第2話『最悪で幸運な始まり』

 最悪だ。


 俺は一人思いながら廊下を歩く。その最悪というのも、高村を勉強会に誘うのが俺の役目になったからだ。


 昨日、あのあとに行われた話し合いでそれが決まってしまった。幸いなことに冬木と長峰は頭が良く、勉強を教えられる余裕もある。主に勉強を教えるのはその二人の役目。それに加えて木之原の方は女子たちが声をかけるという話になっている。


 そうなれば当然、俺だけ何もしないという話になるわけもなく。俺は高村を連れてくることが仕事になってしまった。


 そもそも話したことすらない相手をどう引き連れるか……しかも仲が良い悪い以前に一度揉めているところから。


 まぁ、俺が直接揉めたわけではないが……三好グループからすればあまり変わりはしないだろう。西園寺を筆頭に朝霧、冬木と仲良くしている俺たち全員は同じくらいの認識がされていてもおかしくはない。良い印象ではないのは確かなのだ。


「高村、ちょいパン買ってきてくんね?」


「おっけーおっけー、いつものでいいっしょ?」


 教室の前でそんなやり取りを見かける。矢西は高村の背中を軽く叩き、高村は不満なく歩き出す。一見すれば図体は高村の方がでかいし、グループのリーダーとしては矢西より高村の方が合っていそうな気もするが……よく分からないもんだ。


「おはよう」


「おはようございます」


 教室に入り、いつも通り席に着く。冬木は俺に気付くと頭を軽く下げ、読んでいた本に再び視線を落とす。そっちの様子はどうだったか聞こうと思っていたけど……まぁ読書の邪魔をするのも悪いし、あとでいいか。


「問題ありませんよ」


「……ん、なら良かった」


 視線は変えず、俺にだけ聞こえるように冬木は言う。こういうことにも慣れてしまえば、意外と便利だったりもするもんだ。


「成瀬くん、おはよー」


「……うわっ!」


 と、そこで横から声がかかる。


 視線を向けると、すぐ真横に女子が立っていた。俺は驚きのあまり椅子ごと体を窓際に追いやる。正確にいうと追いやられた。


「えーっと……木之原、だよな?」


「わ、覚えててくれたんだね。嬉しい」


 屈託のない笑顔。どこか暖かみのあるオーラ。日頃の疲れが癒やされるような気分だ。


 雰囲気に添った色付けをするのであれば、冬木は白。木之原はオレンジや赤のような暖色系だな。


「えっと……その、何用で?」


「昨日、冬木さんと長峰さんから勉強会のお誘いを受けてね。成瀬くんも参加するって聞いてたから、ありがとうって言おうと思って」


 にっこりと笑って木之原は言う。本当に棘がなく、話しているだけでこっちまで優しい気持ちになってくるな……。あの西園寺が牙を抜かれたようになってしまっていたのもこれなら無理はない。


「……え、俺も参加するの?」


「って私は聞いてたけど……」


 俺が尋ねると、木之原は俺の前に座る冬木に視線を向ける。冬木もそれを感じ取ったのか、読んでいた本をパタリと閉じ、顔を俺たちの方へと向けた。


「もちろんです。私と長峰さんは一度も勉強会に参加しなくて良いとは口にしていません」


「お前将来詐欺師とかになれそうだな……」


 てっきり高村だけ連れてくれば俺の役目は終わりとばかり思っていたが……。


 末恐ろしい冬木にこれ以上文句を言っても、俺の参加は既に決まってしまっている。冬木と長峰のタッグに口で言っても勝てるわけがなく、俺は諦めて現状を受け入れることにした。


「あー、そうらしい。よろしくな」


「うん、よろしくねー。結構ピンチって先生にも言われちゃったから、頑張らないと」


「木之原って頭良さそうだけどな。結構バカだった……いてっ!」


 左足のスネを目がけ、冬木の足が命中した。俺の発言を止めるためだと言うのはすぐに分かったが、もう少し止める手段を別のものにして欲しい。いやマジで痛い……。


「わ、成瀬くん大丈夫……?」


 それを見ていた……正確に言えば木之原からは見えない位置で起きた出来事だったが、心配そうに木之原は俺の顔を覗き込む。すると……。


「もしかして、頭痛とか?痛いの痛いの飛んでけー。どうかな?」


 俺の頭に手を置き、木之原はにっこりと微笑みながらそんなことを言う。


「……大丈夫っす」


 俺、木之原の前でなら何回でもスネ蹴られて良いかも知れない。




 その日の昼、俺と冬木はクラス委員室にて昼食を摂っていた。今では恒例となったこの時間は、学校での密かな楽しみの一つである。


「……まだ声をかけていない?」


「そんな未知のものを見るような目つきで俺のことを見るなよ。仕方ないだろ、なんて話しかければ良いか分からないんだし……」


「簡単ですよ。勉強会をして、補習テストの対策を手伝いたいと言えば良いだけです」


「……お前それ本当に言ったの?」


「……私の言葉に何か間違いでも?」


「いや質問に答えろって。その言葉は冬木が言ったのか?」


「そう、ですが?それが?」


 冬木は俺から顔を逸らして言う。そして冬木の周りには黒い靄。やっぱり嘘だった。


「長峰だろどうせ。冬木のコミュ力で誘えるわけないもん」


「人のことを言えるんですか成瀬君は……。そう言うのなら、成瀬君はしっかりと高村君を誘えるということですよね」


「……なぁ、それで相談があるんだけど」


 俺には頼れる友人が少ない。長峰の場合は取引材料を用意しなければならないし、秋月は自分の仕事ではないと面倒くさがるだろう。そうなると冬木の助力を得るしかないというのが俺なのだ。


