第15話『結末と、夏休みの終わり』

 日が傾き、夕日が俺と冬木の影を伸ばしている。 並んで帰る帰り道は俺も冬木もひと言も発せず、蝉の鳴き声が響き渡っていた。


 北見の依頼自体、瀬谷と話すことによって解決できた。 瀬谷は今後、安江の影を追うようなことはないだろう。 だが……不思議と今は、これで本当に良かったのかと思ってしまう。 俺たちはとんでもないことをしてしまったんじゃないか、と。


「……なぁ冬木」


「……」


 横で歩く冬木に話しかけるも、冬木は顔を伏せて歩くのみだ。 無視をされているということはもうないと思うから、聞こえていないんだろう。


「冬木」


「え、あ、はい」


 冬木の前へと回り込み俺が言うと、冬木はようやく気付いたのか、少し驚きながらも立ち止まった。 夕日が俺の顔を照らしていて、眩しさから冬木の表情はよく見えない。


「気にしてるのか、さっきのこと」


「……気にしていない、と言えば嘘になります。 私は、瀬谷さんに酷い嘘を吐いてしまいました」


 安江に会った、という嘘のことだ。 確かにあの嘘は時と場合によっては逆上させていたかもしれない。 今回は瀬谷が大人で、その出来事自体が遥か昔のことだったということもあって救われたが……冬木が気にしすぎた故に吐いてしまった嘘だろう。 冬木が自分で気付けたのは、冬木もまた学んでいるということだ。


「人間生きてれば嘘なんて誰でも吐く。 俺が一番良く知ってる」


「それは、そうかもしれませんが。 でも、吐いて良い嘘と悪い嘘もあるのではないですか。 私のは後者だと、思います」


 どこか落ち着きがなく、いつもの冬木らしさというのがない。 未だに自分のしたことに動揺しているのか、目が慣れ見えた冬木の顔は時折暗いものを浮かべている。 冬木にとってはこういう失敗というのもまた、あまりないことなのかもしれない。 そもそも人と接触する機会が殆どなかったんだ、仕方ないと言えば仕方ない。 ……なんて、俺も似たようなものだが。


 境遇こそ似ているが、俺はきっと同じ立場になってもそれほど想うことというのはないのだろう。 冬木ほど悩みはしないだろうし、冬木ほど人を気にかけることもきっとできない。 だからそもそも同じ立場になるということ自体ないんだろうが……冬木の良いところというのも、そこに詰まっている気がする。


「昔さ、小学校低学年くらいのときだったかな……俺の親って夜勤だから、家に朱里と二人ってことが多かったんだよ。 父親は出張続きで」


「……はい」


 いきなりの関係のない話に、冬木は若干困惑しつつも返事をする。 少し恥ずかしい話だが、この話を例えに出すのが一番良いと思った。


「やっぱりそんくらいのときって寂しくてさ、ある日母親に電話して嘘を吐いたんだ。 朱里が熱を出したって」


「……嘘、ですか」


「母親はすぐ家に飛んできて、玄関扉を開ける音がして……そこでようやく、どうしようって思って」


 我ながらバカな話に苦笑いをしながら俺は言う。 嘘を吐いて、後先のことなんて全く考えていなかったんだろう。 元気に騒ぐ朱里とは裏腹に、俺は結構焦っていたんだ。 何も考えない馬鹿な子供だったと思う。


「もちろん説教された。 馬鹿な嘘を吐くなってのと、親を心配させるなって。 俺確か泣いててあんま覚えてないんだけど」


 その内容はそんな感じで、あまり覚えてはいない。 しかし、ハッキリと覚えていることはある。


「最後、母さんが俺と朱里を一緒に抱きしめて、何もなくてよかったって。 それだけはハッキリ覚えてる」


 朱里はきっと覚えていないだろう昔のこと。 でも、俺は一生そのことは忘れないと思う。 そして、もう二度とそういう嘘は使わないと決めた。


「俺の嘘は自分のための嘘だった。 今まで長いこと人の嘘を見てきたけど、ほとんどはそうなんだよ。 考えて見れば当たり前のことかもしれないけど」


「それ自体は、悪いことだとは思いません。 成瀬君のその嘘については……幼かったから、で済むものではないでしょうか」


 冬木は何を想ったのか、そういって俺のフォローを始めた。 俺が言いたかったのはそういうことじゃないんだが……まぁ冬木だし仕方ないか。


「嘘には二種類ある。 自分のための嘘と、他人のための嘘だ。 さっきも言ったけどほとんどは前者、自分のためにしか嘘を吐くことはない」


 様々な人の様々な嘘を見てきた。 誰しもが平気で嘘を吐くということに変わりはないが、それでも嘘にその二種類があるということが分かるくらいには嘘を見てきた。 ほぼ全てが自分のために嘘を吐く中、極稀にいるのだ、他人のために嘘を吐く奴が。


