第十一章 六代伊藤宗看

第四十六話 御黒書院の間

 ——壱——

 天野宗歩が四国へ旅立ったその日から、五十年ほど時代をさかのぼる。


 天明四年(1784年)十一月十七日。


 午前四時、江戸城大手門前——

 城内の鶏がこけこっこーと鳴くにはまだ早い時刻である。


 この日、人生初めての経験をする一人の若武者がいた。

 この男、すでにこうして日が昇る二時間も前から大手門の前に立ち続けている。

 鼻息を荒くしながら、今か今かと開門のその刻を待っているのだ。


 最初に夜勤の門番がこの男を見つけたとき、まずその異様な姿に驚いた。

 筋骨隆々の巨大な体躯。

 一目「力士では?」と見間違えるほどの圧迫感がある。

 髪の毛は剛毛で逆立っており、目つきはぎらりと鋭い。

 目ん玉が蜥蜴とかげのようにぎょろぎょろと落ち着きなく動き続けていた。

 

 門番は、一瞬不届き者でも現れたのかと身構えた。

 だがその男の恰好が、紋付白羽根二重袴に僧服の「十徳」を羽織っていることに気づいて、ほっと胸をなでおろす。


 そう、今日は十一月十七日――


 八代将軍吉宗公がこの日とお定めになられた「御城将棋」の日である。


 この男は、将棋家の将棋師に違いない――


 だが、集合時間の午前六時にはまだ早い。

 門番は、全身を震わせて佇むこの若武者をずっと眺めていた。

 その武者震いの荒々しさから、強い意気込みを感じていたのだ。


 そう、この青年こそ若干十七歳、「荒指し」六代伊藤宗看であった。


 午前六時。

 御城の中で、鶏がこけこっこー(将軍様、起きてください!)と起床の刻を告げている。


「むふぅー! むふぅー!」と当初は興奮冷めやらぬ宗看だったのだが。


(ううぅ、昨夜は興奮して一睡も眠れなかったぞ。仕方ないから早めに来てみたはいいものの。寒くて体が震えてきたわい……。ぶるぶる、ぶるぶる)


 秋も終わりに近づいて、辺りはめっきり寒くなってきた。

 朝日も昇らないうちからじっと立っていたせいか、宗看は寒さに凍えて身体を震わせている。


 宗看が特段なすべきこともなく、ぼんやり所在無げに佇んでいると、

「おい宗看。そんなにいきりたっておったら、今日一日体がもたんぞ」

 と後ろから聞き慣れた声が聞こえてきた。

 

 振り返ると、そこには大橋本家当主の九代大橋宗桂(鉄仮面の祖父)と将棋家の将棋師が数人ほど並んでいた。

 宗看と同じように彼らもまた、お定め通りの紋付白羽根二重袴に、僧服「十徳」を羽織っていた。

 十徳は、僧侶以外に茶人や医師も身につけている羽織のようなものだ。

 そう、この十徳こそが将棋三家の正装なのである。

 

「おお、宗桂様! おはようございます。いや、俺は今日という日を今か今かと待ち望んでおったのです! はい!」

 と、宗看は九代宗桂に荒々しく詰め寄っていく。

 宗桂はちょっと鬱陶しそうに、

「相変わらず暑苦しい男だな。まぁ、気持ちはわからんでもない。それにしてもお前……、十徳の丈が小さすぎて、まるで『ちゃんちゃんこ』ではないか!」

「し、仕方がありませぬ! 病に伏した父の名代として突如出仕することが決まったのです!」


 十徳の丈が巨体とぜんぜん釣り合っておらず、ちんちくりんになっていた。

 どうやら宗看の父である「五代伊藤宗印」の十徳をそのまま拝借したのだろう。

 父宗印は、巨体の宗看とは違ってかなり小柄だったのだ。

 

「まぁよい。よいな宗看、今日はいつもの稽古場とは違う。あの公方様の御前であるぞ。ゆめゆめ粗相無きようにな」

「それはもちろん承知しております!」

「細かい所作は一応説明を受けているとは思うが……。だがいきなりの話、分からぬことがあれば、宗英殿をお手本とするのだぞ」


 九代宗桂はそう伝えて、後ろに立っていた男の方を振り向いた。

 その男は、かつて青年だったころから、まるで年を重ねていないように見えた。

 いつまでも若々しいと言えばそのとおりだが、逆を言えば初めから老成していたとも言える。

 まるでこの男の周囲だけ時間が止まっているかのように、宗看には思えた。


 色白で細身、いつも冷静で沈着。


 色黒で巨漢、気性の激しい宗看とは、まったくの正反対。


 大橋分家の大橋宗英五段——

 このとき二十九歳。

 後に江戸期最強と呼ばれる「鬼宗英」である。

 段位こそ宗看とは二段差だが、既に「将来の名人」と九代宗桂に称されるほどの大天才だ。

 

