第四十九話 荒指しの恋

 将軍徳川家治の死から七年後の寛政五年(1793)一月。

 この間にも将棋家の情勢は様変わりしていた。


 大橋本家では、当主の九代大橋宗桂が八世名人に就いた。

 名人不在となってから二十七年ぶりの悲願がとうとう成就したのだ。


 大橋分家は、大橋宗英が八段へと昇段し、次期名人候補者として将棋界の期待を一身に集めていた。


 伊藤家は、体調を崩していた当主の五代伊藤宗印が隠居し、二十台半ばにして「荒指し」伊藤宗看がその当主の座を継いでいた。


 特に分家の宗英と伊藤家の宗看は、次世代を担う二人として世間の耳目を一挙に集めており、毎年の御城将棋でも熱戦が見られた。

 そんな順風満帆な将棋人生を送っているように見えた二人だったが、実はそれぞれ人には言えない悩みを抱えていたのだ。


 まず大橋宗英の悩みは、九歳になる嫡男の大橋宗与の存在だった。

 宗与は、幼少の頃から将棋よりも絵巻物や黄表紙など物語に興味を持つようになり、将棋家の定例会でもかんばしい成績を残せないでいた。


「父上、私はたしかに将棋よりも書物を書くほうが達者です。ですが尊敬する父上の子として、将来は立派な将棋師になりたいのです」


 宗与は、健気にも父の期待に応えようとしていた。

 冷静沈着で常に何事も理詰め考える宗英は、息子にこう言い放つ。


「宗与よ。書物を書くほうが好きなのならば、戯作者にでも書道家にでもなれば良いではないか」


 宗英にとっては至極当たり前のことを言ったまでだった。

 そもそも宗英は分家の庶子。

 本来ならば将棋家に関わることなどその人生において予定されていなかった。

 ところが宗英は、奉公先で子守をほったらかしにして将棋ばかり指すほどの天然物の将棋大好き少年。

 何度注意しても聞く耳を持たない宗英に、とうとう親の方がさじを投げた。

 将棋家に相談してみたところ、あれよあれよと気づけば名人候補にまで上り詰めていたのである。

 要するに宗英は、「天然の才人」だったのだ。


 ——好きなことを好きなだけすれば、それでよいではないか。


 そんな宗英とは違って宗与の悩みは単純でなかった。

 将棋家の嫡男に生まれたにも関わらず、才能に恵まれなかった自分を責めている。

 宗与からしてみれば、父宗英の言葉が、

 ——お前の代わりなら養子でもなんでもいくらでもいる。だから好きにすればよい。

 と冷たく突き放されたように聞こえていたのだ。


 庶子に生まれた天才児の宗英と将棋家嫡子に生まれた凡人宗与とでは、そもそもの考え方の根底から違っていたのかもしれない。

 「鬼宗英」の評判が世間で上がれば上がるほど、宗与にとってそれがますます重荷になる。


 そんな宗与少年の心の支えになってくれたのが、意外にも伊藤家「荒差し」宗看だった。

 実は宗看は、隠居した五代伊藤宗印の養子である。

 本名は松田印嘉まつだいんか。名門旗本の次男坊だった。

 当時の旗本や御家人の次男坊というのは、ある意味辛い立場に置かれていた。

 長男と違って、家督を継ぐことが期待されていない。

 そのくせに長男に大事あったときは、その受け皿と成らねばならない。


 宗看はそんな茫漠ぼうばくとした人生に嫌気がさし、九歳で将棋家に勢い飛び込んだのだ。

 だが、実力本位を家風とする伊藤家の修行は血反吐を吐くほどの厳しさだった。

 入門初日に旗本出身という事実が、ここでは毛ほどの役にも立たないことを身に沁みさせられた。

 伊藤家では将棋が強い者だけが、その存在意義を認められる。

 家紋や血筋は建前に過ぎず、実力こそすべてだった。

