第14話『東雲結月』

「ちょっといいか」


 校門から出てきたのは二人。


 俺の前を通り過ぎようとしたそのとき、俺はその二人に向けて声をかける。


「……おやおやおや、制服からして神中高校の先輩ですか?中学校の前で待ち伏せるように立っていると怖いですよ、先輩」


 真っ先に反応をしたのは他でもない、東雲自身だ。傍らにいる生徒は顔こそ俺は向けたものの、反応は示さない。


 朱里に見せてもらった写真から、東雲を探すのにはそう苦労しなかった。明るい茶色の短めの髪、薄く化粧がされた整った顔立ち、制服のスカートは短く、朱里よりかは幾分か大人っぽくも見える。中学生と予め言われなければ高校生と見間違えているかもしれない。


「ちょっと話があるんだ。ここだとあれだから、近くの公園でいいか?」


「まさか入学前に先輩から告白ですか?私も隅におけないですねっ。けど先輩、私ってこう見えてガードは固いんですよ?」


 俺の言葉に東雲は口元を抑えながらくすくすと笑う。秋月家や紅藤とならぶ神中では御三家と言われるうちの東雲家。その東雲家は教育に重きを置いており、教育理事という立場でもある。それもあってか、東雲の仕草は気品に満ち溢れていたものの、その発言は俺をからかっているものでしかない。


「ある意味そうかもな。それでいいか?」


「ダメだったら無視してますよ?わざわざ足を運んで、校門で待ち伏せをして、一途にも私を待ち続けた先輩にご褒美です。東雲結月が先輩の話を聞いてあげましょう。幸いなことに今日は大した用事もありませんし」


 尚も笑って東雲は続ける。


「なんなら先輩のお家でも、人目に付かないもっと落ち着けるところでも、どこでも。私は構いませんよ?」


 一歩、二歩、東雲は俺との距離を詰めて言う。その端正な顔立ちが俺の視界を埋め尽くすほどに近い距離……およそ初めましての男女が作る距離感ではない。


 そんな息もかかるほどの近い距離で東雲はじっと俺を見つめるが、不思議なことに俺は何も感じなかった。それは東雲が裏で糸を引いているかもしれないという前提知識がなくても……変わらなかったと思う。


「ということらしいので、|如月(きさらぎ)さん。今日はここでお別れですね」


「分かりました」


 如月と呼ばれたのは東雲の隣を歩いていた女子だ。黒い髪は腰ほどまであり、目つきは鋭い。秋月を更に凛とさせたような風貌の持ち主。その生徒は東雲に一度頭を下げると、すぐに振り返って歩き出す。まるで召使いのようだという印象を受けてしまう。


 いや、それよりも……東雲結月だ。俺は明らかに東雲に対して異常なものを感じていた。


 話し方、仕草、視線。そんな分かりにくいものではない。俺にだけ分かる……東雲の異常性。


 こいつは最初から最後まで真実を何一つ話していない。そしてそれは冗談や勘違いではなく、悪意を持って俺を騙すために吐いている嘘なのだ。


 俺が今まで会ったことのない種類の奴。それは明らかに異様な光景だった。




「あーあ、せっかく先輩と二人っきりでイチャイチャできると思ったのに。こんな公園だなんて、ちょっとロマンチックではないですね」


「悪いけどそんなものは求めてないからな。俺は成瀬、神中高校の一年だ」


「一年……なるほど。あ、私は東雲結月です。もう少し経てば先輩の後輩になりますね。でも先輩、ここで私に告白をして振られてしまったら、先輩が卒業するまで気まずくなってしまいますよ?」


「お前、長峰愛莉を知ってるか?」


 無駄話をする気もなく、本題に入るべく俺がその名前を出すと、東雲はにこりと笑う。一見すると悪意なんて全く持ち合わせていないような少女だが、先ほどからずっと東雲の周りは黒い靄で埋め尽くされている。