「お断りです」


 が、その内容を言う前に冬木から却下されてしまった。俺が何を言うか分かっていたのか、それとも思考を聞いたのか。


「そこをなんとか……!」


「成瀬君が最初から素直に頼んでいれば聞いてあげました。ですが、私のことを馬鹿にしたので嫌です」


 ぷいっとそっぽを向いて冬木は言う。今日の冬木は少しだけ不機嫌だ。いつもなら頭を下げれば聞いてくれそうなものだったが……少し俺が甘かったのかもしれない。


「木之原さんに頼んでみればどうですか。彼女ならきっと何も言わずに助けてくれますよ」


「なんで木之原なんだよ……別にそんな仲良くないし」


「痛いの痛いの飛んでけとやられて喜んでいたくせに」


 ……冬木のじっとりとした目つきが恐ろしい。


 とにかく、この件に関しては冬木の力を借りるのも難しそうだ。




「はぁ」


 そしてとうとう放課後になってしまった。勉強会は来週から始まり、時間はあまりない。それに高村が快諾してくれる確証はどこにもなく、それなら何度も誘うためにも出来る限り早く声をかけた方が良いのは明らかだ。


 しかしどう声をかけたものか……。


 悩みながら校舎の中を歩く。特に目的地があるわけでもなく、まるで亡霊のように彷徨っている。


 そんなとき、目の前から一人歩いてくる奴がいた。


「……あ」


 水原妹………水原雪。学園祭では多少打ち解けた人物ではあるものの、よく話すというほどではない間柄。必要があれば話すようなそんな関係の女子だ。


「雪ってなんか部活とかやってるんだっけ?」


 学園祭のときに水原姉妹とは話している。そこで班の中で水原が二人いることになるから、名前の方で呼ぼうと話があったのだ。もっとも、水原姉の方は雪がいるということもあって協力的ではなかったが。


「……図書委員。今日は本の整理があったから」


 雪はそう言うと、軽く頭を下げて俺の横を通り抜けていく。いつも通り言葉数の少ない奴だな。多分だけど、それで放課後も学校にいて、今から帰るという意味なのだろう。


 いつもであればそのまま会話は終わり、俺も歩き出していただろう。だが、今日はそうはいかない事情がある。今現在の俺は猫の手でも借りたいほどに困っている。


「あーっと……雪、ちょっと頼み事があるんだけど」


「……?」


 俺が雪の背中に声をかけると、雪は振り返って首を傾げた。前髪の間から見える瞳にはどこか迷っている様子が見え、雪の心境を表しているようにも見える。


「実は……」


 俺は起きていることを一通り説明する。勉強会のこと、高村を誘うのに困っていること、協力して欲しいこと。


「……それって、私じゃないとだめ?」


 困惑したように、おどおどとした様子で雪は言う。が、すぐに慌てて口を開く。


「あ、いや……じゃなくて、なんで私なんだろうって」


「他に頼れる奴がいなくてさ。どうしようって悩んでたら雪と丁度出会ったから」


「成瀬くんって友達多そうなのに」


 嫌味……ではないか、さすがに。雪はそんなことを言うタイプではないし、本気でそう思っているのだろう。


「マジでそう思ってるなら超良い奴だよ、お前……」


「……あ」


 今の「あ」には、まさに察したというものがこれでもかというほど詰め込まれていた。これ以上そこを深掘りすると俺は大ダメージを負うので、それとなく話題を元の軌道に修正する。


「それで、えーっと……迷惑なら良いんだけど」


「……ううん、大丈夫。私で力になれるか分からないけど」


「俺が出会った中で一番良い奴だよお前は……」


 泣きそうになりながら、雪に感謝を告げる。俺の周りには見返りを求めてくる奴、面倒臭がる奴、唐突に不機嫌になる奴だらけだからな。こうも素直に頼みを聞いてくれるというのは、それだけで女神にすら見えてくる。


「……それで、高村くんだったよね。私、場所分かるかも」


 雪は俺の顔を見上げ、長い前髪の隙間から俺の方を見る。どことなく感じる妹感、朱里がこんなタイプだったら俺は妹のことが大好きな人間になっていただろうな。


「マジ?やっぱ雪に頼んで正解だったな」


「うん、任せて」


 言いながらにっこりと笑い、ピースを作る雪。案外笑うし、案外気さくなところもある。ただ大人しいタイプで人と話すことそのものが苦手な奴と認識していたが、そういうことでもないらしい。


 とにかく、今は雪に感謝して……高村のもとへ行くとしよう。

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