 食事の内容や風呂の順番、寝る場所、そのほかにも生活のあらゆることが、将棋家での段位、成績に準じて定められたのだ。


 立派で大きなお屋敷の中でぬくぬくと育ってきお坊ちゃまが、身分も出自も分からない門弟小僧たちと一緒に雑魚寝をして暮らすのだ。

 稽古場の隣にある狭くて不潔な座敷牢のような共同宿舎は、壁がぼろぼろで冷たい隙間風が容赦なく吹き付けてくる。

 それでも宗看は歯を食いしばって奮闘する。

 日が昇っているうちは将棋盤から一日離れることなく考えた。

 日が暮れて将棋盤が見えなくなると、今度は頭の中に盤を思い浮かべて必死に考え続けた。

 月明かりの夜、縁側で月光を頼りに詰め物を解いているときなど、ふと実家の母を思い出して涙がぽろぽろこぼれ落ちてきたこともあった。


 だがそれでも宗看は、ぼろぼろになった袖を噛みしめながら、詰め物を執念で解き続けた。

 なぜか。

 宗看は旗本御家人の次男や三男をずっと見続けてきたからだ。

 生きる目的を見失い、博徒のように成り下がった男達。

 いつかでかいことをするとうそぶききながら、周りから疎んじられて腐っていく人生。

 

(俺はあんな風には絶対になりたくない。俺は武士の子なんだ。主君のために戦場で戦って武勲を上げ、最後は刀折れ矢が尽きて死にたいのだ……)


 宗看は、己の才能の有無について悩む暇もないくらいに努力し続けた。

 才能があるかどうかなんてどうでもよかったのだ。

 破門されたらいっそ武士らしく腹切って死のうと覚悟すらしていた

 その結果、念願の初段入品を遂げ、共同宿舎から屋敷住みの門弟に昇格する。

 そして僅か十七歳で御城将棋に出仕するほどの著しい成長を遂げたのだ。

 持ち前の無鉄砲な性格と武門としての潔さが、彼の棋風を作りあげる。


 人はそれを「荒指し」と呼ぶ。


 こうして五代伊藤宗印は、自分の嫡子を廃嫡させてまで「荒指し」宗看に跡目を継がせることになる。


 そんな宗看にとって、分家のお坊ちゃま大橋宗与は当初からいけ好かない奴だった。

 ある日のこと、宗看は大橋宗英から「息子を伊藤家で鍛えてやって欲しい」と依頼された。

 分家は門人も絶対数が少ないため、こうして本家や伊藤家に出稽古に来ることがたびたびあった。

 おそらく宗英が「鍛えてやって欲しい」と宗看に頼んだのは将棋だけだったように思われる。


 だが、そんなことはお構いなしだ。

 そもそも将棋の棋風は、本人の気性から生まれるもの。

 だから、宗看はまず拳で宗与の根性を矯正してやることにした。

 このあたりが「荒指し」たるゆえんであり、伊藤家流とでも言うのだろうか。


 もちろん、初日から鉄拳制裁の嵐だ。

 宗看に思い切りぶん殴られた宗与は、意味が分からずに目を白黒させる。

 父にもぶたれたことが無いのに、いきなり他家の人間に頬を打たれたのだ。

 

「おい! 宗与!」

「ひぃ! な、なんでしょうか?}

「どうして、お前はあいつらに見返してやらんのだ! おまえは馬鹿にされて腹が立たんのか!」

「そ、そんなことを言いましても、私の将棋が弱いのは……ごにょごにょ」

「ええい! ぜんぜん聞こえんわ! 男ならもっとはっきりと喋らんか!」

「ひぃ、ごめんなさい!」

「来い! お前を一日穴吊りの刑に処す!」

「ひぃぃぃぃぃ!」


 将棋家定例会の度に、なぜか宗与少年は宗看や伊藤家の門人達と相撲を取らされたりもした。

 擦り傷とたんこぶを作って泣きべそをかいて帰ってくる息子を見て、宗英は首を傾げる。


(はて? 伊藤家に将棋をしに行ったはずなのに)


