第23話『友達として、友人として』

「冬木さんってさ、口堅い方?」


 それから、落ち着いた私に長峰さんはそう切り出す。 ラーメンは食べ終わり、残された水をちびちびと口に入れながらの話だ。 普通であれば食べ終わったのならすぐに出て行くべきだろうけど、失礼ながらお店に入ってから今に至るまで、他の客の姿は見えていない。


「どちらとも言えません。 そもそも、そういった約束をするということが今までありませんでしたから」


 わざわざそう聞いてきたということは、何か話されたくはない話をするということだ。 一応水瀬さんと似たようなことはあったけれど……あれはまた、少し形が異なっていると思う。 結局あの話は、私が水瀬さんの気持ち、水瀬さんという人物を見切ることができなかったということにも責任はあるのだから。


「なら、強制はしないでおくよ。 でも話すなら冬木さんが信頼している相手が良いかな」


 長峰さんはコップを両手で持ち、手の平だけで挟むように指を広げる。 思ったことを口にする彼女にしては珍しく、言うのを躊躇っているようにも見える。 それほど、長峰さんにとっては大事な話ということだろうか。


「……世の中に絶対ということはありません。 それも約束はできません」


 もしも、仮の話。 私には当然、そう言われた以上は軽い気持ちで口外するつもりはない。 誰かに話すことが必要だと思ったそのときは、今言われたように信頼する相手にはするかもしれない。 しかし、絶対という言葉は容易に使えるものではない。 仮の話、私と同じような思考を聞く力を持つ人が現れたとして、私が接触したとして、私の思考が聞かれてしまうということもなくはない。 私という例がある以上、それはゼロではないのだ。 そして思考を聞かれた場合、それを知っている私に罪はあるのだと思う。 だから、約束はできない。 私という例を私が知っている限り、そうして聞かれてしまってもある意味「口外した」ということに当てはまる。


「うん、それでいいよ。 軽く「言わない」っていう人よりよっぽど信頼できるって分かったから」


「……そういうものですか?」


「そういうもの」


 長峰さんが言うのならそうなのだろう。 ともあれ、長峰さんは私のことを信頼してくれたようだ。


「私の家さ、お父さんいないんだよね。 私が小さい頃に離婚して……まぁ暴力振るうような奴で」


「……それは」


「ああ、別にそこはどうでもいいの、金輪際関わることはないし。 で、お母さんの方なんだけど」


 言い、長峰さんはコップの水を少しだけ口に含む。 数秒ほどの間があっただろうか、その時間は長く感じた。 何度か視線を逸らして、伏せて、やがてどこを見るでもなく呟くように言う。


「今、入院してるんだよね。 中学生のとき覚えてる? 私がたまに用事あったの」


「覚えています。 誰かと遊んでいるという風でもありませんでした」


 たまにそのような日があった。 水瀬さんもその理由は知らない様子で、その理由というのはたった今長峰さんが話したことなのだろう。


 ……大体の予想はついていた。 長峰さんからたまに聞こえた思考と、私が見たこの街の病院でのこと、そして中学生のときのこと、つい最近病院で看護婦に聞いたこと。 それらを繋げれば、この答えに行き着くのは必然とも言えた。 成瀬君には軽く話してあったが……今こうして長峰さんの口から聞いて、それらは真実となった。 噂でもない真実。


「あんま驚かないんだね」


「……実は、なんとなくの予想はついていました。 この街の病院で長峰という名前を見かけていまして、病院の方に尋ねたところ、私たちの通う高校に娘がいるということを聞いています。 言わずにいたのは、ごめんなさい」


「プライバシー保護の概念ないから困っちゃうよ、田舎って。 まぁそこまで知ってたなら話が早いしいっか。 別に謝ることじゃないでしょ、成瀬は知ってるの?」


「私が見聞きしたことは伝えています。 なので知っている、知らないで言うならば知っている方です。 人の話だけで結論を出すタイプではないので、確証まではしていないと思いますが……」


「……ほんっと真面目だよね、冬木さん。 適当に話作っちゃえばいいのに」


 私のことを目を細めながら長峰さんは言う。 聞かれたのだから正直に話すのが筋だと思ったのだけれど、違ったのだろうか?


