第26話『誰かのために』

「皆聞いてくれ、明日の学園祭について話がある」


 初めて、だろうか。 成瀬君がこうしてみんなの前に立って話をするというのは。 長峰さんの意思について話す、しかし私が話すのはなんだか違う気がし、成瀬君が話したほうがいいだろうとの判断からだ。 思えば初めて成瀬君がクラス委員らしいことをしている瞬間かもしれない。


「長峰が倒れたのは皆知ってると思う。 俺と冬木が昨日家に様子を見に行ったけど、とても明後日の学園祭に出れる状況じゃない」


 さすがに隠し通すことはできない。 長峰さんもそれは分かっていたのか、恐らく水原雫さんあたりに教えたのだろう。 それは夜頃に私や成瀬君にまで回ってきている。 だから今日の朝、教室内はざわついていたのだ。


 意外なことに、それぞれの席にきちんと座るとまではいかないがみんな成瀬君の話に耳を傾けている。 正直言って驚いた、私や成瀬君の話に耳を傾けるなんて。 仲がいいグループ同士で集まり、先程まではいつものように話していた人たちも成瀬君へと視線を向けている。


「悔しいけど長峰は学園祭に出れない。 だから代役を決めないといけない」


 成瀬君が言うと、教室内がざわつく。 長峰さんの代役を努められる人がいるのか、という会話が聞こえてくる。 だが誰もが思っていたことだ、主役が倒れてしまったので演劇を中止……もちろん北見先生に言えば仕方なしとして了承してくれたかもしれない。 けれど、それで納得できるほど適当な準備をしていたわけではない人がほとんどなのだ。


「その代役だけど……誰がやるか、誰ができるかって問題がある。 そこで」


 成瀬君は一呼吸を置き、口にする。 長峰さんが推薦した相手の名前を。


「……長峰は冬木を推した。 冬木にやって欲しい、って言ってたんだ」


 そう、長峰さんが昨日口にしたのは私の名前だったのだ。 セリフを覚えており、演技もある程度できる……長峰さんは私が過去にした秋月さんの真似がうまかったから、ということを話していたけれど。


 そして私はこの話し合いが行われることを知っていたからこそ、今日この日をして学校へとやってきた。


「それって長峰さんが今は冬木さんと仲良いから?」


 ようやく反応が返ってくる。 ここが一番の問題なのだ、クラスの中心的人物、長峰愛莉の代役を冬木空に任せて良いのか、という問題。 反対意見がでないなんてことはあり得ないと思っており、その予感は見事に的中する。 実績も人気もある長峰さんとは違い、私は傍目から見ればマイナスにしかならない人物だ。


「他の奴なら分かるけど、俺は正直あんま気が進まないな。 成瀬は知らねえかもだけど」


 ……昔のことは、みんな覚えている。 きっといつまで経っても忘れ去られることはない。 それは私も覚悟しているもので、今更嘆いたりしない。 全く逆の評価を得ている私と長峰さんでは比べるまでもないことだ。


「みんなよりは知らないかもしれない、俺は引っ越してきたしな。 さっき言われたように、長峰が最近仲が良いってのもあるかもしれない。 けど、この代役に関しては冬木以外はあり得ないって俺は思ってる」


「成瀬、理由を教えてくれ。 みんなが納得できるだけの理由があるのか? それがなければ話にならないだろう」


 声を発したのは私の隣にいた秋月さんだ。 秋月さんはこうして聞く側でいるものの、その発言の裏には成瀬君のサポートをしていることが容易に分かった。 いつもなら黙って聞いているだけのはずなのに、積極的に声を出してくれる彼女はありがたい。 内心面倒だと思っているかもしれないけれど、それでも協力してくれている。 話を組み立てやすいように、説明をしやすいように。


 そしてそれを聞いた成瀬君は少し驚いたような顔をしたあと、口を開く。 たぶん、秋月さんがそういう行動を取ったことに驚いたのだろう。


「俺しか知らないことだろうけど、冬木は演技がかなり上手い。 大勢の前でってなるとどうなるか分からないし保証はできないけど……それでもこのクラスの誰よりもきっと上手い。 絶対にな」


