸から大坂に到着するまで、東町奉行の跡部が大坂の治安を取り仕切る。

 

 この跡部という男、老中水野忠邦の実弟であった。


 矢部なきあと、大塩は東町奉行の跡部にも度重なる建議を行った。

 だが跡部はこれを無視するばかりか、裏で商人から融通した米を江戸へ送り届けていた。

 老中である実兄の機嫌を取ることに腐心していたのだ。

 大塩としてはもはや官吏に頼ること叶わず、自らの手で目の前の飢え続ける者に施米を行うほかなかった。

 ついてはその資金援助を、遠縁の阿波三宅家に融通できないかと頼ってきた。

 大塩家と阿波三宅家は四代にわたって親戚付き合いをしてきた昵懇の仲。

 大塩自身も私物の蔵書数百冊を既に手放したらしく、事態が急を要することを物語っていた。

 

「そんな……、確かに私が大坂にいたときも米は不足気味でしたが……、この半年でそこまでひどくなっていたとは……」


 宗歩は、三宅の話を聞いてひどく沈鬱な気持ちになった。

 小林家の皆は果たして大丈夫なのだろうかと、とても心配になってくる。

 

「うむ。昨年から今年にかけて記録的な不作だったからな、なんとかぎりぎり均衡していた状況がここにきて一気に悪化したらしい。噂では奥州はすでに地獄絵図と化しているそうだ」


 数十年前の天明期に起こったという大飢饉――

 貧しい東北地方では、実際に人が人を食うほどの悲惨な状況が見られたと聞く。

 宗歩が江戸を出た三年前から、諸国を旅して少しずつ感じてきた大飢饉の予兆。

 それがここに来てとうとう現実になったのだ。


 大坂は「天下の台所」、諸国の物資が集中する町。

 集まった米を米問屋が抱え込んでいるとなれば、周辺への影響も甚大だった。

 

「大塩先生は、私財を投げ打ってでも施米をされようと?」

「ああ、そうだ。それが大塩平八郎という男だからな」

「果たしてそれで解決されるのでしょうか?」

「大塩の私財で用意できる米などたかが知れている。だが、平八郎の真意はそこにない」

「では一体どこに?」

「自分が先陣を切ることで、大坂城代やその配下の町奉行、かつての同僚であった与力、同心達が義によって立ち上がることを彼は願っているのだろう」


 知行合一 

 

