第18話『朝霧琴音と衣装班』

「琴音はやってるってよ」


 電話を終えた西園寺さんは、開口一番そう口にする。 聞いたことだけ端的に伝えるのが彼女の特徴の一つだ、そこには必要最低限以上、私たちとは関わりたくないという意思のようなものが感じ取れる。


「えーっと、どこで?」


「4階の空き教室。 他の奴らは全員用事あって帰ったっつってた」


「は? そんな話聞いてねえし……困ったな、衣装一番時間かかるのに。 今日だけならまだ良いけど……そうじゃねえよな絶対。 だからあいつらまとめないほうが良いって北見に言ったのに」


 イライラとした顔付きと口調で進藤君は独り言のように言う。 どうやら衣装班の危険性というものを事前に見抜いていたようで、分かっていたことを止められなかった不満も彼にはあるようだ。


 そしてその不安というのは見事に的中し、衣装班で大きな問題が発生している。 演劇を行う上で衣装は必須、役者が身に纏う演劇の華と言っても良い。 それが万が一にでも欠けてしまえば、根底から台無しになってしまう。 スケジュールの調整を他と擦り合わせることを仕事としている進藤君からすれば堪ったものではないだろう。


「長峰から話をしてみたらどうだ。 鶴の一声とまでは言わないがある程度効果はあるだろう?」


 秋月さんの提案はもっともである。 長峰さんはクラス内でも影響力がかなり大きい部類で、女子の中心人物は誰かと言われれば、多くの人は長峰さんの名前をあげるはず。 そんな長峰さんの一声があれば、衣装班の人たちも聞き入れてくれる可能性が高い。


「ムリムリ、あそこのグループとは相性悪いし。 話せばきっともっと面倒なことになるかな、だから今までもお互い不干渉って感じなんだし」


 と、長峰さんは返す。 クラス内の事情というのは詳しく知らないけれど、どうやら長峰さんのグループと今回相手となるグループはあまり友好的というわけではないようだ。 ……正直、私から見ればどちらのグループも似たようなグループにしか見えないが。


「どうして相性が悪いんですか?」


 そこで私は素直に疑問をぶつけてみることにした。 私が言うと、その場に居た全員の視線が一瞬私へと集まる。 しかしそれもすぐに長峰さんへと移ったのを肌で感じた。 どうやら全員、今の疑問には興味があるらしい。


「超簡単に言うと、私たちの集まりって要するに学生生活を楽しも~! って感じの集まりなわけ。 授業も真面目に受けるし、行事にも真面目に取り組むし、みたいな」


「……長峰さんはそんなキャラですか?」


「うっさい、とにかくそういう集まりで……それは進藤君なら分かるでしょ? 他の三名はともかく。 てか冬木さん最近なんか察し悪くない?」


 なんとなくで言われた言葉だった。 長峰さんはただ言いたいことだけを伝えたような感じで、それについて特に追求するような素振りは見せない。 しかし、その原因はハッキリと分かっている。 私の力が失われたから、だからそう思ったのだと。


「あー、言われてみればな。 三好たちとは別って感じはする、実際一緒に行動はしてないしな」


 問われた進藤君は考え込む素振りを見せたあと、そう告げた。 私からしてみればどちらも大して変わりがあるようには見えないけれど、見る人が見れば別物ということらしい。 やはり人間関係というのはとても難しいものだ。


「そういうこと。 それにその辺調整するのって進藤君の班の仕事じゃないの?」


「まぁそうだけどよ……こっちもこっちで難しい班なんだよ。 成瀬と雪のほうは結構協力的だけど、雫が全然手伝わねえんだよ」


「そりゃそうでしょ、妹と同じ班とかあの子絶対やりたくないだろうし」


 雪、というのは水原姉妹の妹の名前だ。 雫というのはその姉である水原雫さん。 姉のほうは長峰さんと仲が良いものの、水原姉妹は不仲で有名なのだ。 そして成瀬君はどうやらしっかりと働いているらしい、感動だ。 なんだか成瀬君の保護者になった気分になりつつある。


