第10話『過去の自分』

「バンドの方……八藤さんというのですが、その方は高校のときにバンドをやっていました。 そのときのメンバーは八藤さんに田村さん、紅藤さん、北見先生と……安江やすえさん、瀬谷せやさんです」


 知らない名前が二人ある。 少しの間を置いたことから、その二人が大きく関わっているのは間違いない。 冬木はそう話し始めると、一息置いてまた口を開く。


「計六人のバンドです。 瀬谷さんは女性でボーカルをやっていて、バンドの華だったらしいです。 学校内でも人気の方、と伺いました」


「私みたいな感じね」


 少し黙っていろと思ったものの、冬木が「はい」と肯定するようなことを言うと、長峰は若干顔を強張らせて黙り込む。 もしかしたら長峰の天敵は冬木なのかもしれない。 冗談交じりに大真面目で返すのが冬木空という奴だ、その言葉が本心からというのが長峰にとっては返しづらい状況になってしまっている。


「安江さんはギターで、同じく人気の男子だったとのことです。 顔も性格も良かったと八藤さんは言っていました」


「俺みたいな感じか」


「……それはないかと」


 ……もう喋るのやめておこう。 俺の天敵も冬木ということは強く理解した。 心底疑問に満ちた顔でこっちを見るな、冗談を言ったときに真面目な返しが来たときほどつらいものはない。


「少しは静かに聞けないのか、長峰も成瀬も」


 そこで痺れを切らした秋月が言う。 以後、俺と長峰は仲良く黙り込むことを心に誓う。 いくら長峰と言えど、秋月の脅しには屈するしかない。 逆らえば問答無用で斬り伏せられる。 これは比喩ではない、繰り返すがこれは比喩ではない。


 そして、冬木は短く咳払いをすると話を続けた。


「瀬谷さんと安江さんは恋仲だったようです。 バンドの方たちもそれを知っていて、それでも二人はそのことを理由に練習で手を抜いたりすることはなかったと」


 あくまでもバンドはバンド、プライベートはプライベートで切り分けていた、ということだ。 当たり前のことにも思えるが、高校生でそれを実行できるのは凄いことだと感じた。 なんとなく、立派な人たちなんだと思った。


「瀬谷さんと北見先生は親友だったらしいです。 とても仲が良かったと」


 冬木は静かに話を続ける。 バンド自体は人気だったこと、定期的にライブを開いて盛況だったこと、学校外の祭りなどで呼ばれることもあったという。 高校一年で作り上げたバンドは、高校三年になる頃にはかなり洗練されたものになっていた。 卒業しても、別々の大学に行っても、必ず集まって練習しよう。 いつか絶対にテレビに出てやろう。 大勢の観客の前で最高の気分になってやろう。 そんなことを毎日、毎日毎日放課後は日が暮れるまで話していたという。


 しかし、事件は起きた。


「その日は大雨が降っていて、洪水警報も出るほどのものだったらしいです。 事の始まりは些細なものでした」


 放課後、誰もいなくなった教室で言い合いになってしまったという。 いくら仲が良かったとしても些細なことで人と人の衝突なんてことはある、その理由こそ分からないものの、八藤さんが些細なことと言ったのだったら些細なことだったのだろう。 問題はその内容ではなく、衝突そのものがバンドの顔でもあった二人の男女だったことだ。


「安江さんと瀬谷さんが言い合いになり、瀬谷さんがつい口走ってしまったらしいです。 いつもテンポを合わせるのが大変だ、やり辛いと」


 安江という人は、人一倍自分に厳しかったらしい。 同時に自分の技術にはプライドを少なからず持っていて、しかし瀬谷に当たり散らすことはせず、その言葉を聞いて静かに教室から去っていったらしい。


 学校内のどこかに行ったのだと全員が最初は思っていた。 一時間が経過し戻ってこない安江を探しに行き、誰も安江を校内で見つけることはできなかった。 外は大雨、それも警報が出るほどの大雨だ。


「……その日を境に、安江さんは行方不明になりました。 安江さんは落ち込んでいたとき、調子が悪いときは川原によくいたそうです。 だからその日もきっと」


 冬木は言うと、静かに目を閉じた。 誰もが分かることだ、安江の身に何が起きてしまったのかを。


 その日以来、バンドは自然と消えていったという。 北見と瀬谷は楽器を持つことを止め、八藤さんと田村さんと紅藤さんは同じ大学へと進み、ジャズに出会った。 その日の事件以来、別々の道に進みそれらが交わることはもうない。 人と人との関係は難しい、難しいけど……それでも終わりがそんなものだというのは、少し悲しいことじゃないだろうか。




「ってことはなに? その安江って人が幽霊女ってこと? バンドやってたなら髪長そうだし」


 冬木の話が終わって数分、口を開きづらい空気のなか、最初に口を開いたのは長峰だった。


「それはないだろ、幽霊なんて存在しない」


 否定したのは秋月だ。 神職であるなら幽霊の類も信じていそうだなと思ったが、どうやらそれとこれとは別物らしい。


「だったらその瀬谷って人? 繋がりあるんだとしたらその人じゃない?」


「でしょうね。 八藤さんには事情を話しました、瀬谷さんと連絡を取ってくれるみたいです」


 今回の件、最初は誰かのイタズラか何かかと思ったが……どうやら思っていた以上に根があると見ていい。 そして俺たちでどうにかできるのか、どうにかしなければならないのか、そんなことを思い始めた。




「ごめんね、いきなり」


「別に良いけど。 お前に呼び出されると刺されるんじゃないかって心配になる」


 その日の夜、長峰から呼び出された俺は学校近くにある公園へと居た。 暗闇を照らすのには頼りない電灯が一つだけ立っているのみで、どちらかと言えば月明かりの方が辺りを照らしているような状態だった。 そんな月明かりに照らされ、長峰はブランコへと座っている。


