第弐話 将棋家

 戦国時代、京の町衆の中に『大橋さん』っていう相当変わった男がいたらしい。

 この大橋さん、能からお花、お茶まであるゆる芸事に通じているスーパーマルチプレイヤーだ。

 まぁ、いわゆるチートキャラってやつだな。

 好きだろう。そういうの。

 そんなかでも特に「将棋」が鬼のようにめちゃくちゃ強かったらしく、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の将棋の家庭教師までやっていた。

 信長なんて、「お前の桂馬の使い方、まじやべぇな。もう名前も「桂馬」でいいんじゃね」とか適当におっしゃるものだから、「それだけはマジ勘弁してください。あ、そうだ「宗桂」とかかっこいいんじゃないですかね」、「ふーん。まあ、それでいいわ」みたいなやりとりまであったとかなかったとか。

 まぁこれがきっかけで、この後の大橋家の人たちも、自分の名前に好きな駒を使う人が多いんだよね。


 徳川家康が、天下統一して江戸に幕府を開いたのは、慶長8年(1603年)。

 そこから数年経った慶長17年(1612年)に、この大橋宗桂さんは将棋の初代名人(将棋所)に選ばれたんだ。

 こっから将棋の家元制度が始まることになるんだな。


 そうそう、「将棋家」ってのは三つあるんだよ。

 ①大橋本家

 ②大橋分家

 ③伊藤家

 だな。


 ①の大橋本家は、初代大橋宗桂の長男が代々継いできた由緒ある将棋家だ。

 まぁいわゆる二百年続く地元の伝統校って奴だな。

 基本的に生徒の自主性を重んじる自由な校風が売りで、進学率もかなりいいけど、部活道も頑張ります!文武両道!みたいな感じ。


 ②の大橋分家は、初代大橋宗桂の傍流からできた将棋家だな。

 伝統は受け継いでるけど本家ほどじゃない。

 生徒数も少なく、規模も小さいからお役所からの交付金も少ねぇ。

 なんだか中途半端な感じが相当否めない校風なんだなぁ……。

 極たまにびっくりするぐらいの激レア天才児(SSR)が生まれるんだけど、それも続かない。

 うーん、残念賞!


 ③の伊藤家ってやつは、二世名人の大橋宗古おおはしそうこの娘婿を始祖とする将棋家だ。

 ここは新興系の進学校で超がつくくらいのスパルタ系の校風なんだわ。

 とにかく進学率重視で、〇〇大学何名合格!みたいな垂れ幕を学校の前に張り出しちゃうあの感じの校風だ。

 もうとにかく全国飛び回って、才能がありそうな子がいれば誰でもスカウトして養子にしてしまうくらいの実力主義で、当主の子供でも実力がなかったら勘当されてしまうくらい厳しい。

 伊藤家の初代当主ってのが、はなっから大橋宗桂の血を直接受け継いでいるわけじゃないからしかたがないよね。

 でも、この教育方針はばっちり当たりました。


「ぜひともうちの子を伊藤家に!」

「うちの倅に才能はございますか?」


 地元じゃ神童と騒がれた子供達が親に連れられこぞって伊藤家の門を叩くわ叩く。

 まぁ、そのほとんどが門前払いに合うんだけど……。

 なんとか入門が許された子でも見込みがなかったらすぐに破門されたらしいよ。

 破門された子供が実家に帰ることも許されずにそのまま路頭に迷うなんて話も……。

 あぁ、怖い怖い。


 でもね、彼ら「伊藤家の子供達チルドレン」は正真正銘、命を懸けて将棋を指したんだと思う。


 だって、将棋家出身の歴代名人十一名のうち、その半分以上が伊藤家の出身者なんだからさ。

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