 ……いや、そこまでハードルを上げなくても。


「そりゃ意外だけど……ぶっちゃけそれだけで冬木に任せられるか? なんかやらかしそうでみんな不安になるだろ」


「じゃあ聞くけど、この中で長峰が覚えていたセリフを全部暗記している奴はいるか? タイミングも順番も、全部だ。 あいつが必死に練習したそれをできる奴はいるか?」


 成瀬君の言葉に教室内が静まり返る。 セリフ量こそそれほど多いわけではない、だが完璧にできるかと言われれば、私ですら自信を持って言えないことだ。 そんな流れにしてしまった成瀬君を少し恨む。 こうなってしまっては、私がやるとしても完璧にやらなければならなくなってしまったではないか。 もちろん演劇を見る側として、演技を指摘する側として一通りは覚えているし練習もしている。 しかしやはり不安は残ってしまう。


「俺は班が違ったから分からない。 でも、一緒の班で練習してきた長峰だったからこそ、冬木なら任せられるって思ったんじゃないか? 俺は冬木のことも信じるし、長峰のことも信じる。 長峰は今回の学園祭でかなり無理をしてた、それが直前になってぶっ倒れて……本当に悔しかったと思う。 そんな長峰が冬木に託したんだよ、一番重要な役目を。 助けられた奴がほとんどだろ、その長峰が全部冬木に託したんだよ」


 胸が少し苦しい。 もしも長峰さんのことに気付いていれば、負担をそこまでかけることはなかったかもしれない。 長峰さんが倒れることも、なかったかもしれない。 だがそんな後悔をしたところでなんにもならないのだ。 今はただ、長峰さんのために成し遂げなければならない。


「……すいません、一言良いですか」


 私は席を立ち、尋ねる。 成瀬君は私の行動にも驚いていたものの、こくりと頷いてくれた。


 教室内を見渡す。 皆の視線が突き刺さる。 私が今まで逃げきたものが一身に降り注ぐ。 手も足も震えそうになる、息がうまくできそうにない。 けれど今だけは背を向けてはダメな気がした。 今ここで他の人に任せっきりではダメだと思った。 それをしては、今までと何も変わらない。


「私のことは、みんな嫌っているし恨んでいるかもしれません。 ですがやるからにはちゃんとやります、途中で逃げたりもしません、だからどうかお願いします」


 言い、頭を下げる。 もっとうまい言い方もあったかもしれない。 長峰さんだったら説得力のある言葉を並べられただろうし、成瀬君なら順序を組み立てて納得させられたかもしれない。 だが、私にとってはそれだけ発するので精一杯だった。


「冬木、ありがとう。 で、もう一度聞くけど……冬木が長峰の代役で、白雪姫役をやることに賛成の人は?」


 また、静まり返った。 真っ先に手を上げたのは秋月さん、そして続いて西園寺さんと朝霧さんが手を上げる。 それだけでも充分すぎるほどに嬉しかった、涙が出てしまいそうだ。 私や秋月さんと同じ場所にいた二人に視線を向けると、朝霧さんは少し笑い、西園寺さんは目をつむって手を上げている。


 だが、次に手を上げたのは本当に意外な人物だった。


「……水原、さん」


 水原雫さん。 私のことを毛嫌いし、長峰さんに悪質なイタズラをしている犯人だと正面から疑ってきた人。 そんな水原さんは曖昧にではなく、はっきりと手を上げている。 私が思わず彼女の名前を呼ぶと、水原さんに聞こえたのか、とても不機嫌そうな顔をこちらへ向けた。


