第18話『見えざる依頼主』

「かわいいいぃー!!」


「……」


 そのあと、私たちは長峰さんと合流した。 道明さんが言う「悪魔」というのを「確かにひどい人だが、悪魔というほどではない」との言い回しで否定したところ、道明さんが「ならば会ってみれば分かる」と自らの体を犠牲にする形で証明してみせたのだ。 道明さんはどうなるか分かっていただろうに、私と成瀬君に証明するために自らを犠牲にしたのだ。


 結果、長峰さんは道明さんにとっては悪魔だった。 成瀬君が長峰さんを呼んだところ、長峰さんはすぐさまやって来て探偵部の部室に入るなり道明さんへと抱き付いた。 それが今の現状である。


「ああ! いっつもすぐ逃げるからさー、こうして抱き締められるのって中々ないんだよね」


 道明さんは最早抵抗していない。 されるがままで、長峰さんに頬擦りをされている。 その表情は無表情、感情が死んでしまったのか、人形のようにも見えてくる。 元々人形っぽいとも言えるほど整った顔立ちをしている道明さんだが、長峰さんに抱き締められているときは本物の人形のようだ。


「……悪い道明、俺と冬木が間違ってた」


「わひゃってふれればいい、ひょりあえず、ほいつをほうひかひて」


 うまく喋れていない。 長峰さんは妹を溺愛しているらしいし、もしかしたら小さな子が好きなのかもしれない。 とは言っても、道明さんは同い年……見た目が幼ければ長峰さんの獲物となってしまうのかも。 長峰さんの恐ろしい一面を垣間見てしまった気がする。


 ひとまず……とりあえず、私と成瀬君は抱き付いて離れない長峰さんをしばらくの時間をかけて引き剥がすのであった。




「……良いか? 僕は愛玩動物でもなければ君の欲求を満たす存在でもないのだ」


「ついついね。 そんなつもりはないから怒らないでよ……飴食べる? 道明さん」


「……」


 そう言う長峰さんの頬は緩んでいる。 それを受けた道明さんは眉間に皺を寄せ厳しい顔付きだ。


「要するに長峰は道明と知り合いだったってことか。 でもそうなると長峰にも協力してもらえそうだな」


「協力? なんの話?」


 道明さんはそれについて心底嫌そうな顔をしていたが、長峰さんもクラス委員補佐という形で収まっている以上、クラス委員の仕事は長峰さんの仕事でもある。 ……そもそも今回の仕事はクラス外からの依頼で、クラス委員の仕事と言っていいのかは分からないけれど。


 ともあれ、私と成瀬君、そして道明さんは長峰さんに状況の説明をした。 何があり、何をし、何を成したいのか。 それを聞いた長峰さんは「なるほどね」と言うと、二つ返事で承諾したのだった。


「それでその依頼主が誰かってのを探せばいいの?」


「まぁそういうことだ。 その依頼主が分かれば、あとは今度の臨海学校で僕が調査し犯人を必ず見つける」


 長峰さんの言葉に道明さんは返す。 自身の力にはよっぽど自信があるのか、迷いがない言葉だった。


「……それこそ道明さんなら自分で見つけられるんじゃないの?」


「だから僕は避けられているんだよ。 そうである以上、僕が探すより君たちが探した方が確実に早い」


「俺とか冬木も結構避けられてるけどな。 まぁでも、他のクラスならマシか」


 なんとなく、道明さんが私たちに依頼してきた意味が分かってきた。 道明さんはクラスでも浮いている存在となっており、だから積極的に動けない。 その依頼主さえ分かれば後はどうにかする、ということだ。


「来週までにどうにかできるか? 最悪、前日になれば僕が探すが」


「努力はしてみる。 こっちも最終手段はあるし……長峰も冬木も良いよな?」


 成瀬君の思考が流れ込んできた。 その最終手段というのは秋月さんに脅してもらうというなんとも危ない発想である。 いつも思うが、成瀬君は少々秋月さんに対して怖がりすぎだ。 彼女も一人の女性で、妙なことさえしなければ優しいのに。


 ……いや、成瀬君が妙なことばかりしているから仕方ないのかな。


「私は構いません」


「私も。 道明さん以外なら断ってたけど」


 本当に長峰さんは道明さんにベタ惚れらしい。 確かに口調はどこか硬くてしっかりしていると言えるものの、その見た目は完全に小学生或いは中学生……中身だけ成長したみたいだ、なんて失礼なことを考える。 抱き締めたいという気持ちもなんとなく分かってしまう。


「よし、ではその方向で頼む」


「了解。 何か分かったらここに来れば良いよな?」


「ああ、そうだな……連絡先を渡しておく。 他の依頼で部室を開けていることも多いから」


 成瀬君は道明さんから紙を受け取った。 その紙をしばし見つめたあと、長峰さんへと手渡す。


「任せた」


「なんで私なの。 別に良いけど……連絡先知ったら毎日電話するよ?」


 一応自覚はあるらしい。 その言葉に露骨に顔を引攣らせる道明さん。


「では、私が」


 そういうと、長峰さんは私にどこか名残惜しそうにその紙を手渡した。 なんだか道明さんの連絡先を押し付け合っているような状態だ……というかそもそも、成瀬君が素直に受け取っておけば良かったのに。 知り合い程度の面識だとコミュニティ能力が低い成瀬君には難しいのかもしれない。 その点で言えば素直に受け取る私の勝ちだ。