「刺して欲しいならいつでも刺してあげるけど」


 冗談混じりにそんなことを長峰は言い、夜空を見上げる。 何かしらの用事があったんだということは明白だったが、長峰にも話をするタイミングというのがあるのかもしれない。 こいつのことばかりは、俺はもちろんのこと冬木ですら完全には理解できていない。 だからといって考えなしに行動を起こす奴でもないしその行動にはしっかりとした意味がある、だが、それを説明するなんていう親切心がないせいで厄介なのだ。


「遠慮しとく。 いろいろやりたいことは今あるしな」


「やりたいこと、ね。 そうだね、私も今はそうかなー」


「……」


 果たしてそれが本気で言っているのか、冗談で言っているのか、俺には長峰の思考というものが分からない。 こいつは冗談で言っているのかと思えば本気で言っていることもあるし、本気で言っていると思えば冗談で言っていることもある。 少なくとも俺の眼では見抜けない喋り方と考えというのをしているのだ。


「冗談とか思ってるでしょ、そんな顔してる」


 長峰は言いながらブランコを揺らす。 丁度ブランコが影となり、前へ行く度に長峰の顔は月明かりで照らされていた。 なんだか長くなる予感がし、俺は長峰の横で寂しそうにしていたブランコへと腰掛けた。


「正直言って、やっぱり八藤さん? だっけ、冬木さんは詳しく話を聞くべきじゃなかったって感じかな。 聞けば聞くほど面倒なことになってる気しかしないし、それこそ時間の無駄。 北見先生が出した条件って依頼を受けること、でしょ? だから別に適当にやったって報酬は貰えるわけだし、適当に手抜いてやっとこーかなとか思ってたわけ」


「如何にも長峰らしいって感じだな。 そんなんでもう驚きはしないし無理に手伝えとも言わないけど」


「……はぁ、だから面倒なことになったって言ったじゃん。 聞かなきゃ良かったんだよ、したら私もどうにかしよーなんて思わないし」


 長峰は言い、揺らすブランコを止める。 俺から視線を逸らし、また空を見上げる。 俺もそれを受けて空を見上げると、都会では決して見られないような綺麗な星々が輝いていた。 男子と女子で夜空を見るなんて勘違いされてもおかしくはない状況だが、相手が長峰となれば全く何も感じないレベルだな……。


「今は違うってことか?」


「……ぶっちゃけさ、北見先生の昔のことだってどうだっていいし、何か理由があって私たちに任せたってのも自己中なことじゃない? 迷惑なんだよね、そういうの。 ただ」


 言い、少しの沈黙が俺と長峰の間を包んだ。 数秒、数十秒か、そのくらいの沈黙は短くも感じるし長くも感じるような不思議な空白だった。


「たださー、なんていうかさー、納得できなくない? 聞かなきゃ絶対に良かったとは思うけど、聞くべきじゃなかったって思うけど、聞いたからにはもうどうにかしたいって思うかな」


「その瀬谷と安江って人の結末にか? 納得できないのって」


「うん。 なんかさ、自分のこと思い出す。 最近までずっと、私も昔のままだったから」


 昔のまま。 それが冬木とのことを……水瀬とのことを指しているのは明白だった。 だが、ここでわざわざ確認を取るようなことを言う気はしないし、さすがにそこまで空気が読めないということもない。


 長峰はつい最近まで、校外学習のあの日まで水瀬友梨という人物を己の中に閉じ込めて過ごしていた。 冬木との決別、長い間に渡ったそれは冬木が長峰の心に到達することで崩した。 そんな自分のことを今回のことに重ねて見ているのだろう、最近までの自分を見ているような、そんな気分なのかもしれない。


「もしも瀬谷って人が安江さんのことを忘れられなくて、こんな怪談話になっちゃってるんだったら、だけどね。 それなら私もしっかりやろうかなって話」


「言いたいことはなんとなく分かったけど、なんで俺なんだ?」


 俺が言うと、長峰は俺の顔をジッと見つめる。 単に気になったことを聞いただけなんだけど……別にこの内容なら俺より冬木の方が話しやすくなかったのか、とそう思っただけだ。 今では二人で話している場面というのも見かけるし、過去の気まずさなんて残っていないだろう。


「だって何をなんと言おうと一応聞いてくれそうじゃない? 前にさ、私が冬木さんに意地悪したこと覚えてる?」


「意地悪……あ、俺と冬木が図書館行ったときか」


 そこで偶然会ったのは長峰だった。 長峰はあのとき、冬木の過去を教えてあげると言い俺のポケットに自分の連絡先を書いた紙を入れて来た。 すっかり忘れていたが……そんなこともあったな。


「そ。 あのとき私のこと嫌いだった癖に一応は話聞いてたでしょ」


「……たしかに」


 というか、嫌いだったということが見抜かれていたという方が衝撃だ。 今はそれが「嫌い」から「苦手」へとシフトしているが……なんかそれも見抜かれてそう。


「だからそういう人なのかなって思っただけ。 私の話って基本的にうんうん頷いて聞いときゃいいような話だし」


 長峰が求めているのは、一体なんなのだろうか。 長峰は解決方法を探しているのではない、それに対してのヒントを欲しているわけでもない、長峰がした話はある意味既に自分の中で答えが見つかっていることなのだ。


 今日もそれは一緒だ。 俺にした話は既に答えが出ているもの、俺が聞かされたのは長峰がどう思い、そしてどうしようと決めたのか、そういうものなのだ。

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