「……別に冬木だからってわけじゃないから。 代わり務まるのいなさそうだし、愛莉がそう言ってるならってだけ」


「ありがとう水原、助かる」


「な、だから別に愛莉の味方ってだけだから!」


 成瀬君が言うと水原さんはそう言い、不機嫌そうに腕を組む。 そしてそれに感化されたのか、教室内では少しずつ手が上がっていく。


「ま、俺は成瀬と同意見だな。 仕事上演劇班とはよく関わってたから、冬木がしっかりとこなしていたのも見てる」


 進藤君が手を挙げる。 続いて少しおどおどとしながらも、水原雪さんのほうも手を上げてくれた。


「代わりいねえっていうなら仕方ないか。 冬木も真面目にやるっていってるし……」


「そ、そうだよね。 ここまで頑張ってできませんは嫌だし……」


 気づけば半分もの人たちが手を上げてくれている。 信じられない光景であり、私は唇を強く噛んだ。 顔を伏せる、ずっと眺めていたら泣いてしまいそうだ。


「しっかり見ろ、冬木。 これがお前のしてきたことの結果だ、お前と成瀬が少しずつまとめようとしてきたクラスだろう? 積み重ねていっている間は気付かないことでも、結果として見れば一目瞭然なことだよ」


 秋月さんの声が聞こえる。 言われた通り、私は顔をあげる。 先程よりも更に少し、上がっている手は多かった。 何もできない、力になれることなんてあるのだろうか? そう思い続けてきていたけれど……確実に、少しずつ、私は気付かない内に歩いていたのかもしれない。


 そんな教室内に、不意に声が響き渡る。 当然、それなら冬木で決定……なんてことにはならない。 なるわけがない。 だから私は今日この日、戦う覚悟をしてやってきたのだ。


「ねえ、ちょっと良い? なんかいい流れだから口挟むのもあれなんだけどさ」


「……三好」


 声を発したのは、三好さんだ。 物怖じすることなく、薄っすらと笑いつつ教室内を見渡して言う。 思わず成瀬君が反応をし、それに対して三好さんは続けた。


「バッカじゃないの? 冬木が昔したことみんな忘れたってわけ? それならそれで平和ボケもいいとこってカンジ。 嘘吐いて水瀬を転校させた張本人でしょ? そんなことした人がクラスの顔みたいなことするワケ?」


「まー平気で人陥れるような奴だからなぁ。 信用には値しねえよなぁ」


 それに同調したのは矢西君だ。 三好さんたちのグループで、三好さんと二人でいるところもよく見かける。 三好さんたちは本気でそれを言っているわけではない、こう言うのもあれだけれど……三好さんたちにとってクラスのことなんてものはどうでも良いことなのだ。 今の発言もただの切っ掛けを見つけただけに過ぎない。 標的は……長峰さんのグループだろう。


「あ、でもぉ。 冬木ちゃんがもしもちゃんと謝るなら良いんじゃない? たとえばぁ……土下座とか?」


 次に発言をしたのは戸田さん。 同じく三好さんのグループに属しており、少々特徴的な喋り方をする人だ。


 成瀬君はそれに対し、何かを言おうとする。 だが、三好さんのグループを敵に回すというのは面倒なことになるのは間違いない。 前に朝霧さんがそう言っていたことから、クラスのみんなも同じだろう。 だから、私は成瀬君が行動に出る前に行動を起こすことにした。


「分かりました。 それで三好さんたちの気が済むのでしたら……」


 私が言うと、三好さんがニヤリと笑う。 結局なんでもいいのだ、この場では長峰さんと仲が良い私が頭を下げるということで三好さんは納得が行く。 それならそれで良い、安いものだ。


