第六幕目 神隠し

 寅吉は、稲荷神社を出てから屋敷へ直接向かおうとはしなかった。

 かどわかされた錦旗をほうぼうのていで探した、と嘘をつくには多少時間を潰した方が自然に聞こえると判断したからである。

 とはいえ、あまり長く錦旗を待たせるのも心配だったから、屋敷の側の茶店に立ち寄ることで手を打った。

 それにどちらにせよ錦旗に差し入れでも持っていかねばなるまい。

 

 暖簾をくぐった所で待っていると、店の主人が「いらっしゃい」と出迎えてくれた。

 小林家の面々が多用する茶店だけに、寅吉の顔も覚えてくれていたようで安堵する。

 寅吉は主人に、芋羊羹を置いてないかと伺ってみた。


「へぇ、ございますが。ああ、そうだ。さきほどから玉枝お嬢さんが奥に来ていらっしゃいますよ」


 主人が側まで近づいてきて、こっそり教えてくれた。

 その伝え方になにかあると感じ取り、そうと尋ねると、

「いえね、入って来た時から憔悴しているようでしてね。なんだか奥でずっとふさぎ込んでますわ」

 と、店の奥を指さす。

 家人なのだから何とかしてくれとでも言いたげだったが、はっきりとは言わなかった。

 それを聞いて玉枝のことが心配になったので、寅吉は様子を見に行くことにした。


 奥まで進んで、座敷の中を覗くと茶托に顔を伏せている若い女が一人いた。

 顔がよく分からないからとりあえず声を掛けてみるしかあるまい。


「……玉枝サン、デゲスカ?」


 そうやって声を掛けてみると、女がびくっと肩を震わせる。


「ああ、寅吉さん……」


 顔を上げた玉枝の目の周りが真っ赤に腫れていた。

 ずっとここで泣いていたのだろう。

 寅吉はこれは声をかけるべきでなかったか、と少しだけ後悔をする。


「大丈夫デゲスカ? お体の具合でも悪いんデゲスカ?」

「いえ……そうやないんよ……ありがとう」


 気にしないでくれとでも言いたそうな感じだったので、寅吉は何も言わずにそのまま席を外そうとする。

 こういう時、男の方から無理に事情を聞くのは野暮というものだろう。


「そうでゲスカ……それじゃあ、私はお先に失礼いたシマス」


 それだけを告げて、寅吉がそっと座敷を離れようとすると、

「ねぇ、寅吉さん」

「はい?」

「あなた……好いてる人とかおるん?」


 質問の意図が少々計りかねた。

 屋敷であまり口をきいたことがない間柄だけに、ますますのっぴきならない類の質問のように思える。

 寅吉は錦旗の顔を一瞬だけ思い浮かべたが、玉枝の心中はもちろん恋慕の情について尋ねているのであろう。

 

 であれば―—


「いえ……そんな方はワタシにはおりまセンヨ……」

「……そう……ごめんね。変なこと聞いてもうて」


 そう言ったきり、玉枝はまたふさぎ込んで口を閉ざしてしまった。



 寅吉は芋羊羹を片手に茶店を出て、さらにひと回り道草を食って屋敷に戻ってきた。

 今日は休日だから正面玄関は木戸が全部降りている。

 勝手口の方から潜って屋敷の中へと入る。

 いつものように「ただいま戻りまシタ」と挨拶すると、いきなり客間の障子がすごい勢いで開いた。

 そこには血相を変えて深刻な顔つきをした東伯齋が立っていた。

 側には水無瀬も座っていて寅吉の方をじっと見ている。

 奥の方には見覚えのある男もいた。 

 たしか、大塩平八郎とか言った武士だ。

 大坂町奉行所元与力で、今は天満で私塾を開いている。


「やっと帰ってきよったか! ずっと探しとったんやで! なぁ錦旗知らへんか?」


 ただならぬ顔で尋ねてくる東伯齋の気迫に、寅吉は一瞬ひるんでしまう。


「そ、それがデゲスネ……」

「なんや、どうしたんや? ……おまえ顔色めちゃくちゃ悪いで」


 意を決して寅吉は、胸に秘めていた文句を東伯齋に伝える。


「錦旗さんは……賊に攫われてしまったのデゲス」



 しばらくの沈黙――



「やっぱりそうなんか!」


 ……は?


