第29話『事前準備』

「……なにあいつめっちゃ怖かったんだけど」


「西園寺さんに喧嘩売るとか頭おかしいでしょ、先輩たちも絡んだりしないほどなのに」


「いい噂は聞かないからな。 だが、まとめるにしてもどうするんだ? 毎回毎回朝のように皆を私が脅すというのも……ちょっとな」


「大丈夫ですか? 成瀬君」


 荷物を部屋へと置き、少しの間は準備時間となっている。 最初の予定は海水浴で、少し多めに取られている準備時間中、成瀬君慰めの会が開かれていた。 座り込む成瀬君を私と長峰さんと秋月さんで取り囲んでいる図だが、別にイジメているわけではない。


「いたいた」


 と、宿泊地となっている寮のロビーの一角で蹲っている成瀬君を慰めていたところ、私たちに声がかかる。 振り向くと、そこに立っていたのは朝霧さんだ。 いつも西園寺さんと一緒に行動している、ということもあり彼女もまた周囲から避けられている存在である。 しかし珍しく、今日は隣に西園寺さんの姿はない。 そんな朝霧さんはパーカーのフードをかぶり、両手はパーカーのポケットへ入れながらという格好をしていた。 彼女は西園寺さんのように髪を染めたり、ピアスを付けたりはしていないものの、纏っている雰囲気というのは西園寺さんと変わりない。


「……えーっと、誰だっけ」


 そんな彼女に対してもいつも通りな成瀬君だ。 朝揉めたのは西園寺さんであったし、横にいた朝霧さんのことは覚えていないのかもしれない。


「朝霧琴音。 さっき姫と揉めてたでしょ?」


 姫、というのは西園寺さんのことだ。 名前で呼ぶと血祭りに上げられるなんて噂もあるが、朝霧さんに関しては別らしい。 それだけ二人の仲が良いということと、二人が周囲を徹底的に避けているということが分かる。


「あー、成瀬に何か用事? 朝霧さん」


 そこで間に立ったのは長峰さんだ。 秋月さんも心なしか体を前に出しており、警戒しているのが伺える。 私たちがいるのは人目に付きづらい場所だ、良い予感というのは二人もしなかったのだろう。 それにまた新たな問題……というのは、道明さんに対しても足を引っ張ってしまいかねない。 できることなら、今は放っておいて欲しいというのが本音だ。


「別に取って食ったりしないよ、そんなに警戒しなくても。 言い方キツかったから、気にしてるかなって。 冬木も成瀬も」


「……気にしてないけど」


 とんでもない嘘を吐く人がいた。 先程まで蹲ってどうしようどうしようと言っていた成瀬君はどこへ行ったのだろうか。 まさかの強がりに私は言葉を失う。


「あの子馬鹿だからさ、ああいう言い方しかできないんだよ。 別に冬木とか成瀬のことを嫌ってるわけじゃないから、それだけ」


「それであんなキツイ言い方になるわけ?」


「行動で分かるでしょ、本当に二人を嫌ってるのは他の奴ら。 私と姫はそんなことに興味ないし、どうでも良い。 くだらないとしか思わないね」


 朝霧さんはそれだけを伝えにやってきただけだったのか、背中を向け、後ろ手に左手を振りながら歩いて行く。 忠告とも思えない、警告とも思えない、ただ単に成瀬君と私の様子を見に来た、という感じだ。 朝霧さんからは、悪意というものが全く感じられなかった。 そして、同時にクラスのことに関して興味を示しているようにも見えない。 無関心、というのが適切だろうか。


 だが、言っていることは正しいように思える。 あの場で私の言葉を聞き、並んでくれたのはここに居るメンバーと、水原さん。 そして朝霧さんと西園寺さんだけだったのだ。


「ああ、そうだ」


 朝霧さんは一度足を止め、顔だけをこちらへと向ける。 見ているのは、長峰さんのようだった。


「でもあんたのことは個人的には気に入らない、長峰。 中途半端な奴ってね」


「は? なに、喧嘩売ってるの?」


「別に。 ただそう感じてるよってだけ、じゃね」


 長峰さんは朝霧さんの後ろ姿を睨みつけるも、朝霧さんは既に全く意識をしていない様子だった。 そのまま小さくなっていく背中が消えるまで、私たちは誰も言葉を発しなかった。


