第31話『海水浴』

「どうだった?」


「当たり障りのない内容でしたね。 成瀬君の方は?」


「こっちも似たようなもんだったな。 道明に報告はしといたけど、特に反応も示してなかったよ」


 海水浴の時間。 ほぼ遊びの時間のようなそれは、今回取り仕切る側としての身としてはありがたいものだった。 決められた目的というのがない以上、私は一言「危険なことはしないように」とだけ伝えておけば問題はないからだ。 もちろん、それがないように監視するというのはしなくてはならないが、大部分は教師がこなしてくれている。 だから私は海の中、ただぼーっと皆の様子を眺めていたところ、成瀬君にこうして声をかけられたというわけだ。


「道明は協力を頼まないときは臨海学校を楽しんでくれってさ。 そこまで水を差したくはないって」


「彼女らしいですね。 最も、道明さんの指揮下で動くのが適切ですから無闇に動くと彼女の邪魔にもなり得ます」


 だから、今私たちがすべきことというのはこの海水浴を楽しむこと。 まぁ、そうは言っても私が海水浴を楽しむということは不可能だ。 今でも足が付くここでただ海の中に立っているだけである。


「長峰さんと秋月さんは?」


「長峰はあそこ。 秋月は教師たちと一緒に監視役だってさ」


 言いながら成瀬君は長峰さんの場所を指差す。 顔を向けると、浜辺の日陰で体育座りをしている長峰さんがいた。 ……どうやら長峰さんが泳ぐのを苦手としている、というのは北見先生の勘違いというわけではないらしい。


「声をかけたほうが良いのでは」


「かけたよ。 そしたら冬木さんが溺れないかの方が心配って言われた」


「余計なお世話です。 もう以前の私ではありません」


「いや俺に凄まれても」


 成瀬君からどことなく憐れみの視線を感じる。 成瀬君としては私に泳ぎ方というのを教えた立場、そうすると精神的に私よりも上の立場だと無意識の内に認識しているだろう。 しかしそれはどうしても納得できない、となればここでどちらの立場が上かというのを分からせておくべき……!


「成瀬君、勝負です」


「急にどうしたの……」


「前にどちらが洗面器の中に長い間顔をつけていられるか、というので競ったことがありますね。 あれをここでやりましょう」


「やだよ、面倒臭いしどうせ俺が勝つし」


「では秋月さんに「成瀬君にセクハラをされた」と訴えます」


「それは卑怯だろ! 第一、冬木にセクハラするようなとこなんて――――――――ああいや、なんでもないです」


 よく気付いたと感心する。 もしもそれ以上口にしていたら、それこそ海が血まみれになるところだった。


「とにかく勝負です。 負けたらコミュ力ポイントを2点取れるということで」


「最早コミュ力関係なくなりつつあるよなこれ。 えーっと確か……」


「私が1ポイントで、成瀬君が2ポイントです。 なので、勝負が終われば私が3ポイント、成瀬君が0ポイントですね」


「勝つこと前提なのがすげえな……。 でも俺が勝ったらどうするんだよ? 冬木のポイント足りないぞ」


 その辺りはしっかり考えてある。 不正なことはしたくないので、もちろんしっかりと説明もする考えだ。


「当たり前の話ですが、0より下は存在しないので私のポイントは0のままです」


「……冗談だなそれ。 本当のところは?」


「おお、私も冗談が上手くなったんですかね。 そのままマイナスというのもありですが、提案としては一つだけ成瀬君の言うことに従うというのはどうでしょう。 常識の範囲内で」


『こいつまたどっかの本で変な知識仕入れたのか……?』


 そんな声が聞こえてくる。 それもまた正解だ、今日の成瀬君は中々鋭いのかもしれない。


「最終的なコミュ力勝負で勝ったときとかぶってない? あれは相手の願いを叶えるってやつだったけど」


「それよりも小さい範囲でお願いします。 たとえば一日語尾に「にゃ」をつけて過ごすなど」


「それやってくれるの……?」


 とても希望しているような目を成瀬君は私に向けてくる。 いや、いざそう期待されると……自分で言っておきながら、なんだか嫌になってきた。


「……構いませんよ、私にも考えはありますし」


 考えその1、家から出ない。 これで対策はできる。 よし、問題なし。


「そうか。 でもさすがに悪い気がしてくるし……ハンデつけてやるか」


「ハンデ?」


「俺が顔つけてる間、何を仕掛けてきても良い。 ちょっとやそっとじゃ変わる気しないし」


 ……私はどうやら随分と舐められているようだ。 さすがにそこまでのハンデがあれば、くすぐりでもすればすぐにでも……いや、駄目だ。 今、私と成瀬君は水の中にいる。 水の中でくすぐったところで、効果は半減と言っても良い。


