第十二話『見えた物』

「未だに信じられません、現実としてあり得て良いことなのでしょうか?」


「ずっと言ってるなそれ……さすがに田村さんが可哀想に思えてきた」


 一週間が経った日曜日、俺と冬木は珍しく二人でいつもの喫茶店にいる。 そしてあの日から冬木はことある事にそんなことを呟いているのだ。 田村さんが既婚者だったということがそれほどまでに受け入れがたい事実なのだろう。


「しかしですね、あのように私に対して失礼なことを常に言っているような人が……」


「分かった分かった、怒るなって。 そんなに気にしてるのか、胸の」


「何か言いました?」


 俺がそこまで口にしたところ、冬木が勢いよく睨みつけてきた。 とてつもない圧力を感じる、これ以上口走ったら間違いなく酷い目に遭う未来が見えた。 どうやら俺はついに未来予知の力も手に入れてしまったようだ、嬉しいなぁ。


「いえ何も。 ただまぁ、あの人にも良いところってのがあるんじゃないのか。 ギャップ的なさ」


「ふむ……確かにセクハラを除けば親切な人ではありますけど」


 そこはさすがの冬木空。 どれだけ苦手な相手であっても、その人に関しての評価というのはしっかりしているようだ。 普通だったら嫌なところしか目に入らないだろうに、人の様々な面というのを見ている。 真面目な冬木らしい見方だな。


「だろ? だから田村さんを好きになるって人が現れても不思議じゃない」


「そう考えると自然な気もしてきますね。 普段はふざけていても、いざというときは真面目だと言えば好印象にも思えます。 なんだか騙されている気も若干しますが」


 なんだか田村さんの知らないところで随分と酷い会話をしている俺たちである。 本人に知られたらさすがに怒られそうだ……いやでも、田村さんなら俺の知らないところで俺の話してたの? いやぁモテるってつらいなぁ、とか言いそうにも思える。


「ところで冬木って好きなタイプとかあるのか? 恋愛方面超興味なさそうだけど」


「私をロボットか何かのように言うのはやめてください。 そうですね……できる限り静かな人ですかね。 あとは一緒に居て気が楽な人ですかね」


 と、意外にもまともな返事が返ってきた。 冬木の性格的にそういう人が一緒に居て楽なのだろう、これまで色々と他愛のないことを話してきたが、こういった話は初めてである。


「逆に成瀬君は……ああ、成瀬君の方こそ興味なさそうですね」


「おい。 俺はそうだな……一緒に居て気が楽ってのは同じだけど、朝起こしてくれる人がいい」


「朱里さんのことですね」


「……あいつが妹じゃなきゃなぁ。 いやでも妹じゃなかったらあそこまで面倒見良くないか、そう考えると中々難しい問題だ」


「そこを真面目に考えるのは、結構危ない人に見えてきますよ。 でもそうですね、私も朱里さんとなら結婚したいです」


「朱里に伝えたらあいつ大喜びしそうだな」


 言ってしまえば俺にとって朱里というのは超人のようなもの。 俺としては他人に誇れるものなんて一切ないが、唯一誇れるのが妹の朱里である。 あいつほどできた妹なんて他にはいない、まぁ本人には決して目の前で言わないけど。 調子乗るからな、すぐに。


「ですがそもそも、私たちには難しいでしょうね。 一緒に居て気が楽な人というと……」


 言い、冬木は考え込む。 しかしそもそも友達すら片手に収まりそうな俺たちにそんな人がいるのかどうか。


「ああ、俺か」


「そうですね……へ? いや、今のは違くてっ!」


 俺が冗談で言ったところ、考え込んでいた冬木はそのまま流れで返事をする。 珍しく顔を赤くし、席を立ち、言葉を訂正しようと焦っている冬木は面白い。 適当な相槌を打ちそうだと思って言った言葉だったが、新鮮な反応だ。


「ああいたいた。 どうしたんだい? もしかして喧嘩でもしていたのか?」


 と、そこでようやく俺と冬木が待っていた人物が現れる。 そいつは俺と冬木それぞれに視線を向けたあと、冬木の横へと座り込んだ。


「雑談をしていただけだよ。 悪いな、休みなのに来てもらって」


「構わないさ。 臨海学校での借りもあるしね、それに元々僕の仕事はそういうことだから」


 現れたのは道明美鈴、知る人ぞ知る名探偵。 田村さんの話を聞いたあと、俺と冬木は話し合い、道明に依頼をしたのだ。 正直あまり使いたくない手ではあるものの、状況が状況だけに仕方ない。 そういうわけで、俺と冬木が依頼したのは「紅藤良治の動向調査」である。


「……はぁ」


 と、冬木は自分の顔を手で仰ぎながらなんとも言えない顔をしていた。 それを見た道明は不思議がっていたものの、すぐさま俺の方へと向き直り本題を口にする。


「この一週間、紅藤良治に尾行をしてできる限りの情報は集めた。 まったく最初に聞いたときは驚いたよ、バレたらどうしようかとヒヤヒヤものだったね、仮にも相手があの紅藤家ってなると」


「危ない橋を渡らせて悪い。 でもどうしても必要だったんだ」


 まずは事の真相を掴まなければならない。 それによって取る行動というのも変わってくる。 俺が見た嘘、そして冬木が聞いた思考、最初の手がかりはそれだけだったが……今では何かがあるということに確信を得ている。


「秋月には僕も協力してもらった借りがあるからね、気にしないでくれて構わない。 で、肝心の何をしてたかについてだけど……」


 道明が話している途中、店員が注文を取りに来る。 道明は探偵らしくと言ったら偏見かもしれないが、ブラックのコーヒーを頼んでいた。 とてもじゃないが俺ではあんな苦いものは飲めない、冬木も一緒だろう。 その後店員が戻ったのを確認したあと、道明は口を開く。


