第20話『昔話。』

「いえ、勘違いです。雪さん、それは本当に勘違いで……」


「でも、男の子と女の子がお泊まりって……」


 雪さんは言いながら自身の目を両手で塞ぐ。ダメだ、このままだと雪さんにあらぬ勘違いをされたままになってしまう。それだけは訂正しなければ。


「本当に、本当に違います!雪さん、分かりましたか?私と成瀬くんはただの友達なんです!」


 雪さんの顔を両手で挟み、私は雪さんの目を見て言う。多分、きっと、恥ずかしくて酷い顔になっていたかもしれない。


「ふぁ、ふぁい……」


「……ほんとに分かりましたか?」


「わかりまひた……」


 ひとまず、無理やり感が凄いけれど……納得してくれたようで何よりだ。




「なるほど……分かったような分からなかったような」


「とにかく、変な関係ではないです。断じて」


 それから経緯を話し、ようやく雪さんはそんな言葉を口にする。あれは仕方なかったのだ。だってあのまま成瀬くんを家に帰していたら、下手をすれば遭難していたかもしれないし。


「必死な冬木さんは少し可愛かったかも」


「ぐ……」


 そんなに必死だっただろうか。いや……必死だったかもしれない。


「私はお似合いだと思うけどな、冬木さんと成瀬くん」


「ただの友達ですよ。それに……」


「……それに?」


「……いえ、何でもないです。それより雪さんはいないんですか、気になる人とか」


「気になる人……は、いるかも」


「誰ですか?」


 意外な答えに私は驚き、雪さんに視線を送る。雪さんは布団に顔を半分ほど埋めながら、ゆっくりと口を開いた。


「……高村くん?よく話しかけてくれるし、話しやすいから。でも、好きとかそういうのはまだ分からないけど」


「……なるほど」


 これは高村くんの努力が実りつつあるかもしれない。勉強会グループ自体の集まりはなくなってしまったけれど、各々の親交は深まったはず。その中で高村くんは雪さんにしっかりアプローチを取り続けているのだ。