 厳格な陽明学を研究する大塩先生らしい振る舞いだなと、宗歩は感じ入った。

 教義が記された書物を私塾で紐解くだけでなく、率先垂範して行動に移す。

 これこそが大塩流の学問なのだろう。


「もしも……それでも……、大塩先生の後に彼らが立ち上がろうとしなかったら……?」

「……分からない」

「そんな……」

「だが、あの男は正義感の塊のようだが、ひどく強情な男でもあったように思う」


 三宅がまだ幼かった頃、一度だけ青年の大塩平八郎を見たという。

 当主として大塩家を継ぐに当たり、祖先の故郷である阿波を一目見ておきたいというのがその理由だった。

 高い理想を掲げた新人与力として、人生を歩み始めていた青年大塩平八郎。

 当時少年の三宅にもその理想を熱く語っていたらしい。

 三宅は今でも当時のことを鮮烈に覚えていた。


「与力時代も自分の上司の不正を暴くほどに厳格な男だったと聞く。このままでは一体何をしでかすか分からないのだ」

「何って、何をです?」

「うむ……。大塩平八郎という男には、言葉ではうまく言えないが周囲の人を感じさせる何かがある」

「人を感じさせる何か……?」

「今ならば、それが良く分かる。天野宗歩殿、お主にも同じものが感じ取れたからだ」

「わ、私にもですか……」

「拙者もお主とこの四宮金吾との対局を見た。対局を通して大勢の人々を引き付けるあなたは、大塩平八郎と似ているかもしれない」


 確かに天野宗歩には、将棋の才能だけでなく人を引き付ける魅力があった。

 しかもその魅力は身分を問わない。

 三宅によれば、大塩平八郎もまた多数の門人を抱え、ひとたび彼と言を交わせばその魅力の虜になってしまうらしい。

 元与力とはいえ今は役人ですらない在野の一学者が、町奉行に直接建議できていること自体、厳しい武家社会においてそもそも有り得ないことだった。


「……わかりました。でも私は一介の将棋指しです。大塩先生のような学者に向かって説得などできないとは思いますが……」

「いや、そんなことはない。平八郎はお主のことを相当に買っていた。その証拠に先日届いたあの男からの文にも、ほら、お主がこの脇町に来ることが記されている」

「そ、そうなのですか?」

「ああ、稀代の天才児とまで評している」


 三宅は、その文から大塩平八郎の只ならぬ覚悟を感じ取り、偶然にも脇町にやって来た天野宗歩に会うことを決めた。

 そして、三宅は宗歩を実際に一目見て、ひょっとしてこの者ならばあの大塩平八郎を食い止められるかもしれないと直感するに至る。


「わかりました。私にできることがあれば何でもおっしゃってください」

「なにもあの男を説き伏せてくれとは言わぬ。むしろ論法では絶対に勝てないだろう。なにせ天下の大坂町奉行をいとも簡単に論破するほどの男だからな」


 将棋で言えば、名人級の論客ということだった。


「せめてこれを、あの男に渡してやって欲しいのだ」


 三宅が宗歩に小さな木片を一つ手渡した。


「これは……、将棋の駒ですか?」

「ああ、そうだ。かつてあの男が阿波にやって来たとき、拙者に預けていったままのものだ。なんでも大坂の有名な駒師の駒らしい」

「これは……『酔象』駒ですね」


 中将棋の駒だろうか。

 それとも……。


「そうだ。よく知っているな。そしてその裏は、『太子』だ」

「王将の代わりとなる駒……。一体なぜこれを?」

「わからん。だが、なぜかわからないが、拙者はこれをあの男に今返さなければならないように思うのだ」


 その時、今までじっと黙って聞いていた四宮金吾の口が開く。


「酔象は文字通り酒に酔って暴れる象を意味する。だが、もともとは仏教で凶悪な心の喩えだったそうだ」

「凶悪な心……ですか」

「ああ、自分の心の中にある凶暴性を押さえ込める者だけが、聖人君子の道を歩むという『太子』へと成れる。陽明学の教えには『致良知ちりょうち』と言う言葉がある」

「ち、致良知?」

「孟子曰く、学ばずして能くするところのものは良能なり、おもんばからずして知るものは良知なり。人本来が生まれながらにして持つとされるこの良知を、生まれた後に実践や体験を通じて知ることを致良知という」

「へぇー。金吾さんて何でも知ってるんですね! すごいわ!」

「これぐらいのこと、将棋指しならば当然だぞ」

「ねぇ、当然だって! 太郎松!」

「なんで俺に振るんだよ!」

「まぁ、お前たちよりも無駄に長くは生きているからな。陽明学を志す大塩殿が子供に酔象駒を渡したその心としては、とどのつまりは『自分が正しいと思うことをしっかりやり遂げなさい』というぐらいのこと、だったのだろうな」


 金吾の解釈を聞いて、三宅もようやく納得する。


「なるほどな……。ならばなおさら、この酔象駒を平八郎に渡してやって欲しい。『太子』を目指したはずのあの男は今、ただ凶暴なだけの『酔象』に堕ちようとしているのかもしれない」

「わかりました」


 宗歩がそう返事して、太郎松の方を向いた。


「なぁ、太郎松。私は備中倉敷に向かった後、いったん大坂に戻ろうと思う」

「ああ、その方がいいな。将棋ならいつでも指せる。何か取り返しのつかないことでも起きたら、どうしようもねぇしな。」


 四宮金吾がまた口を挟んだ。


「そういえば、お主たちはこれから備中へ向かうのだったな」

「は、はいそうですが、それが何か?」

「これも何かの奇縁かもしれんな。そもそも備中とは三備の国の一つだ。三備とはすなわち備前、備中、備後を指す。わかるな?」

「は、はい……」


 博覧強記の四宮金吾に、二人とも、もはや開いた口が塞がらない。


「この備とは吉備国の由来だ。吉備とは、つまり奈良王朝の吉備真備大臣。彼の祖先が建国したことにその端を発している」

「き、吉備真備……ですか? 誰ですかそれ?」

「何だ、お主たちは、そんなことも知らんのか?」

「す、すみません! 駄目じゃないの太郎松、ちゃんと勉強しなきゃ!」

「だから、なんで俺なんだよ!?」

「はるか昔に遣唐使として船で大陸に渡ったという偉い方だ」

「遣唐使……」


 宗歩と太郎松に向かって、四宮金吾がコホンと咳ばらいを一つ。


 そして――


「遠く離れた唐の国から、この日本に将棋を初めてもたらした御方だぞ。そのときこの酔象駒も持ち込まれたのだろうな」


 たった今、「酔象」駒を中心に天野宗歩と大塩平八郎の運命が重なりあった。


 将棋を日本に伝えたという吉備真備。

 彼が建国したという備中で、天野宗歩は一体何を見出すのだろうか。


 大坂市中の五分の一を焼失させたという、江戸史上空前の大事件。

 

 世に言う「大塩平八郎の乱」――


 その勃発の時まで、後半年のことであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る