第五幕目 狂言使い

 菱湖りょうこが太郎松と玉枝たまえに取り囲まれていた頃——

 錦旗きんきと寅吉の二人は、鎮守の森の中を七草を求めて散策していた。


「錦旗サン、ところでナナクサってどんな草なんデスカー?」


 錦旗に誘われるままに後ろをついてきた寅吉が飄々ひょうひょうと言った。

 そもそも「七草」がどういうものかあんまり分かってなかったらしい。


 終始おどけて人を茶化しているように見えるこの男。

 生まれつき楽天的な性格だが、決してそれだけが理由ではない。

 寅吉は、この国で心無い者から白い目で見られ、迫害をたびたび受けてきた。

 それをおくびにも出さないが。


 怪しまれて農民達に追いかけ回され、機嫌の悪そうな浪人に訳もなく殴られた。

 高圧的な侍には、危うく斬られそうになったことさえある。

 

 しょっちゅう戯言ざれごとや狂言を言って人をけむに巻くのも、そうする他に生きる道がなかったからだ。

 刀を持たない寅吉には、弁舌で戦うしか生きる術がないのだ——


 それにしても寅吉は一体どこからどうやってきたのだろう?

 国元に戸籍を確かめてもらったが、その名は一切記載されていなかった。

 

 そんなのおかしいじゃないか。ならば自分は一体何者なのだ。


 その意味を、ずっと考えながらこれまで寅吉は旅をしてきた。

 将棋相撲のあと、寅吉は記憶を取り戻すことができた。

 あの日の試合を再現することで。

 宗歩達には記憶の一部が戻ったと告白した。

 

 だがそれは嘘だった。


 戻った記憶は、一部ではなく全てだったのだ。

 そしてようやく分かった。

 自分がどこからやってきたのかが――

   

 「あれー? もしもし錦旗サーン、私のはなし、聞いてマスカー?」


 先に進んでいく錦旗に、ふたたび飄々ひょうひょうと質問を投げかけてみた。

 だが、一向に返事がない。

 ふと辺りを見渡すと、周囲に木々が立ち並んでいる。

 ほとんどが葉っぱを散らし切っており、地面には土が見えないほどの落ち葉が埋め尽くされている。

 踏み込むとずんと沈んで面白い。布団の上にいるようだ。

 みっしりと敷き詰められた落葉は、降った雨を染み込んでいるせいで腐食して、どす黒い茶色へと変色している。


 四方八方どこを見渡しても、同じような背格好の草木ばかり。

 寅吉の方向感覚が破壊され、自分がどこから来たのか分からなくなる。


 果たして自分はどこから来たのか——


 完全に記憶を取り戻した今ならはっきりといえる。


 そう、自分は本当の異邦人だったのだ。

   

 ところが——

 記憶を取り戻しても、まだわからないことが一つだけあった。


 なぜ自分はここにやって来たのか?

 一体どうして? なんのために?

 

 だが、その疑問もあの瞬間に氷解した。

 東伯斎の屋敷に招かれて、錦旗を始めて見たその瞬間に。

 ああ、自分はこの少女と出会うためにやって来たのだ——



 そのとき――


 あまりにも突然のことだった。

 先をずんずん歩いていた錦旗が、急にぴたりと立ち止まったのだ。

 そうして前を向いたまま、とんでもないことを言い出した。


「東伯齋はな……わっちのことをいらん子やとおもうとる」


 そのいきなりの告白に、寅吉は一瞬何を言われたのかよく理解できなかった。


「と、突然、どうしたんデゲスカ?」

「寅吉や。わっちはな、さびしいのじゃ」

「へ?」

「この前、屋敷で東伯齋が水無瀬と話しとるのを、わっちは聞いてしもたんじゃ」

「な、なにをデゲスカ?」


 しばらくの沈黙――。



「わっちは奉公に出されるそうじゃ」


「え……!」


 あまりのショックで言葉が何も出てこなかった。


 錦旗が奉公に出される——


 何かの冗談ではないか?

 確かに商家の娘は、作法見習いで武家に奉公に出ると聞いたことがあるが。

 どちらにせよ奉公に出されるということは、あの屋敷から出ていくことを意味していた。


 いや――

 それどころじゃない。


 もし奉公先の男に見初められれば、そのまま実家に戻ることもない。

 そうなれば、もう一生錦旗に会えなくなる――

 寅吉はまずそれを心配した。

 いつまでも変わらずに錦旗と一緒に暮らせると思っていたのに。


 今まで何の根拠もなしにそんな風に考えていた自分が信じられなかった。

 それが錯覚だったとようやく今気づいたのだ。

 気づいたら、予想以上に激しく動揺した。

 

「東伯齋はな。菱湖を宗歩様の弟子にした。いずれ宗歩様と一緒に旅に出させるつもりじゃろうて……」


 錦旗が思い詰めていてたものを一気に話し出す。


「それに最近は、玉枝の縁談も考えておるようじゃ。あまりにも急過ぎはせんかえ?」

「しかし……、奉公も縁談も商家の娘ならいずれは……」

「番頭の松五郎が、店の陰で若い衆に言うとったんじゃ。『東伯斎様はこの店をのっとるつもりだ。自分たちをいつもないがしろにする。それに先代と奥様が一度に亡くなられたのにも不審な点がある』、とな」