 だが、一歩前に出た私の肩に手を置いたのは朝霧さんだった。


「聞くけど、ここはいつから動物園になったわけ? さっきからギャアギャア猿がうるさいなって思ってたんだけど」


 続け、今度は小さな声で私に言う。


「そういうのは、しっかりと自分から謝るときにやるものだよ。 人に強いられてなんて絶対にしないで」


 その声によって私は押し黙る。 確かに私に三好さんたちに対して謝る、という気持ちはなかった。 あくまでもこの場を凌ぐためにやろうとしたことだった。


「……ごめんごめん、聞こえなかったんだけどなんか言った? 朝霧さん」


 三好さんが言う。 朝霧さんはそれに対し、再度ハッキリと口にした。


「さっきからうるさいって言ってるんだよ、厚化粧猿。 人に仕事押し付けたりサボったり随分好き勝手やってたけど、私にも見過ごせないことってのはあるの」


「あー、その説はどうもありがとう。 おかげで遊ぶ時間いっぱいできちゃったし、今度も何かあったら朝霧さんに頼もうかな?」


 三好さんが立ち上がる。 それに伴い、矢西君や吉木君、吉澤君、高村君、金子君も立ち上がった。 全て三好さんの仲間だ。


「それでなに? 喧嘩売ってるワケ?」


「先に喧嘩売ってきたのはそっちでしょ。 生憎、私にも聞き捨てならないことってのはあるからね。 空は私の友達だ、友達馬鹿にされて黙っていられるほど我慢強くもない」


 朝霧さんはフードを取る。 かかってこいと言わんばかりの態度に、声を発したのは矢西君だ。


「高村、吉木、あいつ抑えろ。 連れてくぞ」


 三好さんたちは女子相手だろうと容赦なんてしない。 教師を呼ぼうか迷っている間にも事はどんどんと進んでいく。


 その声がきっかけとなり二人は朝霧さんに飛びかかる。 が、朝霧さんは即座に反応をした。 体を一回転させ、足を高く振り上げる。 勢いよく回った足は高村君の顔目掛け飛んでいき、その寸前で停止した。


「気安く触ろうとしないでくれない? 次は容赦なく当てる。 女だからってナメてるなら覚悟しな」


 ……普段は物静かな朝霧さんからは考えられない動きだ。 喧嘩慣れしているという様子が見て取れる。 むしろ、何かの格闘技も習っているのだろうか。 それほど身体の動きが違っていた。


「おい西園寺の金魚のフン相手に何してんだよ! ビビってんな!」


 三好さんが怒鳴る。 それに伴い再度動こうとした二人であったが、今度は声と机の音……それも教室の中央ほどまでに吹き飛ばされた音によって停止させられた。 ちなみにあれは成瀬君の机だ。


「おいコラ、テメェ今琴音になんつった。 琴音一人で充分かと思ったが、どうやら教育してやんねえとダメらしいなぁ、おい」


 西園寺さんだ。 彼女については上級生ですら関わらないほうがいいと噂されており、その実は真面目で人一倍責任感がある人間というだけなのだが……火のないところに煙は立たない。 彼女の恐ろしさというのは、関わった人だけが知っている。


「お前の相手は俺がしてやるよ、女があんま調子に……ぐぁ?!」


「わりぃな手が滑った。 やっちまったあとで言うのもなんだけどな、アタシは琴音と違って最初から容赦はしねえから覚悟しろよウジ虫野郎ども」


 西園寺さんは迷うことなく、矢西君の顔に拳を叩き込む。 鈍い音と共に矢西君は倒れ、西園寺さんの拳には血がついている。 本当に遠慮せずに殴ったのだ、この遠慮のなさが西園寺さんの片鱗なのかもしれない。


「アタシの連れを罵倒した、アタシの連れの友人を罵倒した、琴音に汚え手で触れようとした。 カウント100だな。 安心しろよ、テメェの顔百発で許してやる」


「西園寺……テメェ!」


「手下の失態はボスが取るっつうのは常識だよなぁ三好? おい戸田、吉木、吉澤、高村、金子、今からテメェらのボスに教育するけど文句あるか?」


 見渡し、西園寺さんは言う。 が、誰も何も言えなかった。 先程やられた矢西君は未だに倒れており、恐らく一番力の強かった矢西君が一撃で倒されてしまった、というのがあまりにも深く印象づいてしまったのだろう。