 荒指し宗看は、そうやって宗与少年に厳しく接するようでいて、反面たまに将棋を指してやったり、遊びに連れて行ってやったりするなど面倒見の良い一面もあった。

 宗与少年もそんな宗看に対して徐々に心を開いていく。

 こうして二人は、年の離れた兄弟のようになっていった。


 確かに大橋宗英は、将棋の紛れもない大天才だ。

 だが悩める宗与少年が本当に必要としていたのは、無骨で血の通った鉄拳制裁だったのかもしれない。


 ――弐――

 別のある日のこと。

 本所にある本家屋敷での定例会を終えて、宗看と宗与少年はその帰り道に茶店に立ち寄っていた。

 今日も例に漏れず宗与少年は連敗を喫してしまった。

 落ち込んでいる彼を励まそうと、宗看のほうから誘ってくれたのだ。


「おい、宗与。俺に付いてこい」

「は、はい!」


 不躾な物言いではあるが、そんな宗看の気遣いが宗与少年にはとても嬉しかった。


 茶店に入ると中は盛況だった。

 ここ本所は御家人の屋敷が多い地域である。

 見たところ彼らの次男坊や三男坊たちが、日がな一日暇を持て余してサイコロや賭け将棋などして遊んでいるようだった。

 中には勝手に持ち込んだ酒を飲む者もいて、店内がやけに騒がしい。


 二人が席を探していると、店の主人が宗看を見つけて側に寄ってきた。

「いらっしゃいませ、宗看様。いつもの団子で?」

「うむ」


 このとき、宗与少年にはなぜか宗看が緊張をしているように見えた。

 伊藤宗看と言えば、御城将棋にも毎年出仕する伊藤家のご当主様。

 先の将軍である家治様ともお話されたことがある当代随一の将棋師なのだ。

 そんな宗看が、たかが団子屋の親父との会話ごときでなぜにここまで緊張しているのか、宗与少年にはさっぱり分らなかった。


 注文を聞きつけた主人が、すぐに団子と茶を持ってくる。

 二人で空いていた床几に並んで座って、まずは一つ目を頬張る。

 団子を口に入れたまま宗与少年が横を見ると、宗看は店の中をまだきょろきょろしている。

 どうも何かを探しているらしい。

 宗与少年は、思い切って宗看に聞いてみることにした。


「宗看さま、最近この団子屋に立ち寄ることが多いですね」

「そ、そうか? 気のせいであろう」


 虚を突かれたのか、宗看の大きい目がさらにぐわっと見開かれる。


「いえ。以前はもっといろんなお店に連れて行ってもらえたように思うのですが」

「まぁ、そう言うな。ここの店の団子が美味いのだから良いではないか」


 そう言ってなんとか話を逸らそうとする宗看に、宗与はなおも食い下がる。


「ひょっとして、団子以外になにかお目当てがおありなのでは?」

「ぐぬ! だ、団子が……喉に……ゴホンゴホン」


 思わぬ追撃を受けて、宗看は団子を喉に詰まらせる。

 慌てて湯呑に手を伸ばし、茶を一気に飲み干す。


「ぬはぁ。馬鹿なことを申すでない! 団子以外に目当てなど……な……い」


 そのときだった。

 店の台所の暖簾がふわりと揺らぎ、奥から若い娘が店内に姿を見せたのだ。

 宗看の視線が、その娘のあとを追いかけるようにして動いている。


 あの女は、この店の主人の娘だろうか。

 黄色の着物に前掛けをしてお盆を持ちながら、忙しく接客に廻っている。

 宗看は娘に見惚れているのか、団子を持つ手が止まったままだった。

 だがこのとき、宗与少年は決して見逃さなかった。

 宗看の手がぷるぷると震えていたことを。


(ははーん、宗看様はきっとあの若い娘のことが……)


 そうである。

「荒指し」伊藤宗看の人には決して言えぬ悩み。

 それは、初恋だった。


「あ! 宗看様。また来てくれたんですね。いらっしゃいませ!」


 その娘が宗看を見つけて微笑みながら声をかけてきた。


「ああ……。ううん……。そうなのだょ……ごにょごにょ」


 先ほどまであれほど宗与に対して威勢が良かったはずの宗看が、娘を前にした途端、まるで蚤のように小さくなって委縮しだした。

 真横に座っている宗与にすら、宗看の声が小さすぎて何を言っているのか全然分からない。


「え!? なんですか?」と娘は耳に手を当てて聞き返す。

「いや! だからそのぉ……だ、団子がな……」

「え、団子? 団子がどうかされたのですか?」

「お、美味しかった……です……はぃぃ」


 突然しどろもどろになる宗看を一部始終眺めていた宗与が、はぁっと深いため息をついた。


(ああこれは駄目だな。宗看玉は絶対に詰んでいる)


