第32話『見えぬところで』

 寮の一室、私と成瀬君、そして長峰さんは三人並んで立っていた。 目の前にいるのは北見先生で、北見先生は椅子に座りながら私たちの顔を見ている。 何をしているのかというと、簡単な話。


「あのね、浮かれちゃうのは分かるけど一応授業の一環で来ているわけだし、クラス委員としての自覚をもう少し持ってもらわないと。 クラス委員自ら危険行為をするっていうのはどうなんだってなっちゃうでしょ」


 説教を受けていた。 もちろんこの説教は先程の海水浴中の行動が原因である。 秋月さんに見つかり、真面目な彼女に見つかったということはそのまま北見先生の下へと連行されるということにも繋がり……結果的に三人仲良く説教をされている。


「それを言うなら先生も教師としての自覚あんまりないですよね」


「成瀬くーん、今そういうお話はしてないの、いい?」


 北見先生が手に持っていたなんらかのプリントがくしゃりと握り締められた。 成瀬君の言うことももっともだが、ここで反論するのは逆に説教が長引く予感しかしない。 思ったとしても心の内に留めておくのが正解だ。


『こんの馬鹿……黙って聞いてればすぐ終わるのに』


 ほら、長峰さんもそう思っている。 これが終わったら、成瀬君はどうやら長峰さんからの説教も受けることになりそうだ。


「すいませんでした。 気をつけます」


 このままいくと、成瀬君は更に何かを言いそうだと思い、私は頭を下げる。 私たちにも非があるのは事実なのだ、そこはしっかりと謝らなければならない。


「……ま、説教はこの辺でいいかな。 それよりどう? 冬木さん、楽しんでる?」


「へ、あぁ……はい、楽しいです」


 私が答えると、北見先生は満足そうに頷いて笑顔を見せた。 そしてそのまま、今度は成瀬君に向けて口を開く。


「クラスはまとめられそう?」


「……それは難しいっすね。 長峰ならともかく、俺とか冬木の言うことに耳を傾ける奴はいませんし」


「秋月さんからは西園寺さんと朝霧さんは従っていた、と聞いてるわよ」


「あいつらは従っていたっていうよりかは、めんどくさかっただけなんじゃないんですかね」


「そう? まぁ気が向いたらでも良いから二人にも話を聞いてみて。 もちろん今取り組んでることが解決したら、ね」


 ……二人の顔を見てみたが、北見先生の言葉に若干驚いている様子だ。 ということは、誰も北見先生には伝えていない。 あまり広めないようにしておこうという話だったし、教師に知られるのはマズイということは良く分かっている。 だから秋月さんも、道明さんだって伝えてなどいないだろう。 一体どこからその情報を仕入れてきたのか……末恐ろしい。


「それで長峰さんはどう? さっきの話を聞く限りだと大丈夫そうだけど……何かあったら言ってね」


「んーと、まぁ、そうですね。 ぼちぼちって感じです」


 今度は長峰さんに問いかけ、その返事を聞き、また笑顔を作る。 どういうやり取りなのかが気になるものの、個人的な話かもしれないので聞くのは止めておこう。


「うんうん、それじゃあ行ってよし! 頑張ってねー」


 果たしてこれは説教だったのか、そんな疑問を抱きつつ、私たち三人は部屋を後にするのだった。




「さっき北見が言ってたことだけど、なんかあったのか? 長峰」


 危惧していたことが早速現実となった。 部屋を出て数歩、空気を読めない成瀬君が長峰さんへと疑問をぶつける。 長峰さんの受け答えからして、あまり触れてほしくなさそうな話題だったのに。


「ん、あーね。 まぁ別に隠すことじゃないし良いんだけど」


 意外にも、長峰さんは成瀬君の言葉に舌打ちや睨むなどという行為をせず、口を開く。 もしかすると、長峰さんにとっては触れて欲しい話題だったのだろうか? 相変わらず、人の気持ちというのは難しい。


 ……こんなことを考えていると、まるで私が人ではない何かみたいな言い方だけれど。 歴とした人である、私も。


「ていうか、私的には成瀬や冬木さんが聞けば損な話だと思うんだけど良いの?」


「その前置きなんか怖いな……まぁ、長峰に話したくない気持ちがあるなら俺は詮索しねえよ」


「私としても同意見です。 北見先生の口ぶりからして、何かしら厄介事に巻き込まれていそうでしたが」


 何かあったら言ってね、というその言葉はそういう意味が含まれている。 何かが起きる可能性がある、ということ。


「……なら話す。 最初に言っておくけど、聞いたからって妙なことはしないで。 良い?」


 長峰さんの言葉に、私と成瀬君は頷く。 すると、長峰さんはその話の続きを口にした。


「最近、嫌がらせされてるの。 まービビってるのか知らないけど、机の中に悪口書いた紙があったり、上履き隠されたり。 だからそれを北見に言いつけて、犯人見つけて絞り上げようって話」