「私には嘘かほんとかなんて分からないんだし、言い訳しとけばいいのに」


 一瞬、成瀬君のことに気付いているのかとドキッとする。 しかし、すぐにそれは違うのだと察した。 もしも気付いていたなら、長峰さんであればとっくに成瀬君を問い詰め言質を取っているであろう。 彼女にはそれほどの行動力と頭の良さがある。


「……ま、そういうところが好きなんだけど」


「え?」


「なんでもない。 でさ……あー、外でよっか」


 長峰さんの言葉に、私は店内を見渡した。 気付けば、いつの間にか数人のお客が店内には入っており、若干の慌ただしさのようなものも感じられる。


「ごちそうさま」


「ご馳走様です」


 私たちは店主に挨拶をし、店を後にするのだった。




「それで、えーっと……なんか話しづらくなっちゃったね」


 気付けば海沿いを歩いている。 今度の臨海学校で使う海だ。 こうして二人で歩いていると映画のワンシーンのようにも感じるが、話している内容はとても、そんな軽く言えることではない。


「時間はあるので、話しやすいタイミングで構いませんよ。 長峰さんとこうしているのは、気まずくなりませんし」


 それも前までなら違った答えになっていたと思う。 今感じているのは、成瀬君と一緒に居るときのような安心感だ。 自分でも驚くほどに私を取り巻く環境というのは変わっている。 人との付き合いなど、最終的には傷しか生み出さないと思っていた頃とは、全く異なった環境だ。


 いや、傷を生み出すというのは間違いではない。 それは決して避けられないこと、いくら避けようとしても人付き合いをする上では確実に生まれるものなのだ。 私もそう、前に成瀬君が長峰さんとの件を伏せていたとき、私は少しだけ傷ついた。 自分で言うのもおかしなことかもしれないけれど、胸の辺りが少し痛んだのを覚えている。 でも、それはきっと仕方のないことなのだとも思う。


 衝突というのはどこかで必ず起きてしまう。 私にもどこで、誰と起きるかなんてことは分からない。 成瀬君とかもしれないし、長峰さんとかもしれないし、秋月さんとかもしれない。 今後のことなんて誰にも分からないんだ。 そこで怖気づき、自分が傷つくことも誰かが傷つくことも避けていたのが前までの私だ。 私は自分の能力が全ての原因だと決め付けて、思い込み、人付き合いというものを徹底的に避けてきた。 その結果、今の私のような歪なものになってしまった。


 でも、今は違う。 誰かと話し、誰かと笑い、誰かと一緒に行動するというのはとても楽しくて、新鮮で。 今の私にとっては一日一日がかけがえのないものになっている。 いつしか屋上で一人でお昼を食べ、友達が欲しいと思った日が遥か昔の出来事のように。 人と何かを話す度に楽しくて、人と何かを話す度に学んで、人と何かを話す度に嬉しいのだ。 友達という存在が私には勿体無いように思えて、かけがえのないもので。 今の私の宝物は何か、と尋ねられれば、在り来りかもしれないが胸を張って彼女たちだとそう言える。


「ありがと。 ぶっちゃけさ、この話って冬木さんには聞いてもメリットないしデメリットだらけだと思うんだ。 今こうして話してるのも、なんていうか……私が誰かに話して、気が楽になりたいってのが殆どだし」


「……それはおかしなことですか? 恥ずかしい話、友達というものが今までいなかったので分かりませんが、メリットやデメリットを抜きにしての付き合いというのが、それに相当するかと思いますが」


 とは言っても、友達という定義を調べたところそういった類のことが書いてあったのだ。 あのときは全くどういうことなのか分からずに頭を捻った私であったが、今ではそれも理解できてきている。 成瀬君や長峰さん、秋月さんのことは手助けしたいと思うし、何か力になれることがあれば手を貸したいと思う。 こういった気持ちが、恐らく友達というものに繋がっていくのだろう。


「それに、長峰さんらしくないかと」


「……私らしくない?」


「はい。 私が知る長峰さんは、傲岸不遜で厚顔無恥。 思ったことは口にして、人の気持ちを考えないというのが私の知る長峰さんです」


「殴っていい? それ冬木さんにも当てはまるからね」


「それは痛いので嫌です。 ですが、いつもの長峰さんが私は好きです」


「……ったく、調子狂うな」


 長峰さんは言うと、海が見える位置で座り込んだ。 それを見た私は長峰さんの横へと腰かける。 丁度真正面には海があり、水平線は波の動きと共に揺れている。 陽射しは強かったけれど、海風のおかげで暑くはない。 そんな海風が一際強く吹き付ける、乱れる髪を手で抑えた。


「――――――――お母さんさ、そんな長くないと思う」


 そして唐突に、彼女はそう告げたのだ。

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