 そう、荒差しの恋は既に「必死」の形になっていた。

 このままでは負けは見えている。

 待っていても仕方がない、攻めあるのみだ。

 

 宗与は将棋があまり得意ではなかったが、その反面こういった情緒を感ずることには優れていた。

 古来から伝わる貴族の恋物語や、庶民の色恋沙汰を描いた戯作本に親しみ、少年ながらにそういった類に目が肥えていた。

 

 要するに、ませていたのだ。


 恋の詰将棋ならば——お手の物。


 宗与少年は、娘が他の客に呼ばれて宗看の側を離れていくのを確認して、

「あの女の人、とても綺麗な方ですねぇ」と宗看に向かってそれとなく呟いた。


 宗与少年はとんと知らぬふりをして、宗看にかまをかけて見せたのだ。


「ぬ? そ、そうかな。わしにはそれほどとは見えぬが……」

「そうでしょうか。ほら、あの顔をご覧ください。細く目鼻立ちもすらっとして見目美しい。首元から覗かせるあの素肌を見るに、町人の娘にしては肌質がきめ細やかく、肌色もわりかし白い。それにほら、あの美尻です。着物の上からでも形がくっきりと良く見て取れます。ほら歩くと左右に揺れている」

「ぬほぉ! お、お主……子供のくせに、なんという艶めかしい物言いをするのだ。一体どこでそんな言葉を覚えた?」

「さらに宗看様! あれを! 体つきは細くてすらっとしているのに、乳は張りがあってふっくらと良い感じに膨らんでおりますよ。触れればさぞ蕩けるような肌触りでしょうね」

「ぐはぁ! や、やめてくれ、あの娘のことをそんな風に言わんでくれ!」

「はて? どうしてでございましょう? 先ほどは全く興味もなかったご様子でしたが……」

「い、いや。興味はないのだが、おぬしの表現が俺には少々きつ過ぎるのだ」

「あ! 宗看様! 鼻血が!」

「なぬ!?」

「くすくす。嘘ですよ。あっはっは」

「き、貴様ぁぁ!」


 そんな風に二人で馬鹿な戯れをしていたときのことだった。


「きゃあ!」


 店の奥にある離れ座敷の方から、女の叫び声が聞こえてきた。

 二人が何事かと様子を伺いに側まで近づいて行く。

 するとさっきの若い娘が複数の客に絡まれているのが見えた。


「やめてください! 堪忍してください!」

「ふふふ。良いではないか、俺達と一緒に遊んでくれよ」

「い、いやです! あっち行ってください!」

「なんだと! こいつめ!」

「いやぁ!」


 騒ぎを聞きつけた店の主人が奥から飛び出してきて、「お武家様! どうか娘を許してやってくださいまし!」と頭を地につけて懇願している。

 宗看が見るに、女に乱暴を働いていた男は顔が蛸のように赤く、ろれつがうまく回っていない。

 ひどく酒に酔っている様子だ。

 男の周りにはその仲間が四人ほどいるようで、嫌がっている娘を先ほどからにやにやと眺めている。

 全員、派手な色の着流しに刀を二本ずつ差していた。

 姿恰好から見て、全員旗本か御家人の次男坊、三男坊には違いないだろう。


 たまたま長男に生まれなかったせいで跡目を継ぐこともなく、それでいて他の生きる道もろくに探さず、こうして日がな一日暇をつぶして、管を巻いて生きているろくでもない奴らだ。

 一応武士の身分ではあるが、『無職』と言っても良いだろう。

 ろくに仕事もせずこうして町人相手に威張り散らしているくせに、自分では何もしないものだから、結局周りから疎んじられる存在。

 

