第17話『学園祭に向けて』

「ちょっと待って、これ最後までやるの?」


「本格的にやるならそれが良いと思いますが」


 紙送りの一件が無事に片付き、学園祭の準備が本格的に始まった。 通常の授業はほとんど行われず、学校全体がお祭りムードへと向けて雰囲気が変わっている。 全三日で開催される学園祭、私たちのクラスが行うのは演劇『白雪姫』だ。 演劇時間は20分となっており、午前中に1回、お昼に1回、午後に1回という計3回が一日の予定。 今はそれに向けて歩み始めたところだ。


 私の仕事は現場指揮、というものだけれど、長峰さんの強い要望があり演劇内容に関しての指揮を執っている。 同じクラス委員の成瀬君はというと全体的に進捗をまとめたり指示を出したり、といった仕事だ。 意外なことにそれに対しての不満というのはなく、学園祭という行事のおかげだろうか、思いの外物事は円滑に滑り出していた。


 とは言っても、学園祭までは一ヶ月ほど。 準備は前々からしていたということもあり、衣装や小道具などは問題なく準備ができそうである。 問題があるとすれば、今こうして話し合っている演技のほうだ。 そしてこれは成瀬君のみが知っていることだけれど、私に起きている一つの出来事がある。 人の思考というものが、あの日を境に全く聞こえなくなっていた。 それが良いことなのか、悪いことなのか、私ですら困惑していることだ。 でも、今まで聞こえていたものが聞こえなくなったというのはどこか不安にもなってしまう。


 ……その切っ掛けは分かっている。 あの日、成瀬君に「勝手に聞くな」と言われたとき、私は心の底から自分の力を拒絶した。 こんなものがあるから、と思った。 タイミングからしてそれが原因だということは分かっており、成瀬君も察してはいるだろう。 ただ、それについてはもう済んだことであり重要なことではない。 成瀬君は「様子を見つつ考えよう」と言っていたことだし、ひとまず一時的なものなのか、それとも本当に消えてなくなったのか、それを探っている段階。


 ただ、こうして人と関わる機会が増える学園祭目前で消失してしまったのは、進める上では少々不便だとも感じている。


「本格的っていうか、問題は私が可愛く見えるかどうかでしょ? ねえ西園寺さん」


「なんでも言いっつーの。 アタシは勝手に決められた身だしどーでも良い」


 と不満そうに頬杖を突いているのは西園寺さん。 彼女は役割を決める際、寝ていたところを朝霧さんの手によって「お妃様」の役目となったのだ。 てっきり怒り狂うと思っていたのだが、西園寺さんは素直にそれを受け入れたのだ。 万が一朝霧さん以外だったら、どうなっていたかは定かではない。


「まぁ本人が納得するかというのも大事だが、それよりも優先するのは演劇としての形だろう。 改ざんしすぎて原型がなくなっては意味がない。 形式は大事だろう」


 そこで口を開くのは秋月さん。 今回の白雪姫では王子役を担っている彼女である。 彼女らしい、もっともな意見である。


「へぇ、紙送りであんな勝手なことしたのに?」


「な……あれは、仕方がなかったんだ。 散々怒られたしもう良いだろう? 触れないでくれ」


 ずばりなことを言われ、慌ててそう返す秋月さん。 私にチラリと視線を送り、若干恥ずかしそうに言う姿が少し面白い。


「つってもアタシは楽な部類だからな、長峰の好きなようにやればいいんじゃねえの? もうセリフも覚えたし増えなきゃなんでもいいよ。 別に内容にこだわりなんてねえし」


「え、もう覚えたんですか?」


 確かに西園寺さんのセリフは配分としては多いほうではない。 とは言っても、白雪姫である長峰さんや森に暮らす小人たちに次いでセリフは多いのだ。 曲りなりにも多いほうではないというだけで、少ないということは決してない。 一応台本を渡したのは10月の頭頃だったけれど、本格的に頭に入れるのはこれからという感じなのに。


「あ? おー冬木、てめぇもしかして疑ってんな?」


「いえ、そういうわけではないですが……」


「いーやそれは疑ってる顔だ。 なめんなよこの野郎、ちょっとそれ顔の前で持て」


 言い、西園寺さんは顎で傍らに置いてあった発泡スチロールを指し示す。 なんだかとても面倒……妙な流れになって来ている気がするが、断ったら断ったで更に自体はややこしくなりそうだ。 別に疑っているというわけではないんだけれど……。


