第14話『嘘』

 約束していた場所に着くと、瀬谷はいた。 八藤さんの案内の下辿り着くと、瀬谷と思われる人物は川の方をただジッと見つめていた。 薄く茶色に染められた髪におっとりとした顔付き、目元には泣きぼくろが一つあり、俺たちに気付くと小さく笑って頭を下げてくる。


「こんにちは」


 第一印象は丁寧な人というものだ。 この人が噂の幽霊女と言われても疑ってしまいそうな、そんな印象を受ける。


「悪いね瀬谷。 この子たちが話してた子たちで、話を聞きたいって」


「うん、私が迷惑かけてたみたいでごめんなさいね」


 八藤さんが言うと、瀬谷は俺たちに向かって頭を下げる。 それに対し、真っ先に口を開いたのは長峰だった。


「単刀直入に聞きますけど、幽霊女ってあなたのことですか?」


 また随分と思い切った聞き方だ。 長峰らしいと言えば長峰らしいが……言いづらいことでも平気で言ってしまうから恐ろしい。


「そういうことになるのかな。 良かったら座って話さない? あそこ、丁度日陰で気持ちいいから」


 瀬谷は言うと、橋の袂を指差す。 俺たちは一度顔を見合わせたあと、それに従うことにした。




「大体の話は八藤から聞いてるよ。 あなたたちは幽霊女の噂を解決するために色々と調べて、私がそうなんじゃないかってなったのよね?」


 八藤さんは一旦席を外してくれた。 ここまで付き合ってくれるだけでありがたいことなのに、こう考えるのは悪いが見た目に反して親切な人だ。


 そして、瀬谷はコンクリートで出来た傾斜へ腰をかけ、俺たちはその隣に並んで座っている。 確かに日差しが入ってこず、吹き抜けていく風が心地いい場所だった。


 瀬谷の話し方からして、瀬谷自身は自覚というものがなかったのだろう。 八藤さんから話を聞き、そこで得心が行ったというような話し方だ。 元を辿れば北見からの依頼、それも幽霊女の一件を解決するという依頼だった。 それが今では瀬谷へと繋がり、その原因も理由も噂の正体も掴んでいる。 しかし当の本人はその噂を知らなかった、ということだから変な話だ。


「はい。 北見先生に頼まれ、調査していた結果あなたに辿り着きました」


 冬木はハッキリとした口調で瀬谷へと告げる。 仕事の内ということだから冬木のコミュニケーション能力に問題は出なさそうだ、そして頭の良い冬木が矢面に立ってくれるのは大変ありがたい。 普段のプライベートな冬木状態で接すると途端にへっぽこになってしまうし……長峰の方は今回どうか分からないが、秋月は自然と避けるだろうしな。


「できれば止めて欲しいって話です。 みんな怖がってるし」


 と、どうやら長峰も積極的に舵取りをしてくれるらしい。 これなら俺は見ているだけで済むかもしれない。


 あくまでも冬木は事実を突き詰め、長峰は解決への糸口を探っている気がする。 冬木はいつも通りといった感じだが、長峰は……苛立っているのだろうか、口調がいつもよりキツイ気がしなくもない。 先日話していた昔の自分を見ているようで、イライラとしているのか。


 二人ともに真正面から崩していくスタイルだが、冬木はあくまでも手元にある材料を並べて。 長峰は感情も混ぜながら方向を解決へと向けて、というやり方だ。 二人の性格の現れのようにも見える。


「……ふぁ」


「……」


 横を見ると、秋月があくびをしていた。 良くも悪くもこいつも性格が良く出ているな……。 俺が見ると、愛想笑いのように秋月は笑って誤魔化していた。 いつもの秋月で少し安心できる。


 しかしこれで分かったのは、冬木も冬木でどうにかしたいと積極的には思っているようだ。 その冬木の考え方というのが「北見からの依頼を解決したい」か「瀬谷の想いを解決したい」のどちらかかは分からないが……恐らく冬木の性格的に後者だと思う。 冬木空という奴は冷たく、他人に対して壁を作り、一人を好んでいる……と思われがちだが、その実、内面は全くの真逆である。 俺が見てきたどんな奴よりもその心中は暖かいのだ。


 さて、冬木は事実を並べて長峰は確信に迫るひと言を言い放った。 それに対し、瀬谷の返答は……。


「北見にも迷惑かけちゃったね。 うん、そういうことならもう止めるよ、ごめんね」


 瀬谷はさっぱりとそう言い放ったのだ。 冬木と長峰の言葉に意義を立てることなく、後腐れがないようにそう言った。 もしもこの相手が高校生当時の瀬谷だったら、答えはきっと違ったと思う。 だが、瀬谷が過ごしてきた年月が当時の想いを多少は薄めていたのだろう。 だから他人に言われた言葉を受け入れる、素直に聞き入れて


「良いんですか、それで」


 俺の答えが、見つかった。 このまま「はいそうですか」と終わらせてしまうのは簡単だ。 北見の依頼は解決したことになるし、幽霊騒ぎも収まりを見せるだろう。 しかし、それで瀬谷は救われるのだろうか。 瀬谷は過去と決着をつけることができるのだろうか。 そう思うのはおこがましいことかもしれない、俺のような奴が言ったところで、何も変わらないのかもしれない。 けど、このまま何も見ないことにして終わらせることだけは、嫌だ。 ここで何もかもなかったことにして、明日にはいつも通りなんてことは嫌だ。 知ってしまったことに対し、目を逸らすことだけは嫌だ。