 「そ、宗英様……。今日は何卒よろしくお願いいたします」

 

 宗看がうやうやしくそう言って、深く頭を下げた。


 「ああ。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」

 

 宗英は、普段から冷静沈着で感情をあまり表に出さない。

 抑揚なくさらりと宗看に挨拶をする。


 この大橋宗英こそが、宗看の御城将棋での対局相手だったのだ。

 だが、対局の下指しはとっくに終えており、宗看の完敗である。

 まだ未熟な宗看にとって、大橋宗英の存在は目の前にそびえ立つ山脈に見えている。


 (年齢が一回りほど違うとはいえ、俺はこの人を超えることが果たして出来るのだろうか……)


 ドーン、ドーン


 全員集合したところで、太鼓の合図が城内に鳴り響く。

 その轟音が門の外にまで鈍い振動と共に伝わってきた。

 それに呼応するかのように、巨大な大手門がずずずずと鈍重に開門されてゆく。

 

 宗看は将棋家の面々と共に巨大な大手門を通り抜ける。

 高まる鼓動の中、いよいよ登城が開始する。

 城内に入ってまずその周囲を見渡すと、樹木の圧倒的な多さに気づく。


 (ここは城というよりも……まるで庭園のようだな)


 宗看は素直にそう感じ入った。

 戦乱の世が終わって二百年ほどが経過している。

 この城は戦のための要塞から、太平の世を統治するための平和の象徴へと移り変わっているのだろう。

 何十年たってもこうして姿を一向に変えない大樹たちが、この城を訪れる者に対して、徳川幕府の安定と秩序を無言で伝えているようにも思う。


 丸石がみっしりと敷き詰められた道をそのまま真っ直ぐに進んで、宗看たちは表玄関までようやくたどり着く。

 とんでもなく広い玄関口で、宗看たちを出迎えたのは若い案内役だった。


「御免。我ら将棋衆将棋師、本日のところ、上様に御将棋をご上覧いただきたく参上仕った」


 将棋家を代表して本家当主の九代宗桂が、案内役に向かって恭しく挨拶を口上する。


「どうぞ、こちらへ」

 案内役は、うなづきいて簡素に返事する。


 宗看達は履物を脱ぎ、玄関を上がる。

 案内役の指示に従い、気の遠くなるほど長い廊下をひたすらに歩き続ける。

 その途中で、宗看はとんでもない広さの大広間を見つけた。


(うおおお。なんじゃこりゃ! とてつもない広さではないか……)


 畳敷き百八十畳もある御白書院だった――


 江戸城には将軍が外部の者と謁見する広間が二つ存在した。

 すなわち御白書院と御黒書院である。

 この白書院は、諸国大名や外国特使と謁見したり、慶賀行事を執り行ったりと公式の用事のために利用されることが特に多かった。

 宗看は、白書院のその圧倒的な広さと、壁や天井、家具、調度品にまで施された刺繍や蒔絵の荘厳さに、思わず見惚れてしまう。


「さぁさ、こちらへ」


 案内役に促されて宗看達はさらに歩みを踏み進める。

 長い廊下を奥へ奥へと渡り歩いていく。


(この城は何という広さなのだ。一体いくつ部屋があるのだろうか……)


 宗看が無数の部屋をきょろきょろと見渡しながら、しばらく歩き続けていると、ようやくその先に行き止まりらしきものが見えてきた。

 その突き当りに黒の漆で塗りあげられたやや小さめ(と言っても十分な広さなのだが)の部屋があった。


「こちらでございます」


 江戸城御黒書院——


 この黒書院は、公式の謁見の間、白書院とは対照的に一間が十八畳しかない。

 この部屋は、将軍がより近しい者と謁見するための非公式の広間として利用されてきた。

 黒書院は上段の間と下段の間の二つに仕切られていて、どちらもその襖や欄間には金銀でしつらえた豪華な蒔絵が贅沢に施されていた。


 時の将軍は年に一度、将棋家の対局をこの部屋で上覧する。

 そう、御城将棋はこの黒書院で約二百年もの間指し継がれてきたのだ。 

 それは、将棋家が幕府の擁する最強の将棋集団であることをはっきり伝えており、将棋家は徳川将軍家にとって「近しい存在である」ことを意味していた。

 まさに、これこそが将棋家の権威の源泉であったのだ。


 若い伊藤宗看は、名誉ある大役を仰せつかりかなり浮足立っていた。

 黒書院の前で寺社奉行の指示を受けながら、そのまま部屋の中へと通され、真ん中に置かれた本榧六寸の大きな将棋盤の前へと着座させられる。


 高まる鼓動と緊張。


 なんとか落ち着くために宗看はふーっと深呼吸をする。

 

(うん? なんだ? 将棋盤の横に何かが書いてあるぞ……)


 将棋盤の側面をちらりと覗き見る。


 ピカピカー!