「こう、ですか?」


 仕方なく、私は言われたように顔の前で発泡スチロールを掲げる。 小道具の残骸、しかしながら結構な面積のそれを。


「おう。 ……んん、鏡よ鏡よ、世界で一番美しいのはだぁれ?」


 咳払いをし、西園寺さんは言う。 どうやら疑っている(と思われている)私に対し、実際に演技をしその疑いを晴らそうということのようだ。 突然のことだったので反応が少し遅れたが、私はすぐに返事をする。 私自体は演技というものをしないけれど、台本は頭に入れているので記憶している。 演劇についての指揮を取らなければいけない以上、それが私の仕事だ。


「この世で一番美しいのは白雪姫様です、お妃様」


「んだとこの野郎ッ!」


 私が持っていた鏡に見立てた発泡スチロールに穴が空く。 同時、私の顔の横を風と拳が突き抜けていった。 私は無残な姿となってしまった発泡スチロールの横から顔を出し、西園寺さんを見る。


「あの」


「……ついな、反射的に」


 いや、本番でそれをやられたらとても困る。 童話である白雪姫が一瞬で西園寺さんを主人公としたバトル物になってしまいそうだ。 確かに今の拳は物凄い威力があったというのは分かるけれど、私が感じたのは顔に当たらなくて良かったということだけである。 本番までに何枚の鏡の作り物がこの発泡スチロールと同じ運命を辿るのだろうか。


「鏡役として人を立たせるということも考えましたが、やはり物にしてナレーションとして流した方が良さそうですね」


「そうね」


「同意だ」


 というわけで鏡役はどうするかが決まった。 この危険性を事前に知れたのは幸運である。 最も、本番ではそれを抑えてくれることの方が課題になりそうだけれど。


「おーい、ちょっと良いか?」


 と、そこでクラス委員室のドアが開かれる。 普段であればこうして尋ね人が来るというのも極々稀なことだけれど、この学園祭の準備期間は別だ。 演劇の主役とも言っていい三人はここで個別に取り組んでいるが、全体としての調整もあって連絡ごとで人が尋ねてくることは多い。 視線を向けると、そこに立っていたのは進藤君だった。 クラス内では中心的な人物、この学園祭にも積極的に取り組んでいる。 成瀬君と同じ班の人だ。


「衣装係の方って進捗どうなってるか分かるか? 小道具とか役の方の進捗は掴めてるんだけど」


 進藤君の役回りとしては、今言っているように演劇全体のスケジュール管理。 言わば裏方の仕事であるものの、不満を言わずに取り組んでいてくれている。 やはり学園祭ともなれば、クラスが一つに纏まる大きなチャンスなのかもしれない。


「なんでそれを私たちに聞きに来るわけ? 衣装係に聞けばいいじゃん」


 応対するのは長峰さんだ。 秋月さんは当然ながらスルー、西園寺さんは頬杖をついて睨みを利かせていて、私はぼーっとそのやり取りを見ているだけ。 長峰さんが居てくれるのは大変心強い。 居なかったら私が受け答えをしていなければならなかったかも。


「どこにも見当たらねえんだって。 朝霧衣装係だったろ? 西園寺ならなんか知ってるかなって。 朝霧と話ができるの西園寺くらいだし」


「ってことらしいけど」


 言われ、長峰さんは西園寺さんに顔を向ける。 が、西園寺さんは頬杖を突いたままの姿勢で「知らねえ」とだけ言い、それ以降喋ろうとはしない。


「……他の方は? 衣装班は八名でしたよね」


「ああ、えーっと吉澤よしざわに、高村たかむら吉木よしき三好みよし戸田とだ、朝霧、矢西やにし金子かねこ、だったっけ」


 私の言葉にも進藤君は反応を示す。 若干恐る恐るという具合で聞いたのだが、杞憂だったようだ。


「朝霧さん以外は割と仲いいグループね。 朝霧さんと三好さんと戸田さん以外は男子」


 その言葉は恐らく私や西園寺さん、秋月さんに向けられた言葉である。 確かに名前は記憶にあるが、顔と一致するかどうかと言われると微妙なところだ。 秋月さんは一応覚えているかもしれないけれど、西園寺さんは覚えていないだろう。 そのため、説明を兼ねての言い方であった。


「まさかあいつらサボってるんじゃねえよな?」


「私に言われてもわかんないって」


 進藤君は困ったように言うと、長峰さんもまた困ったように言う。 が、そこで口を開くのは西園寺さん。


「琴音はそんなことしねーよ、自分の仕事はきっちりやる。 電話してやるから待っとけ……遠藤」


「……俺の名前進藤なんだけど」


 そんなやり取りがありつつ、ひとまず西園寺さんの電話の行方を待つ私たちであった。

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