第22話『姉妹の話。』
次の日の放課後。私と長峰さんで考えた作戦はシンプルなものだった。
まず、長峰さんが雫さんを呼び出す。もちろん本人には内容も伏せてあり、雪さんが来ることも知らない。
そして雪さんは私が呼び出す。雪さんは当然、雫さんが来ることを知っている。
二人が小さい頃に良く遊んだ公園で二人を引き合わせ、そこで話し合いをさせるというのが目的だ。
しかし、二人っきりでは当然話し合いが起こるわけもない。もしもそれだけで終わる話なのだとしたら、家で過ごしているうちに自然と解決しているだろうから。かなり無理矢理なやり方だけれど、雫さんの逃げ道を塞がなければならない。
「で、話ってもしかして冬木さん絡み?」
「んー、少しあるけど少しないみたいな?」
「……なにそれ?愛莉から改めて話があるのって超珍しいし、気になるんだけど」
そんな会話は目の前で行われている。雫さんは私がいることで怪訝には感じているようだったが、意外なことに特に不機嫌というわけでもなさそうだ。
「すみません、部活で忙しいのに」
「……別に良いケド。もしかして私と冬木さんを仲良くさせたい的な?」
「冬木さんには悪いけど、それよりもっと大事なことかな」
「ちょっと、さっきからなんかはぐらかしてばっかじゃない?」
怪訝は不審へと変わっていく。それも無理はないことで、いきなり呼び出されてその目的もハッキリとしないまま時間だけが過ぎていけば、誰しもがそういう感情になるだろう。
「そろそろ来るから」
「来るって、誰が?」
長峰さんは視線を移す。そこには丁度公園へとやってきた一人の人物が立っている。雫さんにとってはこの場にいる誰よりも長い時間を過ごしてきた人物。
水原雪さんだ。
「……ごめん、帰る」
それに気付いた瞬間、雫さんは私と長峰さんの間を抜けるように歩き出す。どうやら一言も話す気はないらしい。
「ストップ。今日はそういうのダメだから」
しかし、長峰さんがすぐさま雫さんの前へと立ちはだかった。雫さんのことをよく知る長峰さんだったからこそ、その雫さんの行動は予測できたのだろう。
「……は?なんなの?」
「今日は雫と雪さんで話し合わせるって決めてんの」
「人の家のことに首突っ込まないでくれない?」
雫さんは今度こそ機嫌を悪くし、長峰さんに顔を少し近付けて言う。普段は絶対に言い争いすらしない二人がこうして言い合うというのは、それほどまでに雫さんの中では大きなことなのだ。
「じゃあ言わせてもらうけど、こっちで気を遣うの結構めんどいんだよね。行事でグループ分けするときもいちいち「あ、雫は雪さんがダメだからこうやってこうして」みたいにしないといけないし」
「それ私が頼んだわけ?愛莉に直接「雪は避けてるから気を遣ってね」って頼んだわけ?頼んでないよね?」
「雫がそういう雰囲気出してるでしょ?雪さんが絡むとすぐ不機嫌になるし」
「愛莉がそうさせてるんでしょ……」
雫さんは雪さんの方に視線を向け、言う。しかしそれよりも問題は長峰さんも雫さんもヒートアップしてしまっているということ。私が引き起こしたことでこうなっているのだ。私が止めなければ。
『私だって』
声が聞こえた。長峰さん……ではない。雪さんでもない。雫さんからだ。
その声は、どのような感情だろう?
憎しみ、違う。
怒り、違う。
嫌悪、違う。
嫉妬、違う。
後悔……後悔?
雫さんから聞こえた声には、悔やむような気持ちがあった。一体何を?