「もちろん知ってますよ、長峰先輩ですよね。私が尊敬しているうちの一人です」


「……尊敬ね」


 だったら次にぶつけるべき質問は……。


「三河は知ってるか?」


「……三河?」


 そこで初めて東雲から出る黒い靄が消える。演技ではなく、騙すためではなく、本気で心当たりがないような反応だ。


「三河陽菜だよ。俺と同じ高校一年の」


「三河陽菜……うーん……残念ながら心当たりはないですね」


「……は?」


 東雲は嘘を吐いていない。だが、それはあり得ないことだ。本人の口からその名前を聞いており、更には冬木が直接三河の思考を聞いていて、そこで出てきたのが東雲結月という人物なのだ。だから知らないということはあり得ないし、三河本人も東雲に指示されたと口にしていた。そこに嘘はなく、その場凌ぎの言い訳でもなかったのだ。


「いや、知ってるだろ。お前は関わりを持ってるはずだ」


「んー……本当に知らないですよ?先輩、もしかして誰かと勘違いしてます?」


 そんなはずはない。東雲なんて珍しい名前の奴は一人だけで、東雲結月しか存在しない。だから間違えようなんて決してないはず。


「まぁ知ってる知らないでお話を続けても仕方ないので、ここは一旦知っているということにしておきましょう。そう聞いてきたということは、先輩にとっては私が知っているべき人ということですよね?ならその方が都合がいいので」


 にこにこと笑って東雲は言う。確かにそれはそうなのだが……それはあくまでも東雲が三河を知っているという話があってこそのものだ。


 ……が、これ以上その話を続けても平行線か。


「だからお話の続きをどうぞ。それで、長峰先輩と三河という人が私となんの関係が?」


「簡潔に言うぞ。長峰が嫌がらせを受けていて、その犯人が三河だ。その三河から裏で糸を引いているのが東雲って情報を引き出した」


 俺が言うと、東雲は一瞬だけ考える素振りを見せる。しかしそれは本当に一瞬のことで、東雲はまた笑った。


 笑って、こう言ったのだ。


「なんだ、最初からそう言ってくれれば無駄な時間を過ごすこともなかったのに。それならもしかしたら、先輩が言うように私は三河という人と顔見知りかもしれませんね」


「……は?」


「多分、こうじゃないですか?私が三河という人を脅して、長峰先輩に嫌がらせをさせた。でも私はそのことを覚えていない。ほら、綺麗になりました。話の矛盾が消えましたよ」


 手を合わせ、東雲は相変わらずの笑みで答える。


 ……こいつは一体何を言っている?理解が全くできないが、もしもその通りなら話の筋は一応通る。


 だが、そんなことがあり得るか?脅しをかけ、そこまでさせておいて覚えていないなんてことが。


「私には長峰先輩に対する嫌がらせをさせる理由もありますし、三河という人を使うのも私らしいなと思うので多分それで正解ですよ。忘れてしまっていてすみません」


「いや……お前は……何を言ってるんだよ」


「そこまで不思議なことですか?先輩だって今日すれ違った人全員のことなんて覚えてないですよね?それと同じですよ。当たり障りのないことを覚えておく必要はありませんから」


 つまり、東雲はそんなことなどすれ違った人たちのようなものだと、そういうことを言っている。長峰があれほどまでに様々な嫌がらせを受けたことを……だ。


「他に何か私に聞きたいことがあれば、なんでも答えますよ。先輩は少し面白いので」


「……どうして長峰に嫌がらせをさせたんだ」


「長峰先輩が中学生のとき、私が話しかけたら「ちょっと忙しい」と無碍にされたからです。でも、だからってそんな追い詰めようとは思ってないので安心してください。なんて言うんですかね、言葉でうまく説明するのは難しいんですけど……お遊びのようなものですよ。私って結構子供っぽいみたいで、蔑ろにされるとイタズラをしたくなっちゃうんですよね」


 たったそれだけのことで、三河まで使って嫌がらせをさせたというのか、こいつは。


「それであいつがどんだけ心に傷を負ってると思ってんだよ、お前は」


「後輩からのただの可愛いイタズラじゃないですか。それに私の見立てだと、長峰先輩はその程度のことでへこんでしまうということもないはずですし」


 だから問題なんてないだろうと、そう言いたいのか。


「ですが、成瀬先輩がそこまで言うのなら別に良いですよ、私の気も幾分か晴れましたし。成瀬先輩が今みたいに怒っている様子を見ると、効果もあったみたいですしね。私も何も不登校にさせちゃおうとか、そこまでは考えていないので」


