第11話『兄妹水入らず』
「それでどうなの、幽霊探し」
「ん、あー……進展は一応あったかな」
それから家へと帰った俺は風呂に入る。 給湯器の調子は良く、これならもう家の風呂が使えない所為で銭湯のお世話になることもないだろう。 思いの外銭湯というのも良かったから、機会があればまた行きたいなと考えつつ俺は湯船に入り、その外で朱里は頭を洗っている。
今日の風呂での話はずばり幽霊探しの一件について、だ。 というかここ最近その話しかしていない気がする。 ここはひとつ、同じ話題を繰り返すよりも趣向を凝らしていきたいところだな。 特に朱里と風呂でまともな話をしたところで得られるものなんて知れてるだろうし。
「お前って幽霊平気だったよな、そういえば」
「ん? そりゃまぁねぇ、怪奇現象とか無縁だし、何よりおにいの妹だし」
なんだその理由は。 俺の妹だと幽霊耐性がついたりするのだろうか? とてつもない遺伝子じゃないのかそれ。 それともその逆、俺がある種幽霊じみた存在だから同族意識的なあれで苦手としていないのだろうか。 だとしたら冬木もびっくりの遠回しな嫌味である。 そんな風に育ってしまったのか、お兄ちゃん悲しい。
「俺もまぁ幽霊は平気だけどな、見たことないし」
「おにい苦手なものないもんねースーパーおにいだよ」
「スーパーじゃないおにいってめちゃくちゃ弱そうだな、その言い方だと。 ……いやでも俺、虫とか苦手だし」
大きさが親指を超えたあたりから無理になる。 蚊とか蟻みたいなのは平気だけど、基本的に苦手だ。
「でも、あたしが五百万匹くらいの虫に襲われてたら助けてくれるでしょ?」
「どんな状況なのそれ……蜜でも体に塗ったの? 五百万匹に囲まれたら最早お前かどうかの区別付かないよね、むしろ虫が本体まであるぞ」
「いやいや、こう、わしゃー! って数の虫にあたしが囲まれて「おにいたすけてー!」って叫んでる状態」
「めちゃくちゃ怖いなそれ……ホラー映画かよ」
どれだけ虫たちに悪さをしたらそんなことになるのだろうか。 少なくとも若干虫たちに同情しそうになる。
「それで、助けてくれる?」
「……一応努力はするよ、超嫌だけど」
まぁ、仮にも妹だし。 長峰だったら助けないかもしれない、冬木だったら多分助ける、秋月だったら放っておいてもどうにかするだろう。 それこそ秋月の場合は虫の方を助けなければならないかもしれない。
「ほら、だからおにいに苦手なものはナシ! ね?」
「それとこれとは話が違うだろ。 お前も逆の状況なら俺のこと助けるだろ?」
「え? あ、うん……もちろん!」
「嘘じゃんそれ」
思いっきり嘘に見えている。 ガッツポーズをしながら言われても俺の眼は欺けない。 そして黒い靄が見えるということは冗談ではなく本気で俺を騙そうとしてついた嘘だ。 もう絶対こいつのこと助けねぇ……。
「でもさ、でもだよおにい。 つまりおにいはやっぱりお人好しってことだよね」
「俺がお人好しねぇ……いつもお前に対して結構酷いことしてるし、ないだろ」
「確かにいつもはひどいけどね」
むしろそこを否定して欲しかった。 本当に俺が朱理に対して酷いことをしているみたいではないか、何もしてないのに。
「けど、いざというときは絶対助けてくれるもん。 あたし覚えてるよ、小学生のときのこと」
「小学生のとき? なんかしたっけ」
身に覚えはなく、俺は尋ねる。 すると、朱理は湯船に入りながら俺に向けて言う。 朱里が入るスペースを確保するため、少し体を丸めた。
「夏休みの宿題、あたしがすっかり忘れてた算数のプリントの山があって、最後の日に思い出して……おにいに手伝ってもらったやつ」
……なんとなくそんなことがあった気もする。 確かあれはよりにもよって思い出したのが最後の日の夜で、夜勤の母親を頼ることもできずに俺に泣きついてきたんだ。 思えば小さい頃から二人で過ごすことが多かった俺と朱理だ、その時間は母親と過ごす時間よりも朱里にとっては長いかもしれない。 そのせいか朱理は俺に結構絡んでくるのが厄介だけど。
「結局夜中までかかったけど、おにいしっかり教えてくれてさ……でも、あたし途中で寝ちゃったんだよね」
「いや、最後までやっただろ? お前次の日起きてめちゃくちゃ喜んでたじゃん」
「ほらね、おにいはやっぱりお人好し」
そう言い、朱理はいたずらっぽくニタニタと笑う。 そのまま続けた。