「はは! 随分薄情なお友達だな三好ぃ!!」


「ぐっ……!」


 迷うことなく三好さんの首を掴み、壁に押し付け、持ち上げる。 西園寺さんは本気だ、先ほどの躊躇のなさといい、きっと朝霧さんを罵倒されたことにより頭に血が上ってしまっている。 そんな西園寺さんを止められる人間は……。


 と、そんなことを考えている場合ではない。 このまま更に大騒ぎになれば、このクラスの演劇すら中止になりかねないし学年問題にすら発展しかねない。 何よりこのままでは三好さんが大怪我を負ってしまうことに繋がる。 それは駄目だ。 今までのみんなの努力が全て無駄に終わってしまう。


「西園寺さん!」


 私は彼女の元に走り、彼女の体を引っ張る。 だが、西園寺さんはそんなことは御構い無しに三好さんに言う。


「テメェに関わらなかったのはアタシたちに害がねぇからだ。 けど今回は違ぇよなぁ三好ぃ!!」


 こうなってしまったら誰も止められない。 私は必死に彼女を止めようとするが、西園寺さんは私のことなんか気付いていないのか無視をしているのか、全く意に介していない。


 私は朝霧さんを見る。 彼女であれば西園寺さんを止められるかもしれないと思って。 しかし、朝霧さんは既に目を瞑って壁にもたれかかっていた。 その表情は西園寺の好きにさせろ、とでも言わんばかりだ。


 次に秋月さんへ視線を向ける。 秋月さんはしっかりとその光景を見ていたものの、やはり朝霧さん同様動こうとしない。 動くときには動くのが秋月さんだ、多少面倒臭がろうと、必要なときには必ず動く。 だが、秋月さんは静観を決め込んでいる。


 最後に成瀬君へ視線を向ける。 いや、もう分かっていたことなのだ。 今に至るまで成瀬君が動いてなければ、成瀬君もまた動くことはないということは。 そして、その表情を見て察する。 前までの私であれば思いもしなかったことだが、今になれば分かる。 成瀬君は……私のために怒ってくれている。


 けれど、それでは駄目なのだ。 私も腹が立っているか? と問われれば首を横に振ることはできない。 でも、ここで西園寺さんに任せてしまえば決定的に終わってしまう。 クラス委員として私が託された仕事、クラスをひとつにまとめるということができなくなってしまう。 たとえどんなことがあろうと、三好さんもまたクラスの一員だ。 私たちの仲間なんだ。


「西園寺さん、駄目です! お願いですからやめてください!」


「……っせえな。 お前からぶっ飛ばされてぇのか」


「それで気が済むのでしたら、いくらでも!」


 正直それで殴られたらどうしようかと思ったが、幸いにも西園寺さんは舌打ちをし私から顔を逸らす。 どうやら今怒りを向けているのは三好さんのみらしい。


 待て。 西園寺さんが怒りの矛先を別のところへ向ければ、この一件はひとまず収まるのだろうか? たった今三好さんが受けている矛先を……別のところへ。


 私は必死に頭を回転させる。 どうやって、どのように、何かしらの方法、策を考える。 どうすればいい、何をすれば三好さんを助けられる? 他人を守るために私に何ができるのか。


 まさにそのときだ。 私の頭の中に、西園寺さんの声が聞こえてきた。


『ったくめんどくせぇな……意味わかんねえこと言いやがって、冬木の野郎』


 この感覚は間違いない、私が持っていた力……人の思考を聞いてしまう、その力だ。 だが、それと同時に西園寺さんの様々な思考がなだれ込んできた。 今まで能力が使えていなかった分なのだろうか? 西園寺さんの記憶のようなものが押し寄せ、激しい頭痛と目眩がする。 あまりのことに顔を歪め、しかし西園寺さんの体を掴む手の力は緩めなかった。 私の目的は一つ、西園寺さんを止めること。 だからこのタイミングで能力が戻ってきてくれたのは――――――――その方法があるということだ。