「とにかく私は帰るから。手、離してくれない?」
「嫌だって言ったら?」
長峰さんの返答に雫さんは一段とキツく睨み付けた。このまま何もしなければ、雫さんは手を上げるかもしれない。そう思わせる空気が辺りを覆っていた。
「あのっ!!」
たまらず私は声をかける。二人は揃って私の方へ顔を向けた。
「私が、長峰さんに頼んだんです。雫さんをここに呼んで欲しいと」
「ちょっと。けど、乗ったのは私だから。率先してやったのは私の方」
私の言葉を遮るように長峰さんは口を開く。
「元を辿れば私です。雫さんと雪さんに必要なのは話し合うことだと思って……勝手なことをしてる自覚はあります」
「でも、私が呼び出さなければこうはならなかった。そうでしょ、雫」
「……あー、分かったから。二人でそうやられると、私が悪者みたいじゃん」
雫さんは言いながら、深呼吸をする。目つきも少し柔らかくなったように感じた。
「それで、目的は?」
「雫さんと雪さんが仲直りすることです。雪さんはずっと雫さんと仲良くしたいと思ってるんです」
私がそう言うと、雫さんは顔を顰める。まるで意味の分からない言葉を聞いているかのような顔をして、また雪さんへと視線を向けた。
雪さんは申し訳なさそうに立ち尽くしている。背丈が低い雪さんは、それよりももっと小さく見えた。
「は?そんなわけないでしょ。何年も無視して、一言も話してないのに。そんな相手と仲良くしたいって思うの?」
「……私には分かりません。私には兄弟もいませんから。でも、雪さんと話していると気持ちは伝わってくるんです。雫さんのことが大好きだって」
「意味が分からない」
雫さんは言い、長峰さんが掴んでいる手を引き剥がして歩き出す。向かった先は、雪さんのもと。
雪さんは少しだけ俯いて、立っていた。その前に雫さんは立つ。
「私に嫌われてるって自覚ないの?」
姉妹の数年ぶりの会話。その始まりは決して綺麗なものではなかった。雫さんは冷たく言い放ち、雪さんは服の裾をぎゅっと握り締める。
「……あるよ。お姉ちゃんはもう私のこと嫌いなんだなって」
「で、あんたは?そんな自分のこと嫌ってて、無視して、避けてる私に対してどう思ってるの?」
「好きだよ。ずっと、ずっと好き」
声が霞む。当たりが静かになる。私も長峰さんも黙って二人で耳を傾けていた。
「意味が分からない。あんた友達にそんなことされてもずっと好きなままなわけ?」
「ううん、きっと嫌いになると思う」
「……言ってること違うじゃん。さっきは」
そこで初めてだろうか。雪さんは雫さんの言葉を遮るように口を開いた。会話で雪さんは基本的に率先して口を開くことはない。そんな雪さんが人の言葉を遮ってまで話すということは、それは雪さんにとって譲れないものだからかもしれない。
「だって、お姉ちゃんだもん。たった一人のお姉ちゃんだもん。たった数年間無視されて、嫌われたくらいで嫌いになれないよ」
「……」
雫さんは喋らない。その表情はここからだと見えない。今、何を想っているのか。何を感じているのか。何を見ているのか。
「……じゃ、もういいかな。そろそろ帰っても」
いつも通りのような声色。でも、いつも通りではない。そう見せているような……そんな風に聞こえた。
しかし、ここで帰してはダメな気がする。私は止めようと一歩足を踏み出そうとしたところで、声が響いた。
「待って。まだ、話せてないことがあるから」
雪さんは雫さんの腕を掴む。意外なことに雫さんは腕を振り払うことも何か文句を口にすることもなく、その足を止めた。
「……ずっと、謝りたかった。私が妹って扱いされて、お姉ちゃんに迷惑かけて。お姉ちゃんは頼りになったから、私もそれに甘えて……私のせいで、お姉ちゃんがたくさん怒られて」
雪さんは震えた声で言う。ずっと伝えられなかった言葉は今なら届く。向き合い、話し合い、届けられる。あとはその言葉を雫さんが受け取るだけ。
「……ふざけたこと言わないで」
しかし、雫さんが受け取らなければそれまで。会話のキャッチボールとはよく言ったもので、受け取る意思がなければ続けることはできない。相手に受け取らせない意思しかなければ続けることはできない。
「ふざけてない。私はそれをお姉ちゃんにずっと謝りたくて」
「それがふざけてるって言ってんのッ!!」