「猫の手も借りたいってのが本音だ。 手空いてる奴いないの?」


 と、本題はそこらしい。 全体的にスケジュール通りで進んでいるならまだしも、遅れが出る場所もあれば逆に早まるところもある、ただでさえその調整に忙しい中、衣装班のボイコット? が出てきたとなると無理もない。 進藤君の頭の回転は良いほうだ、元より私たちの中から誰かの手を借りようとして訪れたのだろう。 実際、私たちの班はゆっくりやっても間に合うほどの時間的余裕はある。 演劇の要となるため、他の班よりも余裕を多くもらっているのだ。


「それなら西園寺さんは? 脅せば三好さんだって言うこと聞いてくれるかもだし」


「関わってもめんどくせえだけだから断る」


 長峰さんの言葉に西園寺さんは即座に拒絶を示す。 長峰さんの言葉からして、三好さんという人がそのグループのリーダーなのかもしれない。


「ですが長峰さんも秋月さんもセリフを覚える段階ですし……行けるとしたら、私と西園寺さんくらいですよ」


 私は少しくらいなら席を外しても問題はない。 そしてそれはセリフを既に頭に入れてある西園寺さんも同様だ。 それぞれの思考が聞ければ便利なのだが……生憎それは叶わない。


「あ? ……まぁそうか、そうだな。 けど三好たちと関わるのはめんどくせえからしない。 琴音のところにいって話を聞くくらいなら手を貸す」


 西園寺さんは一瞬私を睨むも、バツが悪そうにそう続ける。 すぐに怒って話を放棄することはせず、状況を冷静に判断したのかもしれない。 噂通りの人物、というわけではないようだ。 西園寺さんのことはまだまだ分からないことが多いけれど、以前聞いた朝霧さんの話によると悪い人にはどうも見えない。


「それだけでも助かる、朝霧も俺だけじゃ話を聞いてくれないだろうしな。 冬木も来てくれるか?」


「ええ、大丈夫です。 朝霧さんは4階の空き教室、でしたね」


 最も、私が足を運んだとして力になれるかどうかは分からない。 私が唯一対人関係で持っている強みの能力が今ではないし、却って足手まといになってしまうかもしれない。 けれど、何もしなければ何も変わることはできない。 少しずつ変わり始めた環境とともに、私もまた変わっていかなければならないのだ。




「成瀬君は頑張っていますか?」


 それからクラス委員室を後にした私たち三人は、朝霧さんの下へと向かうために廊下を歩いている。 その道中、私は進藤君に尋ねてみた。 目を離せばサボる成瀬君のことだ、完全に私と別行動をしている今、それが気になった。 思い返せばクラス委員室では9対1くらいの分量で仕事をしている。 どちらが9でどちらが1なのかは言うまでもない。


「正直最初は怖かったけど、意外としっかりしてる奴だな。 かなり助かってるよ」


「怖かった? 成瀬君が、ですか?」


「そりゃなんか近寄りがたい雰囲気だし、最初に委員会決めるときも北見のこと睨みつけてたし……ヤバイ奴って噂もあるし」


 ……自業自得だ。 あのとき私は成瀬君の思考を聞いていたから知っているけれど、どうやら進藤君もその姿を見ていたらしい。 恐らくそこから「ヤバイ奴」という噂が広まっていったのかもしれない。


 近寄りがたい雰囲気、というのは少し分からない。 最初から成瀬君は私に積極的に話しかけていたし……考えられるとしたら、目付きが少し悪いくらいだろうか? あとは、私とよく話しているということしか思い浮かばない。


