第弐話 将棋家②
将棋家が誕生して約二百年後の文政七年(1824年)の正月。
大橋本家、大橋分家、伊藤家の将棋三家合同による練習対局がこの日開かれた。
定期的に催される恒例イベントで、各家が持ち回りで主宰することになっている。
将棋家の門下生はみなこの機会に昇段や昇級を目指すことになり、一定の年齢までに所定の昇段を果たせない者は容赦なく破門されることになっていた。
文字通り、門人たちの命がけの戦いが繰り広げられようとしていた……。
今回の会場に選ばれたのは、江戸の本所にある大橋本家のお屋敷。
その屋敷に併設しているだだっ広い稽古場の一番奥。
さっきから表情のまるで無い顔つきで座りつづけている一人の青年がいた。
十一代目大橋宗桂である——
大橋本家の当主は、代々「宗桂」の名を継承するきまりとなっていた。
したがってこの若い男は初代「宗桂」から数えて十一人目の「宗桂」ということになる。
若干十九歳のこの若当主。
生まれつき髪の色素が薄いのか銀髪だった。
が、目鼻立ちは整っておりその所作はまるで
最高位が八段のこの時代に既に七段まで昇段し、名実ともに将棋家を代表する棋士でもあった。
その横にちょこんと座っている、とても可愛らしい子供がいた。
目鼻立ちがすっきり通っていて、幼いながらこちらも相当な美形である。
八歳の天野宗歩だった——
さきほど他家の門下生を六人ごぼう抜きし、一級への昇級を決めたばかり。
が、本人は消化不良のようで将棋をもっと指したくてうずうずしているご様子。
「あ、あの、おししょうさま」
「……」
「もしもーし、お、おししょうさまぁ……」
「…………」
(ううぅ、どうしよう返事がない……。でも目は開いてるから寝てるわけじゃなさそうだなぁ。つまんないなぁ。わたしもっと将棋が指したいのにぃ)
この十一代目大橋宗桂、
持って生まれた美貌を掃き溜めに捨てるかのような無表情で、こちらが悲しくなるくらい愛想がなく無口なのだ。
きっとおぎゃあと生まれたときも無表情だったに違いないと周囲に揶揄されていたほどである。
そんな声を掛けられても全く反応しない師匠と愛くるしい弟子とのやり取りの一部始終を、さきほどから稽古場の端の隅っこでじっと見つめている優男がいた。
大橋分家の大橋柳雪六段——
この男、師匠に相手にされない宗歩を憐れんだのか、それとも他家の門下生を圧倒する得体のしれない生物に興味をもったのかよく分からないが、宗歩にすたすたと近づいてきて、いきなり声をかけた。
「こんにちは。よろしければ私と一局指しましょうか?」
突然の申し出ではあったもの、宗歩は素直にこくんこくんと頷くばかり。
が、一瞬「あ、まずい!」という顔をして、決まりの悪そうに師匠の方をちらりと見た。
(あ、あの……、わたし対局してもいいですか?)
師匠も、こくんと黙って頷いた。
(ありがとうございます! でも、おししょうさま……。ちゃんと聞こえてたのですね……)
宗歩と柳雪は、空席だった将棋盤の前に腰を下ろす。
「初めまして。私は大橋分家の大橋柳雪です。よろしく」
「は、初めまして! わたし、天野宗歩っていいます!」
「へぇ、『宗歩』ですか……面白い名前ですね」
「そ、そうですか? おししょう様が名づけてくれました!」
「ふふふ、お噂はかねがね聞いていますよ、『麒麟児』さん」
柳雪がクスクスと笑っている。
宗歩はどうして自分が笑われているのか良く分からなかった。
でも、とにかく将棋ができるのならなんでもよかった。
「さぁて、駒割りはどうしますかね。二枚落ちくらいかな?」
「は、はい! よろしくお願いします」
「はいはい。お願いします」
二枚落ちとは、上手(上位者、つまり柳雪)が飛車と角行を最初から落とすハンデ戦である。大駒二枚抜きで指す条件なので相当なハンデになる。
下手(下位者、つまり宗歩)からすれば楽勝のように見えるかもしれないが、現代でもプロ棋士に二枚落ちで勝てれば初段はあると言われるほど、下手が勝つのは意外となかなか難しい。
だが、勝負はあっという間についた。
つまり宗歩の圧勝である。
「え……」
柳雪は驚きのあまり何も口にだすことができない。
しばらくの沈黙のあと。
「えーと、君いくつ?」
「八歳です!」
「棋力は?」
「さっき一級になりました!」
ちなみに柳雪は六段である。
「う、嘘でしょう……。つ、強すぎる。よ、よーし次は角落ちですよ!」
数時間後——
「はう、参りました……」
「はぁ、はぁ……なかなかやりますね」
(こ、この子強すぎる。くっ! あの鉄仮面め、一体どこでこんな逸材を見つけてきたのだ)
柳雪が宗桂の方をじろりと睨みつける。
宗桂と柳雪は年もそれなりに近く、好敵手同士の関係だった。
分家の有望株としては、本家に差をつけられるのは避けたいところ。
が、当たり前だが鉄仮面の無表情さは、柳雪の睨みごときでは一切変わる気配すらない。
すると突然、柳雪の背中越しに、いやぁな声がした——
「ほぉう、この
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