紙送り

第一話『秋、寒い』

「今日は寒いですね」


 10月頭の朝、俺は冬木と共に学校へと向かう。 学生服は冬服へと変わり、冬木はそれに従いしっかりと冬服を着ている。 まだマフラーなどをするまでには至らないが、確かに寒い今日は冬木のように冬服を着るのが正解だろう。 一応校則では制服の下にジャージを着込むことは禁止されており、女子にとっては結構厳しいものだろうが従っている者はあまりいない。 学校側も容認しているような形になっているが、冬木に関して言えば校則がある限りそれにしっかりと従っているので足が大変寒そうだ。


「この辺って冬は雪降るんだろ? 真冬になったら最悪だな」


「転ぶと結構痛いですからね」


「そうだな」


 ……転んだことがあるらしい。 冬木はしっかりしているように見えて案外抜けているところがある、転んだ冬木というのを少し見てみたいと思ったのは内緒だ。 なんかこう、普段は弱点が存在しないような奴ほどそういう一挙動が面白く思えてしまう。 冬木はイメージ的に、完全無欠って感じだったし。 まぁコミュニケーション面で問題がありそうなのは最初から分かっていたが、完全無欠というのとは少し違うが。


「もしも私が転んだら、怪我をしないようにしっかり先回りして下敷きになってください」


「俺はお前の奴隷か何かかよ」


 しかし冬木相手に秘め事は困難を極める。 今のように、俺が良からぬことを考えるとこうして思考を聞かれることがあるからだ。 今では思考を聞かれることにも慣れてきたものの、聞かれると恥ずかしいようなことも聞かれてしまっているので冬木の前では隠し事が大抵意味を成していない。 冬木も聞きたくて聞いているわけではないし、不満も不平もないけどな。


「女性は守るものだと八藤さんが言っていましたよ」


「報酬もらえるなら考えとく」


 八藤さんというのは、冬木の保護者にあたる比島さんのバンド仲間。 イケメンに加えて気配りも半端なく、才色兼備というのはああいう人のことを言うのだろう。 話していてもその性格が垣間見えるし、若いものの大人な人だと感じている。


「対価ですか。 なら、成瀬君が授業中に寝ていたり別のことを考えていることを秋月さんに告げ口しない、というのは?」


 冬木は少し笑い、人差し指を立てながら俺に向けて言う。 いきなりの死の宣告だ、生殺与奪権が握られている。 秋月純連という存在は俺の中では恐怖の象徴、そして逆らってはいけない人物ナンバーワン。


「絶対するなよ!? 死にたくないっ!」


「なんの話だ? 私の名前が聞こえた気がしたが」


 俺が必死になって冬木の横暴を阻止しようとしていたところ、後ろから声がかかる。 俺と冬木がほぼ同時に振り返ると、そこに立っていたのは死神だった……いや間違えた、秋月だった。


「おはようございます。 今丁度、成瀬君の授業態度が……ッ!」


 冬木がありもしない捏造話を口にしようとしたところ、俺は冬木に嘘を吐かせないための気配り、冬木のような心優しい奴に嘘なんて吐かせて堪るかと思いながら冬木の口を押さえ込む。 冬木は驚いたかのように抵抗するも、口を開かせたら俺の負けだ。 冬木のことは俺が守るしかない!


「なんでもない! ただほら、あれ、紙送りもうすぐだから秋月大変そうだなーって。 ははは」


「んー! んーっ!」


「朝から仲が良さそうだな。 しかしそうだな、この時期の忙しさには頭痛がするよ。 夏休み明けからロクに顔も出せていないしな……申し訳ない」


「気にするなって。 なんか手伝えることあれば言ってくれ、俺も冬木も手貸すし、たぶん長峰も協力してくれるだろ」


「ああ、そのときは遠慮せずに頼むことにするよ」


 そう言い残し、秋月は先に歩いて行く。 にしてもこの光景を仲が良いと捉えるあいつも凄いな……いや、面倒だからそういうことにしたという可能性の方が高いか? 真面目に見えて超めんどくさがりなのが秋月なのだ。