「成瀬君は意外とお人好しなので、どんどん仕事を押し付けても大丈夫だと思います」


「……本当か? まぁあいつと付き合ってる冬木が言うなら間違いないんだろうけど」


「……はい?」


 今、おかしな単語が聞こえた気がした。 私の耳はおかしくなってしまったのか、進藤君に尋ね返す。


「いや、二人って付き合ってるんだろ? そういう噂があるけど」


「付き合ってません。 その噂は根も葉もない悪質なもので、信じるに値しません。 質の悪い冗談です」


 ……言語道断だ。 別に、そういう噂が嫌というわけではないけれど、でも、あれだ。 そういう嘘の話で勝手に勘違いされるというのが嫌なだけ。 そう、それだけ。


「お、おう……そういうことなら今度聞いたら正しておく。 で、西園寺はどうよ? 好きな奴とかいないのか?」


 進藤君は引きつった顔で言い、私から逃げるように西園寺さんへと話題を振る。 その内容はどうかと思うものであったが、進藤君ほどのコミュニケーション能力があれば問題ないのだろう。 長峰さんと並んで私たちのクラスの顔のような存在なのだ。


「うるせえな、ぶっ飛ばすぞ」


「……ははは」


 しかしどうやら相手が悪すぎたようだ。 西園寺さんは大きく舌打ちをし、進藤君にそう返す。 進藤君は愛想笑いをし、沈黙が流れた。


 それはそれとして、朝霧さんと話をするにしても得られる情報は恐らく同じ。 戸田さんたちの言い分は「用事がある」というもので揺るがないだろう。 衣装係は仕事量が多い、だからこそ人数も多めに割り振られており、全員が自分の仕事に責任を持たなければ終わらない仕事だ。 まだ準備期間であるものの、これから先それが続くとなると非常にマズイことになる。


 小道具などは最低なくてもどうにかできるが、衣装がないとなればかなり大きな痛手だ。 真面目に取り組んでいる人からしてみれば、演劇そのものを成功という形で収めたいに決まっている。 それにここでクラスに軋轢が生まれてしまうのは、クラスを一つにまとめるという大きな目標から遠ざかることにもなる。


 ……最悪の場合、ひとまず演劇を完成させるということを優先すれば手が余った人に手伝ってもらうことも考えなければならない。


「ここか?」


 前を歩いていた二人が足を止める。 考えながら付いていっていたこともありあっという間だった。 校舎の隅、4階の空き教室。 中には人の気配を感じられなかったけれど、西園寺さんはこくりと頷いた。


 それを受け、進藤君が扉を開く。 すぐ視界に入ってきたのは朝霧さんで、彼女は床に座りながら衣装作りに励んでいた。 簡単なところから手を付けているのか、既に数着完成している小人の服が目に入る。 そんな朝霧さんは私たちに視線を一度送ったあと、特に反応も示さず再度作業を開始した。


「おう琴音。 こいつらが話聞きたいってよ」


「……なに? さっきの姫からの電話で内容は伝えたはずだけど」


「詳しく聞きたいってことだよ。 どういう経緯でそうなったのか、それに今のとこ遅れが出てるのって衣装班だけだし説明する必要はあるだろ?」


 進藤君がそう返す。 遅れが出ているということを理由に説明を求める、彼らしい正攻法というわけだ。 責任感が強いという部分では成瀬君と似ているが、その手法は全く異なっている。


「そういうことなら別に良い。 ただ進藤が余計なことをしたせいで更に遅れるわけだけどね」


 朝霧さんは面倒臭そうに溜息を吐き出すと、作業していた手を止めた。 朝霧さんが言う余計なことというのは、たった今こうして朝霧さんと話をしにきたことだろう。


「琴音って見かけによらず裁縫得意だよなぁ」


 そんな場の空気を完全に無視したセリフを言いつつ、西園寺さんは出来上がっている小人の服を手に持って見つめる。 どちらかというと見かけ通り……という感じがするけれど。 意外と家事が得意そうな雰囲気を持っている朝霧さんだ。


