第十七話 名人の子①

  彼はいつも名人の棋譜を並べていた。


「7六歩、3四歩、2六歩、4四歩、2五歩、3三角……」


 ぎこちない手つきで一手ずつ指しては考え込み、また指しては考え直す。

 まるでそこから何かを掴み取ろうかとするように一心不乱にその棋譜をなぞっているのだ。


 棋譜は棋士達の魂——


 そんなことがよく言われる。

 棋譜に刻まれたその一手一手には余人が想像もつかないほどの棋士の思考と葛藤の跡が詰め込まれており、その輝きはいつまでたっても色あせない。

 だが、棋譜そのものには冷たい記号が記されているだけで、他に何ひとつとして記されているわけではない。

 その棋譜を読み解き、指し手の真意を図ることができるのもやはり天才だけなのだ。

 それでも彼は必死になって名人の棋譜に食らいつく。

 その棋譜に込められているであろう肉親の名残なごりを探すために。


 私は、そんな彼が少しだけ羨ましくなった——


「なぁ」


 唐突に声をかけられた彼は、少し驚いた様子で顔を上げた。


「よかったら、私と一緒に指さないか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る