第6話『長峰愛莉その6』

「ほら見て見て、お月さまめっちゃきれいだよ~」




「うぅ……お姉ちゃんわかったから離して……」




 美羽を抱き締め、月見をする長峰の背中を俺は見る。またえらくいつも通りの光景で周りがひいていようとお構いなしの長峰だ。




 俺はというとそんな光景を見やり、部屋の中でお茶を飲んでいた。あそこは寒い、だからもう無理。縁側で月見というのは今の時代にしては風情がありとてもいいものであるが、いかんせんこの寒さはどうにもならない。冬本番ではないのにこうなってしまうと、冬には冬眠するしかなさそうだ。つまり家に引き篭もる。長峰はどうやら夏も冬もそれなりに過ごせるようだが……さすがはリア充とでも言うべきか。




 ……しかし、先程のやり取りはどこか胸に引っかかるような感覚がする。こんなとき、冬木の力が少し羨ましくなったりするものだ。本人に言ったらもちろんいい顔はされないだろうけど、それでもあの瞬間の長峰の心の声を聞くことができたとしたら。




 ないものねだりだな。そう思い、俺はまたお茶を啜る。少しだけ冷めてしまった緑茶が喉を通り、さっぱりとした後味が広がっていく。それこそ今回のことも何事もなく、何も起きず、杞憂となればそれが一番良いのだが。




「何かありましたか?」




 ふいに横から声がし、俺は顔を向ける。横には冬木が立っており、若干心配そうな瞳の色で俺を見ていた。俺のことを見て何かがあったのではと思ったのか。前までの冬木では考えられないことだ。




「むしろ何もなかった……からかな」




 そう、本当に何かがあったとは言えないやり取りだった。他愛もない会話で、他愛もないやり取り。もっとはっきりと何かが起きていれば俺も冬木に話しやすいんだけど、あのままのことを話したとしても余計に混乱するだけだろう。本当に必要なときはもちろん冬木に話すつもりだが、今のままのことを話すのは逆にややこしくなってしまう。




「ならいいんですが」




「逆にそっちは? なにか聞こえたり」




 俺がいうと、冬木は笑った。小さな笑いで、それはまるで微笑むような表情だった。




「もしもなにか聞いたとしたら、真っ先に成瀬くんに知らせますよ」




「あ、ああ……」




 思わぬ笑顔に言葉が詰まる。俺は慌てて目を逸らし、会話を続ける。否、続けようとした。率直に言えば言葉が出てこなかった。




「ところで成瀬くんはお月見の発祥はご存知ですか?」




 そんな胸中を知ってか知らずか、冬木は尋ねてくる。月見のルーツか、考えたこともなかった。




「それ正解したらポイントもらえる?」




「そういえばそんなのありましたね……まぁいいですよ」




 それなら真面目に考えようと思い、俺は思考する。ポイントは確か最後が臨海学校のときだったから、俺が0ポイントで冬木が3ポイントだ。長峰を利用した姑息な手にやられたからな、あのときは。




「たぶん、何か願掛けとかそういう類だろうな。宗教的な意味も考えられるし、もしかしたらどこぞの宣伝効果が伝統になってるって可能性もある」




「なかなか良い考察ですね」




 腕組みをして考える俺。冬木はそれをどこか楽しげに眺めている。こんな問題を出すくらいだから冬木は当然答えを知っているわけで、俺は思考を口に出して冬木の反応を窺う作戦に出た。




「ただ、宣伝効果って言うにはそこまで影響はないな。バレンタインとかクリスマスに比べたらメイン行事っていうよりサブの行事だし」




「さすがです。それで?」




「だとすると願掛けか宗教的な意味のどっちかだけど……月見と言えば神社のイメージはある。月見っていえば古くから縁側でああしてるイメージが」




 俺は言いながら前にいる秋月たちを見る。そう、一般的な月見のイメージといえば縁側で団子を食べながら月を見て……だ。そうなると可能性が高いのは。




「宗教的な発祥?」




「……とても素晴らしい考察です。そのことがどういう形で、どのように行われ、どういう風に継がれてきたか。やはり成瀬くんは頭の回転が良いですね」




「そりゃどうも。じゃあこれで俺にポイントだな」




「それとこれとは話が違います。確かに考察は褒めましたが、正解とは言っていません」




 勝ち誇った俺に対し、冬木は人差し指を立てて言う。そうなるとどうやら正解は何かの願掛けということだろうか? 元々貰う予定ではなかったポイントだし、悔しいという気持ちはなく、どちらかというと正解の方が気になるところ。




「じゃあ正解は?」




「わかりません」




「え?」




 このときの俺は随分間抜けな声を出していたと思う。だって当然正解を知っているであろう冬木が「分からない」と答えたのだ。一番前提としていたことが覆された俺の頭の中は大混乱である。それこそ実は昼と夜の呼び方は反対が正しいという説が立証されてしまったかのような感覚だ。




「わからないんです」




「……え? それってあれ? 答えを知らない問題を出したってこと?」




「そういうわけではなくて」




 頭が痛くなってきた。冬木はもしかして俺の知らないところで宇宙人に攫われ脳内をいじくられてしまったのだろうか。いやそれとも元々……?