「結構雑にやってるけどね、このままじゃ間に合わないし」


「そりゃ一人じゃ無理だろ、だから人数多めに割いてるのに」


 進藤君が言う。 が、朝霧さんは若干呆れたように口を開く。


「無理って誰が決めたわけ? あんたのそういうところは嫌いだね、進藤。 無責任な奴らばっかで本当にくだらない」


 小さく笑って朝霧さんは言う。 それを聞き、声を上げたのは進藤君ではなく西園寺さんだった。


「あ? 琴音が一人でやる必要はねえだろ、テメェの分だけやって後は放っとけばいい。 それで文句を言われるならアタシがぶっ飛ばしてやる」


「私は誰かと違って中途半端なことはしない。 姫だってそれは一緒でしょ、演劇なんてくだらないし面倒だって言いながら誰よりも真剣にやってる。 違う?」


「……真剣にやってるわけねえだろ、こんなの」


 と、声を若干小さくして西園寺さんは言う。 その反応だけでも充分だったが、朝霧さんの言う通り西園寺さんは真面目に取り組んでいるのは確かだ。 でなければセリフをもう頭に叩き込む、なんてことは絶対にしないはずだから。


「けどそれとこれとはちげえだろ? もしそれでも琴音がやるっつうならアタシが三好に話しつけてきてやる」


「余計なことはしないで。 三好たちは私に用事があるからできないって言って、私はそれを引き受けた。 そこで話は終わりでしょ?」


「っざけんな! んな適当なことやってる奴に付き合う必要なんてねえだろ!?」


「これは私の問題。 姫には自分のことをしっかりやって欲しいし、首を突っ込まれると迷惑」


「……チッ! おら行くぞ遠藤! 冬木!」


 西園寺さんは返す言葉が思いつかなかったのか、迷惑という一言が効いたのか、それ以上朝霧さんに詰め寄ることはなく、しかし苛立ちを顕にしながら教室から出ていく。 困ったような表情をしたあと、朝霧さんに一度礼を言って進藤君も出ていき、中には私と朝霧さんが取り残された。


「行かなくて良いの? 冬木」


 既に朝霧さんは視線を落とし、衣装作りに励んでいる。 ここで退くのは簡単だ、けれどそれでは問題が何一つ解決しない。


「私はまだ話足りないので」


「そう? 充分なことは話したつもりだけど」


「……本当に一人でやるつもりなんですか? どう考えても、朝霧さん以外の人たちが同時に用事なんておかしい話だと思いますが」


「……それくらい分かってるに決まってるよ。 言われなくても」


 朝霧さんは若干面倒くさそうだ。 念の為に言ったこと、確認のために言ったことだったけれど、普段の私なら言わなかったかもしれないと同時に思った。 誰かの思考を聞いて、そこで答え合わせはできていただろうから。


「なら、どうして」


「さっきも言ったけど中途半端なことは嫌いなの。 内容だけ見れば姫の言う通り、私がやる必要なんてどこにもない。 けど、周りから見ればそんなことは関係なくて衣装班がやらなかった、ってなる。 そういう風に中途半端な奴って思われるのが嫌なだけ。 あいつらと同じことはしない」


「あいつら、というのは三好さんたちのことですか?」


「……ん、まぁ、そうだね」


 その返答に若干の違和感を感じたが、確かなことは朝霧さんは中途半端ということを嫌っているということ。 それは前にも言っていたし、長峰さんに対しても「気に入らない」とハッキリ口にしていたことから明白だ。


 けれど、彼女はこうも言っていた。 周りになんか興味はなく、どうでも良いと。 その言葉と朝霧さんの態度は矛盾している。 そもそも周りのことに興味がなく、どうでも良いと思っているのならそんな評価なんて気にすること自体がおかしい。


 その矛盾に何かがある。 それはさすがに私でも分かる。 しかし、そこが踏み込んでも許される場所なのかが分からない。 人が他人と作る境界線が見えてこない。 いつもであれば、思考を聞くという半ば遠目からその境界線を見ることができた力が今はない。 人の心に踏み込むという行為が、とてつもなく怖い。 丸腰でそこに足を踏み入れるなんて、一体どうやったらできるというのか。 私は既に踏み込んでしまっているのか、まだ引き返せる段階なのか。


「で、話は終わり? 終わりならとっとと帰った方がいいんじゃない、冬木も自分の仕事があるでしょ」


 そう言う彼女の瞳が怖く、雰囲気が怖く、場の空気が怖く、私は一度頭を下げて教室を後にするのだった。

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