第17話『道明美鈴』

 正直なところ、その私と猫の話はこれからの話にはあまり関係していない。 ただ単に、ひとつ長い話をする前にワンクッション挟んでみる、ということを試してみただけだ。 あの日のことは成瀬君も大して覚えているわけでもないだろうから、私にとっては良いんだけれど……覚えていられたら、それも私の発した猫語を聞かれていたらただで済ませるわけにはいかないから。


 兎にも角にも、本題はここから。 夏休みは無事に終わり、学校生活が再び始まった。 無事に、とは言っても成瀬君は結局夏休み最終日、夜中までかけて朱里さんの宿題を手伝ったらしい。 夏休み明け初日、授業中に寝ていた成瀬君がお昼休みに秋月さんに説教をされていたことが記憶に新しい。




「クラス委員室はここで良かったかな」


 夏休みが明けて少し経った頃。 まだ暑さは残っており、私と成瀬君は今日もいつも通り本を読んで時間を潰していた。 成瀬君には秘密だが、私は二人でこうしている時間が存外好みでもある。 静かに過ごすというのはとても心地が良い、人と同じ空間にいてもこう思えるのは不思議な感覚だ。 未だに聞きたくないことも聞いてしまうときがあるけれど、いつものメンバーでいるときは私もだいぶ気が楽になっている。


 しかしそんな静寂を打ち破る存在が現れた。 少なくとも同じクラスの人ではない、これでも他人と少なからず接触するようになってからというもの、同じクラスの人の顔と名前は覚えるように努力はしている。


「なんで小学生が高校にいるんだよ、見学会でもあったっけ」


 そう成瀬君が口にした。 確かにその言い分は分かる、入ってきた女子生徒は背が私よりも低く、およそ140後半ほどだろうか? 体付きも幼く、髪は黒く腰ほどまでのもので、どこか人形のような愛嬌がある。 瞳が大きく、少し大きめな制服がより一層小学生らしくも見えてしまう。


「いきなり小学生扱いをするなっ! 僕は道明どうみょう美鈴みすず、訳あってここに来た」


 だん、だん、と床を踏み鳴らして道明さんは抗議する。 成瀬君は未だに嫌疑の眼を向けていたが、良くても中学生などと考えていそうな顔だ。 反応がまた幼いけれど……一応、高校生なのは間違いなさそう……かな?


「道明さんですか。 私たちとは別のクラスですよね?」


「ああ、その見解は正しい。 風のうわさで何でも屋のようなことをしていると聞いてな、足を運ばせてもらった」


 道明さんは言うと、空いている椅子へと腰かける。 そして腕組みをし、不敵に笑いつつ続けた。


「僕は探偵部というものに所属している。 今回は君たちに協力を要請しようと思ってね」


「ごっこ遊びに付き合ってる暇はないんだよ。 帰った帰った」


 しっし、と手を動かしながら成瀬君が言い放つ。 それを受け、道明さんは呆れたようにため息を吐いて口を開いた。 そんな部活があるのか、という反応ではなかったということは、道明さんは嘘を吐いているというわけではなさそうだ。 探偵部という部活があって、道明さんがそこに所属しているということは本当らしい。


「最初は全員がその反応だよ、まったく。 いいか? 冬木、君は今家の前に立っている」


 いきなり言うと、胸ポケットから取り出したボールペンの先を私へと向けた。 その場面を想像しろということだろうか、私は素直に目を瞑り、その場面を想像してみた。


「家へ入るためにはドアを開ける。 開けるところをイメージしてくれ、どちらの手を使った?」


「……右手、ですが」


「なら君の家は外から入るときは右開き、中から外へ出るときは当然反対となるな」


「すげえ!」


「何故君が驚く……簡単な話、癖というものからの推察に過ぎない」


 癖。 開けやすい方の手を使うという癖だ、そこから得られる情報を結果として繋げ、答えを導き出す。 なるほど、確かに探偵らしい。 それと、ちょっと格好良い。


「良いかい? 僕がその気になれば君たちの性癖やらなんやらまで何もかも調べることができる。 だから僕に協力してくれ」


「ほとんど脅しじゃねえかそれ……内容によってとしか言えないな、基本的にはクラス外の相談とか受ける必要がないし、理由がない」


 相変わらず成瀬君はざっくりとした対応だ。 クラス内の人が来たとしても、きっと似たような対応をしていたんだろうなとなんとなく思う。 けれど確かに、クラス内の相談役というだけでありなんでも屋ではない。