 松五郎とは小林家の店を仕切る番頭で、川添松五郎と言った。

 先代の頃に丁稚奉公で雇われて以来、ずっと店を支えてきた古参中の古参だ。

 

「そ、そんな……嘘だ……」


「嘘なんかじゃありゃせん。あ奴はな……東伯齋はな……わっちらを屋敷から追い出そうとしておるんじゃ」


 そう言って、錦旗はほろほろと静かに泣き出した。


「わっちはな、屋敷で留守番するくらいなんとも思わん。じゃがな――みんなと離れ離れになるのは……辛い」


 たしかに錦旗の言うことが全部本当ならば、一応筋が通っている。

 だが、にわかに信じられる話ではない。

 

「そんなことないデゲス。きっと東伯齋様は何か考えがあってそうしているんでゲス」

「うそじゃ」

「うそじゃないデゲス!」

「なぜそういえる?」

「……」


 ……反論できなかった。

 長い目で見れば奉公も縁談もいずれはあるのかもしれない。

 それにしたって確かに急な話ではないか。


「ほれみぃ」

「……東伯齋様は……錦旗さんのことを愛しておられるからデゲス」


 どこにも確信はなかった。

 だが、そうであって欲しいと心から願ったのだ。


「はん! そんなことはありゃせんとゆうたじゃろ? 仮にもじゃ。もしわっちがいなくなっても、あやつはこれ幸いと探そうともせんじゃろて」

「いえ、きっと探しマスヨ」

「いーや、探さんよ」

「絶対に探しマス」


 二人の間に長く重い沈黙が流れた。

 厳冬らしい冷たい風が、木々の間隙をすり抜けて二人に吹きつけてくる。


「……そこまでゆうなら、わっちに協力せい」

「え!? ど、どういうことデスカ」


 ここに来るまで間、何かを思いつめていた錦旗が、意を決したかのように言った。


「わっちが……誘拐されたと東伯齋につげたらええんじゃ」

 

「そ、そんな!」

「大丈夫じゃ、わっちはこの社にずっと隠れておる」

 

「じゃから寅吉は、屋敷に戻って東伯齋にわっちが連れ去られたと言うたらええ。寅吉の言うことがもし正しかったら、あやつはわっちのことを必死に探しよるじゃろ?」

「そ、それはそうデゲスガ……」

「たのむ、寅吉……。わっちに協力してくりゃれ」


 寅吉にすがり付く錦旗の目は真剣そのものだった。

 ここまで追い詰められた彼女を、寅吉は見捨てることはできなかった。


「わ、分かりマシタ……。でも絶対にここから動いちゃだめデゲスヨ。私が戻ってくるまで……、絶対にデスヨ」

「ああ、もちろんじゃとも」


 そう言って、錦旗はニコリと笑った。


 二人は鎮守の森を出て、手をつなぎながらお社がある方向へと歩いた。

 お社の前にたどり着くと、さっきまでいた玉枝の姿がどこにも見えなかった。

 すでにどこかに行ってしまったのだろうか。

 もし、玉枝がいれば事情を話して、錦旗を預かってもらおうと思ったのだが。


 お社の中を確認すると、扉には鍵がかかっていて頑丈に閉められている。

 仮に開いたとしても、神様が鎮座するという空間に、錦旗を閉じ込めるのもはばかられた。

 しかたがないので、賽銭箱の裏側に回りこんで、お社の扉の前が階段上になっていたので、そこに錦旗を腰掛けさせた。


 ちょこんと行儀良く座っている錦旗を見て、寅吉は愛おしくて抱きしめたくなる。


「錦旗さん、私にはね。国元に妹がひとりいたんデゲス」

「そうなのかえ? 初めて聞いたわ」

「最後は……あなたと同じくらいの年デシタ」

「なんと! 死んでしもうたのか?」

「ええ、事故で亡くなりマシタ。私は彼女を救えなかった……のデス」


 寅吉の故郷は、いろんな国と交易する古い歴史を持つ港町だった。

 ある日、その町でとても大きな試合が行われることになった。

 寅吉が町の中心街で試合に参加していると、突然町の外れのほうから大きな爆発音が聞こえてきた。

 寅吉とその家族が住む地区の方で大規模な火災が起きたのだ。

 後からわかったことだが、権力者に反抗する勢力が国の施設に火薬を仕掛けたらしい。

 分量を間違えたらしくその爆発が近くの住居にまで及んだそうだ。

 十才の妹は母と一緒に非難しようと家を出たところ、目の前に燃え盛る建物が倒壊してきて――


「そんなことが……辛かったじゃろ?」

「錦旗サン——」


 ——あなたはネ。私の妹にそっくりなんデスヨ。


 そう、姿かたちは多少異なるが、その雰囲気はまるで妹と生き写しだった。

 

「おんしの妹と……わっちが……か?」

「ええ、だから私は今度こそあなたのことを守りマス。もしも東伯齋がそんなひどいお方なら……私があなたを守り抜きマス」

「寅吉……ありがとう」

「だからもう……泣かないでくだサイ」


 寅吉は錦旗を優しく抱きしめた。

 その巨体が錦旗の身体をすっぽりと覆い被さる。


「いいでゲスネ。ここから決して動いてはいけまセンヨ」

「ああ、わかっとる。頼んだぞ」


 寅吉は黙ってうなずいて、屋敷の方へと走り去っていってしまった。

 一世一代の「狂言誘拐」を東伯齋に伝えるために――


                               (第六幕へ)

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