「でも本当に疲れてたな、毎日遅くまで準備をしてるって聞いたけど」


 あまり無理をして倒れなければ良いが。 そんなことを思って秋月の背中を見ていたとき、足が思いっきり踏みつけられる。


「いてぇ!?」


「……もう知りません! 成瀬君は馬鹿です!」


 と、冬木は寒さの所為か顔を赤くし声を荒げて先に歩き始めた。 冬木がこのように直接的な攻撃というのを取るのは珍しいな、なんてことを思う俺であった。




「紙送りか」


「10月の末、前に八藤さんが言っていたように、私も紙送りが来ると冬が来るというのを感じます」


 放課後、いつも通り本を読みながらクラス委員室で俺と冬木は雑談をしている。 長峰は別の友人と予定があると言っており、今日は静かなクラス委員室だ。 ちなみに朝の件は学校へ着き、教室に入るなり冬木に謝ったところ、ムスッとした顔をしていたが許してくれた。


「冬木は好きな季節とかあるのか?」


「そうですね、夏はあまり好きではないです。 好きな季節と言われれば……冬ですかね。 暑いより寒いほうが好きです。 夏はどうにもなりませんが、冬は服を着込めばどうにでもなるので」


「名前とピッタリだな。 まぁ俺も冬が好きだけど」


 もしかしたら引き篭もり……じゃなかった、インドア派は冬が好きなのかもしれない。 長峰は夏が好きだと言っていたし、秋月は一番暇な春が好きだと言っており、逆に名前に反して秋は嫌いだと言っていた。 理由はもちろん忙しいから。


「冬の冷たい空気や全体的に暗くなる感じ……と言えば良いですかね? そういうのが好きです」


「なんとなくわかる。 けど俺は寒いこと自体が結構好きだな、こたつのありがたみというか、幸せ指数が上がる気がして」


「こたつは分かります。 私の部屋もそろそろこたつを出そうかと考えていまして」


「部屋にこたつとか最高だな……俺の家、リビングに置くから朱里との戦争が始まるんだよ」


「相変わらず仲が良いですね。 仲良く入ればいいのに」


 冬木はくすくすと笑いながら言う。 俺や秋月、長峰と話しているときは随分と表情も態度も柔らかくなった冬木だ。 良い傾向なのは間違いなく、雰囲気もだいぶ丸くなっている。


「そうはいかないんだよ、できる限り体入れて暖まりたいし。 あいつも基本同じ思考をしてるから奪い合いになる」


「でも、そこで譲ってあげるのが兄というものではないですか?」


 さて議論開始だ。 冬木とはこうして暇なとき……このクラス委員の仕事というのも暇なものが殆どだが。 そんなときは話をして時間を潰すことが多い。 最初こそ冬木の会話の練習という側面もあったが、今では単純に冬木と意味のない話をするというのが楽しかったりもする。


 ちなみに今回の議論は『妹にこたつを譲るのは兄として当たり前か、否か』である。 心底どうでも良い議論だ……俺の青春をこんなことに費やして良いのか疑問に思えてきた。


「兄だからって全部妹に譲らないといけないわけじゃないだろ? 例えば朱里……だと例えが悪いな。 俺が冬木の弟だとして」


「成瀬君が弟」


 俺が言うと、冬木はそれを咀嚼するかのように繰り返す。


「俺が「空姉ちゃん、寒いからこたつ譲ってくれよ」とか言ったらどう思う?」


「生意気ですね」


 ……なんだろう、例え話のはずなのに結構傷付くな。


「だろ? それと一緒だよ、だから兄だからといって譲る理由はない」


 いくら年下だろうと、譲る理由というものがない。 譲ることによってメリットが得られるのなら良いが、そのメリットが存在しない。 むしろデメリットしかそこにはないのだ。


「ですが、それで朱里さんが命を落としたらどうするんですか」


 と、冬木は反論する。 こたつを譲ることによるメリットではなく、譲らなかったことによるデメリットの話だ。 なるほど、確かに朱里がいなくなるというのは大きすぎるデメリットだ。 俺のストレス解消相手がいなくなってしまう。 しかし、それ以前に。