「なに、簡単なことさ」


 道明さんは言うと、手に持っているボールペンをくるりと回し、足を机の上へと投げ出した。


「今度の臨海学校で探しものを手伝って欲しい、それだけさ」


「下着見えてるぞ、水色の」


「ッ!! ば、ばばば、バカモノっ!!!!」


 慌てて道明さんは上げた足を下ろし、制服のスカートを両手で抑え、白い肌を真っ赤にしながらそれこそあまり理知的とは言えないレベルの罵倒を成瀬君へと浴びせるのだった。 成瀬君への評価マイナス1、デリカシーがない。




「気を取り直して、ここが僕の部屋だ。 適当に座ってくれて構わない」


 道明さんはそれから、私と成瀬君を探偵部の部室へと案内をしてくれた。 どうやら探偵部という謎に満ちた部活に所属しているのは、今では道明さんだけらしい。 部室には何枚か賞状が飾られており、そこには警察からのものもあった。 宛名はもちろん、道明美鈴という名前。


 ……どうやら道明さんの実力というのは本物らしい。 その当人も自負するだけのことはあるということだ。


「なんかすっごいしょぼいところ想像してたけど、結構立派な部室なんだな。 俺たちのクラス委員室と入れ替えて欲しい」


 大きな執務机は道明さんの机らしい。 ブラインドカーテンに部屋の中央にはガラスのテーブル、そこを囲うようにソファーは設置されていて、冷蔵庫や台所も置かれている。 かなり立派な設備だ。


「元々は校長室だからね、ここは。 本来だったら応接室として使われる予定だったらしいが、理事長の依頼を引き受けて僕が貰い受けたのだよ」


「お前結構凄い奴なんだな……部員って道明だけなのか?」


「前まではいたよ、けれどみんな辞めてしまった。 良い奴らだったんだけどね」


 道明さんは目を細め、懐かしむように頬杖をついて、薄く笑った。 つい最近のことではなく、道明さんがこの探偵部に入ってからすぐのことだったのだろう、どこか昔のことを語るようなそんな仕草だ。


「……そうか」


 言う成瀬君もまた目を少し細めている。 私は口を開こうとするが、そこで道明さんが手を叩く。


「湿気った話は好みじゃないな、僕一人でも事件の解決が遅れることはない。 今回君たちに手伝って欲しいのは簡単なものだから、気負いもしなくていい。 無理ならハッキリと断ってくれて構わない、それと何か問題が生じた際は僕が全責任を負う」


「確か、臨海学校での探し物でしたね。 臨海学校は来週でしたか」


 私が言うと道明さんは頷く。 横にいた成瀬君はどこか驚いたような顔だ、もしかしたら来週臨海学校があるということを知らなかったのかもしれない。 実に成瀬君らしい。


「僕と同じクラスの生徒でね、どうやら夏休みに臨海学校で使う浜辺に行ったらしい。 そのとき泊まっていた旅館に宝物を忘れてしまったとのことなんだ」


「その旅館に聞けば……って単純な話じゃないんだよな?」


「もちろん、これは事件だ。 人為的な事件だよ。 当該生徒は八月二十日から八月二十三日にかけ、白鳥浜近くの旅館『清水荘』に宿泊。 友人たち5名と共に宿泊していた。 楽しく過ごしていたが、八月二十二日にアクセサリーの紛失を認識。 恐らく宿泊した部屋の手荷物からの盗難だ」


「窃盗ですか。 それは道明さんがというよりも、警察に話を持って行った方が良いのでは?」


「普通ならそうするべきだ。 でもその生徒は僕に依頼をしたんだよ、警察に相談せずにね。 なら答えは簡単だろう? 警察に言いたくないことがある、教師にも相談するわけにはいかない、つまりは身内の犯行だと予想しているわけだ。 だから警察に頼らず、僕のところへ依頼を持ってきた」


 ……確かに、そうなれば大ごとにはしたくないかもしれない。 出来る限り穏便に済ませたいと考えるはずだし、何よりその犯人と話をしたいと感じるかもしれない。 どうあれ、当事者は道明さんに話を持ってきた、だから道明さんはその依頼を引き受けた、シンプルな話だ。


「僕の仕事はそのアクセサリーを犯人から回収し、依頼主に返すこと。 そして依頼主に犯人の名前を伝えること。 その二点だ」


 腕を組み、道明さんは足を机の上へと上げるために深く座る。 そのせいで身長が低い道明さんは私と成瀬君の視界から消える。 更にはまたしても下着が私たちに見える格好だ。 それを受け、成瀬君は頭が痛そうにしている。 幸いなことに、私も同じ感覚を受けている。


