第2話『長峰愛莉その2』

「長峰さん、来るようです」


 次の日の朝、家の前で待っていた冬木にそう告げられた。 ご丁寧にわざわざ遠回りをして家の前まで来てくれるなんて暇な奴だな。 と思ったものの、次に告げられた言葉からそういうわけではないと気付かされる。


「ただし条件としてその日まで放っておいてくれ、とのことでした。 なので成瀬君と作戦会議をしようと思いまして」


 両手を擦り合わせながら冬木は言う。 朝方の外は寒く、いくら冬のほうが好きだと言っても寒いものは寒い。 それは冬木も一緒なのか、口元までマフラーに埋もれながら話している。


「放っておいてくれ? なんでまた」


「分かりません、ですが一つ聞き取れたのは「バレたら面倒だ」という思考です。 少し、焦っているようでした」


 冬木は言いながら今度は自身の両手に息を吐く。 少し外で待たせすぎてしまったか、寒さが日に日にキツくなってくることを表すかのように白い息が空へと消えていく。 このまま外で話し込むってのも俺としても寒いことだし、時間がかかるのを見越して俺は提案する。


「とりあえず上がってくか? まだ時間余裕あるし」


「……そうさせていただきます」


 一瞬悩んでいるように見えたものの、冬木は寒さによって潤んだ瞳を俺に向け、頷いてそう言った。




「お茶でいいか?」


「お構いなく。 今日は……」


 リビングへ入り、後から続く冬木に尋ねるとどこか警戒しているように辺りを見回しつつ冬木は言う。 その反応を見てなんとなくだが予想がついた。 先ほど悩んでいたのも今警戒しているのも恐らくは。


「母親だったら今日はいない。 朱里ももう学校行ってるよ」


「そうですか、お仕事大変そうですね」


 言うと冬木はホッとしたような顔をし、ソファーに腰掛ける。 やはりというか前回の遭遇が効いたのか、冬木のやつはかなり絡まれてたしな……無理もないか。


「あー、今日は違う。 なんか職場のママさん仲間と温泉旅行だってさ」


「いいですね、温泉。 最近寒いので尚更」


 冬木には断られたものの、一応お茶を用意し冬木の前へと置く。 俺はそのまま冬木の対面に腰掛けた。


「さて、と」


 冬木がわざわざ家へと訪ねてきたということは、もちろんお茶を飲みに来ただけではない。 そもそも俺の家のお茶が特別美味しいなんてわけもないし、冬木がそんな理由で家を訪ねてきているのだとしたらいつもの大人らしい冬木とのギャップでかわいいとも思えてきてしまう。


「来た理由をお茶が美味しいからに変えたほうがいいですか? そのほうがかわいいですかね?」


 お茶を一口飲み、真っ直ぐ俺へ視線を向ける。 いや、怒っているわけではないのだろうけど……なんだろう、くだらない思考を諭されている気がしてならない。


「茶化すなよ……あ、茶だけに」


 言っている途中でそのギャグに気付き、冬木の持っているお茶を指差して言う。


「ごほっ……!」


 冬木が思いっきりむせた。 もう少しタイミングを見て言うべきなんだろうけど思い立ったが吉日とも言う。 これは仕方ない出来事だ。 俺は悪くない。


「けほっ……そういうのは、やめてくださいと伝えたはずです。 ……ふふ」


 俺が差し出したティッシュで口元を抑え、冬木は涙目になりつつ俺をキッと睨みつける。 だが面白かったのか若干笑っており怖い。 怒りながら笑っているせいでかなり怖い。


「だって思いついちゃったんだもん」


「そういうのであれば、長峰さんが足を組み替えたときに「あ、もう少しでスカートの中見えそうだ」というのも今度からちゃんと口にしてくださいね」


「お前それ聞こえてたのッ!? ていうか聞いてたとしても言うなよ! なんかめちゃくちゃ恥ずかしいじゃんそれ!」


「他にもたくさんありますよ? 言っておきますが私が善意で言わないだけで、成瀬君のいやらしい思考は何度も聞いています。 長峰さんに対しても、秋月さんに対しても、私に対してもです。 たとえば……」


「分かった! 俺が悪かったから許してください冬木さん!」


「分かればいいんです」


 ふふん、と冬木は満足気にお茶を飲む。 ドヤ顔しやがってこの野郎……いや、違う違う。 冬木は今日も聡明だなぁ! 頭が良くて上品で美人ときたもんだ、そんな大和撫子と今日も話せて俺は幸せ者だなぁ!