 ……東伯齋は今なんと言ったのだ?


「あの……『やっぱり』とはどういうことデゲスカ?」

「ほれ、これ見てみぃ!」


 そう言って東伯齋が、寅吉に一通の文を押し付けるように差し出した。

 おそるおそる文を手に取った寅吉が中を覗くと、ミミズが張ったような字が走っていた。


「我こそは誘拐犯なり。逆賊小林東伯齋の娘を預かったぞ。本日夕刻までに稲荷神社まで一千両を持ってきてください。絶対にです。」


 なるほど言葉遣いがいろいろおかしい点はさておき、身代金要求の犯行声明文には違いあるまい。

 しかし全く意味がわからない。

 狂言誘拐だったはずなのに。


「あ、あの……、ど、どうして錦旗サンが本当に誘拐されているノデスカ!?」


 困惑顔の寅吉に、東伯齋が不思議そうな顔で返す。


「はぁ? いや、さっきあんたもそう言うてたやんか……」

「そ、そうなんデゲス! 錦旗サンは攫われたんデゲス」

「ほらみてみぃな」

「い、いや、でも違うんデゲス! この人たちにさらわれたんじゃないんデゲス」


 自分で言っててよくわからなくなってきた。

 

「あんなぁ……この人たちやなかったら、どの人たちがさらうちゅうんや! それともおまえはまた狂言でも言うてふざけてとるんか!?」

「そんな……! 狂言じゃありまセン! いや狂言なんデゲス!」

「おちょくっとんのかい! さっぱり意味がわからんわ!」


 東伯齋の横でずっと黙って聞いていた水無瀬が、

「寅吉さん、本当の話なんですよ。ほら、錦旗のかんざしもついていました」


 顔面蒼白の水無瀬が、寅吉に簪を差し出す。

 手にとって見ると、うろ覚えだが確かに錦旗が頭に刺していた簪のようだった。


「そ、そんな……じゃぁ本当に錦旗サンは攫われたのデスカ……い、いったい誰に? なぜ?」


 嘘から出たまこと——

 寅吉が全身を震わせている。


「寅吉殿、その文をこちらへ」


 ずっと黙っていた大塩平八郎が、寅吉から文を受け取り目を落とす。

 裏側をめくって眺める。

 すると、そこに紅い一本の線のようなものが引かれているのを見つけた。

 大塩平八郎が、紙を顔に近づけてにおいを嗅ぐ。

 ほんの微かではあったが血なまぐさいにおいがする。


「ふむ……これは血でございますな」


 寅吉の脳裏に、絶対に想像したくないような悪夢がいやでも浮かんでくる。


「はぁああ……」


 水無瀬も気の抜けた声を出しその場に崩れ落ちた。

 恐らく寅吉と同じ想像をしてしまったのだろう。


「水無瀬! おい、しっかりせんかい!」


 寅吉はもはや居ても立っても居られなくなってしまった。


 ダッ!


「あ、おい! 寅吉! どこいくねん!」


 寅吉は走って屋敷を飛び出した。


 走って、走って、走って、神社にあっという間にたどり着く。

 息をぜいぜい切らしながら、賽銭箱の裏へ滑り込む。

 そして、神に祈りながらそこを確かめた。


 だが、そこに錦旗はいなかった——


 



 寅吉が真っ直ぐ屋敷に戻ってくると、座敷に東伯齋と水無瀬が座っていた。

 大塩平八郎の姿だけが見えない。


 戻ってきた寅吉を見て、水無瀬が重い口を開き、

「あなた……お金……どういたしましょうか……」

「ア、アホ抜かせぇ! 一千両なんて大金、わしにどないせえっちゅうんや!」

「で、ですけど、そうしないと、錦旗の命が危ないじゃありませんか!」

「……」

「あなた! 錦旗をお助けくださいまし!」


 水無瀬が東伯齋の着物の裾にすがりつき、泣き崩れている。

 肉親が突然神隠しにあって半狂乱になっているのだ。

 東伯斎の方はじっと目をつむったまま何も言わずに何かを考えているようだ。

 そうして、そのまま首を横にわずかに降った。

 

 な、なんだと……錦旗をあきらめるというのか。

 

 ああ、やっぱり錦旗の言ったことは正しかった。

 東伯齋は金の亡者だったのだ。

 この期に及んで自分の金のことを心配をするなんて……


 寅吉が怒りに体を震わせる。

 そして、東伯斎に何かを言おうとした時――


 「よっしゃ、わかった」


 東伯齋が静かに口を開き、それだけ言った。


 ……え?


