第22話『見て、経験し、後悔した』

「いらっしゃいませー!」


 威勢の良い声が聞こえてくる。 長峰さんの提案はこうだ。 丁度お腹も空いてきたし、お昼を食べようというものだった。 長峰さんは同性の私から見ても女性らしい女性で、並んで歩くと、同性として自分に対し少し恥ずかしさすら感じてしまいそうなほどの雰囲気も持っている。 表情も仕草も、着ている服もアクセサリーも、私とは全く異なってお洒落という言葉で表せる。 というのも、長峰さんが持っている知識量がそもそも私とは違うのだろう。 私といえばお洒落とは程遠いシンプルな服装で、いつしか成瀬君と水族館に行ったときと似たような格好だ。 いつも同じ格好だね、という言葉は傷つくから言わないで欲しい。


 そんな長峰さんがお昼に選んだ場所。 私はてっきり、落ち着いた雰囲気の喫茶店やカフェなど長峰さんが選びそうな場所で昼食を摂るものだとばかり思っていた。 しかし長峰さんは私を連れて路地裏へと歩いていき、やがて少々汚れている看板の前で足を止めると、機嫌が良さそうに中へと入っていったのだ。


 言ってしまえば、ラーメン屋である。 ごく普通のラーメン屋、女子という言葉からは程遠いその場所に私と長峰さんはやって来ていた。


「やっぱ空いてていいなーここ」


「相変わらずひでぇこと言うなぁ愛莉ちゃんは。 そっちの子は? 友達?」


 と、長峰さんの言葉に店主らしき男の人が返す。 見たところ40代ほどの年齢の男性で、会話から長峰さんが常連らしいことが伺えた。 とても長峰愛莉の人物像とはかけ離れた場所、想像すらしていなかった。


「そっそ。 私はいつもので、冬木さんはどうする?」


「え、あ……同じので」


 唐突に振られ、私は言葉に詰まりながらも店主らしき人にそう伝える。 いくら長峰さんの知り合いと言えど、私は初対面だ。 緊張してきた、鼓動が早くなる。


「私のいつものめちゃくちゃ辛いやつだけど、大丈夫?」


「……では、ええと、チャーシューメンで」


 私は辛いものがとても苦手である。 長峰さんの忠告に感謝しつつ、私はそう伝えた。 すると店主らしき人は軽く返事をし、調理を始めた様子だった。


「小学生のときから来てるんだ。 結構美味しくて好きなんだけど、友達とだと来づらくてさ」


「なるほど」


「……あ、別に冬木さんが友達じゃないとかそういう嫌味的な意味じゃないよ? 私の学校の友達って、こういうとこ嫌がりそうだしって意味。 冬木さんならなんでも大丈夫そうかなって」


 珍しく、長峰さんが私を気遣うようなことを言った。 そこまで言わなくとも大体の意味は聞こえたから分かっていたけれど、改めて言われると嬉しかった。 ただ思考を聞くだけでなく、言葉にして言われるということは存外嬉しいものだ。 その人の声として、言葉として聞けるのはとても、とても嬉しいことだった。 だが、最後の私ならなんでも大丈夫という言葉は心外である。 雑食と思われているのかもしれない。


「なに笑ってんのよ」


「笑っていませんよ」


「笑ってるじゃん。 連れてくるんじゃなかった……」


 長峰さんは気恥ずかしそうに頬杖をつき、私から視線を逸らす。


「長峰さん、ありがとうございます」


「……」


 私の言葉に長峰さんは何も返さなかったけれど、その横顔は少しだけ嬉しそうにも見えた。




「ところでさ、冬木さんに聞こうと思ってたことあるんだけど」


「なんでしょう?」


 やがて出来上がったラーメンを食べながら、私と長峰さんは言葉を交わす。 長峰さんおすすめというだけあり、味はかなり美味しく濃厚で、私もハマってしまいそうだ。 これだけの味がありながら、人が殆どいないということも私的にはポイントが高い。 人混みは苦手で、通学路も人通りがなさそうな道を選ぶことが多いほどに静かな方が好きだから。 今度、成瀬君にも教えてあげようかな。 一応長峰さんには確認を取った方が良いかもだけれど。


 そんなことを考えながらラーメンを啜っていた私に長峰さんが声をかける。 見ると、長峰さんは平然とした顔で辛そうに赤く染まったラーメンを口に入れていた。 辛いものを食べ、その痛みに泣きそうになったことを思い出す。 どうやら長峰さんには痛覚というものがないのかもしれない。


「あ、その前に一口食べてみる? 今日のそんな辛くないかも」


「……」


 長峰さんの顔を見る。 どうやら私の視線を長峰さんは私が食べたがっていると解釈したのかもしれない。

  しかし、もしかしたら私を騙そうとしているのではないだろうか? そんなに辛くないと言い、私が苦しむ様を見ようとしているのではないだろうか? 怪しい……。


「そんなに見つめられても。 無理強いはしないから良いけどさ」


『美味しいのになぁ』


 長峰さんの思考が聞こえた。 少し、残念がっているような感情だ。


「一口でしたら」


 自分でも随分疑り深い性格になってしまったものだと痛感した。 わざわざ思考を聞かないと、その人の考えというのが全く分からなくなってしまっている。 自分の行動を思い返してみても、何もかもが恐る恐るで手探りで……考えることを放棄して、頼っていないつもりでも自分の能力に頼ってしまっている。 いっそのこと、自分が居るべきは至って普通なこんな世界ではなく、朱里さんがよく読んでいるバトル漫画やその類の方が合っているのではと思ってしまう。 けれど、私が生きているのはここだけ。 この世界だけしかない。