「……なにか顔に付いてますか?」


 おいそこは聞いとけよ! 俺に都合が悪いことだけ聞き取るな! 大体な、邪な思考の一つや二つ誰にでもあるもんだ。 それを逐一窘められていたら健全な男子高校生にとってどれだけの苦痛だと思っているんだ。 この性悪女め。


「は?」


「え?」


 その後、たっぷりと折檻される俺であった。




「結局本題が何一つ話せませんでしたね」


「まぁ冬木と話すといつもそんな感じになるしな」


 その後、たっぷりと折檻された俺は冬木と共に学校へと向かう。 ちなみに折檻の内容は冷たい床の上に正座をさせられ冬木が時折棒で俺の背中を叩いたり足の上に体重をかけたり他にもいろいろと……。


「ありもしないことを頭の中で考えるのはやめてください。 それよりも長峰さんのことを考えないと」


「今日はよく聞くな。 調子良いのか?」


「どちらかといえば調子が悪いと言ったほうが正解ですね。 それで……」


 話を逸らそうとする俺と元に戻そうとする冬木。 あまりやると怒られそうだが、頑張る冬木を見ているのは楽しい。


「冷静に考えてみると、思い当たるのは長峰さんに対する悪質ないたずらでしょうか」


 こほん、と短い咳払いをしたあとに冬木が口を開く。 どうやらこれ以上脱線させるのはよくないな、冬木は真面目モードだ。


「くらいだな。 明らかに様子が変だし関わるなって言ってきたことだっておかしい話だし……けど長峰は俺と冬木がこうして話すことを見越してそう言ったんだろうな」


 俺はともかく冬木はお人好しだ。 長峰ほど周りを見ている奴なら冬木がどう動くか、ということはある程度予想はできるだろう。 だから釘を刺したのだ。 他でもない冬木や俺に何もしてほしくはないから。


「どうする? 放って置くか?」


 と聞いてみたは良いものの、俺は水原姉と長峰の件で協力することを約束している。 いずれにせよ長峰に対する悪質ないたずらについては水原姉と調べなければいけないわけだが……。


「分かりません。 誰かが助けを求めているのは明らかなのに、それでも拒絶されてしまったら……どうすればいいんでしょう。 明確な答えがあればいいのに、それが見えないときはどうすれば……それでも助けるべきなのか、見過ごせばいいのか、どちらが正解なのでしょう」


 冬木の言葉は白い息と共に空へと消えていく。 誰かのために何かをしたい。 けどその誰かはそれを拒絶していて、更に何かすらなんなのか分からない。 冬木が言ったように明確な答えがあるのならまだマシだ。 しかし今回のことは明確な答えすらない。 どう動けば良いのか、何をすれば良いのか、それが分からなければどうしようもないのだ。


 そこにあるのは拒絶というものに対する恐怖かもしれない。 そしてその恐怖は長峰愛莉という人物と深い仲を築いたからこそ起きていること。 冬木は長峰に拒絶されたらということを考え、思い、悩んでいる。 もしもこれが見ず知らずの他人であったなら答えを出すのは簡単だったかもしれない。 しかし長峰は冬木にとって他人ではなく、友人だ。 だからこそ動けない。 最も安全に動ける方法を探っている。


「もしも私や成瀬君が逆の立場だったとして、長峰さんはどう動いたのでしょうか。 それでも手を差し伸べてくれたか、放っておいたか」


 冬木のその疑問に俺は答えることができなかった。 とどのつまり、俺と冬木は長峰と深い仲であれども深い理解をしているというわけではないのかもしれない。

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