「いつからだ?」


 聞いた成瀬君は、すぐさまその質問をした。 恐らく、私と同じ思考になったのだろう。


「別にいつからでも良いでしょ? それは関係ない部分」


「関係あるだろ。 俺や冬木と仲良くしてるからだろ、それ」


 そう、そうだ。 それならば秋月さんにも何かしらありそうだが、それは違う。 秋月さんは元々特定の人と仲が良かったわけではなく、どちらかと言えば一人でいることの方が余程多かった。 でも、長峰さんは違う。 長峰さんには所属しているグループがいくつかあり、そして私たちと仲良くした結果そうなったということは……。


「でも原因は私にあるんだし関係ないでしょ? 首突っ込まれても鬱陶しいだけだから。 どうせ何かやろうとするんだし最初に言っておく」


 長峰さんはハッキリとそう告げる。 明確な意思だ、成瀬君の表情からして、それは本心からの言葉なのだろう。 もしも嘘であったなら、それこそ成瀬君はすぐさま突っ込んで話を聞きに行くはず。


「そうかもしれないけど……ならなんかあったら俺たちにも言ってくれよ、手伝えることならなんでもするからさ」


「なんか勘違いしてるかもだけど、別に困ってるとかそういうのじゃないから。 ただ攻撃されたからやり返すってだけ、私に喧嘩売ったらどうなるか教えてやろうってね」


 不敵に笑い、長峰さんは言う。 そう、彼女自体はとてつもなく強い。 私も長峰さんとは長い間確執があったから、よく分かる。


「……どうして、仲良くできないのでしょうか」


 しかしそれよりも、私はそれが気になった。


「ん、ああ別に成瀬と揉めてるわけじゃないよ? ただ意見を言い合ってただけで、だから仲良くできてないっていうか」


「そうではなくて。 成瀬君と長峰さんがとても仲が良いのは分かっています」


「それはない」


 と、私の言葉に二人は同じタイミング、同じ言葉で反論する。 その息の合い方が何よりの証拠な気がしなくもない。


「何かがあれば、人を傷つける。 何かがあれば、人を嫌う。 気に入らないという感情があるのかもしれません、納得できないということなのかもしれません。 でも、そこで言葉や行動にしてしまったら……余計に悲しい気がします」


 私が言うと、二人は困ったように笑う。 理想論であり、感情論だ。 そんなことは自分でも分かっているし、言葉にしたところで何がどうなるというわけでもない。 しかしそれでも、私や成瀬君のように特別な力がなかったとしても、人と人は揉め事というのを絶対に避けられないものなのだ。 そこでもしもその感情を抑えられれば、一呼吸置けば、起きないのかもしれないのに。 それはとても難しいことだということも、分かっている。


 人と揉めるよりも人と笑い合っていた方が絶対に楽しいというのに、なんだか悲しい気持ちになってくる。 どうしてそう、なってしまうのだろう。


「まー冬木さんは平和主義者だしね、私と揉めてたときもそうだったし」


「そういうわけでもありませんが……私にも譲れないことというのはありますし」


「けど人一倍優しいだろ。 俺はこの話を聞いて、真っ先に長峰に何かをしている奴にムカついたんだし。 そこで悲しいって気持ちになるのは冬木が優しい奴ってことだ」


 ……どうだろう。 他人のことよりも、自分のことの方が余程難しい。 未だに分からないことなんて、山程ある。 きっと一生、私は私のことを理解しきれないのだろう。


「私は好戦主義だしねー、ある意味どっちも正しいしどっちも間違ってるの。 ただ一つ言えるのは、簡単に手を出してくる奴を放っておけばエスカレートしていくってこと。 冬木さんも良く知ってるでしょ、私が言うのもあれだけど」


「長峰さんの場合は、真正面からの誹謗中傷でしたので」


「……真正面からって随分やばいけどなそれも」


「うるさいわね。 けどそういうのって反撃しなきゃどんどん性質が悪くなってくの、だから私は適当に証拠揃えて、そしたら反撃」


「長峰らしいな。 俺からはなんもしないけど、できることあったら言ってくれよ」


「私もです。 ですが秋月さんの耳には入れない方が良さそうですね、これは」


 真面目であり、不真面目な彼女だ。 耳にすれば面倒だと思いながらも、少々強引な手を使い犯人を探してしまうかもしれない。 それ自体は問題ないのだが、最悪なのは犯人が秋月さんの前に出てきてしまったときのこと。 そうなれば秋月さんは何をするか分からない、人道を外れているから天罰を……なんてことにもなりかねない。 私のときとは違い、秋月さんは明確に今では長峰さんや私、成瀬君と友人関係であるのだから。


 ともあれ重要なのは今すべきこと。 様々な問題はあるものの、まずは目の前のことから一つずつ、だ。

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