第9話『秋月純連その3』

「おう、まー適当にくつろいでくれよ」


 そういう西園寺自身はソファーに寝転がり、立ち尽くす俺と秋月を見る。文句はもちろんないが、西園寺らしいといえば西園寺らしいな……。


 そして言われた通りに俺は床へと腰かけ、秋月も同様に座り込む。


 西園寺自身はなんというか、いつもとあまり変わらない。それは当然そうなのだが、学校では見えない一面というのが西園寺にはない気がした。


 ハムスターのことは意外と言えば意外だが……ヤンキーは動物に優しいというこの世の常識があるからな。ヤンキーであればあるほど動物に優しくなるのだ。


「そういえば、二人って仲は良いの?」


 正に真逆とでもいうべき二人である。秋月と西園寺……学校での秋月は真面目という言葉の塊のようなやつだし。


「ん?んー……まぁ普通って感じだな。用がなければ話さねぇし、そもそもアタシが琴音以外とは絡まねぇしな」


「そうだな。私も面倒……いや、西園寺自身がそうなのに無理に親交を深める理由もないだろうと思っていた」


 こいつ今絶対面倒事に巻き込まれたくない……系の発言しようとしただろ。確かに西園寺は見るからに面倒事を引き連れてきそうなタイプだけども。


「ま、これから三年間過ごすわけだし秋月も西園寺も仲良くしてくれるとありがたいけどな。クラス委員としては」


「別にアタシは喧嘩を売られなきゃ売らねえよ。つっても誰とでも仲良くできるわけじゃねぇ」


「三好か」


 その言葉に反応を示したのは秋月だ。三好たちと西園寺、朝霧の一件はクラス内でも今尚軋轢を生んでいる一件でもある。こっちの方はすぐに解決……というわけにもいかないか。


「あの気取ってるガキか。アタシは別に良いけどな、あの話は終わったことだし」


 と、一番揉めていた西園寺からは意外な答えが返ってきた。てっきり今もまだ三好に対しては絶対に仲良くなれない……なんて言葉が返ってくると思っていたのだが。


「どっちかっつうとアタシより琴音だな、三好のことは。次似たようなことがあれば、琴音は多分容赦しねえと思う」


「容赦してもらわないと困るんだけどな、俺としては。でも意外だよ、一番怒ってるのは西園寺だと思ってた」


 俺が言うと、西園寺は両手を頭の後ろに回して天井に視線を移す。


「ん、怒ってないってわけじゃねえよ?ただアタシより琴音のがキレてるっつう話。ああ見えて琴音は案外頑固だしな」


「朝霧は……そうだな、芯が人より強い気は私もしている。だから不思議なんだよ」


「不思議?」


 秋月の言葉に反応したのは西園寺だ。視線は秋月の方に向いており、秋月の感じている部分が気になっている様子だった。


「ああ、そうだ。朝霧自身も分かっているはずだろう?クラスの内情については。烏滸がましいかもしれないが、朝霧ならクラスの問題にも手を貸してくれそうな気はするんだが」


「それはねぇだろ。あいつはアタシ以上に群れるのが嫌いだしな」


 ……そう言われるとそんな気もしてくる。あの一件以来、学校で西園寺と話すことは増えたが……朝霧と話すタイミングといえば周りに誰もいないときだったり、人目につかないところの方が多い。


「必要以上に誰かと仲良くなることもねぇよ、多分。だから冬木と仲良くなったのはアタシも驚いたんだ」


「何か理由でもあるのか?」


「……心当たりくらいはな。でもアタシから話すことでもねぇ。でも……このままじゃよくねぇことはアタシも分かってる」


 西園寺の言葉は不思議な重みを持っていた。そこになんらかの理由があるのは明白であったし、朝霧のことを心配しているようにも見えた。だが、今はここまで。これ以上西園寺に聞いても答えを得られることはないだろう。


 そう思っていたそのとき、西園寺は意外な言葉を口にした。


「つうわけで、本人に聞けよ。今日はあいつ道場にいるだろうし」


「道場?」


「空手の道場だよ。話してなかったっけか?」


 その言葉は眼で見ずとも嘘ではないことは明らかだった。何より俺と秋月は一度、朝霧の動きというのを直接見ているから。


 誰が見ても素人の動きでないのは明白だったし、その身のこなしもそれならば納得ができるというもの。


 しかし、朝霧本人に聞くっていうのは……かなり敷居が高くないか?西園寺の言葉はもっともだけど、段階とか普通は踏んでいくものだよな?


「今から行けば丁度終わるくらいだと思うしな!よし、そうと決まれば行くぜ、成瀬に秋月!」


 行動力抜群の西園寺の前では、行動力があまりない俺と行動力が皆無の秋月の意見は完全に無視されるハメになりそうだった。




「よ、お疲れさん」


「姫……と、成瀬に秋月? 珍しい組み合わせだね」


 それから道場へと連れて行かれた俺たち。秋月は既に帰りたそうな空気を醸し出しているが、最早これはどうにもならないだろう。諦めてもらうことにして俺は朝霧に軽く手を上げて挨拶をした。


「こいつらが琴音に聞きたいことがあるんだってよ。じゃ、アタシは用事が済んだし帰るぜ。ハムローの相手しなきゃいけねえしな」


 あのハムスター、ハムローって名前なのか。可愛い名前に反して凶暴なハムスターへと成長してるけど大丈夫なのかな。


 って……そんなことより。


「お前俺たち置いて帰んなよ!おい!」


 時既に遅し。自転車に跨る西園寺の背中は遠いところにあった。


「悪いね、姫が無理矢理連れてきたって感じだよねこれ。どういう流れでそんなふうになったの?」


 空手の練習終わりの朝霧はジャージ姿にタオルで汗を拭いながら俺たちに尋ねる。清涼剤でも使っているのか、心なしか良い匂いが鼻をつく。


 ……冬木がいなくてよかった。こんな思考を聞かれたらどんな視線を向けられるか考えられたものではない。


「えーっとだな……」


 俺は観念し、朝霧に事情を話すことにした。ハムスター探しのこと、西園寺と出会ったこと、話の流れで朝霧のところへ連れて行かれたこと。もちろんその理由については伏せたが。