「……接しづらそうな奴だな、朝霧は」


「何考えてるのか分かんないしねー、接しづらいって面で言えば分かりやすい西園寺さんより厄介かもね」


「……お前も大概だろ」


 西園寺さんと朝霧さん、彼女たちともいつか話さなければならない。 だが、それはそれでこれはこれ。 二人は一応、私と成瀬君がまとめ役ということに異論はないようだし……私は今取り組むべき問題に集中しよう。




 それからの時間は、特に問題という問題は起きなかった。 秋月さんの朝のひと言が効いたのか、不満を顕にしつつだったが、形だけは私と成瀬君の指示にクラスは従ってくれていた。 最も、心中で考えていることは言わずもがなだけれど。 午前中は教師や現地の人の話を聞き、何事もなく終わった。 それからは一旦寮へと戻り、昼食を食べ……その後にあるのは、二時間の休憩。 と言っても、私たちにとってはその時間こそ最大の好機でもあるのだ。


「朝、揉めてたみたいだけど大丈夫だったか?」


「ええ、大丈夫です」


 昼食終わりの休憩時間。 あらかじめ打ち合わせておいた通り、寮三階の休憩室で私たちは合流した。 道明さんは白いワンピースを着ており、なんだか着せ替え人形のような雰囲気を感じる。


「ちょ、天使……」


「おい長峰虚ろな目で僕に近づくな触れるな離れろ――――――――わふっ」


 道明さんが捕食されてしまった。 いつもは制服姿の道明さんだが、その私服姿に我を忘れてしまうというのは長峰さんにとっては仕方のないことかもしれない。


「見てないで助けろお前らぁー!」


 結局五分ほど、長峰さんが落ち着くまで愛玩道具となる道明さんを眺めている私たちであった。




「覚えとけよ……よし、それじゃあ早速調査を始める」


 恨み言を述べながら、道明さんは疲れ切った顔で私たちを見渡す。 長峰さんは秋月さんに押さえられながら、私と成瀬君はそんな秋月さんと長峰さんから少し距離を取りつつ、話を聞く。


「嬉しいことに人数も増えたから、二手に別れて調査する。 相手の人数も多いからね、その方が効率が良い」


「笹本千夏さん、山西優香さん、木本葉子さん、東堂璃子さん、桐山直美さんに……水原さんで六人ですね」


 メモを書いていた手帳を取り出し、名前を読み上げながら私は言う。


「その真面目な姿勢をぜひ長峰には見習ってもらいたいよ。 その六人を分けて事情聴取を行う、この際だから状況と理由は説明しても構わない。 こっちは僕と冬木と秋月、成瀬と長峰は一緒に行動してくれ」


「え、やだよ」


「なんか今日喧嘩売られてばっかなんだけど、そろそろ怒っていいよね?」


 即答した成瀬君に対し、長峰さんは握り拳を作る。 一見、ただ道明さんは長峰さんと別グループになりたいだけな気がしなくもないが……考えてみると、この割り振りほど適切なものはない。 成瀬君にはこの場合、人から話を聞く段階までいけば反則じみた力があるからだ。 成瀬君が嘘を聞けば、それに騙す意思さえあれば見て分かる。 その場合問題となるのは成瀬君のコミュニケーション能力で……しかしそれは長峰さんという人物がいれば何事もなく解決する。


 次に三人となった私たちの班。 道明さんという唯一無二の武器があるのは言わずもがな、私も運が良ければ思考を聞くことで貢献もできる。 この場合も問題はコミュニケーション能力、私と道明さんにはそれが欠如しており、長峰さんを除けば一番コミュニケーション能力があるのは秋月さんだ。 最も効率が良く、そして最善の分け方。 けれど、引っかかることはある。


 成瀬君の能力も、私の能力も道明さんは知らないはず。 だというのに、この分け方はまるでそれを知っているかのような分け方だ。


「文句を言うな文句を。 私はそれで構わない、道明に従うと最初から決めているしな」


「おお、かの秋月姫を配下にしていると思うと気分がいいね」


「配下になった記憶はないが……というかその呼び方はやめてくれ、姫という柄でもない。 呼び捨ててで構わない」


「そうか? ならそうさせてもらう。 ……話が脱線したね、後は事情聴取をする奴らを決めていこう」


 手際というのがとことん良い。 成瀬君と長峰さんは依然として不満そうにしていたものの、道明さんは意見を聞き入れるつもりはないのか、トントン拍子に話を進めて行くのだった。

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