「おにいがやってくれたんでしょ、途中から。 あのときは全然分からなかったけどさ、今になって思い返せばそうなんだなって」
「……悪いけど心当たりがない。 昔のことだしな」
俺は言うも、朱里はニタニタという笑みを崩すことはない。 俺がなんと言おうとそう信じている様子だ、別に勝手に株を上げてくれるならそれはそれで構わないとも思うが……こう、なんだろう。 朱里に正面から評価されるのは正直こそばゆい気分だ。
「だからおにいはお人好しだよ、昔も今もこれからも。 あたしはそんなおにいが大好きだー!」
「だから飛びかかってくるなって!! 溺れて死ぬ!」
犬か何かのようにスキンシップが大好きな妹の世話というのは、中々に大変だなと必死に朱里との距離を取りながら思う俺であった。
「ほほう、幽霊さんはそんな風に話が進んでるんだね」
「良い話じゃないけどな、人が死んでるわけだし」
誰もそのことについては口にしなかった。 口にすれば現実になってしまうような、そんな変な感覚をみんなが受けていたのかもしれない。 しかし朱里とこうして話していると、それを口にすることにそれほど迷いというのはなかった。 言いづらいことでも言えるというのは、さすがに妹ということもあり朱里が一番気楽である。
そんな俺たちは既に風呂を上がり、ソファーへと並んで腰掛けアイスを食べている。 この前夏だからという理由で馬鹿みたいな量のアイスを母親が買ってきたこともあり、アイス食べ放題状態な成瀬家だ。 おかげで冷凍食品が冷凍庫に入らないほどになり、電子レンジはここ最近休眠状態。
「なんか切ないよねー、そのお話。 幽霊女って呼ばれてる人が、幽霊を探しているってことでしょ?」
切ない、というのは朱理の率直な気持ちだろう。 聞く人によればそれはまた違った見え方をするのかもしれない。
俺や冬木、秋月と長峰の見解ではその女性……瀬谷がその日から安江のことを探している、という答えだ。 瀬谷本人も分かっているだろうに、それが受け入れられずに安江のことをひたすら探している。 そう考えるのが妥当だし、行動の理由も意味も関連づけられる。
しかし問題はそれを知ったところでどうするかという話なのだ。 俺たちには安江のことを見つけるなんて当然できないし、瀬谷に協力することはできない。 打つ手なんてあるわけがなく、だからこそ北見が俺たちに任せた真意が分からない。
長峰はどうやらやる気を出している様子だったけど……実際のところ、どうすればいいのかはあいつも分からないだろう。 それだけデリケートな問題だと、そう思う。
「仮にさ、朱理ならどうする? 今回の問題」
「あたし? あたしだったら、そうだね……本人と直接話して、なんとかする……?」
それはとても珍しい反応だった。 朱理は明るく、いつも周囲には人が沢山いるような奴で、友達がとても多い。 しかし単に優しいとか気配りができるとかそういうものではなく、朱理の場合はえらくサッパリとしているのだ。 嫌なことは嫌だと言う、気に入らないことも真正面から口にする、それと一緒で嬉しいことなんかも素直に口にする。 そんな性格が朱理の周りに人が集まる理由でもあるのだ。 接しやすい、というのが朱理を表す上で最も簡単な一言になるように。
そんな朱理がこうして言い淀むというのはとても珍しかった。 それだけ今回の問題が難しい……というのを表している気がする。
「でもさ、北見先生はおにいたちなら大丈夫って思って任せたんじゃないの?」
「自分じゃどうすればいいのか分からないから任せたってのも考えられるだろ」
「一緒だよ、一緒。 北見先生はおにいたちに助けを求めて、でもどうすればいいのか分からない。 それならおにいはどうするの?」
朱理は言うと「あたしが知っているおにいなら」と続け、少しの間を置いた。 そして、今日一番の笑顔と思える笑顔を俺へと向け、告げる。
「きっとどうにかしちゃうんだと、そう思うかな」
昔からのことだ。 朱理は俺を過大評価している節があり、それには二人で長い間を過ごしているというのが影響しているのだろう。 だが、たった一人しかいない妹にそんなことを言われてしまったら、きっと頑張らない兄貴なんてものはいないのではないだろうか。
そんなことを思う俺であった。
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