「なるほどね。でも私的には丁度よかったかも、二人には話があったし」


「俺たちに?」


 それは予想外の言葉だった。秋月の方を見ると秋月もまた予想外のようで、少し眉をひそめている。


「そ。歩きながらでいい?」


 そう言いながら、朝霧の話は始まった。


「ま、単純な話……長峰のこと。二人とも仲良いでしょ?」


「まぁそうだな、それなりに」


「私が長峰のこと嫌ってるのも知ってるよね?」


 その話は当然知っている。前に確か同族嫌悪……と言っていた気がするな。


 となれば、俺たちにする話というのは長峰のことか。俺も秋月も長峰とは親交が深いから。


「前に少し話してくれたしな。同族嫌悪だっけか」


「そう、それ」


 朝霧は息を少しだけ深く吸い込むと、空に向けて吐き出した。白い息は風に乗ってどこかへと消えて行き、それに合わせたかのように朝霧は続ける。


「私のお婆ちゃん、今入院してるんだけど」


「……そうなのか?」


「うん。で、これまた偶然にも隣の病室に長峰って人が入院してるんだよね」


 ……その話もまた、知っている。秋月は知らないところであるが、以前冬木がその事実に辿り着いているのだ。そのときは踏み込んで良い話ではないと見過ごした話だったが。


「……それで?」


「あんまり良くない状態だって。一、二ヶ月くらいかな?そんな話を聞いてさ」


 それは丁度……丁度長峰の様子がおかしくなったころと一致する。少しずつピースが埋まり始めている。ただそれは……嫌な埋まり方ではある。


「昔からそうなんだよ、あいつは。馬鹿すぎて本当に頭に来る。なんにも分かってない」


「悪い朝霧、どういう意味だ?私にはその話と朝霧が長峰を嫌っている理由が結びつかないのだが」


「あいつは一体何をしているの?ってこと。思い出してみてよ、そのとき長峰は何をしてた?」


 朝霧に言われ、俺と秋月はそれぞれ考え出す。一ヶ月、二ヶ月ほど前のことだ。その時期は学園祭があって……長峰は主役に抜擢されたんだ。そして、成功させようと奮起して……結果、熱を出し倒れてしまった。


 確かに残念な話ではあるけど、朝霧の言葉の意味がうまく噛み砕けない。


 それは秋月も同じだったようで、やがて朝霧は自ら口を開いた。


「点と点で話しちゃったね。分かりやすく言うと、母親がそんな状況なのにあいつは何をやってるの?学園祭?クラス?手伝い?それが母親より大切なものだとでも思ってるわけ?」


「私には物心がついたときから両親はいない。でも、いないことに気付いたときのことは今でもハッキリと覚えてる。想像してみて」


 朝霧の口調は変わらない。ただ淡々と話を続け、その表情に変化はない。やはり朝霧琴音からは何も読み取ることができないのだ。


 これがもしも冬木だったら違ったものを受け取れるのだろうか。そんなことをふと思ったが、ないものねだりをしても仕方ない。


「私を優しく抱き締めてくれる人はもういないんだって。頑張ったねって褒めてくれる人も、頭を撫でてくれる人も、朝起こしてくれる人も、私を愛してくれる人も……もういないんだ」


「……ま、そんな感じ。あいつはそれを知らないから、自分がそんな立場になるなんて考えてもいないから、誰かのために自分を取り繕ってる。だから頭に来るんだよ」


 朝霧は……長峰のそんな行動に苛立っているのだろうか。だからこその同族嫌悪という意味なのだろうか。


「自分を大切にしない奴が、私は一番嫌い。大切にできない奴が一番嫌い。私も昔は思ってたんだ、私のことを大切に思ってくれるのはお婆ちゃんだけで、そのお婆ちゃんもいなくなったら世界に誰もいなくなっちゃうんだろうなって」


 そこで朝霧は小さく笑った。表情も変えず、口調も変えない朝霧にしては珍しい変化だ。


「でもね、居たんだ。こんな私でも好きでいてくれる人が。ちょっと短気でちょっと真っ直ぐすぎる人だけど」


 それが誰のことを示しているかは明白だった。朝霧にとっての友人で、朝霧にとっても大切な人なのだろう。それは聞かずとも、朝霧の顔を見ているだけで充分伝わってきた。


「前置きが少し長くなっちゃったけど、二人ならどうにかできるんじゃないかって思って」


 そこまでの話を聞き、秋月は考え込むように下を向く。朝霧の話は正直なところ難しい面もあるのだ。踏み込んで良い場所なのかどうか、長峰が望んでいるかどうか、正解だと言えるかどうか。


 ただ一つ、長峰に最近起きている変化の核を見た気がする。長峰愛莉の話はまだ終わっていなかったのだ。


 あいつは弱味を滅多に見せない。それは分かりきっていたことだが……まさか母親がそんな状態になっているなんて考えてもいなかった。


「朝霧は、長峰のことが心配なのか?」


 やがて口を開いたのは秋月だ。それに対し、朝霧は。


「言ったでしょ、私はただ嫌いなだけ」


 こちらを向かずに前を見て、そう言うのだった。

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