雫さんは雪さんの手を払い、雪さんの両肩を掴む。雪さんは一瞬驚いたような顔をしていたが、すぐに元の表情へと戻った。
「あんたは……雪は、妹でしょ。周りがどう思ってるかとか、どう思われてるかとか関係ない。私が雪のことは妹だと思ってるんだから」
「大丈夫そうだね」
「……はい」
横で長峰さんが声をかけてくる。満足そうな顔をしていて、私もきっと同じような顔をしていただろう。
雫さんの声は震えていて、雪さんの顔をそれでもしっかりと見つめていた。
「一回もない、一回もないんだよ。雪のことを迷惑だとか、雪のせいでとか、そんなこと一回も考えたこと、ないんだから」
「……お姉ちゃん」
「私は……雪が私に着いて来なければ良いと思っただけ。私のことを嫌いになって、避けるようになって、そうなれば心配しなくて良いからって」
「……もしかして、あの日のこと?」
「……そう。私のせいで、雪があんなことになったから」
二人が話さなくなったきっかけの日。そのことだろうと思った。
「そうすれば、雪が危ない目に遭うこともないだろうって。それでずっと避けてきたのに」
それでも雪さんは避けなかった。変わらずに姉の方を見ていて、その日から変わらない感情を抱いていた。雫さんが失敗したことといえば、想像以上に雪さんが姉のことを大切に思っていたことだろう。
「私、ずっとお姉ちゃんは怒ってるんだと思ってた。私のせいでお母さんとお父さんに怒られて、それから嫌ってたんだろうって」
「雪のことを嫌いになったことなんて、一回もないよ」
雫さんは言いながら雪さんを抱き締める。雪さんは一瞬困惑した様子を見せたが、何が起きたのか理解できなかったからかもしれない。
それを表すかのように数秒経って、雪さんの瞳からは涙がぽろぽろと溢れ出していた。
「謝るのは私の方だよ。雪がずっと、ずっとそう思っていたなんて思わなかったから……ごめん」
「ううん、いいの。良いんだよ、お姉ちゃん」
些細なすれ違い。でも、きっと今こうして話し合ったからこそ分かり合うことができたのだろう。数年という長い時間があったからこそ、二人はお互いの気持ちに気付くことができたのだ。
雫さんは雪さんのことを心配して、遠ざけた。それは妹を守るために。無理に自分に付いてきて危ない目に遭わせないために。だから私が聞いた声は憎しみでも嫌悪でも嫉妬でも怒りでもなく、後悔だったのだ。
雪さんはずっと負い目を感じていた。自分のせいで姉に嫌われたんだと。それでも雪さんはたった一人の姉を嫌いにならなかった。たった数年間と言ってのけた。
「……そうだ」
雪さんは突然そう言うと、公園のブランコに向かう。私も長峰さんも雫さんも何事かと思い、雪さんへ顔を向けた。
「よ、いしょ……」
そのまま雪さんはブランコを漕ぐ。いち早く気付いたのは雫さんだ。
「雪、危ないから……」
「大丈夫」
そう言うと、雪さんはブランコから飛び出した。
ブランコの前に置かれた柵を簡単に超えて、そのまま地面へと足をつける。そして雫さんの方を向き、笑顔で言ったのだ。
「私も成長してるから、大丈夫だよ。お姉ちゃん」
次の日。
「なんか良いことでもあったのか?」
「なぜですか?」
校門の前で成瀬くんと出会い、そのまま立ち話をしていた。どうやら成瀬くんから見ると私は良いことがあったように見えるらしい。
「なんかにやけてんなって」
「私はいつも通りです。成瀬くんは……今日も冴えないですね」
「おい」
そんな話をしているとき、後ろから声がかかった。
「おはよ」
「おはようございます」
「おう、おはよ……は?」
声をかけてきたのは雪さん。その隣には雫さんがいる。
「雪、ちゃんと課題持ってきた?昨日帰ってやったやつ」
「うん、大丈夫」
そんな会話をしながら仲の良い姉妹は通り過ぎていく。私はそれを眺め、成瀬くんは口を開けてその光景を眺めていた。
「……どういう風の吹き回し?」
「さぁ、どうしてでしょうね」
「どうしてって、なんかしただろ」
それは一人の妹の話。それは一人の姉の話。
それは普通の姉妹の話。お互いがお互いを想う姉妹の話。
「さぁ、どうでしょうね」
それを人にペラペラと話すのは、少々無粋というものだ。
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