 東伯齋の目は真剣そのものだった。

 何かを覚悟して、何かを諦めたことが明らかな目だ——


「水無瀬、あんたは本町の大叔父様のところへ向かいなさい」

「は、はい!」

「ほんで事情を全部話して、借りられるだけの銭を借りてきなさい。大叔父様ならきっと協力してくれるやろ」

「わ、わかりましたわ!」


 そう言った東伯齋が今度は屋敷の中をぐるりと見渡し始めた。

 何かを値踏みをしてるのだろうか。


「そうやな。屋敷の有り金ぜーんぶかき集めても三百両がせいぜいや。夕刻までに掛けを回収したり、家財を売りとばす時間もあらへんし」

「そ、そんな……。それじゃぁぜんぜん足りませんわ」


 水無瀬が再び泣きそうな顔をする。


「そうや。ぜんぜんたりひんわ」


「ああ! 錦旗ちゃん! うう……」


「せやから――」

 わしは屋敷を担保に銭を借りてこよう思うねん。


 なるほど、確かに両替商に銭を借りれば、千両には届くかもしれない。

 だがしかし、それはつまり――


「か、貸してくださるのでしょうか?」

「知らん。そんときはそんときや。身ぃ一つで錦旗を救い出してみせる」

「もしも……そのお金をお返しできなかったら。店は……屋敷はどうなるんですか!?」

「そらまぁ……、屋敷は全部取り上げられて店はつぶれる。わしら全員、路頭に迷うやろうな」

「そ、そんな……」

「あほぬかせ。店が潰れても、またやり直せばええだけや。せやけど錦旗はな、一度失ったら二度と帰ってけえへんねんぞ」

「あなた!」


 寅吉が口を開く。

「東伯齋サマ」

「うん? なんや?」

「あなたは、錦旗サンのことを疎んじていたのでは?」

「はぁ? どういうことやねん」

「錦旗サンを奉公に出すと……」

「奉公? ああ、奉公言うてもここから歩いていける隣町の商家にやで」

「そ、そうだったんですか!?」


 なんだ良かった。

 やはり東伯齋は錦旗を嫌ってなんかいなかったのだ。

 単に錦旗の思い込みだった。

 寂しさのあまり疑心暗鬼になって、被害妄想が膨らんだのかもしれない。


「錦旗がな……一人で屋敷にずっとおるの見てて、寂しいやろなと思うてな……」

 と、東伯齋が少し照れながら話し出した。


「なんや……、その……宗歩はんに『母上になってくれ』とまで昔言うたそうやないか。そやから水無瀬と相談して、よしみのある旦那衆に話してみてん」


「そしたら靱本町にある染物屋の旦那のとこに錦旗と同じくらいの娘さんがおってな。一緒におったら寂しさも少しは紛らわせるやろし、それでも寂しなったらいつでも戻ってきたらええ。奉公とは名ばかりのもんや。とにかくあの子に今必要なんは家族以外の友達を作ることやさかい」


 そうだ、家族が錦旗をいつまでも守ってくれるわけではない。

 外の世界へ錦旗を一歩でも押し出そうと、東伯齋は考えているのだ。


「待たせましたな」

 

 姿を消していた大塩平八郎がちょうど戻ってきた。


「先ほどの文、やはり将棋天狗から送られてきた果たし状と同じ筆跡でございますな」

 と言って、大塩平八郎は文を東伯齋に返す。


「なんやて! そしたら太郎松が下手人かい!」


 果たして太郎松が錦旗を誘拐したのだろうか?

                               (第七幕へ)

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