「うおっ! な、なんだこれは!? ま、眩しい!」


 なんと御城将棋に使用される将棋盤の側面には金色に光輝く蒔絵が施されていたのだ!

 宗看はこれまで見たこともないような、派手な装飾にたちまち目を眩ませた。

 さらに将棋盤の上に置かれた駒箱にも同様の蒔絵が施されていることに気づく。


(な、なんという贅沢だ。俺はこれからこんなものを使って将棋を指すのか……)


 宗看が金色の輝きを放ち続ける駒箱をまじまじと眺めながら、震える手でそっと箱の蓋を開けようとする。

 駒箱がぱかっと開くと、その中に最高級の黄楊つげ駒が四十枚みっしりとおさめられていた。

 遠くからでも観戦し易くするために、大きめに描かれたその書体は、もちろん水無瀬駒。

 将棋家のみが使用を許される、由緒ある後水之尾天皇の書体だ。


「これはまさに、将棋駒の宝石箱ではないかぁ!」


 感極まった宗看が、不用意に口を滑らせてしまった。


「……コホン」


 部屋の隅にいた神経質そうな老中が、露骨に聞こえるように咳払いする。

 宗看が横を見ると九代宗桂の悲壮な目が、「おい。頼むから落ち着け」と告げていた。

 後日聞いた話では、この美駒はたった一日使用しただけで廃棄されるそう。

 もしこの時知らされていたら、宗看は泡を吹いて卒倒していたに違いない。


(将棋家がいかに特別な存在であるか、俺は今日身に染みて分かった気がする……)


 御城将棋には、将軍以外にも老中四名、寺社奉行三名の全員が立ち会うことになっていた。

 対局は午前十時から始めて、午後二時までに終了する。

 予定では十一時過ぎ頃に将軍が上覧するらしい。

 当日は豪華な朝夕膳の他にも酒や茶菓子が将棋家に振る舞われ、城内は一種の余興のような雰囲気もあった。


 「神君」家康公は、軍事の役に立つという理由で、配下に将棋を奨励した。

 将棋家はそのための指南役として、幕府に召抱えられた。

 戦乱の世が終わってからも慣習は続けられたが、八代将軍吉宗を除く歴代の将軍たちは将棋に興味を示すことがなかったようだ。

 その結果、御城将棋は真剣勝負の場から、慣例行事へと形骸化していくことになる。


 さて、いつまでも尽きることのない御城将棋の話はこの程度にしておきたい。

 次は、将棋が大好きな徳川将軍様の話にしばらくお付き合い願う。


 ――弐――

 午前十時。


「それでは皆の者、対局を始めよ」


 当番の寺社奉行が、将棋家に指示を出す。

 これを合図に、まずは慣例どおりの御城将棋が始まる。

 既に「下指し」が済ませてある対局なので、宗看は対局相手の大橋宗英と時間を調整しながら、すいすい指していく。

 宗看ほどならば、棋譜を見ずに再現するなど容易いこと。


(うーん……これは、結構退屈だ……)


 対局というよりも何かの儀式を行っているような感じだ。

 宗看にはそれが強い違和感を感じさせる。


(できれば、上様にこの場で真剣勝負を見ていただきたかったのに……)


 そんなことをつらつら考えていると、すぐに十一時を迎えた。

 将軍様がお見えになるという合図が、突然配下の者から出される。


(うお!? ちょっと待ってくれ、こ、心の準備が出来ておらぬ!)


 宗看が慌てふためいていると、目の前にいる大橋宗英が目礼した。

 「対局を中断しますよ」という意味だ。

 そのまま宗英は身体を上段の間に向かって九十度向きを変えて平伏する。

 周りを見渡すと老中と寺社奉行も同じように上段の間に向かって平伏していた。

 慌てて、宗看もその動作を真似て下を向く。

 しばらくそうしていると、頭の先の方向から、畳の上をするすると足を滑らせてこちらに歩いてくる音が聞こえてきた。


 そのまま頭を下げてじっと待つ


「くるしゅうない。みな表を上げよ」とか細い声が宗看の耳元に届いてきた。


 頭を上げた宗看の目に飛び込んできたのは、一人の白髪の老人だった。

 