「それで道明さん、肝心な私たちの仕事というのは? 聞く限りですとそれこそ道明さんの仕事のようですが……調査の手伝いなどでしょうか」


「ああ、もちろん僕の仕事というのはそうだ。 けれど冬木、僕はそのアクセサリーの形状を知らないし、何より依頼主を知らないのだよ。 そうなると犯人を暴いてアクセサリーを取り返したとしても、誰に報告すればいいんだって話になるだろう?」


「いや……形状はともかく、依頼主を知らない?」


 成瀬君が言う。 私も全く同じ疑問を抱いた。 形状を知らないというのは、その内容を聞いた私たちも一緒だ。 しかし、その依頼主を知らないというのはどういうことなのだろう?


「私への依頼は基本的に用紙に内容を書いて部室前のポストに投函される。 匿名でも投函できるし、それを引き受けるも引き受けないも私の自由だがね。 今回の依頼は引き受けなければならない事情があった」


「匿名だったということですか? 一体どうしてそのような依頼を……その事情というのは?」


「依頼主が遺失物を宝物と表現していた。 僕には分からない感情だが、人は大切なものというのを本当に必死に探すのだよ、デメリットを一切考えずにね。 頭を下げられたこともある、涙ながらにお礼を言われたこともある、それだけ大切なものなら探してあげたくなるだろう? 人情というやつさ」


 道明さんは椅子から立ち上がり、入り口近くに置かれている棚を開く。 そこには紙がぎっしりと詰まっており、その一部を私と成瀬君が座るテーブルへと置いた。


「依頼のほとんどはただの罵詈雑言だよ。 消えろだの死ねだのチビだの、しかし生憎僕はその依頼をまだ引き受ける予定はないが……遺失物に関して言うなら、もしもそれが依頼主の宝物であるならたとえ僕はシャーペンの芯一本でも髪の毛一本でも見つけてみせる」


「……お前なんかかっこいいな。 そういうこと言われると協力したくなってくる」


 お人好しの成瀬君だ、女子に対して優しくないだろうか? 気のせいだろうか? 成瀬君はもしかしたらチョロい男なのかもしれない。


「そうですね、お力になれることがあるのなら。 話の流れを追うと、依頼主を探して欲しいということですか?」


「ああ、一応全生徒の名前と顔は頭に入れているが、誰がどこのクラスかは把握していない。 何より同じクラスらしいから僕と話しているのは本人も見られたくないだろうからな」


「……えっと」


 成瀬君が少し言いづらそうに、ちらりと私を見る。 言いたいことは分かる、私と同じということだ。


「まぁ、あれか。 とりあえずそのアクセサリーをなくした女子を探せば良いんだな」


「成瀬、君は騙されやすそうだ。 僕がいつアクセサリーをなくしたのが女子だと言った? 男子の可能性もあるだろう?」


 成瀬君の言葉に道明さんはそう返す。 実のところ私も女子だと思いこんでいた、この年頃の人でアクセサリーを身につけるとなれば、圧倒的に女子の方が多い。 だからそう思いこんでいた。


「先入観ほど恐ろしいものはない、けどまぁ否定はしない。 僕も確率的には女子の方が高いと考えているからね」


 あくまでも確率として、だ。 道明さんは事実を確認するまで、どれほど可能性が高いからといってそれを決めつけるようなことはしない。 今の言葉からはそんな意思が感じ取れ、それが道明さんの探偵としての基本にも思えた。


「しかしこの通り、僕は変わり者らしい。 この学校で僕に自主的に絡んでくる奴は……そうだな、くらいのものか」


 道明さんは自分の胸に手を置いて答える。 それは成瀬君も私も感じていたことだったが、それよりも最後に言い放った人物の名前に全てを持って行かれた。 長峰、記憶が正しければその苗字はこの学年に一人しかいない。


「え、長峰さんと知り合いなんですか?」


 長峰さんは顔が広い。 交友関係も幅広く、道明さんと知り合いだったとしても不思議ではない。 ただ、長峰さんが道明さんに自主的に接しているというのが少し気になった。


「……いや、待て。 君たちこそ長峰愛莉と知り合いなのか?」


「知り合いも何も、同じクラスだし同じクラス委員だよ」


 それを聞いた道明さんは顔を両手で覆うとその場に蹲る。 なんてことだ、という言葉と共に。


 ちなみに、道明さんは極めて小柄だ。 そんな道明さんを成瀬君がいじめて泣かせているようにしか見えない光景だった。


 そんな光景の中、道明さんはポツリと漏らす。


 長峰愛莉は、悪魔だと。

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