第25話『全てを託して』
「大したことないって。 ただちょっと風邪っぽいだけだから」
「その姿で心の底からそう言えるお前を尊敬しそうだよ、俺は」
その後私たちは長峰さんの家へと向かった。 アパートの一室、チャイムを鳴らすとすぐに出てきたのは妹の美羽さんだった。 そんな美羽さんは私と成瀬君の顔を見るとどこかホッとしたように、快く家の中へと入れてくれたのだ。 そして話しやすいように配慮してくれたのか、今はどこかに姿を消している。
そうして案内された家の奥にいたのは長峰さん。 しかしいつもの元気いい姿ではなく、布団に横たわり額にはタオルが置かれていて、どこか虚ろな目で私たちを見ると、大きくため息を吐いたのだった。
「……あの、長峰さん」
謝ろうと思った。 少なくとも、私も長峰さんに負担をかけさせてしまった内の一人なのだ。 朝霧さんとの一件に集中するため、本来自分がするべき仕事を皆ならば大丈夫だろうと放棄した。 これはあくまでも推測だけれど、私がいないときに場をまとめてくれたのは長峰さんだろう。 だから責任というのは私にもあるのだ。
「謝らなくて良い、そういうの鬱陶しいから」
しかし、それを察してか長峰さんがそう遮る。 まるで私の心を読んだかのようだったが、私の仕草や声色で判断したのかもしれない。
「ですが」
「冬木さんのせいじゃない。 皆のせいでもない。 私が私ならどこまでやれるかって判断を間違えただけだから。 それにちょっと具合悪いだけだし、心配することでもないって」
「……はい」
長峰さんなりの優しさだというのは一目瞭然だ。 ならば、これ以上言い合いをしても仕方ない。 私はそれを素直に受け止め、長峰さんには一刻も早く体調を戻してもらうしかない。 練習日は明日と明後日、明日はさすがに無理だとしても、明後日の練習に出ることさえできれば間に合わせることは充分できる。
「で、長峰。 体調は大丈夫なのか?」
「さっきも言ったでしょ、平気平気。 てか、こうして三人揃うとあのときを思い出すよね」
言う長峰さんは少し辛そうだ。 そんな長峰さんが言うあのときというのは……。
「成瀬君が風邪をひいたときですか?」
「そそ。 あのときは私がお見舞いに行って、あとから冬木さんが来たんだっけ」
「ありゃ地獄だったなそういえば……お前と冬木が仲悪いのは知ってたから、すげえ気まずい空気になったっけ。 あれほどヤバイ空気はこれから先中々ないだろうな」
「懐かしいですね。 でもそうなると、次は私の番でしょうか」
順番的にはそうなる。 あまり病気というのにかかったことがないから、果たして私が風邪をひくのかどうか分からないけれど。 意外なことに病気にかかりづらいというのが数少ない私の取り柄だったりする。
「冬木さんの看病おもしろそー」
「面白そうってなんだよ面白そうって。 お前絶対ろくでもないことしそうだよな」
「今のうちに仕返しをしておいたほうがいいですかね」
「まだ何もしてないんだからやめてよ。 ……あは、あははっ」
少し不満そうに私に顔を向けたあと、長峰さんはどうしてか笑い出す。 顔に何かついている……わけではないし、どうしたんだろう。
「熱で頭おかしくなったか、ついに」
「殴っていい? ……そうじゃなくて、あのときはあんだけ仲悪かったのに、不思議だなって思っただけ」
……確かに、想像はできなかった。 長峰さんとこうして話すことも、笑い合うことも、もうできないと思っていた。 しかし一度ぶつかり合い、そこでやっと私たちの間にあったものは氷解したのだ。 今までのように避け続けていたらずっと届かなかった道、私が目を逸らし続けてきた先に今の道があったのだ。
「ですね。 だから今回の学園祭は長峰さんとできて、私は嬉しいです」
「そっそ。 ちゃっちゃと治して学校行かないとねー」
長峰さんは平気そうに言う。 が、そこで口を開いたのは成瀬君だった。
「長峰、明々後日の学園祭、出られそうなのか?」
「だから言ったでしょ、大丈夫だって」
「万全の状態でか?」
成瀬君は真っ直ぐと長峰さんを見て言う。 それに対し、長峰さんはしばらく成瀬君の顔を見たあと、視線を逸らす。 それだけで答えなんて明白だった。 そして私はまた、何も分かっていないのだと思い知った。 人の心が聞こえない今、私はただ目の前で起きていることしか考えていないのだと思い知った。 長峰さんの状態も考えずに、今まで起きてきたことも考えずに、呑気に明後日の練習に出られるのだろうかなんてことを考えていた。 ただ言われた通りのことを受け止めて、ただ起きていることだけを認識して。 それなら機械となんら変わらないじゃないか。
「……すぐに答えないってことは無理なんだろうな。 お前はそういう無責任なこと、しないから」
「うっさいな。 確かに具合は悪いし、満足に演技もできる状態じゃない。 けど、本番までには間に合わせる」
長峰さんは私と成瀬君に背中を向け、布団を少し深くかぶる。
「お前がそれで良いなら俺は何も言わない。 本当に良いならな」
「……何? なんか文句でもあるわけ?」