 数秒、考える。 ハンデとして貰った以上、有効活用をしなくてはならない。 何より成瀬君はそれほどまでに自信があるということで、前の北見先生の話によれば泳ぎも得意としており、更に事実として私は成瀬君に泳ぎを教えてもらったのだ。


 よし。


「分かりました。 先に少し用事を済ませても良いですか?」


「ん、ああ」


 成瀬君は特に不思議がることもなく、私の言葉に頷いた。 まぁさすがの成瀬君であっても、ここで「トイレ?」なんてデリカシー皆無のことは言わないらしい。 少し安心だ。


『トイレか? 冬木のやつ』


 ……心の中で思っているのは別に良い。 なんだか少し恥ずかしさというのもあるけれど、成瀬君がそういう理解の仕方をしてくれているのなら私にとっても都合が良い。




「すいません、お待たせしました」


「いいや別に。 負ける準備でもしてたのか」


「成瀬君の方こそ。 順番はどうしますか?」


 恐らく、臨海学校中ですらこうして競い合っているのは私たちくらいのものだろう。 それも皆が楽しく海で遊んでいるときに、だ。 ここまで見事に皆の輪から外れているというのは、逆に褒められたりしないのだろうか? しないだろうな。


「俺からやって冬木が悔しがるのを見るのも良いけど、最初に冬木の気分を良くさせてから突き落とすのも良いな」


「性格が捻くれていますね……それなら私からということでいいですか」


「おう」


「分かりました。 では、時間を測ってください。 大体で構いません」


 私は何を考えているか聞くことができる。 そして成瀬君は嘘ならば見抜くことができる。 そんな私たちだからこそ、相手の発言は信用に値すると判断することができるのだ。


「了解。 じゃあ水に顔付けてから測るからな」


「……」


「冬木?」


「……あ、はい。 分かりました」


 言われ、私は水に顔をつける。


 逆に、だ。 逆に、もしかすると……そんな私と成瀬君だからこそ、他の人よりもその言葉を信用することができるのではないだろうか。 ずっと人を避けることしか、人を信じられなくなるとしか思っていなかったこの力は……逆に私と成瀬君に限って言えば、相手のことを信頼できる何よりの力なのではないだろうか。 理解しているからこそ理解できる、これもまた普通では起こり得ないことなのだ。


「ぷはっ」


「10秒だな」


「嘘を吐かないでください」


 先程までの思考を全て棚の上に置き、私は言う。 そもそもの話、成瀬君の言葉を容易に信用なんてできるわけがなかった。


「嘘じゃないって……そこまで疑うなら20秒くらい上乗せしてもいいけど」


「ではそれで」


「……むしろ俺が騙されている気すらしてきた。 じゃあ次俺の番な」


「はい」


 成瀬君は言いつつ、若干警戒しながら海面を見る。 何を仕掛けてきても良い、と告げられたからには私も遠慮する気はない。 さすがに少し警戒はしているのか、それでも私相手なら問題ないと判断したのだろうか、成瀬君はやがて顔を水の中へと沈めた。 そして、このときこそが好機だ。 私は視線をすぐ後ろへと向ける。 もちろん私のやり方では成瀬君に耐えられてしまう可能性が高い……というわけで。


「宜しくお願いします」


「冬木さんも分かってきたよねー、こんな楽しそうなことがあるなんて」


 成瀬君の天敵、長峰さんに依頼をしたのだ。 泳げないからということで、足が付くこの辺りまで誘導できたことも大きい。


「ほんとになんでもしていいの?」


「成瀬君がそう言ってましたから」


 私の言葉を聞き、長峰さんはすぐさま行動に移した。 成瀬君の無防備な背中に飛びつき、首に腕を回し……。


 バシャバシャと水しぶきが上がる。 いや、大丈夫だろうか? 長峰さんの思い切りが良いのは知っていたけれど、まさか成瀬君を殺そうとはしていないだろうか。 上がった水しぶきによって長峰さんの黒い髪は顔に張り付き、その様子はさながら海に棲まう怪物の類に襲われている一般人である。


「溺れ死ねっ!!」


 ……いや、やっぱり殺そうとしていないだろうか。 表面上からはあまり感じられなかったが、日頃から成瀬君に対する恨みが蓄積されていたのかもしれない。 そんなことを思いつつ、ひとまず長峰さんを止めることに専念する私であった。


 ちなみに、余談。 このあと秋月さんに見つかった私たち三人はこっぴどく叱られ、更にそれがクラス委員である三人だったからこそ北見先生に呼び出される羽目になったのであった。

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