 そして、それは見えた。 けれど……いや、四の五のは言ってられない。


「いい加減にしてくださいっ! この……この……大馬鹿ッ!」


 その言葉は、西園寺さんをきっと傷付けた。 彼女がずっとずっと言われ続け、そして言われる度に少しずつ傷を受けてきた言葉だ。 親にも、同級生にも、教師にも、彼女はそう言われてきていた。 もしも今彼女の意識をこちらへ向けるとしたら、それしかなかった。


「……てめぇ!」


 案の定、西園寺さんは虫けらほどにしか思っていなかった私に意識を向け、私の体を突き飛ばす。 幸いなことに三好さんを抑えていた手は離されていて、三好さんは首を抑えて咳をしている。 が、そう上手く物事は進まない。 突き飛ばされた視界の中に見えたのは、騒ぎによって散乱している机や椅子。 軽く突き飛ばされた私の体はそこへとぶつかり、倒れていた机へ頭を激しくぶつけた。


「冬木ッ!」


 教室内がざわついているのが分かる。 だが、最後に聞こえた成瀬君の声と共に私は意識を手放していった。




 ――――



 ――――――――



 ――――――――――――





「起きたか」


「……成瀬君?」


 目が覚める。 少々ボーッとしたものの、すぐに視界に入ったのは成瀬君の安心したような顔だった。 ぼやけた視界で辺りを見回すと、どうやらここは病院のようだ。


「軽く気を失っただけだってさ。 そのまま寝ちゃってたらしい、体調は大丈夫か?」


「……お騒がせしました。 三好さんは?」


 私が尋ねると、成瀬君はどこか呆れたかのように笑う。 そんな変なことを聞いたわけではないと思うけれど。


「大丈夫だよ、結構な騒ぎにはなっちゃったけどな。 あー、秋月とか朝霧とか西園寺とか、他にもいろいろ来てたんだけど騒々しいから帰ってもらった。 静かな方が好きだろ」


「それは……心配をかけてしまいましたね」


 わざわざ病院まで足を運んでくれたなんて。 西園寺さんも……ということは、彼女は私に対して怒っていないのだろうか。 早いところ彼女とは話をしなければならない、明日には学園祭の本番が始まるのだ。


「一応起きたら軽く検査をするってさ。 で、問題がなければ帰って良いって」


「……私の思考でも聞きましたか?」


「自分のことより他のことを優先しそうだなって思っただけだよ。 今呼んでくるから」


 そう言うと成瀬君は病室から出ていき、やがて年配の医者が訪れ、成瀬君の言っていた通り軽い検査を始めた。 それほど時間もかからずにそれらは終わり、問題なしと判断された私は「何か異常があったらすぐに病院へ来るように」と言われ、帰宅することになったのだった。




「家まで送ってく。 道端で倒れられたら困るし」


「お気遣いありがとうございます。 それで、その後どのようになりましたか? 学園祭は……みんなは」


 外は寒く、それが思考をハッキリとさせていく。 あれからどのようなことになったのか、騒ぎは教室内で留まっていないのは明白だ。 最悪の場合、学園祭そのものに出られないなんてこともあり得る。


「冬木の心配から解消すると、学園祭には問題なく出られる。 停学処分もなかったけど、当事者の朝霧、西園寺、あとは三好たちは厳重注意。 北見があんまり無理をさせないでってさ。 みんなお前のことを心配してたよ、今日一日練習にはならなかったけどな」


「……北見先生にはあとでお礼を言わないといけませんね。 けれど、無事行えるなら良かったです。 もし中止になっていたら、長峰さんになんと言われるか。 それと、心配をたくさんの人にかけてしまいましたね」


 横で歩く成瀬君が足を止める。 数歩私は前を歩いたあとに気付き、振り返った。 私たちの横を車が何台か通り抜けていく。 隣町の病院ということもあり、車通りも神中より余程多い。 成瀬君は数秒の間そうしており、私が首を傾げるとゆっくりと喋り始めた。