 東雲は笑顔を崩さない。まるで友人と楽しく雑談をしているような雰囲気で話し続けている。


「それをするのはとっても簡単ですけど、つまらないじゃないですか」


 この東雲結月という奴は、決定的に何かが欠如しているようなそんな感じがした。


「さて、それで他に何かありますか?」


「あるに決まってんだろ。長峰に謝罪する気は?」


 聞いても無駄なこと。東雲の答えは分かりきっている。たった少ししか東雲とは関わっていない俺だが、すぐに理解できた。


「必要がないですね。私が頭を下げるのは敗北が決まったとき。完膚なきまでに叩きのめしてくれたら頭を下げてもいいですよ。そのときは土下座でもなんでもしてあげます」


 その言葉とはかけ離れた笑みで東雲は言う。こいつは異常だ。完全にどこかのネジが外れてしまっているように見える。


「どうして人を貶める。噂によれば、お前の学年だけ不登校が多いらしいな、東雲」


 そこまで話をする気はなかった。しかし、東雲の異常性に触れるとその噂は確信にも思えた。顔を合わせて話したからこそ分かる。その原因は確実に東雲だ。


「文化祭、とても楽しかったです」


「は?」


「先輩はリーダーシップというものをどうお考えですか?」


「……人に慕われること、人を扱うのに長けたこと。それがどうした」


「そうです、その通り。私の学年は私が指揮をとっています。私が三年間を使い、学年全員の弱みを握ったおかげで」


 東雲の表情は変わらない。変わっていないが、雰囲気は変化したように思えた。


「私のやり方はシンプルですよ。私に心を許して弱みを話した人にこう伝えるんです。あなたと同程度の弱みを別々の人から一つずつ手に入れろ、とね。無理だったらあなたの弱みを晒すと。たったそれだけです」


 変わらぬ調子で東雲は続ける。見た目だけで言えば東雲は普通の女子と変わらない。しかし、その口から出てくる言葉は考えられないものばかりだ。


「自分の身を守るためなら、人は本気になれるんです。それが新たに誰かを犠牲にすることでも。みんな自分が可愛いんです。可愛くて可愛くて堪らない。だから他人のことなんて考えない。それともう一つ、人を簡単に信用するものではないという教訓も得られますね。先輩も分かってるんじゃないんですか?」


「……そんなことして何になる?お前は何がしたいんだよ、東雲」


「能力のある人物が上に立つのは当然じゃないですか?私が他の人より優れている、だから私が学年を仕切る、そうすれば意思は統一されて効率的に洗練される。より良い方向へ向かうために。ですが口でいくら説明しても理解できない人も多いですから、実際に掌握してみせたんですよ」


 なんの疑いもなく、自分自身の言葉になんの疑問もなく、東雲は真っ直ぐとした瞳で優しく笑いながら言う。心の底からそう信じて疑わないように。


「もしそれが成功しているなら、お前の学年だけ異様に不登校者が多いわけがないだろ。わざわざ一人の生徒が仕切る意味も分からないしな」


「それです、それ。私がこうやって話すとみんな言うんですよね、意味が分からないと。だからこう伝えるんですよ。数年後、私が人の上に立つときの練習だと」


「……俺には分からないな、お前の考えが。お前について行く奴がいるのかすら疑わしい」


「根本的に間違えてますよ、先輩。ついて行くのではなく、ついて来させるんです。私に必要なのは私の言葉に忠実に従うワンコちゃんだけ、それ以外は不要なんです。それに先輩も見ましたよね?如月さん」


 その言葉に繋がりがあった。だから東雲は人の弱みを握る。それを利用し自分に従うものを集める。全ては自分の将来のために……その練習のために。


「彼女とはもう長い付き合いです。でも、私が言えば喜んで背中でも、頭でも、顔でも、私の足置きになってくれるんです」


「さっき言いましたよね、文化祭が楽しかったと。私はそれ自体には興味がないので自由にやらせたんですけど、私のクラスは映画を作ったみたいなんです。ですがその全ては私のものでもあるので、一応鑑賞をしたんですよね」