「宇宙人に攫われていませんし、元々おかしいというような考えはやめてください。失礼です」




「ついうっかり……いや、でもどういうこと?」




「わからないというのが正解なんです。はっきりとしたルーツはないんです」




 そこまで言われ、ようやく理解が追いついた。どうやらそもそもの話、月見というものは発祥が不明ということだ。一体どこで生まれどうして行うのか、はっきりとしたことは不明という答え。




「……なんかむかつくな。答えがない問題を出すなよ」




「それはすいません。成瀬くんであればそこまで行き着けると思ったのですが……どうやら買い被ってしまっていたようです」




 口元を抑え、憐れむように俺を見る冬木。というかあれで答えに辿り着けるのは答えを知っている奴にしか無理だろ。




「ともあれこれで私に1ポイントですね」




「おい待て、確かに正解したら俺にポイントが入るって話はしたけど、不正解だったら冬木に入るなんて一言も話してないぞ」




「もしかして何もリスクを負わずに貰おうとしていたんですか?」




 今度はさぞ信じられないといった顔つきで冬木は言う。その目には若干軽蔑の色が見て取れる。




 にしてもこいつ煽るのだんだんうまくなってきたな……まるで俺が悪いことをしてしまったかのような気分になってくる。




「わかったわかった、それなら今回は大目に見てポイントをやるよ。ただあくまでも勝敗は最後に持ってたポイントだからな」




 期限は卒業までだ。冬木が覚えているかは定かではないが、一応負けた方は勝った方の言うことをなんでも聞くという罰ゲームがついている。そのなんでもというのも現実的な範囲内でだが……。




「分かってます。負ける気は全くしませんけどね」




 冬木は笑って言う。生憎だが俺も負ける気は全くしていない。元はといえばコミュ力を測る勝負だったはずだが、なんだかんだで様々な勝負事でポイントを付けるようになってしまい、果たしてこれがコミュ力を測っているのかもう不明だ。しかしそうは言っても勝負は勝負。罰ゲームだけはなんとしてでも避けなければならない。




「ついでに俺から問題。月見の由来は不明だけど、花見の由来は? 正解したら1ポイントやるよ」




 俺は冬木のように意地汚くはないのでしっかりと由来がある問題を出した。冬木に勝つためにはなるべく細かくポイントを稼いでおいたほうが良いだろう。今で既に4ポイントも差がつけられてしまっているのだ。




 が、冬木は俺の方へ顔をちらりと向けるとこう言った。




「いえ、やりません」




 即答である。まさかの勝負自体に乗ってこないという一手。




「……せこいなおい! 冬木が出した問題に挑戦したんだから俺のにも乗れよ!!」




「明日でよければ調べてくるのでいいですよ。今は答えを知らないのでやりません」




 冬木は臆することなく言う。逆にそこまで正々堂々汚いと正攻法にも見えてきちゃうよ。まるで俺が馬鹿みたいになってきたよ。こうなるとどちらが正しいか明日の朝まで延々と話すことになりそうだ。




「おい、いつまでもイチャついてないでこっちに来たらどうだ?」




 なんてことを考えていたとき、前の方から声がかかる。声の主は秋月で、月見だというのに引きこもっている俺たちを呆れたように見ていた。




「別にイチャついては……冬木、行くか」




 横にいる冬木に言うと、冬木は頷いて椅子から立ち上がる。元はと言えば最近遊べていなかったから遊ぼうという集まりだ。冬木と話すというのも面白いことではあるものの、今は少し違うだろう。












「結局分からずか」




 あれからのんびりと過ごした俺たちはやがて解散し、帰路に就く。朱里は美羽と共に秋月家へお泊りだ。どうやら話しているうちに随分仲が良くなった様子で、長峰はだいぶ秋月の家に妹が泊まるということに抵抗していたみたいだが、結局のところ根負けし許諾していた。というわけでひとりぼっちでの帰り道。




 別に寂しくはない。どちらかというと一人の方がゆっくりと考えることができるし、余計なことに気を使わなくていいから楽なのだ。今回俺が帰りながら考えるのはもちろん長峰のことである。




 てっきり、心のどこかで思っていたのかもしれない。きっかけさえあれば……長峰を引っ張り出すことさえできれば、長峰が何に悩んでいるのか聞けるのではないかと。しかし現実は違っていて、長峰から得られた情報は何一つない。




 これはゲームやアニメではないのだ。何かが起きればそれに繋がって何かが起きる、原因が判明する、問題が解決する、物事がうまくいく……そんなことは決してない。何かをしても事が起きるとは限らないし、結局何も分からないまま終わってしまうことなんてむしろ多いくらいだ。




 だからと言って何も得られなかったというわけでもない。長峰が何かを抱えているということ、そしてその抱えている物というのが俺や冬木、秋月ではどうしようもないということ。……その問題を知らない以上本当にどうしようもないことなのかは分からないが、あくまでも長峰から見た場合はそういうことだ。だから長峰は話さなかったし、話そうとしない。




 今回のことは秋月の意見が正解だったかもしれない。見過ごせるレベルを超えていたら、というものだ。それでいくと今のところはそこまで酷い状態というわけでもない。問題を大きくしたところで長峰にしてみればいい迷惑ということもあり得る。




「……ま、いざとなったら方法はあるか」




 俺の眼と冬木の耳。それがあればたとえ長峰が話したくなかったとしても内容を聞くことは容易い。が、あくまでもそれは最終手段だ。秋月が言っていたように長峰が見過ごせるレベルを超える状態となっていて、それでも尚沈黙を貫こうとした場合はそれしかない。たとえそれで長峰との仲に傷が入るようなことがあったとしても、だ。




 そんなことを思いながら、俺は一人帰路に就く。

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