「冬木さんはいないの?気になる人」


 その言葉を言われ、真っ先に頭に浮かんだ人がいる。現状、私が気になっている人。それは成瀬くんでも長峰さんでも秋月さんでもない。


「……雪さん」


「え」


 雪さんは驚いて目を見開く。今日は雪さんのことを驚かせてばかりな気がしてきた。


「……あ、変な意味ではなくて。その、実は雪さんとお姉さんのことが気になっていて」


「……お姉ちゃんのこと?」


 話さなければ進まない。余計なお節介だとしても、身の程知らずだとしても。何かをするためには何かをしなければならないのだ。


「雪さんがお姉さんと仲良くするためには、どうすれば良いのかとずっと考えてます」


「……それは。もう、当たり前になってるから」


「雪さんは仲良くしたくないんですか?」


「したいよ。お姉ちゃんのこと、好きだもん。でも、お姉ちゃんは私が鈍臭いから嫌いなんだと思う」


「そんなこと……」


 ない、と断言はできなかった。私はただの冬木空で、水原雫ではないのだから。水原さんがどう思い、どう感じ、どうしたいのかをまだ知らない。


「昔からずっと……なんですか?」


「ううん、昔は仲良かった。小さい頃は、私はずっとお姉ちゃんの後ろにくっついてたし……毎日一緒に遊んでた」


「それなら、きっとキッカケがあると思うんです。それが分かれば……」


「分かってるよ。何が原因か」


 言う雪さんは今にも泣き出してしまいそうで、これ以上聞くのは酷なことのように思えた。


 ……ダメだ。それではダメだ、冬木空。ここで止めるのは、それこそ無責任なこと。自分が決めたのだから、最後までしっかりとやり通すんだ。


 私は成瀬くんではないから、最適な方法なんてすぐに思いつかない。一番良い方法も解決策も出てこない。


 けれど。


『またお姉ちゃんと遊びたいな』


 私には、人の心が聞こえてくる。だから、私は私なりのやり方でどうにかしてみせる。


「雪さんが良ければ……教えてもらっても?」


「冬木さんにならいいよ」


 雪さんはそう言うと、ゆっくりと話し始めた。


 それこそ小学生の頃、水原姉妹はいつも一緒にいたらしい。


 近所の公園で遊ぶときも、家の中で遊ぶときも、少し遠くに行くときも。常に一緒で、仲のいい双子。それが水原姉妹だった。


 二人の性格は今とさほど変わらず、活発で友達も多い水原雫と内気で友達は少ない水原雪。正反対な二人だったけれど、だから一緒に居てもお互い楽しそうにしていた。


 両親からも雫さんはお姉さんという扱いをされていて、雪さんは妹という扱いをされていた。年こそ同じ二人であったけれど、その性格がピタリとハマった結果だろう。


 雫さんも雪さんもそれが当たり前だと思っていて、特に何も感じることはなかった。雫さんは雪さんの面倒を積極的に見ていて、雪さんは姉として心の底から慕っていた。


 仲の良い姉妹。友人よりも近い距離にいる家族。どちらか一人を遊びに誘っても、もう片方の姉妹が来るのは周りの友達から見ても当たり前のことという認識すらされていた。


 その日、二人は近所の公園にやってきていた。たまたま友達とは予定が合わず、二人っきりで遊ぶことになっていた。


「ほら雪、これできる?」


 ブランコに乗っていた雫さんは得意げな顔をし、勢いを付ける。そしてそのままブランコから飛び出して、目の前にある柵を軽々と超えて着地した。


「えー、怖いよー。お姉ちゃんすごい!」


「雪は怖がりだからね。ビビりだビビり」


「むー、でもお姉ちゃんもこの前遊園地に行ったとき、お化け屋敷で泣いてたじゃん」


「……そ、それとこれとは別!お化けとブランコは別々!」


「ふーん」


「そんなことよりキャッチボールしようよ、キャッチボール。優しく投げるから」


「いいよ!当てないでね?」


「当てない当てない。柔らかいやつだから当たっても平気平気」


 そんな話をしながら二人は公園でキャッチボールをしていた。運動が得意だった雫さんはゆっくりと投げ、運動が不得意だった雪さんは力なく投げ、とてもキャッチボールとは呼ばないようなものだったが、二人はそれでも楽しく遊んでいた。


「そろそろ慣れてきた?じゃあ今度はもう少し強く」


「……ひっ!」


 少しだけ強めに投げたボールは上に逸れ、近所の家の敷地の中に。


「あー、やっちゃった。わたしが取ってくるから、雪は待ってて」


「うんー」


 そうすると雫さんは早速塀をよじ登り、隣の家に。もしもその家の人に見つかれば怒られるだろうとドキドキしていたらしい。


 が、そのとき雪さんは少し不安になってしまったという。いつもは一緒にいる姉が近くにおらず、一人きり。それに姉の様子も気になり、自らも塀によじ登り、向こう側に行ってしまった。


 そして丁度上まで辿り着いたとき、運動が得意ではなかった雪さんはバランスを崩して落ちてしまった。驚いた顔をしている雫さんが見えたものの、幸いなことに大きな怪我もなかった。


 でも、それで終わりではなかった。


 落ちてしまった妹を心配する姉。そんな姉を心配させまいと痛みを堪える妹。そこにやってきたのは一匹の犬。


 犬は何度か吠え、迷うことなく雪さんに噛み付いたという。




「今思えば、血も出なかったしそこまで痛くなかったから……甘噛みだったのかな。ただ遊びたかったんだと思う」


 ぽつりぽつりと雪さんは口にする。


「けど、それでお姉ちゃんはお母さんとお父さんにすっごい怒られて。私も怒られたけど、お姉ちゃんはそれよりも怒られて」


 後悔、だろうか。雪さんの言葉からはそんな感情が読み取れた。


「それからお姉ちゃんは私と遊ばなくなった。私のせいであんなに怒られたんだもん、仕方ないよ」


 それに、と雪さんは続ける。


「お姉ちゃんが姉で、私が妹なのも周りが言ってるだけ。私とお姉ちゃんは……同じ日に生まれたのに。たったそれだけで全部お姉ちゃんの責任になっちゃった」


 だから雫さんは雪さんを遠ざけている。自分がこれ以上被害を受けないように、責任を問われないように。


「最初は無視されて、嫌な顔をされるようになって。私も話さなくなって、近寄らなくなって。それからずっとそのまま。だから、私が悪いんだ」


「……なら、一度話しましょう」


 私はその話を聞き、すぐにそう口を開く。考えることもなかった。


「お姉ちゃんは嫌がるよ」


「それでもです」


「……それに、冬木さんはお姉ちゃんに」


「嫌われてます。知ってます。でも、絶対に話し合うべきです」


 私は雪さんの顔を見て真っ直ぐに伝える。数少ない私が学んだこと。人と人が分り合うためには、言葉を交わすしかない。どれだけ仲の良い家族だったとしても、そうしなければ伝わらないことは数えきれないほどにある。


 ……昔の私だったらどう思っただろうか。


 少なくとも、話し合いをするべきだという答えは出なかった気がする。


「……私がやめてって言ったら?」


「それは……無理強いはできません。でも、雪さん。雪さんはお姉さんのことが好きなんですよね」


「……うん」


「それなら、やるべきことは一つのはずです。私に任せてください、雪さん」


 言ってから思う。まるで成瀬くんのようなセリフだな、と。

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