「誰かに迷惑かけるわけにはいかないからね。 私の問題に巻き込んじゃって、あなたたちにも謝らないとだし……北見は少し叱らないとだけど」


「安江さんのことも忘れるってことですか、それは」


 誰もその名前を口にしなかった。 触れてはいけない、そんな空気があったからだ。 だから俺は敢えてそこに踏み込んだ。 冬木と長峰は同時に俺を見る、冬木は少し驚いたように、長峰は何かを言いかけて飲み込んでいた。 秋月の顔は見えなかったが、さすがの秋月でも反応はしていただろう。


 そして、瀬谷もそれは一緒だ。 瀬谷は目を少し見開いたあと、その目を細める。 顔は下を向き、昔を思い出しているかのような顔をしている。


「……全部聞いているのね。 ほんと、八藤はいっつも口が軽いんだから」


「全部聞いてます。 あなたたちがバンドをしていたこと、高校で仲の良いグループだったこと、あなたと安江さんが恋人だったこと、それで……」


 最後に、あの日のことを口にしようとした。 だが、それは冬木が俺の腕を掴んだことによって止められた。 言わずとも分かっている、そんなことを言いたげな目を冬木はしている。 もしかすると、瀬谷の思考を冬木は聞いたのかもしれない。


「ずっと、後悔してるの。 あの日、なんであんなこと言っちゃったんだろうって。 あの言葉がなければ、智久ともひさはまだ一緒にいたのかもしれないって」


 智久、というのは安江の名前だろう。 瀬谷は若干掠れた声で言いながら、ぽつりぽつりと言葉を漏らしていく。


「あの日から、暇があれば探しているの。 もしかしたらいるかもしれないって、また会えるかもしれないって。 本当に馬鹿みたいな話よね、そんなことあるわけないのに」


 誰もが知っている、分かっていることだ。 大雨で川が氾濫しており、行方不明になってしまった高校生。 表向きは行方不明と処理されるそれであっても、それが内包していることなど誰もが理解できるものだ。 口にしないだけで、分かっていることなんだ。


「……迷惑をかけてごめんなさいね。 ハッキリ言われて分かった、いつまでも高校生の気分で馬鹿みたいよね」


 無理矢理作ったかのように笑みを浮かべ、瀬谷は立ち上がる。 俺は何も言えない、言わなければならないと思い告げた言葉だ、しかし瀬谷の顔を見ていたらそれが正解だったかなんて分からなくなってしまった。 まさに、秋月と話していた「全員が間違っている」というのを地で行っているような……そんな気分だ。 俺は間違えている、瀬谷もまた間違えている。 この問題に正解なんて、正しい答えなんて存在しない。 一人が命を落とし、一人がそれを悔いている時点で正解なんて存在しないのだ。 誰もが幸せな解決方法なんて、この問題に関してはあり得ない。


 絶対に答えは見つからない。 正しい道というのは安江がこの世を去ってしまったその時点で全てが失われた。 それを正す方法なんて、それこそ過去に戻って安江の死をなかったことにするしかなく……それは、不可能だ。 死んだ者は生き返らない、失ってしまったものは元に戻らない。 そんな当たり前のことを今にして目の当たりにして、理解する。


「あの、瀬谷さん」


 人の死はなくならない。 だが、冬木空の想いというのは俺の考え、答えとは全く違った方向へと進んでいた。 次に発せられた冬木の言葉を聞き、俺はそれを実感する。 冬木の作り上げた答えを聞いて。


「実は、ですね。 実は、安江さんと会ってきました。 安江さんは生きていて、瀬谷さんのことを気にしていて……」


 嘘だ。 俺でなくとも分かる、この場にいる全員がそれを嘘だと分かっている。 冬木は言葉を探るように、咄嗟に思いついたかのように、必死で嘘を紡ぎ出す。 それは決して良いことではない、むしろその逆だ。 秋月はゆっくりと目を瞑り、長峰は目を細めてそれを聞いている。


 冬木はあまりにも人と接する機会がなさすぎたのだ。 だから冬木のその嘘が、或いは許されるものではないということが分からない。 しかし、瀬谷は冬木の言葉を聞くと笑った。


「ありがとう、君は優しい子ね。 それはとてもいい知らせかな」


 瀬谷は冬木の頭を撫でる。 冬木はそれを受け、何かに気付いたかのようにハッとした顔をしていた。 その後、顔を伏せる。


「私の経験から言えば、向き合うことが大事……かなって思います。 方法はあるだろうから、ガキからの言葉なんて聞きたくないかもしれないけど」


 そう口を開いたのは長峰だ。 冬木のことを気にするように一度視線を向けたあと、真っ直ぐと瀬谷を見て告げる。 経験、というのは言わずもがな冬木との一件だろう。


「……うん、なんかいろいろスッキリとしたよ。 幽霊女とか噂されちゃって、高校生の子に迷惑かけちゃって……馬鹿だな、私。 心配してもらって、気にかけてもらって、子供かってね。 君たちの方がよっぽど大人っぽいよ」


 どこか、幼く瀬谷は笑った。 瀬谷が思いを馳せている当時は、そんな笑い方をしていたのかもしれない。


 時間というのは残酷だ。 誰が何を言おうと止まることなく進み続け、どんな思い出もどんな気持ちも風化させていってしまう。 そこから生まれるのは後悔であったり、悔しさであったり、負い目であったり痛みであったりするのだ。 瀬谷が先を見て進むことが正しいのか、間違っているのか、それもまた分からない。 大事なのは……いつか、一つ一つが思い出となることではないだろうか。


「ありがとね、あなたたち。 北見は良い生徒を持ったみたいで安心したよ」


 そう言い残し、瀬谷は俺たちに軽く手を振って歩いて行く。 その背中に俺たちは声をかけることができなかった。

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