「冬木の嘘は、後者の方だよ。 お前は他人のために嘘が吐ける、俺にはできないことだし、その嘘は悪いものではないんじゃないか」


「……ですが、嘘は嘘です。 私は瀬谷さんを騙そうとしたという事実に変わりはありません」


「違う、お前は瀬谷を騙そうとしたんじゃなくて救おうとしたんだよ。 お前の嘘は人を救う嘘ってこと。 だからそんな思い悩まなくてもいいだろ」


 結果はどうあれ、だ。 冬木が思い悩んでいる原因が瀬谷を騙そうとした、ということにある時点で答えは分かりきっている。 冬木は自分の立場なんて今でも全く考えていない、考えているのは瀬谷の気持ちだけで……その事実が目の前にあるだけで、答えは出ている。


「……ですが」


 しかし、それでも冬木は尚何かを言おうと口を開く。 その言葉を遮り、少し声を大きくして俺は言う。


「嘘に関して言えば冬木より俺のがよっぽど分かってる。 だから俺の言葉を信じろよ、それとも俺が嘘吐いているように見えるか?」


 冬木は目を少し見開く。 そして薄いピンク色の唇を動かす。


「……私には分かりません」


 冬木は顔を上げる。 ようやく上げたその顔は、いつも通りの冬木だった。


「成瀬君の言葉が嘘かは分かりません。 でも、成瀬君のことを信じてみようと思います」


 言いながら、冬木は笑う。 普段は無表情なのに、ここぞというときで冬木は笑顔を向けてくるから、心臓に悪いのだ。




 学べたことはあっただろうか。 成長できたことはあっただろうか。 結局残ったのは後味の悪さだけで、物事は何一つ解決していないと感じている。 しかし、それは当たり前のことなのだとも考えている。 できることとできないことなんていうのは決まっていて、俺たちの力では瀬谷の抱えてしまった一件を完全に解決するなんて不可能だったのだ。 心に落ちているのは虚無感のようなもので、今考えればもう少しうまく立ち回ることもできたのでは、と思ってしまう。


 8月の30日、夏休みは殆ど終わりを見せている夜、俺は毎日スケジュールを組んで少しずつ進めていた課題の全てを終え、そんなことを考えながら外の景色を見ていた。 9月は特に予定もない……ないはず。 いや、あったかもしれない。 俺の記憶上では何もなかったが、俺の知らぬところで話が進んでいる可能性は大いにあるのだ。 まぁ今度暇なときにでも冬木か長峰に聞いてみよう、秋月は駄目だ、不真面目な態度でいると殴られる。 最近ではお前の方が不真面目じゃね? とも思っているが口にしたところで俺の意見など黙殺され撲殺され虐殺される。


「おにい!!」


「ノックくらいしろって」


 そんなことを考え一人黄昏れていたそのとき、部屋に騒々しい奴がやってきた。 朱里はつい先ほどまでテレビを見て爆笑していたのだが、何かがあったのか血相を変えている。


 冷静に考えてみよう。 ついさっきまで爆笑していたということは、それから今までの間に何かが起きたということだ。 家に泥棒が入ってきた……というのはないな、それなら先に叫び声が聞こえているはずだし。 そうなるとネズミでも出たかくらいしかないが。


 ふと、カレンダーが目に入る。 今日は8月30日、夏休みは終わりを迎える直前。


 物凄く、嫌な予感がした。


「お前、まさか」


「可愛い妹の絶体絶命の危機! 夏休みの宿題手伝って!!」


「お前散々遊んどいてやってねーのかよ!? 俺は絶対手伝わないからな!!」


 俺だってつい先ほど課題を終えて、明日はゆっくりしようと思っていたんだ。 この開放感を一日分味わうため、しっかりと配分をしやってきたと言っても良い。 夏休みの宿題については諸説ある、毎日コツコツ進めるタイプ、初日で片付けるタイプ、最終日にまとめてやるタイプ……と色々あって、余談ではあるが冬木は初日タイプ、俺はコツコツ派で長峰は少し特殊で気が向いたときに。 一番ヤバイと思ったのは秋月で、秋月はそもそも宿題をやらない派らしい。 やらない派ってなんだよと思ったが、いろいろうまいことをして毎年毎年回避しているらしいのだ。 その方法を伝授して欲しいと頼んだが、まずは生活態度を改めるところからと言われ、諦めた。


 と、余談もそこそこに本題。 このまま行くと、朱里に宿題を手伝わされることは見えている。


「言っとくけど俺、明日用事あるから」


「そんなぁ!!」


 嘘だけど。 これは自分のための嘘である、いやでも朱里の今後を考えた上での嘘ってことにすれば人のための嘘になるのだろうか。 俺はなんて妹思いの兄なんだろうか。


 さて、問題は明日の用事とやらをどう作るか。 頼める人物なんて、あいつしかいないな。 そう思い俺は冬木にメッセージを送ることを決めるのだった。

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