 東雲の話は突拍子もなく変わっていく。それは恐らく東雲が会話の主導権を握るためだ。現に今、俺は東雲の言葉に耳を傾けるしかなくなっている。


 厄介な奴とは聞いていたが……ここまでとは。およそ中学三年と会話をしている気分ではなくなってくるな。


「とても稚拙なものでしたよ。あくびがでちゃうくらいに。でも、楽しかったです。人に腰掛け、人に足を置き、人に背もたれの役目をさせる。私の三年間の努力の賜物というやつです。それを実感できた文化祭は、とてもとても楽しいものでしたよ」


「お前は異常だよ、東雲。お前と話していると頭が痛くなるし疲れてくる」


「そうですか?私は先輩とお話しするの楽しいんですけど。私のことを軽蔑しているようなその眼も、口調も、表情も。今すぐに先輩のことを支配して、私の靴をここで舐めさせたいくらいには」


「やれるもんならやってみろ。もういい、お前がやったことだけは覚えておく」


「ふふっ。私も成瀬先輩のことは覚えておきますね。こういうふうに私のところへ来て私を問い詰めようとした人は初めてなので」


「ただ、次同じようなことを俺の友達にやったらタダじゃ済まさないからな」


「……それって脅しですか?私のことを先輩が脅しているんですか?」


「ああ、別にどう捉えてもらっても構わない」


 そこで東雲は一段と笑みを深める。まるで楽しそうな、ワクワクするような物を見つけた子供のように。


「もうすぐ始まる高校生活が楽しみですね。今の中学生活は簡単で退屈で窮屈だったので」


 俺はそんな言葉を無視し、歩き出す。だが、俺の足を止めるには充分すぎる言葉を東雲は告げた。


「先輩、最近学校だといじめや交友関係やらで不登校になる人が多いんです。私の中学ではという話ではなく、全国的に」


 俺は反応を示さない。だが、東雲は続ける。


「それと成瀬というのはこの辺りでは珍しい苗字ですね。聞かない苗字でもあるので、覚えやすくて助かりますよ。確か、二人。一人は成瀬先輩、もう一人は……あ、もしかして兄妹だったりするんですかね?」


「けれど、私は心配です。何があるか分からないのが人生というものですし。だから成瀬朱里さんにはそういうものに悩まないで過ごしてほしいものですね。ふふっ」


「お前……ッ!!」


 俺は勢い良く振り返る。今しがた東雲が口にした見逃せない言葉を断ち切るために。が、俺が振り返るとすぐ目の前には東雲の顔があった。


「今すぐ私の靴を舐めてくださいよ、先輩。そうすればきっと何も起こらないですよ。成瀬朱里さんは今までみたいに笑って、楽しく、残りの時間を過ごすことができるかもしれません」


 東雲は更に顔を近づける。息と息が触れ合いそうなほどに近い距離で、俺の瞳をじっと見つめ、囁くように言う。


「なんて、冗談です。このやり方は少しつまらないですね。やるならもっと徹底的にやりたいですし。でも先輩、脅し合いだと私の方が少し有利だったみたいですね。ふふっ」


 言い、東雲はにこっと笑う。年相応の笑みを浮かべながら。口さえ開かなければ東雲はただの少女にしか見えない。だが、こいつは俺が今まで出会った中で一番と言っても良いほどに悪意の塊のような奴だ。人のことを人と思っていない。全ては自分を中心に回っている。そう確信しながら動いている。


「安心してください。私は壊れるのが簡単に想像できる玩具よりも、壊れたときにどんな姿になるのかをワクワクさせてくれる玩具の方が好きですから」


「お前とは……何があっても絶対に分かり合えなさそうだな」


「そうですか?私は先輩のこと好きですけど。四月からよろしくお願いしますね、先輩」


 それが俺と東雲結月の出会いであった。

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