第九話 目目連

 その夜、定朝の屋敷では豪勢な宴会が開かれた。

 終始ご機嫌な定朝は、自慢の花菖蒲の魅力を柳雪に熱心に伝えようとしている。


「花を育てる秘訣をお主は知っておるか?」

「さぁなんでございましょうな」


 柳雪も定朝の自慢話に調子を合わせている。

 そういった話が嫌いではないらしい。

 一方、宗歩は生まれて初めて口にしたご馳走に舌鼓を打ちながら天狗のことを考えていた。


(将棋を指す天狗かぁ。何のためにそんなことをしているのかしら?)


 宴もたけなわになったところで、柳雪は花柳界にこの人ありと言わせた舞踊を披露した。

 負けじと定朝も自作の舞「すぺえすころにぃ」を踊り返したところで宴会はそのままお開きとなった。


(意外とこの二人、相性いいのかも……)


 宴会がお開きとなり、宗歩と柳雪は定朝にようやく開放された。

 江戸で生まれ育ち、花が大好きなこの男は、既に二十年近くも京都に赴任している。

 江戸から来たこの二人と会って、きっと故郷に残してきた家族を思い出したのだろう。


 そのあと、二人は日吉丸という小姓に部屋まで通された。


「こちらでございます」


 部屋の襖を日吉丸が開ける。


「え…………」


 宗歩が石のように固まっている。


「ほほぉ、相部屋ですか。しかも布団がぴったり二つ並んでいますね」

 なぜか、柳雪はその並んだ布団を見ながらクスクスと笑っている。

「そ、そうですね」


 宗歩が慌てて返事をする。


(まさか同じ部屋とは……迂闊だった! ど、どうしよう……)


「宗歩さん!」

「は、はい!」


 柳雪が突然大きな声を出したので、宗歩の身体が一瞬びくっとなった。


「先に、お風呂にでも入ってきたらいかがですか」

「あ! 確かにそうですね。汗も随分と掻きましたし。それではお先に失礼します」


 宗歩は早口でそう言うと、居てもたってもいられずに日吉丸の手を引きながら走り去った。


 渡り廊下のその先の離れに風呂場はあった。

 浴室が併設されているとは、さすがは大名の屋敷である。

 宗歩の横に日吉丸が立っている。

 まだ十歳くらいだろうか。


「ここまで案内してくれてどうもありがとう。」

「はい」


 日吉丸がうつむいてもじもじしている。


「えと、どうしたのかな?」

「あ、あの、定朝様から『宗歩さまのお背中を流すように』と申し付けられましたので……」


 日吉丸はそう言うとなぜかほほを赤らめた。


(あの殿様、私が女だってこと気付いてわざとやっているんじゃ……)


 宗歩はだんだんと腹が立ってきた。


「いえ、結構です。棋士はたとえ入浴中であっても精神統一しなければなりません。できれば一人にしていただけますか?」

「そ、それは大変失礼いたしました! では扉の前で見張っていますね! 誰かが入ってきたら不味いですからね!」


(ど、どういう意味だろう……? ま、まぁいいか、取りあえず早く汗を流そう)


 風呂場はとても広く、そして当然のように誰もいなかった。

 宗歩はてきぱきと衣服を脱いでそそくさと浴室へ入った。

 まずは湯桶に湯を汲みそのまま自分の体に掛け流した。


(あぁ、生き返る……)


 宴会が終わるまで男装を強いられていた分、余計に解放的な気分になる。

 宗歩は、丁寧に体を布で擦ったあと、贅沢な檜の湯船にじゃぷんと浸かった。


「ふぅ。気持ちいいな。こんな広いお風呂なんて久しぶりだ」


 そんな独り言をつぶやきながら、宗歩はゆっくりと入浴を楽しんだ。


(柳雪様もお酒を召し上がられたせいかやけに上機嫌だったわね。まぁ、これはこれで良かったのかもしれない)


 その後、たっぷり湯に浸かり身体が十分に温まった宗歩は脱衣所へと戻った。

 体についた水滴を乾いた布でよく拭き取り、胸をサラシでまき直しす。

 そして棚に置いてあった菖蒲色の浴衣に着替えた。


(あれ?着替えなんてさっき置いてあったかな……? まぁ、いいか)


 宗歩が風呂場を出ると待っているはずの日吉丸がいなかった。


「全く見張りはどうなったのよ。でも、ほんといいお湯だったわ。」


 宗歩が上機嫌のまま部屋に戻ると、そこには柳雪がいた。

 ぼろぼろになった本を読んでいる。


(名人大橋宗英様の棋譜だ——)


 柳雪は暇があればこの棋譜を眺めていた。


(どうしてだろう。今までも一緒にいたのに、今日はすごく緊張する)


「あ、あの柳雪様……。お先に失礼しました。柳雪様も是非お風呂に行ってください」

「そうですか。ではそうさせてもらいましょう」


 そう言うと、柳雪は宗歩と入れ代わりに風呂場に向かった。


(よ、よし柳雪様には失礼だけど、緊張で疲れたってことにして寝てしまおう)


 宗歩は、柳雪が戻ってきたことを考えて明かりを灯したまま布団の中に潜り込み、無理矢理目をつむった。


(京都に来ていろいろあったなぁ。少しは将棋が強くなったかしら?)

(天狗って、いったいどんな将棋を指すのだろう?)

(柳雪様、遅いな……お風呂……まだかな……)


 ……………………

 ……………………

 ……………………


「そう———ん」


 ……………………

 ……………………


「宗歩さん」


 突然、声がして宗歩は目が覚めた。

 目の前には風呂上がりのせいか少し火照った柳雪が立っていた。

 胸元がはだけた浴衣姿が艶かしく映る。


 どうやらそのまま眠っていたらしい。


「あ、柳雪様。すみません、私、寝てましたね」

「いえいえ、それはよいのですが、ちゃんと自分のお布団に入らないと風邪をひきますよ。」

「え……!? し、失礼しました!!」

(確かちゃんと自分の布団の中に入ったはずなのに……お、おかしい、なんで私、柳雪様の布団の上で寝ているのよ! は、恥ずかしすぎる!)

「では、灯を消しますよ。宗歩さん、おやすみなさい」

「お、おやすみなさい」


 柳雪はそのまま横になった。

 どうやら、宗歩と反対側を向いてしまったようだ。


 しばらくの間、静寂が部屋を包み込む。


 ———ま、まずい。さっきので目が一気に覚めてしまったわ……

 ———ううぅ……ね、眠れない。


 そのとき突然暗闇のなかに柳雪の声がした。


「宗歩さん」

(おおお、け、結構近いぞ)

「はい! な、何でしょうか……」

「もし、良かったら……」

「よ、良かったら……?」


 ごくり……


「詰め物でも一緒に解きましょうか。」

「は、はい?」

「頭が冴えて眠れないときは難しい詰め物を考えるのが一番ですよ。解けなかった問題が不思議と解けたりしますからね」

「…………」

「宗歩さん?」

「おやすみなさい」


 月夜のもと日吉丸がクスリと笑った。


 煙霞跡なくして、むかしたれか栖し家のすみずみに目を多くもちしは、碁打のすみし跡ならんか

                      『今昔百鬼拾遺』より「目目連」 

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