解けない詰め将棋って(o_o)
解いた金五郎も凄いけど、献上品なのになぜそんな難解なものを作った・・・。
芸術性追求し過ぎじゃないかという意見もわかる気がします。
難しい問題ですね。
作者からの返信
花や茶、囲碁などと同じように将棋もまた当時は家元制をとっていました。
献上図式は、将棋家の技術力を幕府に知ってもらうために始められたようです。
三代伊藤宗看、看寿兄弟の時代が詰め将棋の黄金時代でした。
その後の歴代名人達も生涯を賭けて、この献上図式を作りますが、相当な負担になっていたようです。そして宗看、看寿を超えられないと判断した九世名人大橋宗英は、思い切って献上図式を止めてしまいました。その代わり定跡研究に打ち込み、秘伝とされていた将棋家の定跡を庶民に向けて書籍で普及することに尽くします。
やがてこの研究成果は宗英の嫡子宗与・宗珉親子、そして宗英最後の弟子となる大橋柳雪を経由して、天野宗歩の「将棋精選」でいったん完成を見ることとなります。
この定跡こそが現代にまで脈々と受け継がれており、近代将棋の始まりと言われます。
金五郎かわいい!
てか人間ぽくていいなあ。。。
ところでこの大迷路ってのは実在してて、誰か解いたんでしょうかね。
作者からの返信
猫目少将様
感想ありがとうございました!
金五郎のような少し屈折した人物を書くのが好きなようです(笑)
大迷路は三代伊藤宗看の「将棋無双」第百番として実際に存在します。大迷路と名付けられたのは後世ですが、本作では分かりやすさを強調するためそのまま使用しています。
将棋無双は「詰むや詰まざるや」と評されるほど難解で、一説では解答が付いていなかったことから二百年以上謎とされてきたとも伝えられているようです。祖先が作った作品に取り組むことで金五郎が成長するというエピソードを描いてみました。
金五郎の半生がなかなかに辛い……。
あんな当てつけのように息子を扱うなんて、なんて父親でしょう。
作者からの返信
草詩様
感想ありがとうございます。
父としても必死だったのかもしれませんね。特に伊藤家は実力主義、嫡子でも実力がなければ廃嫡されてしまいます。宗看自体は養子なので、嫡子から跡取りを誕生させたい。そして将棋家を継がせる、ゆくゆくは名人を輩出する、そんなプレッシャーがあったのかもしれません。