頭を動かし、こちらに視線を向ける。 視線を向けるというよりかは睨みつける、といったほうが正しそうだ。 どこか含みのある言い方を成瀬君はしているけれど……病人相手にそれはどうなんだろう。
「いや、ただそれで長峰自身が納得するのかって思っただけだよ」
長峰さん自身が納得するか……というのは、どういうことだろう。 演劇までに間に合えば御の字、そうすれば長峰さんももちろん納得するのでは? 一番納得がいかないのは、こうして倒れたまま学園祭が終わってしまうことではないのだろうか。
「……あんたってやつは。 ま、最初からそうするつもりだったし適当な言葉で騙されてくれれば良かったんだけど。 で、そこまで言うからには代役とか見つけてあるの?」
「そこまではまだ考えてない」
しかし、長峰さんは突然に妙なことを言い出す。 私はそれを聞き、咄嗟に声をあげた。
「待ってください、何を言っているんですか? 代役って……長峰さんの、ですか?」
「私以外に誰がいるのよ。 にしてもせめてそれくらい目星付けてから言ってよね……また私を働かせるの?」
「悪い、けど長峰から見ての意見もあるだろ」
「勝手に話を進めないでくださいっ! どうしてそういう話になるんですか? 長峰さんが体調を治して、本番までに間に合わせて……そうすれば良いだけではないですか。 長峰さんにとって、そんな簡単に降りて良いことだったのですか?」
人一倍真剣に打ち込み、人一倍練習をし、人一倍楽しみにしていたであろう長峰さんがそんな簡単に降りるなんて信じられない。 ……中学生のときのこともある、だから私や長峰さんにとって学園祭というのは、とても意味があるものなのだ。 それを簡単に諦めるなんてことは、見過ごしたくない。
「冬木、だから長峰が納得できるかどうかなんだよ。 こいつが中途半端なことで満足すると思うか? 明日の練習には参加できない、明後日の練習も難しいだろ。 当日に体調が治ったとしても……いざそうなったとして、ぶっつけ本番で長峰自身が満足できるレベルでできると思うか?」
「……だとしても、私は反対です。 悔しくないんですか? 長峰さんにとってどうでもいいことだったんですか? 私は長峰さんとやるからこそ、意味を感じています。 だからもしも長峰さんが出ないというのであれば、私も」
「冬木、その辺にしとけ」
成瀬君が私の肩に手を置き、言う。 それを受け、私は今言おうとした言葉を寸でのところで飲み込んだ。 そして、その言葉は決して口にしてはいけない言葉だった。
「……ごめん」
私は長峰さんへ視線を向ける。 そこで初めて気付いた、私が今まで全く気付きもしなかった長峰さんの感情に。 彼女は目元を腕で覆い、普段であれば絶対に言わないであろう言葉を呟いたのだ。 横にいた成瀬君ですら、その言葉には少し驚いたような表情をしている。
「悔しいに決まってるっしょ。 あんだけ練習して、あんだけ頑張って、あんだけ本気でやってたのに……自分の体のことなんも考えてなかったなんて、馬鹿すぎるって」
長峰さんは表情をできるだけ見せないようにしている。 が、声色からどんな表情をしているかなんて一目瞭然であった。 私は一体何を言っていたんだ、長峰さんがそう考えるのなんて……当たり前のことではないか。
「諦めたくない、学園祭にだって出たい、こんなことでダメになるとか馬鹿すぎるでしょ。 折角、折角……冬木さんとできる学園祭だったのに」
「長峰……」
「けど、けどね、私は長峰愛莉。 中途半端なことなんて絶対しないし、納得できないなら絶対に頷かない。 そんな状態でやるくらいなら死んだほうがマシ。 本気でやるってことはそういうことでしょ、成瀬、冬木さん」
長峰さんは起き上がり、こちらに顔を向ける。 目は赤く染まっていたが、その表情は笑顔だ。
……どうしてこんなにも不平等なのだろう。 学園祭に本気で望んでいた長峰さんがこうして体調を崩し、参加できなくなりそうな一方で、そもそも学園祭に対して全くやる気のない人だっている。 もしも神様なんてものがいるとしたら、やっぱり私は嫌いだ。
「私一人のワガママで中途半端にするくらいなら、私が誰かに託して最高の物にしたいでしょ。 来年も再来年もあるんだしさ。 それに、私以上の適任だっているかもしれない」
それだけの想いが長峰さんにはある。 それだけの気持ちが長峰さんにはある。 だからこそ、長峰さんに出て欲しい。 ここで物分りよく「分かった」というのは簡単だ。 けれど、これはそれで片付けていい問題ではない。 私自身が、納得したくない。 長峰さんと一緒なのだ、私だって本気で取り組んだ学園祭……中途半端なことはしたくない。
「でしたら、長峰さん以上の適役がいるのでしたら納得します」
これではまるで子供のようだと思いながらも私は言う。 それを受け、長峰さんは半ば少し呆れたように笑い、口を開いた。 そして言い終わる頃にはいつものように笑っていて、まるでそれは勝ち誇ったかのような表情にも見える。
「それならその勝負、私の勝ち。 残念ながらもう適役は見つけてあるから」
続けて長峰さんは私と成瀬君へ向け、その人の名前を口にするのだった。
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