「こたつに入らないと死ぬ家ってめっちゃ嫌だな……俺の家どんだけ過酷な環境なの」


 どんな環境の家だろうか。 少なくともそんな環境にある家がこたつに入ったからといって命が助かるとは思えない。 滅茶苦茶飛躍させてきたな、冬木のやつ。


「確かに他人の幸せよりも自分の幸せの方が優先されるのは仕方ないと思います。 でも、そうでないときもあるのではと」


「例えば?」


「成瀬君が困っているとき、私はデメリットなど無視して助けます」


 冬木は力強くそう言う。 意外な言葉に俺は面を食らい、しばし固まった。 冬木がそんなことを真正面から口にすることが意外だったし、何よりそう言ってもらえたのが……嬉しかった、んだと思う。 自分でもよく分からない気持ちだ。


「ちなみに俺は今困ってる」


 その切り返しをするのに妙な間が空いてしまったが、冬木は特に何も言わず俺の言葉に反応する。 素直に言えば照れ隠しというのがあった。


「困っていることですか」


「ああ、それにこのこたつを譲るかどうかっていう議論を終わらせることもできる」


「それは興味深いですね。 どのような困り事ですか?」


 冬木は尋ね、それに対し俺は答えた。


「冬木の部屋にあるこたつを俺の部屋に置けば全部解決する。 だろ?」


「ちょっと秋月さんに悩み相談をしてきますね」


「それ殺すって言ってるのと同義だからな」


 秋月を利用しようとするな。 俺の弱点だぞ、長峰も弱点だが秋月は死に直結する弱点だ、恐ろしすぎる。 というか我ながら良い提案だと思うんだけどな。 朱里も幸せになれて、俺も幸せになれて、冬木は俺を助けられてという完璧な案だ。


「……それはただの我儘ではないですか」


「聞こえたか」


 最近では結構好き放題考えている俺だが、冬木は聞いたことに関しては大体反応を示している。 もちろん反応していないこともあるんだろうけど、多分聞かれてマズイようなことは考えていないはず。 いや、そもそも俺に聞かれてマズイような後ろめたいことはない。


「それは成瀬君が失礼なことでも平気で口にするからです」


「今日はよく聞くようで……確かにだな」


 まぁ、本当にヤバそうなことは考えないではいる。 たとえば、冬木の胸が慎ましいということとか。


「……」


「なんですか? 顔に何か付いていますか?」


 良かった、今のは聞こえていないようだ。 とまぁ、このようにマズイことは意識の外に置いておくことで聞かれないようにしている俺だ。 人の思考を聞いてしまうというのは、人間関係を作り上げる上でとても、とても大きな障害となる。 どれだけ親しかったとしても、人が何を考えているかなんて分からないもの。 それを聞いてしまうということがどれほどの恐怖となるかは俺には分からない。


 ……俺が今一番恐れているのは、いつか俺が冬木を傷付けてしまうのではないか、ということだ。 俺がふと、冬木に対して何か嫌な感情というのを考えてしまって、それが冬木に伝わったそのとき。 俺と冬木の仲が良ければ良いほどにその思考は凶器となってしまう。 それが今は何よりも怖い。


「成瀬君、一つ提案があります」


「ん?」


 その思考を遮るかのように、冬木が口を開く。


「私と成瀬君がしていた議論を良い方向に決着させ、尚且つ私も成瀬君もデメリットを負わず、朱里さんも幸せになるという方法です。 どうですか?」


 珍しく、冬木は笑顔で人差し指を立てる。 ついでに首を傾げるという動作も加えており、普段の冬木を知らなければ勘違いしてしまいそうなものだ。 機嫌が良さそうとでも言えば良いか。


「どうですかって可愛く言われてもな。 その内容が分からないとなんとも」


「それは秘密です。 今から行くところがあるので、付いてきてくれれば答えは分かります」


 相変わらず機嫌が良さそうに言う冬木であった。

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