「なあ冬木、そんなに他人が大切か?」


「……えっと、どういう意味ですか?」


「お前が行動するのは、いつも他人のためだろ。 今回だって三好と西園寺のために間に入った、そんな怪我をしてまでだ」


 言いながら、成瀬君が私の額を指さす。 そこにはガーゼが当てられている。


「……そこまで人のことを考えているわけではありません。 ただ誰かが止めなければ事態は最悪になっていたと考えました」


「そりゃそうだけどさ……なんて言えば良いんだろうな。 俺も正直あのときは三好にざまぁみろとか思ってたから、冬木の行動に文句言う権利なんてないんだけどさ。 本気で西園寺を止めようと思ってたのは冬木くらいだったろ」


 少々バツが悪そうに成瀬君は言う。 だが嫌な気持ちというのは皆無だった、成瀬君に関して言えば、お互いがお互いに言葉にしないと伝わらないことが多くある。 それらが時折溝になってしまうことが分かっているからこそ、成瀬君は今の話を切り出しているのだろう。


「私はただ……みんなの努力を無駄にしたくなかったんです。 西園寺さんが怒ってくれたのも、朝霧さんが怒ってくれたのも、成瀬君や秋月さんがそうしてくれたのも、嬉しかったです。 けれど、何もかも無駄にだけはしたくなかった。 成瀬君の気持ちは当然だと思いますよ、何もしていない人にあそこまで言われたら誰だって怒ります。 何もしてない癖にって、怒ります」


「……おお、珍しく毒舌だな」


「そうですか? それよりも、結局成瀬君は何を言いたいんでしょうか。 嫌味とかそういう意味ではなくて、純粋に。 無茶をするなというお話でしょうか?」


 私が言うと、成瀬君はまたバツが悪そうにする。 そこまで言いづらそうにされてはこれ以上聞くのは気が引けてしまうが。


 そんなとき、声が聞こえた。 懐かしい感覚だ。


『冬木のことが心配だって言いづらすぎるだろ……なんか良い言い回しないかな』


 そんな思考が、聞こえてきた。 どうやら成瀬君は私のことを心配してくれているらしい。 素直にそれを聞いたと告げてもいいのだが……なんだか少しからかいたくなってしまった。


「……言いづらいことですか?」


「あー、いや、そういうわけでもないんだけど……」


「大丈夫ですよ、言いづらいのであれば言わなくても。 私は……あまり、気にしませんし……」


 元気がなさそうに言ってみる。 はて、これは果たして嘘に分類されるのかどうか。 どちらにせよ嘘に見えていたとしたら強がっているように見えて、そうでなかったとしたら必死にそう思い込もうとしているように映りそうだ。


「だからそういうわけじゃない! 断じて! えーっとだな……」


 焦る成瀬君も面白いが、あまりやりすぎると怒られそうだ。 そろそろ本当のことを言っておこう。


「あ、そういえば成瀬君、一つ良いニュースがあるんです」


「ん?」


「実はどうやら、西園寺さんを引き止める際に能力が戻ったみたいで。 なので今成瀬君が考えていたことも伝わりました。 お気遣いありがとうございます」


「本当か!?」


 と、成瀬君は最初に驚く。 その数秒後、思い出したかのように口を開く。


「……はは、ああ、そうか。 そりゃあれだな、良かった。 冬木、俺で遊んでただろ」


「ふふ、いつも遊ばれているのでたまには仕返しです」


 そのときの成瀬君のなんとも言えない顔がおもしろく、私は少し笑ってしまう。 もしかしたらそれは、人に心配されるというのが嬉しかったからかもしれない。


 ……いや、成瀬君に心配されることが、かな? いずれにせよそれを伝えるのは些か恥ずかしいので、心の奥にしまっておくことにしよう。


 ともあれ準備は全て終わった。 今日の練習は潰れてしまったので、残すは明日の練習のみ。 それでも……なんとなくこの学園祭はうまくいくような、そんな気がした。

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