「なぁ、僕の連絡先をウィルスか何かのように扱うのはやめてもらって良いか? 小学生のときに「道ミョウバン」っていじられたのを思い出す」


「……ふふ」


 まずい、笑ってはいけないタイミングで笑ってしまった。


「笑うなよ冬木! 僕にとっては結構辛い過去なんだぞ!?」


「悪い道明、こいつくだらないギャグとか妙にツボに入るんだよ」


「な、別に笑っているわけでは……ふふふ」


 成瀬君がフォローしてくれたが、フォローの仕方に問題ありだ。 それにくだらないギャグではない、結構面白いと私は思う。


「……そういえば夏って暑いよねぇ」


 そこで何を思ったのか、長峰さんが唐突に口を開く。 室内は一瞬静まり返ったが、成瀬君がその沈黙を破った。


「まぁ夏だからな」


「……あははは!」


 それは少しズルい、夏と真夏をかけて、二人で口撃を仕掛けてくるのは反則だ。 これで笑うなという方が無理がある、お腹が痛い。


 それから数分、思い出しては笑うを繰り返す私であった。




 ……まったくもって許し難い。 人の弱味を突いてくるような成瀬君のやり方はズルい。 帰り、家に着いてからベッドの上で寝転がりながらそう思う。 どうにかしてこの弱点は治さないとこれからも成瀬君や長峰さんに攻撃をされてしまいかねない。 今日のような時ならまだ良いけれど、笑ってはいけないような場面で言われたらと考えるとマズイ。 成瀬君もやりそうだけれど、何より長峰さんがそれを使ってからかってきそうだ。 これは克服しないと非常に問題が大きいものになってしまう。


「……よし」


 私は呟き、決意を固めるために右手を握り締める。 そしてベッドから起き上がり、パソコンの電源を付けた。 いつもの起動画面が表示され、待っている間に机に置いてある眼鏡をかける。 髪を耳にかけ、準備はできた。


「笑わずにいる方法……ギャグを言われても笑わない方法……私の場合は駄洒落かな」


 特に心底くだらない駄洒落だ。 悔しいが、それに弱いということをまず認めなければならない。 ちなみに今日、私が笑ったときに成瀬君や長峰さん、道明さんは「何がそんなに面白いんだろう」と考えていたことは記憶している。 許されざる思考だ。


「息を止める……なるほど」


 これは結構良いかもしれない。 というわけで、実践してみよう。 そう思った私は頭の中で面白いことを考える。 たとえば、今日の成瀬君と長峰さんのやり取りであったり、道明さんのあだ名であったり。


 ……だが、不思議なことにいくら考えても笑えそうにない。 これは困った、笑いたいときに笑えないというのは逆にマズイのではないだろうか。 あのときはあれだけ面白かったというのに、今思い返すと何が面白かったのか分からない。


「……笑わないといけないのに。 これからのためにも」


 とても、とてもとても大事なことだ。 何か面白いこと……何か面白いこと……そうだ。 本来であれば嫌なのだが、この際仕方ない。 ここはひとつ、いつも私を笑わせてくる張本人に頼むとしよう。


「チャット……だと笑えないかな。 電話してみよう」


 ……と、そう思い携帯を手に取ったものの何故か動作が止まる。 チャットは頻繁にしているけれど、電話は緊急の用事がない限りあまりしない所為だろうか。


 しかし、成瀬君相手に緊張するというのも嫌だ。 負けた気分になってしまう。


 そう思い、私は息を一度吸い込み、吐き出し、電話をかける。 成瀬君は携帯を触っていたのか、コール音が一回鳴るか鳴らないかほどで電話に出た。


『もしもし』


「もしかして私の電話を待っていたんですか?」


『いや挨拶くらいしろよ……たまたま携帯触ってた。 なんか用事か?』


 どうやら成瀬君はストーカーではないらしい。 というわけで、私は早速本題を切り出す。


「成瀬君、私が笑うようなことを言ってみてください」


『え、何かのテスト? それ答え方によって秋月に殴られたりしないよね?』


 一体成瀬君はどこまで秋月さんを恐れているのだろうか。 そもそも私を笑わせられなかったら秋月さんに殴られるというのはどういうシステムなんだろうか。 中々興味深いシステムなだけに、構造が気になってしまう。


「しませんよ。 ただ少し成瀬君のセンスを試してみようかと思いまして」


『絶対なんか裏があるだろ……特に用事もないのにかけてくるとか』


「私に裏なんて何もありませんが。 それに成瀬君には嘘が通じないではないですか、今更何を言ってるんですか」


『これ電話だからね。 てかやっぱ電話だとなんか生き生きしてるよな、冬木』


「そんなことは……ある、かもしれません」


 電話やチャットでは、私は人の思考を聞かずに済む。 それはなんだか安心できるもので、余計な心配というのをしないで済むのだ。 手探りで会話をする必要がない、何も心配することがないというのはそれだけでありがたい。


『いつか普通に話してるときもそんな感じになれば良いんだけどな。 ……で、なんだっけ。 笑わせるようなことか』


 そのいつかは、果たして来るだろうか。 もしも私がなんの心配もせずに話すことができるとしたら、それは……。


『布団が吹っ飛んだ』


 と、真面目に考えていたとき唐突に成瀬君がギャグを言う。 それを聞いた私は。


「……成瀬君に頼んだ私が馬鹿でしたね。 おやすみなさい」


『おいちょっとま』


 電話を切った。 どうしてか今日は笑えそうにない、それよりも成瀬君はこんなにもつまらない人だったのか。 笑っていた私を殴ってやりたい。

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