「あ、ほんと? じゃあはい」


 長峰さんは顔を明るくすると、箸で器用に一口分を掴み、私の方へと差し出した。 丁度口の辺り、そのまま食べて良いのだろうか? 自分のことを省みてすぐのことだが、慎重になるということ自体は悪くないと思う。 思考を聞くことだけを全てと思わないこと、今はとりあえずそれを重視しよう。 というわけで現状だけれど……食べたところで嫌な顔をされたらと考える。 長峰さんとは紛れもなく友達だが、友達との距離感というのがとてつもなく難しい。 それに友達となってから日はまだ浅く、二人で遊ぶことというのもなくはないが……こうして二人でご飯を食べに行く、というのは初めてだ。 ここはひとつ、試しに成瀬君との場合を考えてみるのが適切か。 友達としての付き合いの長さで言えば、成瀬君とが一番長い。


 仮に同じ状況で考えてみる。 今の長峰さんが成瀬君だと仮定して、成瀬君がこうして私に向けて一口サイズのラーメンを差し出している、という状況だ。 私がそのまま食べた場合、成瀬君であれば……。


『いや、普通小皿出すと思った』


 馬鹿なのか、もしもそうだとしても、思っても口に出さないというのが気遣いというものではないだろうか。 あくまでも私の成瀬君像であるが、彼ならそう短絡的に口に出してもおかしくはない。 では逆に、私が小皿を差し出した場合を考えてみる。 その場合、成瀬君だとしたら……。


『そのまま食べるのかと思った、効率悪いな』


 ……どのみち逃げ場がないではないか。 この状態になった時点で、私の負けが確定していたのか。 成瀬君とは同じ状況にならないように気をつけなければならない。


「冬木さん?」


 と、少し考えすぎたのか、長峰さんが不思議そうに私の顔を見ている。 選択肢は二つ、一歩間違えれば私と長峰さんの友達関係が崩れ去る危機も考えられる。 何が切っ掛けで崩れ去るかなんて、誰にも分からないし、とても些細なことからかもしれないのだ。 毎回毎回このように考えていくのは大変だから、長峰さんとのやり取りから学んでいかなければならないけれど……。


「貰うだけでは申し訳ないので、長峰さんも一口どうですか?」


 この返しは我ながら天才だったのではと思う。 未経験の私ではなく、経験者である長峰さんの行動を見て学ぶ、という選択だ。 人は誰しも見て学ぶ。 赤ん坊も親の行動を見て学び、類人猿であった時代も子は親の動きを見て学んだのだ。 それは自然界にも繋がる法則で、世界の正しい在り方でもある。 それにならって、私は長峰さんの行動を見て学ぶことにした。 私と長峰さんの関係というのは少々複雑であり、友達初心者の私には対応があまりにも難しい。 それを熟練者である長峰さんだとしたらどう返すのか。


「そう? じゃあ貰うね」


 そのまま食べた。 なるほど、確かにこれは不思議と悪い気はあまりしない。 潔癖症や生理的に嫌う人もいそうな行為であるが、万が一私がその類でも長峰さんはうまいこと丸く収められるのだろう。 非常に高いコミュニケーション能力は長峰さんの一つの武器でもある。 なら、私も長峰さんが差し出しているものをそのまま口にしても問題はない。


 ……いや、少し考え直そう。 もしも仮にそのまま口にしたとして、長峰さんが嫌悪感を露わにした場合、私は対応できるのだろうか? その咄嗟の対応ができるのが長峰さんであり、逆に私はその対応ができないからこそこうして考え込んでいるのではないだろうか?


 難しい、非常に難しい問題。 時間さえあれば、携帯を使いこういったときの対処法を調べることもできるけれど……今そんなことをしたら、明らかに変人だと思われる。


 ……あれ、私は長峰さんに好かれたいのだろうか? 長峰さんに嫌われる、避けられるということに対し、無意識のうちにそれを行わないようにしている? ここまで考え込み、悩むというのはそういうことなのか? もしもそうなら、逆に考えれば長峰さんともっと仲良くなりたいということ。 それなら逆に、今この状態はピンチではなくチャンスなのではないだろうか? 長峰さんとの距離を縮めるためのチャンス、そう捉えるなら……。


「いただきます」


 私は差し出されたラーメンを、そのまま口にした。 長峰さんの表情を見る。 どこか満足気で、私の反応を楽しみにしているようだ。


 が、私はすっかり失念していた。 長峰さんの食べていたのは激辛ラーメンで、私は辛いものを特に苦手としている、という二つの事実をすっかりと忘れていた。


「……う」


「ちょ、大丈夫? そこまで苦手なら無理に食べなくても……」


 長峰さんがそう言うのも無理はない。 目の前の友達が急に固まり、そして涙をこぼし始めたら私だって同じ反応になると思うから。


 今後、長峰さんの「一口食べる?」は容易に乗ってはいけないことと、人の思考はあくまでも嘘ではないが真実でもないということを強く強く学んだ私であった。

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