 宗看はこういった手合はほとほと嫌いだった。

 自分もまた旗本の次男坊だったから余計にだろう。

 そうなのだ、宗看はこいつらの気持ちが全くわからない訳でもないのだ。

 いやむしろわかりすぎるからこそ、なぜそういった運命に自分から抗おうとしないのか激しい憤りを感じる。

 

「おい! やめろ。その手を放せ!」


 気づけば宗看は、女の手を掴んでいる男に強く声をかけていた。


「ああーん!? なんだお前は?」と酔っぱらいの男が宗看の方を睨む。

「誰でもいいだろう。娘さんが嫌がっているではないか」


 そのときだった。

 男の仲間が、宗看を指さしてこう言い出した。


「あ、俺、こいつ知ってるぜ! たしか将棋の伊藤宗看だ」


 ちっ! と宗看が苦々しい顔をする。


「将棋……伊藤宗看……。ああ、聞いたことがあるな。たしか当主じゃなかったか?」

「それがどうしたのだ。さぁその娘を放しておやりなさい」

「ふん! おい、おっさん。幕府御用達の町人だからっていい気になってんじゃねぇぞ。こちとら五百石の旗本家のもんだぞぉ」


 ふふん、どうだ!と威張ったように言い張る男に、宗看がはぁっと呆れ顔をする。


「旗本だろうと町人だろうと関係ない。娘に乱暴を働けばお役人様を呼ぶことになるぞ」

「なんだと! 貴様ぁ、俺の話を聞いてなかったのか!?」

「しっかり聞いていた。だがそれとこれとは——」

「表へ出ろ! お前をこの刀で叩き斬ってやる!」


 男が刀を抜こうとする素振りを見せた途端、店の中の客たちが騒然とし始めた。

 武家がひとたび刀を抜けば、町人にはもはやなす術がない。

 宗看も元は武家の出身とはいえ、今は当然丸腰だった。

 このまま外に出ていっても勝負にすらならない。

 だが、このまま引き下がるわけにもいかない。

 ふっーと深呼吸をして、宗看はぐっと腹に力を入れて、

「よし、やってや——」

「まぁ待て」


 突然、仲間の一人がこちらに割って話しかけてきた。


「おい、なんだ!? 邪魔するんじゃねぇよ!」

「まぁ、聞け。もしお前が刀でそいつを斬れば、こっちも面倒なことになるんだよ。相手は将棋家の当主だぞ。最悪お前のお父上にも迷惑をかけることになるかもしれん」


 どうやらこんな連中にも物事の道理をきちんと考えられる者がいたようだ。

 宗看は内心ほっとした。


「くぅ! それはそうだが……。だが誉ある武家の顔に泥を塗られたんだ! このままでは放っておけねぇ」


 酔っぱらいの男の言い分を聞き、先ほどの「話の分かる男」がふむと思案する。


「……おまえ、たしかに伊藤宗看に違いないな?」

「ああ、そうだ」

「ならば、将棋で決着をつけようじゃないか」

「なに!? 将棋だと……」


 突然の対局の申し出に宗看の方がぎょっとする。


「ああ、将棋の果し合いだ。こっちは知り合いの在野棋士「所沢の藤吉」を代打ちにする。なにせ俺達じゃあ、将棋でお前には絶対適わねぇからな」


 今度は宗看のほうが思案する手番になった。

 ここで断れば結局、自分が斬られるか娘が乱暴されてしまうかのどちらかしかない。

 もはや必死の形だった。

 凌いだり受けたりするような手はない。

 ならば——攻めあるのみ。


 そう、俺は攻めっ気十割の棋風「荒指し」なのだから。


「在野棋士の代打ち……か。本当にそれでこの娘から手を引くと約束するんだな……?」

「ああ、もちろんだとも。武士に二言はない。だがお前が負けたその日には——」

 将棋家を天下の恥さらしにしてやるぜ、と男が言った。


「分かった。この勝負、伊藤家当主、六代目宗看が引き受けた」


 こうして「荒指し」伊藤宗看と在野棋士「所沢の藤吉」の果し合いが始まった。

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