「なんのことはない、ただの挨拶回りだったよ。 向こうの町内会への挨拶、なんの話をしていたかは分からないけど、紙送りの中止を求めて署名を集めていたんだろ? ならおかしいことではない」


「……そうですか」


 その話を聞き、少し落胆する様子を見せるのは冬木。 無理もない、それではなんの成果も結局得られていないのと同義だ。 あまり時間が残されていない中、焦る気持ちも分かるが……これでは紅藤の思考や嘘とも繋がりが見えてこない。 せめてその挨拶の内容でも聞ければいいんだけど。


「そう落ち込まないでくれよ、ここまではあくまでも探偵として調査した結果だけ。 それから数日動向を探ってみた結果、面白いことが一つ分かったんだ」


「面白いこと?」


 俺がすぐに尋ね返すと、道明は一息空けて口を開く。


「石泣神社の神主、倉田勇次もその中に居た。 彼のことは以前、別件で調査をしていたときに顔を覚えていてね、紅藤とは友好的な関係のように見えた。 とても仲が良さそうだったよ」


「神社……ですか」


 冬木は言い、口に手を当てる。 隣町の神社、そこの神主と親密な関係を築いている紅藤良治、そして秋調神社、紙送り、道明が匂わせているのは、という言葉。


「まさか」


 数秒後、冬木はハッとした顔をして道明を見る。 俺も恐らくは冬木と同じ結論に辿り着いたところだ、そして道明が俺たちに伝えたかったことも同じこと。


「そんなことあっては駄目です! どうしてそこで秋月さんが被害を受けないと……!」


 珍しく、冬木が声を大きくして言う。 冬木の気持ちというのは痛いほどに分かる、もしもそうであるならば、秋月としてはただの流れ弾に当たったようなものでありなんら非はない。


「……お待たせ致しましたー」


 と、そこで若い店員が道明の頼んでいたコーヒーを運んでくる。 喧嘩をしているとでも思われたのか、若干気まずそうにしている。 それを受け、冬木は慌てた様子で頭を下げた。


「とにかく、僕が得たのはそこまで。 この情報をどう受け取るか、どう扱うかは君たちの自由……うえ、苦い」


 店員がまた下がっていったのを確認した道明は喋り出す。 確かに道明に依頼をしたのは紅藤良治の動向調査であり、この俺たちが取り組んでいる紙送り中止の問題……紙送り問題とは別である。 だからそこまで頼むのは筋違い、ということ。


 しかし自分で頼んでおいて、一口飲んで舌を出しながらその感想はどうなんだ。 飲めないなら最初から頼まなきゃ良いのに……どうせ探偵っぽいとかそういう理由で頼んだんだろうけど。


「成瀬君、紅藤さんの家に行きましょう」


 そう言い、再度立ち上がるのは冬木だ。 即決即断は素晴らしいことだと思うが、さすがにそれは突飛すぎて賛同できない。


「行ってどうする。 これこれこうだと思うのでやめてください、って言うのか? そんなの紅藤が認めるわけないだろ」


「……ですが」


「落ち着けって。 何も準備しないでやっても意味なんてない、逆に秋月の立場が悪くなることだってあり得る。 らしくないぞ」


 少し強く俺が言うと、冬木は唇を噛みしめる。 自分でもきっと分かっていたことだ、だが居ても立ってもいられないという状態なのだろう。 俺だってそれは一緒だ。


「何より優先するのは秋月に迷惑をかけないこと。 俺たちがやってるのは要するに出すぎた真似ってやつなんだから……おい」


「ん?」


 冬木に向けて喋っている最中、視界の隅で不届き者の姿が映った。 俺の前に置かれているのはブラックコーヒー、そして道明が何食わぬ顔で飲んでいるのは俺が頼んだココアである。 人の飲み物を勝手に飲むな。


「ん? じゃないから。 それ返せ」


「なんだい、僕が口をつけた飲み物を飲みたいって? 変態かな」


「……お前すげえ大人数から恨まれてそうだな」


 言いながら、どうやら返す気はない道明を睨みつつ試しにブラックコーヒーを飲んでみる。 が、やはりというか苦すぎてとても美味しく飲めるとは言い難かった。


 ……ていうか結局、道明だってこれを飲んでいたわけだし道明が口をつけたものを飲んでいる、という結果に変わりはないという理不尽な事実にも気付いた。


「分かりました、一旦落ち着きます」


 と、黙り込んでいた冬木は席に再度座り、飲み物を両手で持ち、口をつける。 どうでもいい話だが、冬木が飲んでいるのはカフェラテだ。 俺の言葉に対して普通であれば反論をしてきそうなところだけど、客観的に判断してそう言ったのだろう、俺が感じている冬木の凄いと思う部分でもある。 冬木は様々な思考というのを頻繁に聞いている、だからよっぽどのことがなければ動揺せず、冷静に考えることができている。


「個人的な意見だけど」


 俺と冬木に一度視線を投げたあと、道明は手を組んで言う。


「僕はこれまで何回か似たようなことを経験している。 今回の件はざっくりと言えば、恐らくは石泣神社が背景に居るんだろう。 隣町には歴史もありそれなりに有名な秋月神社、毎年注目を浴びるのは紙送り。 そこで紅藤に頼み紙送りを中止に追い込みたい……おおよその予想はこんなところだ、これはほぼ正解と見て間違いない。 で、問題がある」


 道明は言うと、人差し指を立てた。 それこそ、俺と冬木にできることの限界。


「このパターン、裏でお金が動いていることが多い。 下手に首をツッコまないほうが良かったかもしれない」


 それが、道明美鈴の示す一つの道だった。

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