(おお! こ、この御方が公方様なのか……)


 若干十七歳の伊藤宗看は、将軍の姿を実際に目にして感動のあまり震えた。


 第十代将軍、徳川家治とくがわいえはる——

 

 黒書院に将軍本人が姿を見せたことで、先ほどまでのゆったりとした雰囲気とは打って変わり、一気に緊張感が張り詰める。

 老中や寺社奉行、その後ろに並ぶ配下達の顔も心なしか固く強張っている。

 

 この黒書院が一種の異様な空気に包まれていくのが宗看にもよく分かった。


 徳川将軍歴代十五名のなかで、最も将棋を愛し好んだ将軍はだれか?


 それは、この徳川家治である。


 後世では、田沼意次たぬまおきつぐに政務を任せきりにして、趣味に没頭していたと伝えられる『暗君』徳川家治。だが、将棋の歴史を語る上ではこの徳川家治こそがまさに『神君』と呼ぶにふさわしい。

 そしてこの黒書院が今、異様な緊張感の中に包まれている原因もまた、この家治の『趣味』にあった。

 

 なぜならば――


 徳川家治は「御七段目」の腕前を持つ、一流の将棋指しだったからである。

   

 家治の将棋に対する情熱は凄まじいものがあった。

 当時、将軍相手に駒を落とすことは失礼に当たるものとされていた。

 だが家治は将棋家に駒を落とさせて、自らが敗北した棋譜を何局も残しているのだ。

 熱心に将棋に打ち込む家治の姿が目に浮かんでくる。

 

 さらに家治は既存の御城将棋にも改革をもたらす。

 すなわち、家治お抱えの配下「近習衆」と将棋家との団体戦。

 「玄素戦」の開催である。


 このときの家治は、齢五十まで届かんとしており、すでに老齢を迎えていた。

 彼は形骸化した御城将棋に退屈し、「近習衆」と将棋家との「お好み」と呼ばれる対局を何十局も命じている。

 このお好み対局。

 もし定刻までに勝負がつかない場合、そのまま寺社奉行の屋敷に移動して、決着がつくまで徹夜で指し続けることもあった。

 なんとか勝負がついたら、今度はその棋譜を家治に上申しなければならない。

 おそらく家治は、自室でその棋譜を一つずつ検討していたはず。


 好きこそものの上手なれ―—


 この時代、なぜか名人が史上初めて空位となり、八段目すらいなかった。

 つまり家治は、将棋家を含めたこの部屋にいる者の中で最高段位にあったのだ。

 果たしてなぜ名人を空位にしたのか? 

 家治は一体何を目指していたのだろう。


 将軍でありながら、一流の将棋指しでもある徳川家治。

 三段に過ぎない伊藤宗看からしてみれば、神様のように見えてもしかたがない。


 だがそんな期待高まる宗看が拍子抜けするほど、この時の家治は何も口にすることはなかった。

 終始口を閉ざしてこちらを見つめながら、物憂げな表情を浮かばせている家治。

 定刻の二時に対局が終了すると、家治は「近習衆」と将棋家に対して、八局ほどの「お好み」を命じて、さっさと大奥に引き下がってしまった。


 「おかしい。上様はいつも玄素戦の対局を最後まできっちり見届けるのに……」


 将棋家を管轄する寺社奉行の三人も、このときの家治の不気味な態度を気にかけた。「何か対局に粗相があったのでは?」と、将棋家に向けてしきりに聞いてまわる。

 

 何はともあれこうして、伊藤宗看の初「御城将棋」は終わりを迎える。

 後日指し継がれた玄素戦も将棋家の七勝一敗。圧勝である。

 だが宗看の方は、城内で豪華な夕膳を振る舞われているときですら、心ここにあらず呆然としていた。

 

「宗看、本日は誠にご苦労だったな」


 本家当主の九代大橋宗桂が、宗看の席に寄ってきて、その労をねぎらった。


「あ、ありがとうございます……。ですが俺は、なんだか拍子抜けしていまいました」

「うん? なんだ、今日の上様のことか? まぁそうだな。お前もそろそろ……、いやなんでもない」


 そう。これは家治と宗看の始まりでしかなかったのだ——


『徳川家治』

 十代将軍徳川家治は、いろは歌を元にした新しい棋譜符号を開発するなど将棋の枠組みを変えるほどに将棋を愛していた。また本将棋だけに飽き足らず、中国から伝来してきた七人用の将棋「七国将棋」の研究や、自らの手で詰将棋図式百番「御選将棋技格図式」の編纂するなど詰将棋作家でもあった。


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